えくぼ

ごいっしょにおしゃべりしましょう。

地球そぞろ歩き⑭ 

2015-10-31 09:27:52 | 歌う

              ~ 地球そぞろ歩き ⑭ ~

 ♦ 甘すぎるモミジ饅頭食みながら昨日(きぞ)見し信濃の紅葉おもう  松井多絵子

 10月30日、すでに紅葉の盛りの軽井沢を歩き回った。新宿を8時に出発したバスが軽井沢・プリンス通りに着いたのは11時ごろ、ゴルフ場に囲まれた緑のなかに紅葉が一際目立つ。目に沁みる紅葉を車窓から眺めながら、白糸の滝へむかう。滝の落差は3m余りだが幅は70mに及ぶ。軽井沢人気No1の景勝地である。あたりの紅葉はかなり散っていて晩秋の景色だった。まもなく凍ってしまうであろう滝。

 「スワンレイク」という愛称もある☁雲場池に着いたのは1時ごろ。晴天真昼の池には鮮やかな紅葉がひろり、ところどころに雲が漂う。まるで白鳥のように。紅と白のコントラストが見事である。池の汀の紅葉の木下を歩きながら眺める池。まるで底のないような、底には別の世界がひろがっているような雲場池。わたしは池の汀を去りがたかった。

 避暑地としての軽井沢のスタートは1886年、カナダ生まれの宣教師アレキサンダー・ショー氏による。昨日は現地のガイドさんの案内で軽井沢発祥の地、ショー記念礼拝堂の見学。和風の素朴な教会である。その近くに芭蕉の句碑があり、わたしは急いでメモに。

          馬をさへ ながむる 雪のあした哉  芭蕉

 軽井沢は3か月前に来たのに、まるで表情が違う。夏の軽井沢は若い女性が多くショッピングやグルメ街になってしまう。昨日は中高年の女性が目だった。私はクラブツーリズムの日帰りツアーを利用したが、費用は6980円(食事は含まず)。東京よりかなり早い紅葉、ことに紅が鮮やかな軽井沢のベストシーズンは秋、11月中旬までであろう。
     昨日の私の歩数は13892歩、9km、消費カロリー302k、燃焼脂肪21g。 

         黄葉を侍らせ夕べの浅間山遠ざかりゆく、穏やかなれな

                         10月31日  松井多絵子  

 


中野サンプラザの宴

2015-10-29 09:28:07 | 歌う

              ✿ 中野サンプラザの宴 ✿

 中野駅北口にそびえる中野サンプラザは1973年6月1日にオープン。以来コンサートホ
ールとして内外の著名なアーティストが公演し、世界中にサンプラザホールが知れわたった。21階建てのビルは駅から数分の所にある。短歌の批評会などで私は年に何度も此処をにを訪れ、懐かしい方々に会い宴を愉しむ。

 昨10月28日は、歌人クラブ東京ブロック大会があり、20階の大広間で半日を過ごした。先ず東京ブロック優良歌集の表彰があり 次の三歌集 ♦宮地しもん歌集『f字孔』 ♦伊勢谷伍朗歌集『VIENTO=風』 ♦ 小林敬枝歌集『わたくしの水脈』 が表彰された。

 今年の講演は「歌の交差するところー近藤芳美・土屋文明ほか」 講師は大島史洋先生。

   ☯ 夕霧の底より見上げる大いなるブナは近藤芳美先生  松井多絵子

 「未来短歌会」に入会した私が、近藤芳美先生にお目にかかったのは22年も前、この中野サンプラザだった。すでに80歳を過ぎていられたがお元気だった。大島先生の父君と近藤芳美は同年だったことを、昨日はじめて知った。「父の悪口を言うと近藤先生に叱られた」と笑いながら語る大島先生。私もはじめての歌会で近藤芳美氏に 「なんだ、この歌は。もっと切実に詠め」と叱られた。そのとき私は晩年の父に叱られているような感じがした。父は近藤氏のように大柄で、ぶっきらぼうな話し方、声も似ていた。あのとき久しぶりに父に会えたような、切ない気持ちになったのを思い出す。

 「土屋文明と近藤芳美の歌の交差するところ」、大島先生の昨日の講演について書くのは先送りする。「未来」に入会以来20年以上も師事している先生から、昨日始めて聞いた近藤芳美先生の「エピソード」が面白い。 大島先生が40代半ばで初めての欧州旅行から帰国された時、「日本の悪いところが分かっただろう」と言われたそうである。芳美先生はギリシャが大好き、「古代遺跡でオペラを見たい」と言われたことがあった。サンプラザの歌会の後の二次会でワインを召し上がりながら、目を閉じてギリシャ、、。昨日20階から見渡す夕べの景色、ビルの群れの彼方は茫々としていた。ギリシャはあの落日の辺りだろうか。

                     10月29日  松井多絵子

        


変身したい

2015-10-27 09:35:14 | 歌う

               ~ 変身したい ~

     ♦ ハロウィーンに負けじと柿が色づいた (東京都) 笠井真理子

 本日☀朝刊の朝日川柳 紅一点の入選作品である。緑色だった柿の実が朱色に変わっている。カボチャのなかもこの色だ。週末の24日からハロウィーンの熱気が高まっている。
東京、渋谷のスクランブル交差点には仮装した姿が見られ、ハチ公像もドレスアップされた。この時期の渋谷は年末年始に匹敵する人出だそうである。ハロウィーン本番31日、渋谷ではクラブやライブハウス20か所を貸切にするイベントがある。

 ハロウィーンは毎年10月31日に行われる古代ケルト人が起源の祭りである。秋の収穫を祝い、悪霊などを追いだす宗教的な行事。カボチャの中身をくりぬいて ランタンを作って飾り、子供たちが魔女やお化けに仮装して近くの家々を訪ねてお菓子をもらう風習である。日本記念日協会は、今年のハロウィーンの市場規模を1220億円と予想する。4年前の倍以上である。企業も積極的だ。秋には大きなイベントがない。酒類や製菓会社、化粧品会社などが乗り出している。

 よその國の収穫祭がなぜ日本でこれほど盛んになったのか、それは「仮装」の魅力ではないか。私たちは自分に飽きている。いや自分に不満な人が多い。とくに女は変身願望が強い。自分とは別の身分や姿になりたい。現在、コスプレの需要が高くその8割は女性らしい。せめて秋の1日だけでも仮装しパレードに参加したい。変身した自分の姿を写真に残したい。この願望が日本の経済効果に貢献するのなら、結構なことではないか。私はよく熟した柿を食べながらおもう。「31日に、午前は天使に。午後は魔女になってみたい」 と。

      ♦セーターが24色このようにわれが変身できるなら、なれな

              10月27日  ユニクロにて 松井多絵子 


犬より猫を飼いたい

2015-10-26 09:53:35 | 歌う

           ・・・ 犬より猫を飼いたい ・・・

   本日☀新聞一面見出しに 「猫、犬を逆転の勢い」 散歩不要、しつけの負担軽め

 ツイッターで可愛いい猫の写真を私は毎日のように見るが、犬の写真はほとんど見ない。
短歌でも猫の歌は多いが、犬の歌はそれほどない。今日の✿朝日歌壇、俳壇にも猫の歌や句があるが犬は見かけない。

       歌壇  馬場あき子選

♦ どうしても外に出してと啼く猫はリビア原産の夜行性にて (相模原市) 柏岡隆太郎

       歌壇  佐佐木幸綱選

♦ 飼猫の宙に浮く手はスカートに幾度も触れて夕飯待てり (四街道市) 斉藤 妙子

       俳壇  長谷川櫂選

♦ ひざのねこわれをあたためねむりけり  (新潟県弥彦村)  熊木 和仁

              ※      ※      ※

 1994年から「ペットフード協会」は全国調査を実施、犬と猫の推計飼育数を発表している。ペット人気を二分してきた犬と猫。犬のリードが続いていたが猫が逆転する日がやってきそうだ。散歩やしつけの手間から犬を飼う人が減る一方、猫を家庭に入れる人が増えている。調査対象を5万人に増やした過去5年で見ると、犬は12・8%減少し猫は猫は3・6%増えている。散歩の必要もない猫は単身でも飼いやすく、今年の調査では犬猫が逆転するのではないか、と予想されている。

 犬猫とも50代の飼育者が最も多く、50代以上が全体の6割を占める。飼い主の加齢に伴う負担の大きさから、犬の飼育減少に歯止めがかからない、らしい。メディアでも猫人気が顕著だ。CMやドラマに出演する犬猫は、最近は猫が6割。ペットのブログランキングでは猫が軒並み上位を占めている。そうである。

       あの九月ふいに我が家を去りし猫あの目のように指輪が光る

                       10月26日  松井多絵子


一日三秋

2015-10-25 08:41:43 | 歌う

              ・・・ 一日三秋 ・・・

 昨10月24日☀折々のことば「一日三秋」 中国最古の詩集「詩経」から引用されている。

 「一日見(あ)はざれば三秋の如し」。一日会わないだけで三年も会っていない心地になる。それほど強く希う気持ちだ。「一日千秋」ともいうことから「千秋の思い」という語も生まれた。~
 私には 「千秋」より 「三秋」の方が親しめる。三年の歳月の長さが千年より実感を伴う。時期を待つ。チャンスを待つ。物事が変わるのを待つ。人とのタイミングが合うのを待つ。岩波現代短歌辞典に40歳のときの水原紫苑が「待つ」について次のように書いている。

 「待つ」は恋の歌には欠かせない言葉の一つである。馬場あき子が「待つ」を女の伝統的な姿勢として注目したこともこの歌語を現代により重いものにしている。

 ✿ なにとなく君に待たるるここちして出でし花野の夕月夜かな  与謝野晶子

 ~この『みだれ髪』の一首は、まさに「待つ女」のポジションを逆転させた、近代にふさわしい歌である。「待たれる気分」というものの甘美な自愛が晶子らしい~ と水原紫苑。

 折々のことば の鷲田清一は~約束もないのにひたすら祈りつつ待つ。待つことに耐える。強く慕って、待ちこがれ、待ちわび、待ち明かし、待ちあぐねて、ついに待ちぼうけ......。
人とはなんともせつないものである。

        土曜日の動く歩道は待つ人のなき私を速やかに運ぶ

                   10月25日  松井多絵子