えくぼ

ごいっしょにおしゃべりしましょう。

渋谷のバトル・紫式部と清少納言

2014-10-31 09:04:53 | 歌う

          ◆ 渋谷のバトル・紫式部と清少納言 ◆

 ◆ 千年の後もライバル語り合う紫式部と清少納言   松井多絵子

 ある文学賞の選考会の前夜、審査員の紫式部と清少納言がバーでお酒を飲みながら、仕事や恋愛、人生について語り合い、作家や女としてのプライドをぶつけ合う。11月1日から東京・渋谷のパルコ劇場で ✿ 「紫式部ダイアリー」が上演される。三谷幸喜の新作で、現代のホテルのバーを舞台に、新進気鋭の若手作家・紫式部と、ベテランエッシストの清少納言が女のバトルを繰り広げる。この2人の才女は平安時代の方たちだから千何歳であろう。今もなお日本のある文学賞の選考委員として活躍されているとは。

 「紫式部ダイアリー」の紫式部役は長澤まさみ、三谷幸喜から「紫式部は天才を越える大天才」と言われ、天才像を研究するようにとモーツアルトの映画「アマデウス」と、仏の詩人のランボーの映画「太陽と月に背いて」のDVDを渡された。

 清少納言の役は斉藤由貴が演じる。三谷から「清少納言は優しく包み込むように見えて、底にものすごく冷たいものが流れているように演じなさい」と言われている。

 斉藤由貴は長澤まさみと同じ「東宝シンデレラオーディション」でデビュー。ベテランの清少納言、若手の紫式部という劇中の構図と似ている。事務所では斉藤は長澤のセンパイである。紫式部は美貌だが清少納言は見た目はぱっとしないという設定だ。でも斉藤由貴の顔はぱっとしている。大きな目が時にはイジワルな目になるのか。女が大勢集まれば紫式部的な女や清少納言的な女が必ずいる。私は残念ながら紫的ではない。やや清少的かしら。

    でもねえ、美貌の才女こそコワイですよ。彼をさらわれてしまいますもの。

                      十月尽日   松井多絵子

  ※ パルコ劇場は11月30日まで。8500円。1,2日は7500円。
                 03・3477・5858(同劇場)

 


転職30回の水上勉

2014-10-30 09:17:15 | 歌う

         ・・・・ 転職30回の水上勉 ・・・・

❤ この世より去りて10年いまもなお水上勉の吐息きこえる   松井多絵子

 世田谷文学館では12月21日まで、職業遍歴などを紹介する ♠ 「水上勉のハローワーク 働くことと生きること」 を開催中である。作家の水上勉(1919~2004)は社会から虐げられ運命に翻弄される人たちを主人公に、多くの小説を書いた。それは彼の苦難の人生を反映している。彼は42歳で直木賞を受賞するまでに、30以上の転職をしたらしい。

 1919年福井県に生まれ、10歳のとき京都の禅寺、瑞春院の小僧になる。13歳のとき等持院に移る。17歳のとき等持院を出て還俗、京都小型自動車組合の集金人となる。満州に渡り19歳で苦力監督見習として働く。21歳のときは日本農林新聞社勤務。22歳のときは報知新聞社、学芸社、三笠書房に勤務。すごい職歴ですね。成人になる20歳まで彼は自力で働いたんですから。先ず禅寺の小僧は厳しかった。寺では早朝から炊事や掃除。和尚と奥さんは朝からご馳走を食べているのに水上勉は粗食を強いられ、赤ん坊のおむつを毎日洗わされ、寺を脱出した。転職を繰り返しながら人間観察を深めた、彼の人生は ♠ 「苦労の百貨店」であるといわれる。

 今でもスポーツ選手は幼少からキビシイ練習、ケガも克服。でも10代で認められ経済的に恵まれる人もいる。親たちの献身的な協力が成功させているのだ。しかし水上勉の場合は全く自力で独りで成人したのだ。29歳で作家をめざし直木賞を受賞するまでには転職を約10回。しかし受賞後は今までの苦難が良き素材となり数々の名作を生んだ。

 水上の長女蕗子さんは ♠ 「父の文章からは人間が立ちあがってくる。それは様々な職業を体験し、心に苦労の襞を重ねることで、リアリティーゆたかな描写力を身につけたからでしょう」と。 85歳で亡くなったが総決算すると 「いい人生だった」のではないか。

   晴れのち豪雨の人や 「サヨナラ勝ち」の人もいて ♠ 「人生いろいろ」ですね。

                          10月30日  松井多絵子    

 


上高地の宴

2014-10-29 09:38:50 | 歌う

            ・・・ 上高地の宴 ・・・

❤ 黄葉の木下に立ちてすっぽりと黄葉かぶりわれは木となる  松井多絵子

 標高1500mの上高地は、麓より気温が5~10度も下がり10月中旬すぎでも積雪することもある。昨日10月28日は寒かったが晴天、風もなく黄葉は見事だった。朝の7時20分、新宿を出発したクラブツーリズムの44名は車窓の紅葉黄葉を楽しみながら12時前に大正池の辺りに来た。池に映る黄葉が光を浴びて輝いていた。まもなく赤い屋根の上高地
帝国ホテルに着き、コースランチ。1933年に誕生した日本初の本格的山岳ホテル、まるでスイスにいるような気分で窓辺でのランチ、古風なランプの下での宴だった。

 昼の宴の後は2時間のフリータイム。田代池へと向かった。湿地帯にあるこの池は晴天の日でなければ行けない。昨日は絶好のチャンスだった。標高3000m級の穂高連峰、焼岳などの名峰を見上げながら歩く、熊笹のひろがる中を歩きようやく田代池に着く。

❤ 心のきれいな人しか映さぬ池らしい水面の顔はわたくしですね

 のんびりと池を眺めていたら、辺りには人がいなくなり急いで引き返す誰にも会わない道。
熊が出るという道だが熊に襲われることもなく戻る。私たち老女3人はほっとしたが、熊も老女は不味そうで食べる気になれなかったのかもしれない。河童橋には大勢の人、上高地銀座はさらに大勢の人々、山ガールたちも。あと半月のちに上高地は冬眠する。

 昨日の歩行は13112歩、8、9km、239kcal、脂肪燃焼17g。ツアー料金は12000円。

  各地の紅葉黄葉の目のグルメを皆様も召しあがってください。太らないグルメを。

                          10月29日  松井多絵子 


柿の灯りを

2014-10-27 09:22:37 | 歌う

             ・・・ 柿の灯りを ・・・

❤ 食べごろの富有柿ひと山購いて我はいくつも明かりを抱く  松井多絵子

 わが家の近くに大木に囲まれた家がある。昼でも雨戸が閉まったまま、門扉も壊れかけている。表札もない。何年も前から人が住んでいないようである。その庭の木々はみな高木だ。いまは何百もの朱い柿の実が木を飾っている。だれも取らないのは渋柿だからだろうか。1週間前に清里のツアーに参加した時、渋柿のおいしい食べ方を知った。教えてくれたのは若くてよく笑う異国の女性添乗員さん。

 「ワタシは中国人です」と彼女が自己紹介するまで日本の女の子と思っていた。日本の大学に留学しクラブツーリズムの添乗員をしているシュウさん。「日本の柿が甘くて大好きです」というときの笑顔が愛らしい。北京で育った彼女は冷凍した渋柿を、シャーベットのように食べていたそうである。渋柿は2日間水に漬けておくと渋みが抜けるとは、、。

 シュウさんから聞いたことを試してみたいが、渋柿なんて売っていない。無人の家の柿の実を一つ欲しいなあとおもう。しかし手をのばしても届かない、柿も落ちて来ない。わたしは近くの八百屋さんで富有柿ひと山を買う。特売で6個500円。抱えるといくつも灯りを抱いているような感じがする。朱色の光沢のある肌の柿は眺めて楽しく、食べれば甘くとろりとした食感がなんともいえない。日本では沖縄以外は全国で栽培され、和歌山、福岡、奈良などが栽培面積が広い。北東北や北海道などの寒冷地は渋柿らしい。シュウさんの育った北京は寒冷地だから渋柿しか知らなかったのではないか。北海道の皆さま、柿にはビタミンCがたっぷりありますよ。カゼの予防に渋柿をぜひ召し上がってください。既に柿の木には凍った柿がたわわに実っているかもしれませんね。

     笑わず今日も終わってしまうのか我は手にとる笑う富有柿 

                   10月27日  松井多絵子   

 


カボチャが怒る

2014-10-26 09:10:28 | 歌う

            ☀ カボチャが怒る ☀

♠ 思いきり笑いたいのに笑えない厨のカボチャは笑っているのに  松井多絵子

 日本記念日協会によると、今年のハロウィーンの市場規模は約1100億円で、4年前の約3倍である。大雪のため伸び悩んだ今年のバレンタイン商戦の1080億円を初めて抜くかもしれない。東京ディズニーランド関連のイベントをきっかけに広まったハロウィーン。あれから17年、色とりどりの仮装は、写真や動画を撮り合うのに適している。若者や子供、少年少女たちが求めているイベントなのか。

♠ さて厨にもどるか俎上にわれを待つはるかメキシコよりきしカボチャ

 カボチャの原産地はアメリカらしい。カロテンなどビタミンを多く含む緑黄色野菜、惣菜にも菓子にもなる。古代ケルト人が秋の収穫を祝い、悪霊を追いだす祭りとしたのが起源なのか。10月31日のハロウィーンは欧米では宗教的な行事として定着している。

 カボチャは怒っているように見えたり、笑っているように見えたり表情の豊かな、愛嬌のある野菜だ。お化けカボチャの仮装をした若者、とんがり帽子に黒いマントの魔女、赤ずきんちゃん、シンデレラなど、日本各地で幼児や小学生から若者まで仮装して商店街などを歩く。「街おこし」のイベントがすでに始まっている。本来の収穫を祝う行事ではなく、仮想を楽しむ行事ではないか。私だけではないのだ自分に飽きている人は。変身願望がハロウィーンのイベントを盛り上げているのだ。いつもGパンの子がピンクのロングドレスに花冠を被り変身する。私は黄色いウェディングドレスを着てみたい。新郎はわたくしより半世紀後に生まれたK君。 「末長く、どうぞよろしく」

     あら、まあ、俎上のカボチャが怒ってるヮ。k君みたいなメキシコカボチャが。

                           10月26日  松井多絵子