えくぼ

ごいっしょにおしゃべりしましょう。

日々の言の葉 ①

2015-06-30 09:02:59 | 歌う

            ・・・ 日々の言の葉 ① ・・・

 ♦春昼の獣園の檻に白黒の淋しき体を転がすパンダ    松井多絵子

 4月1日から朝日新聞1面左下に載っている「折々のことば」を書いているのは鷲田清一、
哲学者である。古今東西の様々の言葉を取り上げ、そこから思索をめぐらせるコラム。

 6月29日 ◆ 白だ黒だとけんかはおよし 白という字も墨で書く  昔の都々逸 

 都々逸とは誰もが感じる心の中ををいとも簡単に表現している口語定型詩で、江戸末期に大成されたらしい。鷲田氏は~何もわかっていないんだね。と言われているみたい。どんな対立も、しょせん、ことばの戯れ。略 ことば噛みきれないものを噛みきれないままに表す時にもっとも深くなる。苦労人はそれをよく知っている。~。掲出の歌の下句を私は「淋しき体を転がすパンダ」などと詠んだがパンダは満腹で眠く、ごろ寝をしていただけだろう。大切に飼育され敵などを恐れずに言葉のない世界で生きている。60平米位の檻のなかで。

 6月30日 ◆ 光が光と闇とを顕す  スピノザ 

 昨日の都々逸を、この17世紀オランダ哲学者の言葉の横に並べたい。真理という知性の光によって真と偽が浮き彫りになるように、語りえないもの、ことばによってはじめて知られる。世界をこじ開ける力。人生の喜びも悲しみも、そして空しさも ことばなしには立ち現れない。

 たぶんフランスの小説家の言葉だとおもう、「人生は三度微笑む」は私の好きな言葉である。わたしの人生はすでに三度微笑んだかもしれない、いや、まだ一度だ、この先いいことが二度あるぞ、などと空しい時には思う。人間でよかった、パンダでなくて。

       今日で6月は終わり、今年の半分は終わりますね。  松井多絵子 


つゆ読の本

2015-06-29 08:53:56 | 歌う

              ・・・ つゆ読の本 ・・・

 ☂ 日もすがら我に読書をさせる雨、青葉を洗いつづけている雨   松井多絵子

 つゆは夏至をはさむ20日から約1か月の雨季、梅の実が熟する季節のため梅雨と書かれるらしい。雨の日は用事がなければ家にいる、歩かないと脳の活動が鈍るのではないか。でも本を読めば脳細胞が動きまわるだろう。☂ 「つゆ読・書店フェアー」の新聞広告には15冊が並んでいる。旅、健康、園芸などが目につく。どれも私が関心のある本だ。

 ◆ 『99歳ちりつもばあちゃんの幸せの道しるべ』 たなか とも著                        いつからか本の題名が長くなっている。この本は『99歳、ちりつも女』で十分ではないか。
99歳の女は当然「ばあちゃん」である。山あり谷ありの人生でも約100年も生きてきたのだから「幸せ」だ。「道しるべ」は蛇足だと私は思うのだが、、

 おばあちゃんから日々のくらしのなかで教わった大切なことをつづった感動エッセイ。「幸せみつけ」 「人の良いとこ見てくらそ」 「覚悟決めたら道はぜったいひらけるもんやねん」 よろこびあふれる言葉の数々。  (じゃこめてい出版 1080円)                  

 この本の隣には ◆ 『健康常識100のウソ 間違いだらけの家庭の医学 』
「卵や肉の食べ過ぎは体に悪い」「運動は体に良い」「タバコを吸うと肺ガンになる」など誤った健康常識の真相を、分子栄養学の権威が科学的根拠とともに解説。健康長寿を目指す全ての人必読。  著者は三石巌 幻冬舎 1296円  

        私の体のなかは見られない、私の明日はわからない。

                                   6月29日   松井多絵子 

 

             短歌情報 新刊歌集

 ✿ 河野美砂子歌集 『ゼクヱンツ』 作者はピアニスト (本体2500円・砂子屋書房)

     さきほどは不在のdolce再現部に見つけてブラームスと少し会話す

 ✿ 寺松滋文歌集 『ことば』 第2歌集 (本体2500円・本阿弥書店)

     <ホコ天>の銀座のはづれドトールにカフェオレこんなものか天国 


ヒトリコの額賀澪

2015-06-28 08:59:03 | 歌う

               ・・・ ヒトリコの額賀澪 ・・・

 ❤ 仲間の死に涙をながす象のこと知りて罪深き私となる  松井多絵子

 仲間。友情。絆。そんなもの信じない。今朝の新聞の本の広告で一際目立つ✿「ヒトリコ」の広告。著者の額賀澪は24歳。第16回小学館文庫小説賞を受賞した。賞金は100万円。

 「つらくて、痛くて、理不尽。でも心がじんわりと温まる。あのときの自分がきっと行間に見つかる青春小説、らしい。~小5の夏、クラスの金魚を「殺した」ことにされ、イジメのターゲットとなった 日都子 は、以来 「みんな」 には加わらない 「ヒトリコ」 になる。~。友達のイジメが小学生の俳人を生み、句集「ランドセル俳人」が売れたのは数年前だ。額賀澪も10歳の時に初めて小説を書いた。高校卒業後、小説家をめざし日大芸術文芸学部へ、卒業後は広告代理店に勤務しながら創作活動を続けている。

 「ヒトリコ」受賞決定後に第22回松本清張賞。W受賞。額賀澪をいじめた子たちは今
どうしているか。彼女はもしイジメられなかったら小説を書かなかったのではないか。「教室の孤独とリアル」が✿「ヒトリコ」を生んだのだ。彼女を虐めた子たちは、今、さぞ悔しい思いをしているだろう。その人たちの現在をテーマにした作品を、額賀澪が書いたらどうか。いや、ツマラナイ小説になるだろう。「絆だ、仲間だ」と絶えず群れたがる人は、自身を磨くことを忘れている。他人のことばかり気にして自身には充電していない。だから魅力がない。

 ❤ イジメられないためにイジメル子と組むを許さぬ父は壮年だった

  「ブラックバイト」などと騒がれているが、「彼女はブラックだから」と言われる女がいる。話題は仲間の噂。失恋、失業、など。成功した人の光ではなく陰についてを話題にしたがる。そんな人たちと付き合うくらいなら「ヒトリコ」のほうがいい。「本を友達だち」にすればいい。図書館や書店で、まず最初の2頁を付き合って、気が合いそうだったら読者になる。よい友だちになれるかもしれない。   ㊟ 額賀澪 (ぬかがみお)

                   6月28日   松井多絵子


地球そぞろ歩き ⑪

2015-06-27 08:59:10 | 歌う

             ・・・・ 地球そぞろ歩き ⑪ ・・・

 ▼ 心のきれいな人しか映さぬ川らしい水面の顔はわたくしですね  松井多絵子

 川を眺めている時の私は無心になる。昨日、玉川をながめていたら私はこの川から生まれたような気がしてきた。二子玉川は実家からわりと近く幼いころの思い出の背景はこの辺りが多い。遊園地は消えて高層のビルが増えて ✿ニコタマ の愛称で呼ばれるようになったが、玉川は変わりなく流れている。この3月にオープンした 二子玉川ライズ、のショッピングセンターに入ったのは12時半。まずは7Fのレストラン街でランチを、どの店も混んでいたので書籍売り場で立ち読みをした。1時すぎるとレストランは空席が多くなった。

 ランチタイムの食亊は女一人も多い。韓国料理の韓美膳にはじめて入る。石焼ビビンパとチヂジミ、サラダ、スープ。韓流ブームが去り、何年ぶりか、ビビンパを食べるのは。しかも石焼。近くの席の女も一人で石焼ビビンパ、税込1180円にしてはおいしい。満腹。

 ◉アスワンに日本とおなじススキの野さなきだに川は利根川のごとし

 ◉ 泥水の川だったのだメコン河の水面はわれを映さずたゆたう

 辞書によると、川も河も~地表に水が集まって土地の傾斜に従って流れる水路。~なのである。ニコタマ の4棟の高層ビルのなかを歩きながら時々川を見下ろし、私は15年位前に訪れた異国の川や河を思い出していた、秋のエジプトのアスワンにはいたるところにススキがあり日本にいるような気がした。ベトナムのメコン河はまるで海、泥水の海に見えた。二子玉川の水は澄んでいて所々に中州がある。ここでバーベキュウをしたら、ゲリラ豪雨が?。

 ビル内のブティックは白い服が目立つ、まるでウエディングドレスみたい、あゝ6月の花嫁。スポーツ用品店には白いリュック。白いジャンパー。私は文房具売り場で白い小封筒を買っただけ、食品売り場ではライ麦パンとチーズを買う。帰宅して万歩計を見ると10252歩。、6,5キロも歩いている。昨日の午後は時々小雨だったがビルの中は雨の日のそぞろ歩きには都合がいい。盛夏の昼も涼しいビルのなかを私はそぞろ歩きするつもりである。

                           6月27日  松井多絵子


星野朝子という車

2015-06-25 08:52:19 | 歌う

             → 星野朝子という車 →

 ♠ 信号の青がみるみる迫りきて海がひろがる真鶴の海   松井多絵子

 わたしが車の運転を始めたのは半世紀余りも前、日産自動車の真っ黒い車だった。その日産自動車で初めての女性専務になったのは★星野朝子(55歳)である。車の営業経験はゼロだとか。でも車の運転はなさるんでしょうね。もちろん日産自動車。2002年、市場調査の会社役員から日産・ゴーン社長に請われて転職。慶大を出て日本債券銀行に入り、米国の大学院でマーケティングを学んだ彼女は写真で見るかぎり 「やまとなでしこ」。

 ♠ 運転の免許更新手続きをするかしないか迷いていたり

 半世紀余り前の東京ではマイカー族はまだ少なかった。私が運転を始めたのは母にすすめられたからである。体が弱かった母は始終タクシーを利用していた。ジャジャ馬の私をお抱えの運転手にしたかったのだ。当時は女のドライバーは少なく私はカッコよかった。結婚しても母は車の維持費は出してくれたが私はお抱えの運転手、さらに夫の縁者も、、。そして車の渋滞、駐車困難、わたしは車がお荷物になってしまった。 

 ♠ 運転の免許更新手続きをするかしないか迷いていたり

 ♠ 新東名高速道の運転はわれを凶器にするかもしれぬ

 我が家から450歩のところにバス停があり、かなり便利な所に住んでいるとマイカーなんて無用の長物だ。旅行も自分で運転していたらゆっくり景色を楽しむことができない。私はペーパードライバーになったが、免許は更新し続けていた。

 ♠ 視力検査はぎりぎりですよと我に云う穂村弘に似ている警官

 ♠ 視野の狭い作品ですねとわが歌を穂村弘が危ぶむような

 3年前に免許更新の際に私の視力が急に弱くなっていると言われた。1・2が0・8に。検査を担当している警官は私や他の高齢者にそれとなく免許証の返上を勧めていた。もしあの警官が穂村弘に似てないオッサンだったら私は運転免許証をまだ持っていたかもしれない。

     星野朝子専務よ くれぐれも貴女の視力を大切になさいますように。

                         6月25日  松井多絵子