杯が乾くまで

鈴木真弓(コピーライター/しずおか地酒研究会)の取材日記

福岡・聖一国師の足跡と博多茶禅文化探訪(その2)

2019-11-08 09:18:53 | 駿河茶禅の会

 博多研修レポートの続きです。10月14日(月)、福岡市文化交流公園「松風園」を会場に、裏千家インターナショナルアソシエーション(UIA)九州エリア会員との交流茶会を催しました。

 

 まずは、裏千家インターナショナルアソシエーション(UIA)という組織についてご紹介します。UIAは茶道の国際化を推進し、“一碗からピースフルネス(平和)を”の理念に基づき、世界平和に寄与することを目的に設立された、茶道裏千家の“国際部”。海外に向けての活動のみならず、国内においても在留外国人への日本文化紹介や、その手法を学ぼうとする日本人向けの啓蒙に寄与しています。

 
〇設立: 1985年

〇活動内容:裏千家茶道の海外普及の推進

      茶道を通じての国際文化交流、国際親善への寄与

      会員相互の親睦

〇活動区域:北海道・東北エリア、関東エリア、信越・北陸エリア、東海エリア、近畿エリア、中国・四国エリア、九州・沖縄エリア、海外   

〇会員数:581名(2019年3月現在)

〇事務局:一般社団法人茶道裏千家淡交会総本部 内 (裏千家の公式サイトはこちら
〒602-0073 京都市上京区堀川通寺之内上る寺之内竪町682番地

 

 

会場の庭園は駿河湾と富士山をイメージ

 当日は清々しい秋晴れのもと、福岡市内の閑静な住宅街の一角にある福岡市文化交流公園「松風園」茶室に、14名のUIA九州エリア会員が迎えてくれました。

 「松風園」は昭和20年代に建設された茶室と日本庭園を有する公園。福岡市の繁華街天神から南に広がる高級住宅街・浄水エリアに位置します。もともと福岡を代表する百貨店だった「福岡玉屋」創業者・田中丸善八翁の邸宅「松風荘」の跡地を新しく整備し、平成19年に開園したもの。まるで駿府城公園紅葉山庭園茶室が住宅街にポコンと出現したような雰囲気です。

 茶会の前に松風園スタッフが、駿河湾と富士山をイメージしたという日本庭園を案内してくれました。樹齢100年を超えるイロハモミジの木をはじめ、織部灯籠や春日灯籠、イスが卍型に配置された東屋、そして数寄者として知られた田中丸翁が茶の湯文化発祥の地京都から資材や職人を集めて造った本格的な茶室「松風庵」。庵の扁額は電力王で知られる松永安左エ門(耳庵)の揮毫だそうです。茶室の意匠に詳しい望月座長が懇切丁寧に解説してくれました。

 



「一碗からピースフルネスを」の実践

 茶事研修に使われる和室にて、UIA九州エリア会員との交流茶会が始まりました。まずUIA会員による歓迎の呈茶です。14名の九州エリア会員の中には鹿児島県や宮崎県からの参加者もあり、ご当地の話題で大いに盛り上がりました。

 

茶会のしつらえは以下の通り。

 

掛物 「掬水月在手」 妙心寺 松山萬密老師書

花・花入れ  菊(シャムロック)・水引草  肥後寸胴

香合  むさしのの苗 三日月香合  清水祐斎作(山中)

棚   山雲棚  静峰(輪島)

水指  高取 管耳付半月水指 喜恵作

茶器  鵬雲斎好み 秋の野蒔絵 一閑 大棗  石井隆鳳作(加賀)

茶碗  上野 紫蘇手  銘「知足」鵬雲斎 箱

 替  紀州焼 葵窯  「旅衣」寒川栖豊作

茶杓  建仁寺 益州老師 「好日」

蓋置  三河内焼

菓子  錦秋 萬年屋製

 

 茶席でまず目を引いたのが、床の間の鮮やかなエメラルドグリーンの大輪の菊。オランダで改良された菊ですが、シャムロックとはもともとアイルランドの古い言葉で「若い牧草」という意味。クローバーのような草花で、アイルランドの国花になっています。前日13日夜、ラグビーワールドカップで日本がスコットランドに勝利し、アイルランドと並んでベスト8進出を決めた慶事にちなんでセレクトされたとのこと。まさに茶道の国際化を目指してグローバルな活動をされているUIAらしいしつらえでした。


 茶器は、かつてUIA代表幹事を務めた望月座長が身近に仕えた裏千家十五代家元、鵬雲斎千玄室大宗匠ゆかりの品を用意していただきました。

鵬雲斎千玄室は大正12年(1923)、14代無限斎の嫡男として誕生、昭和24年(1959)大徳寺にて後藤瑞巌老師より得度を受け、鵬雲斎玄秀宗興居士となり、昭和39年(1964)に無限斎の逝去に伴って裏千家15代家元を継承しました。太平洋戦争時は海軍士官として特別攻撃隊員となり、戦友(後に俳優となった西村晃)とともに死の瀬戸際を体験。敗戦後、虚脱感に襲われていた時、父の無限斎が進駐軍の将校に毅然とした態度で茶を教える姿を目にして日本文化の持つ力の強さを再認識し、茶道をもって世界平和に貢献することを生涯の目的としたのです。昭和26年(1951)、日本文化使節として初の渡米を皮切りに、「一碗からピースフルネスを」の理念を提唱して世界62ヶ国を歴訪。その功績に対し、平成9年(1997)には文化勲章が授与されています。

 茶会では鵬雲斎千玄室大宗匠のお人柄や、「一碗からピースフルネスを」の実践部隊として活動するUIAの世界各地での茶道伝道活動について話題が広がりました。UIA会員は、外資系企業、国際線客室乗務員、語学教師等など、職業上も海外との接点が多く、茶道の歴史や所作を外国人に伝えるため、本質をしっかり身に着け、それをわかりやすくかみ砕いて伝える術をお持ちです。当方はほとんどがお点前に不慣れな外国人みたいな初心者ばかりですが、気負わず茶席を楽しむことができました。

 

聖一国師の生涯と功績を伝える方法

 UIAの呈茶の後は静岡を代表して私が、にわか勉強で覚えた聖一国師の生まれ故郷・静岡栃沢や、修行中のエピソードについてUIAの方々にお話する時間をいただきました。予習でブログにまとめていたことが多少役立ちましたが、急なご指名だったので冷や汗タラタラでした(苦笑)。

 静岡人にとって聖一国師=静岡茶祖という固定観念がある一方、福岡や九州の方々にとっては「博多祇園山笠の始祖」であり、その知名度は静岡よりもはるかに高いようです。ただしお茶と聖一国師を結びつける人はほとんどおらず、茶祖と聞けば栄西を思い浮かべる人が多いとのこと。

 静岡では茶というかけがえのない地域産業の始祖である聖一国師。しかしその功績を知る市民は茶業関係者や顕彰活動を行う人に限られています。宗教者であるという理由から教育機関では取り上げづらいという声も聞きます。

 かけがえのない地域の伝統行事の始祖として高い知名度を持つ福岡を参考に、自分たちが暮らす地域産業や伝統文化の成り立ちを、どのように語り伝えるべきか、このような地域間交流の機会を活かして考えていきたいと締めくくらせていただきました。拙い話にUIAの方々が真剣に耳を傾け、メモを取ってくださっていた姿に感動しました。

 

 聖一国師講話の後は、昼食をはさんで本会員による静岡抹茶の呈茶でUIA会員の皆さまに感謝の気持ちをお伝えしました。UIA九州エリアの方々にとって、九州全域からメンバーが集まる機会は限られるとのことで、聖一国師を縁にこうして集まることができて本当に嬉しいとおっしゃっていただきました。ワンテーマで地域間交流が発展するという実感をしかと得ることができたと思います。(つづく)


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