杯が乾くまで

鈴木真弓(コピーライター/しずおか地酒研究会)の取材日記

臨済禅に残る疫病退散のお経

2020-04-13 16:40:15 | 仏教

 このところ読書の時間が増えたので、本棚で埃をかぶっていた未読書を少しずつ拾い読みしています。その多くは「いつか役に立つかもしれない」と思って、とりあえず買い溜めていた専門書。衛生用品や食料品の必要以上の買い溜めはNGですが、本の買い溜めはこういうとき実になりますね!

 今、読み起こしているのは、2月あたまに受講した花園大学仏教セミナーで購入した『禅門陀羅尼の世界ー安穏への秘鍵(野口善敬 編著)』。著者の野口善敬先生は花園大学国際禅学研究所所長で臨済宗妙心寺派教学部長をお務めの、禅宗きっての学識者です。

 以前、先生がお書きになった『ナムカラタンノーの世界』についてこちらの記事で紹介し、禅宗の勤行で "ナムカラタンノー・トラヤーヤー~” と提唱する大悲呪というお経の理解に挑戦してみましたが、今回挑戦するのは却温神呪(きゃくうんじんしゅ)というお経。

 却温神呪経は、インドから中国へ伝わった疫病封じの経典。平安時代に真言宗の僧・宗叡が中国から持ち帰り、密教系の経典として真言宗・天台宗に伝わったといわれます。

 まずはどんなお経か、わりと短いので全文紹介します。陀羅尼(だらに=サンスクリット語の原文をそのまま音読し、当て字したお経)なので、そのまま読んでも呪文のようでチンプンカンプンです。

 

南無仏陀耶 南無達磨耶  なむふどやー なむだもやー

南無僧伽耶 南無十方諸仏  なむすんぎゃーやー なむじーほーしーぶー

南無諸菩薩摩訶薩  なむしーぶーさーもこさー

南無諸聖僧 南無呪師  なむしーしんすん なむしゅうしー    

沙羅佉 沙羅佉 沙羅佉  さらぎゃー さらぎゃー さらぎゃー

夢多南鬼  むとなんきー 

阿佉尼鬼 尼佉尸鬼  あぎゃにーきー にぎゃしーきー 

阿佉那鬼 波羅尼鬼  あぎゃなーきー はらにーきー

阿毘羅鬼 波提棃鬼  あびらーきー はーだいりーきー

疾去疾去 莫得久住  しっこーしっこー まくとくくーじゅう

 

 お経の内容は、疫病をもたらす七種の鬼神ー夢多難鬼・阿伽尼鬼・尼伽尼鬼・阿伽那鬼・波羅尼鬼・阿毘羅鬼・婆提棃鬼の名前を挙げて退散させるというもの。

 古来、中国では疫病は目に見えない悪鬼によって引き起こされると信じられ、悪鬼を追い払うには「お前達の正体は見えてるぞ!」とばかり悪鬼の名前を書いて五色の絹糸で結びつけ、これを門に掲げると効果があるとされていました。この民間風習がベースになったらしいとのこと。却温神呪はお釈迦様が弟子の阿難に授けた疫病封じの対処法としてインドから中国に伝わったとされていますが、来歴は不明で、ひょっとしたら中国で創作された可能性もアリだそうです。

 日本に伝来してからは、七鬼神封じ=疫病封じという認識だけが広く定着し、却温神呪そのものが注目されるようになったのは江戸時代になってから。真言宗の僧・亮汰(りょうたい)が延宝二年(1674)の夏、疫病が大流行したとき、このお経を大量に刷って竹筒に納めて門戸に掛けさせ、そのおかげで疫病が鎮まったといいます。

 亮汰はこのお経の解説本『却温神呪経抄』の中で、疫病のことを「湿気疫毒」と称しています。湿気とは発熱性の疫病、疫毒とは今風に言えば疫病を引き起こす直接原因=病原体(細菌・ウイルス)を意味し、七鬼神の冒頭に挙がる夢多難鬼とは、病気(細菌やウイルス)をまき散らす女夜叉のこと。亮汰によれば、七鬼神とは大黒天に仕える7人の女鬼なんだそうです。今風感覚ならジェンダー差別だ!と文句を付けたいところですが、ネットで「七鬼神」を検索してみると、パチスロゲーム「鬼神7」にヒットします(笑)。

 

 現在、真言宗や天台宗では却温神呪を読誦しておらず、意外なことに臨済宗のみが読誦を続けているそうです。なぜ密教系ではなく禅宗系に残っているのか理由はナゾなんだそう。

 野口先生は、始祖達磨大師が"以心伝心・不立文字”と掲げた禅宗で、陀羅尼を唱える理由として、

①読経に限らず故人への供養は、7分の1しか届いていない。

②供養とは回向(えこう=自分が積んだ功徳を他者に振り向ける)すること。

③お経や陀羅尼を唱えるのは功徳を積むための修行。

④サンスクリット語を音読するだけの陀羅尼は意味を理解する必要がなく、特定の功徳が設定されているので目標を立てて唱えることができる。功徳の分量まで図れる便利なお経。

と解説されています。

 

 大悲呪(ナムカラタンノー)ではあらゆる災厄の消去と家内安全、消災呪(ナームーサンマーダー)では惑星や星座による災厄の回避と国家安寧、そして却温神呪は流行伝染病にかからない、というように現世利益の功徳設定です。最もポピュラーな「南無阿弥陀仏」は死後に極楽浄土へ行くための念仏。陀羅尼は確かに難解だけど生きてるうちにそれなりの効果アリ、ということでしょうか。

 

 野口先生は「今は、病気になったからと言って一生懸命に陀羅尼を唱えるだけで、病院に行かない人はいない」「少なくとも実用品としての価値は認められていないのが現状」としつつも、読経は国の平和を祈り、自らの修行の成就を願って行うものであり、これに価値を見いだせるかどうかは一人一人の生きる姿勢にかかっていると強調されます。一人一人の姿勢を問われるって今の過ごし方そのものですね。

 

 仏壇のあるお宅でも、実際に自分でお経を読む機会はあまりないと思います。今読むのに一番タイムリーなお経ですから、長い在宅時間のほんの一時でも心の修養になると信じて、Let's Reading!

 

 

 

 


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