えくぼ

ごいっしょにおしゃべりしましょう。

1月31日は愛妻の日

2017-01-31 09:45:09 | 歌う
          1月31日は愛妻の日
 
 ♥「愛妻の丘」にハート型花壇ありサルビアの花は炎のように  松井多絵子

 群馬県吾妻川上流にある「愛妻の丘」を訪れたのは昨年の9月上旬だった。キャベツ畑のなかにある「愛妻の丘」は妻への愛を叫ぶ丘、見渡すかぎり夏キャベツが元気に育っていた。標高1400mの高原の小高い「愛妻の丘」は炎のようなサルビアの花、妻への愛か。それは妻たちのおかげでキャベツが実り農家を支えている感謝の叫びかもしれない。

 ♥ 嬬恋のキャベツ畑の見事さを語りしひとの消息なきまま

 ♥ 嫁がねばよかりしものをと繰り返しつぶやきしひとの消息なきまま

 ♥ スーパーに売られる嬬恋産キャベツどれもこれもが疲れていたり

 雑誌などの投稿で知った嬬恋村のK子は東京育ちのお嬢さまだった。体が弱かったので40代になってから嬬恋村の人に嫁いだ、体調をくずし短歌をはじめた。ある短歌大会で私の隣席だったが1度しか会っていない。その後彼女の作品を見ないまま8年もすぎてしまった。
 
 今日は愛妻の日である。英語のIと31(サイ)をかけて1月31日は「愛妻の日」
奥さんを大切にする人が増えると世界はもう少し豊かで平和になるかもしれないという理念で「日本愛妻家協会」ができたらしい。「愛妻の日には妻に花を持って帰ろう」と提案している。すでに1月25日に東京の日比谷公園大噴水前で妻への愛を叫ぶイベントがあったとのこと。叫んだ夫たちは「愛妻家宣言証」を頂けたとのこと。
 
 「妻への愛」を叫びそこなった夫たちは、今日は妻へ花のプレゼントを。パンジーの花がひと束250円で売ってますよ。気はこころ。妻への花をお忘れなく。

           1月31日 松井多絵子
 
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「太郎と花子」という歌誌

2017-01-30 09:47:30 | 歌う
        「太郎と花子」という歌誌
 
 ✿ひややかなポストの口に触れながら2月の富良野へ旅立つわが使者  松井多絵子

 天気予報によると今日の札幌の最高気温は-2度、最低気温はー6度である。その後も更に寒くなり最低気温はー10度の日が続くらしい。私は北海道の冬は10年位前の雪まつりしか知らない。秋の紅葉や初夏の富良野のラベンダーなど私の北海道は楽しい記憶ばかりだが。

 角川短歌2月号の全国結社・歌誌動向に✿「太郎と花子」が紹介されている。創刊の動機は
北海道新聞日曜文芸欄投稿してくる若者らの初々しい作品の散逸を惜しんでの事だった。志を共にした田村元、小林真実(雪舟えま)荒井直子、樋口智子らが集まり2000年春、発刊した。編集発行人は松川洋子、発行所〶002ー8021札幌市北区篠路1条2-6

 同人は中・高生、大学生と20代を主とし30代前半の数名をふくめ27名。松川洋子は発刊の言「カオス」に私は”経験不足や未熟はマイナス要素ではない。熟してゆく時間をたっぷり持っている証だから”と書いた。以来16年、柳沢美晴、佐野書蕙、佐藤聖、岡しのぶ、桑原憂太郎らを加え、同人は倍増した。

 学生たちは就職のためほとんど上京、顔ぶれは少しずつ変わったが皆、のびのびと活発に歌っている。同人は北は稚内から南は京都まで、東西は釧路から北陸まで広がっているので歌会は春、秋の2回のみだがよく集まり笑声が廊下までひびく。
 
 この世界の数十億の人間に指紋、掌紋の同じ者は居ない。そこが不思議で面白いと思う。「はじめて作りました。という1首に負ける事があり、わくわくする事がある」と松川洋子は述べている。私も共感する。同じような短歌でも微妙に異なる。人間の顔がそれぞれ異なるようにその違いが私は面白い。

 日本列島の北と南では気候が著しく違う。暮す土地により作品も異なる。それにしても結社名の ✿「太郎と花子」は「いいなあ」とおもう。私の娘の頃、半世紀も前は男には「郎」女には「子」の名前が多かった。「太郎さん」や「花子」さんは親しめる、安心できる人たちだった。歌誌「太郎と花子」の今後を楽しみにしている。
 
          1月30日 松井多絵子       
 

山下澄人と恩田陸と

2017-01-29 09:22:19 | 歌う
         山下澄人と恩田陸と

 ♦ 弱いのは男ではない女らが強くなってしまっただけです  松井多絵子

 朝刊を開いて気が付く。「今日は日曜なんだ」。寒さの極まる1月末の休日は「家で本を読みなさい」というように本のど派手な広告。まず芥川賞の ✿「しんせかい」、新世界」ではなく、なぜ平仮名なのか。~青年は「先生」の生き様に何を学んだのか。文学界の異端児が描く、自らの原点!

 著者の山下澄人は1966年兵庫県生まれ。脚本家・倉本聡が開設した富良野塾二期生。96年より劇団FICTIONを主宰、2012年「緑のさる」で野間文芸新人賞を受賞。

 ✿「しんせかい」の広告には又吉直樹がおすすめの文を書き、応援している。

 常識的なことを取っ払って、クリアな視点で世界を見て、正直に言葉にされている。僕は山崎さんの作品がすごく好きで、ファンなんです。

 おなじ朝刊に「しんせかい」の1.3倍ほどのスペースで直木賞 ✿「蜜蜂と遠雷」の広告がどーんと載っている。しかも27万部突破とは。ピアノコンクールを舞台に、人間の才能と運命、そして音楽を描き切った青春群像小説。

 ✿「蜜蜂と遠雷」の広告には 作家・朝井リョウが次のよう応援している。

 読み終わるまで私たちを放してくれない。休日に一気読みすることをオススメする。ドラマチックな展開、魅力的なキャラクターによる語り、気づき、考察の数々、ごくごく飲み干したくなるような文章表現~~小説で味わいたいたい要素のすべてが凝縮されている。奇跡のような1冊だ。こんな小説を、私もいつか書いてみたい。
 
※(たとえば私がいまワインをごくごく飲み干したら明日まで眠り続けるかもしれない。体調もおかしくなり脳も狂いだすだろう。でも小説ならいっき読みしても後遺症の心配はない。。私は読み過ぎて体調をくずしたことなどない。いつも読みながら眠ってしまう。読み終えたら朝だったという小説の書ける恩田さんはお酒は召しあがるのかしら。


          1月29日  松井多絵子  




 

俳句を無形文化遺産に

2017-01-28 09:42:07 | 歌う
           俳句を無形文化遺産に

    ♠トランプさん俳句を作ってくださいな  松井多絵子

 昨日の朝日朝刊に、俳句の「ユネスコ無形文化遺産登録を」という記事があった。俳人元文相の有馬朗人や日本伝統俳句協会会長の稲畑汀子らが26日、日本記者クラブで会見した。「俳句は五七五の短い形式で誰でも書けて、心を通わせることができる。自然と共生する文学であり、世界平和にもつながる」とアピールした。

 登録をめざして昨年、国際俳句交流協会と、俳人協会、日本伝統俳句協会、現代俳句協会の4団体と、松尾芭蕉の出身地の三重県伊賀市が発起人会を設立。他の自治体にも呼びかけて、4月に「俳句ユネスコ無形文化遺産登録推進協議会(仮称)を立ち上げ、俳句への関心を高める取り組みを進める。有馬氏は「国民のサポートをいただきたい」と。

 やはり昨日の「天声人語」でもこのことに触れている。20数年前は米国での俳句の浸透度は低かったが近年は状況が変わりつつある。50か国200万人という説も。有名なのは、ファンロンパイ元ベルギー首相の  雲流れ/満月と暗い空/明と暗

 むろんハードルは低くない。他言語に翻訳されて俳味が伝わるのか。音韻や語調の妙が消えないか。季節感は土地により異ならないか。短歌や川柳は置き去りにされるのか、、。それでも、一瞬をきりとる各国の短詩文芸がHAIKUという語で呼ばれるようになれば御の字ではないか。時代や人により様々な解釈を許す懐の広さが俳句の持ち味だろう。無季でも、自由律でも、単なる3行詩でも、俳句の友として受け入れたい。
 
 そして天声人語の終わりの言葉は、「さあそれでは雪見に参ろうか。転べば転んだときのこと。臆せず歩もう。俳句の里の心意気である」

   ♠さあそれでは我も俳句に変えようか、されど恐ろし短歌の鬼の目

             1月28日  松井多絵子 

「私の折々のことば」 ③

2017-01-27 09:22:38 | 歌う
         「私の折々のことば」③
 
 都立新宿山吹高1年の☀砂沢彩音さんが「朝日新聞社賞」に。砂沢さんの「心」に響いたことばは私の心にも響いてくる。もう大人になり始めている砂沢さんの「ことば」

        三流になりなさい
            不登校指導教室の先生

 中学3年生の時に学校へ行けなくなってしまい、お世話になった不登校指導教室の先生からの言葉です。「三流になりなさい。辛い時は涙を流しなさい。思いきり身体を動かして汗を流しなさい。三つ目の『流』はまたの機会にしましょう。結局、うかがうことなく卒業してしまいました。私なりに三つ目の「流」を考えてみました。「受け流す」や「聞き流す」など、しなやかな強さを持つことではないでしょうか。
 お蔭様で三流になった私は、無事高校に進学し、一日も休むことなく高校生活を楽しんでいます。

 ♥ 受け流し聞き流していたこの川にわが言の葉はつかのまの泡か 松井多絵子
 
   <三流 自分らしく>

 砂沢さんは、友人関係などが原因で学校に行けなくなり、北区の適応指導教室に通うようになった。そこで男性の先生に悩みをじっくり話した時にかけてもらった言葉だ。「この言葉に救われました。涙はたくさん流した。運動して汗を流して体力がつくと、自信が持てるようになりました。単位制高校に進学した。わからないままの三つ目の「流」は自分なりに考えて実行。サマーキャンプや文化祭実行委員会に積極的に参加して、高校生活を楽しんでいる。
 コンテストでは、先生への感謝とともに、不登校で悩む仲間に少しでも「三流」を広げることができたらと思って臨んだ。「一流でなくても、トップを走り続けようと無理をしなくても、自分なりに充実していればいい。先生はそう伝えたかったんだと思う。楽しい毎日に、三流になれた、と実感しています」

  ♥ 1流とは2流とは何か、この川の流れも海へと続いているらし
      
             1月27日 松井多絵子