私の旅の楽しみのひとつは、雲をのんびり、じっくり眺めることです。この十月のはじめ信濃の赤そばの花を見に行きましたとき、バスの車窓から雲海が見えました。ススキの野のかなたの中空にゆったりと広がる雲海、帰りは茜色の夕雲に包まれながら日帰りの旅は終わりました。でも雲海も夕雲も美しすぎて、一首も詠めない小さな旅っでした。
★雲を歌う十四首 松井多絵子
二丁目をすぎ三丁目に来しときに子羊雲は眠りていたり
うき雲の生みし子雲が泳ぎだし処暑のま昼の空に溺れる
ひと息に石段のぼりつめしとき巻き雲の渦がわっと迫り来
白鯨のようにも見えるあの雲がいつ生んだのか子雲が寄り添う
区役所のビルの彼方に乱れ雲きげんの悪い雲がひろがる
わた雲が地上に遊びに来たようなライトアップの古城のさくら
以上は歌集『えくぼ』より
あの雲は痩せてしまった空言を考えながら歩いていたら
広すぎる野をあてもなくただ歩く広すぎる空は動かぬ
ほんわかと雲のひろがる三輪山の彼方にたぶん私の倖
雲の手がここへ来いよと招けども甘樫の丘はわれを放さぬ
あの雲が褥になってくれるなら我を脱ぎすて眠りのなかへ ※褥(しとね)
やわらかく自己主張するこそよけれ、あの浮き雲への距離をおもうな
富士山を見るため四十八階にきて鯖雲に見られていたり
わた雲をかぶる恵那山まだ眠りつづけているのか、九時半ですよ
以上は歌集『厚着の王さ』より