えくぼ

ごいっしょにおしゃべりしましょう。

記憶を呼び寄せよう、紅白の歌

2012-12-30 15:00:03 | 日記

         ★★「記憶を呼び寄せよう、紅白の歌」★★   松井多絵子

 いよいよ大晦日、夜は「紅白歌合戦」を見よう、聞こう。短歌なんて忘れよう。悲しい歌は楽しい記憶を呼び寄せる。苦しい歌は元気な記憶を呼び寄せる、かどうかはわからないが。でも20年も短歌と付き合っていると、歌詞は短歌に近いように思われる。どちらも情念の世界なのだ。三か月前に母上を失ったアナウンサーの有働由美子さんは「一つの歌詞にさえ反応して喉の奥が熱くなる。悲しい記憶をたどるのは辛いが歌で想いだすと、なぜか心が温かくなります」。今年のテーマは「歌で会いたい」 心のなかで誰に会えるか。会いたい人に会えますように。

❤ 繋がれるままに今年も終わるのだ犬の鎖の擦れあう濁音  松井多絵子

     来年もどうぞよろしくお願いいたします。


もっと野球をしたかったヒデキ

2012-12-29 15:15:16 | 歌う

       ★★「もっと野球をしたかったヒデキ」  松井多絵子

            ~引退まで揺れた松井のこころ~

 38歳で引退、いや引退しなければならなかった松井秀喜の無念をおもう。「野球をしたい。でもオファーがない」と語る素直さ。彼の魅力の一つはこの素直さだ。腹の底からの言葉だ。長嶋元監督への恩義を忘れない義理堅さ。そして気さくでシンプルな受け答え。「五七五 俳句だわ松井のコメント」

文武両道、彼はかなりの読書家だそうである。ケガで野球ができなかった時期は、読書に明け暮れていた。アメリカで日本の近代作家の小説を読んでいたなんて、うれしい。引退したら小説を書いたらどうか。まず彼の自叙伝、アメリカで自炊していた頃のこと、そのレシピを書いて料理の本を、エッセイ、俳句、もし短歌をやりたくなったら、迷うことなく私にご一報ください。「松井多絵子が短歌の指導?まあ、図々しいこと!」 皆様 どうぞご心配なく。私の友人の暴走老女がすでに新進の某歌人をヒデキのためにキープしています。  ぬかりのない松井多絵子

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 


これからどうなる、松井秀喜

2012-12-28 14:54:54 | 歌う

         ★「これからどうなる、松井秀喜」  松井多絵子

 朝刊の「松井秀樹引退」の報は、私にはまるで死亡記事のように思えた。もう38歳か、いいえ、まだ38歳なのだ。いま、光あふれるイチローと、暗闇のなかのマツイヒデキ。スポーツの世界ははっきりしている。歌人が引退なんて聞いたことがない。いつのまにか消えていく。この世を去れば引退なのだ。

 三年前の初夏に「芭蕉の歩いた那須を歩く」ツアーに参加した。40名全員が俳人、いや2名だけ違う。私と、もう一人「アジサイ女」。うすむらさきのブラウスを着たこの人は「大好きな紫陽花を見たくて参加しましたの。俳句も短歌も興味ありませんの」。 ベテランの俳人の集う中で肩身が狭かった私は、この「アジサイ女」と一日を共にする。「アジサイ女」は野球も大好き。二人はあじさいよりも野球の話に花が咲く。彼女は大リーグが特に好きで話だしたら止まらない。可哀そうにアジサイの花たちは無視されていた。「もしかしてアナタ、松井秀喜のご親戚?」「ええヒデキは私の甥ですの」とホラを吹きながら本当にヒデキが私の甥のような気がした。「努力のゴジラ」よあなたのおばの松井多絵子が遠隔操作で松井秀喜をサポートしてます。寒い寒いニッポンより。


或るホームレス歌人を探る~その十八

2012-12-27 20:39:42 | 歌う

             ★「或るホームレス歌人を探る~その十八」  松井多絵子

     ▲なぜ、投稿しなくなったか

 九月七日に永田選者は「瓢箪の鉢植ゑを売る」を選び、同時に次のような(公田さんをおもう歌)を採っている。

❤点訳の朝日歌壇の今届きなぞりてさがす公田耕一 (都留市) 長田美智子

 作者は盲目である。点訳された「朝日歌壇」を取り寄せてまで公田の作品を求める。すでに公田の応援歌は朝日歌壇を熱くしているが、その作品は公田に対してかなりの圧力だったであろう。投稿を中止する引き金になったのではないかと私は思うのである。

     ▲ もしかして虚構

 三月二日の「一日を歩きて暮らすわが身には雨はしたたか無援にも降る」を読みながら、これがホームレスの歌でないとしたらと思ってみた。するとこの歌はにわかに精彩を失った。どのようなところを、どのように歩いたか、実景描写も身体感覚的な表現もない。下句も安易にまとめている。いわゆる大雑把な歌だ。

 三月二十日の「温かき缶コーヒーを抱きて寝て覚めれば冷えしコーヒー啜る」、自販機のホットコーヒーは冷めやすい。この作品に公田耕一という署名がなければ若い人のやや軽い失恋の歌のようでもある。花冷えのころ、ホットコーヒーの缶ぬくもりを抱いていたら眠ってしまった。恋も終わってしまった、、、。しかしホームレスの歌ともなると冷えてしまったコーヒーの缶が痛々しくなる。大切なひと缶のコーヒーを飲みながらさぞ寒かったであろう。六月の今もこの歌を読みながら寒くなる。   (まだ続きます。次は郷隼人、美原凍子が登場!)

※読者の皆様にうかがいます。公田さんの歌はフィクションだと思う方、事実だと思う方、もしかしてこれは俺の歌だ、俺が公田耕一だ。という方、手を挙げてください. 松井多絵子