えくぼ

ごいっしょにおしゃべりしましょう。

歌とミニエッセイ

2012-10-28 14:37:56 | 歌う

 私の旅の楽しみのひとつは、雲をのんびり、じっくり眺めることです。この十月のはじめ信濃の赤そばの花を見に行きましたとき、バスの車窓から雲海が見えました。ススキの野のかなたの中空にゆったりと広がる雲海、帰りは茜色の夕雲に包まれながら日帰りの旅は終わりました。でも雲海も夕雲も美しすぎて、一首も詠めない小さな旅っでした。

 

         ★雲を歌う十四首        松井多絵子

二丁目をすぎ三丁目に来しときに子羊雲は眠りていたり

うき雲の生みし子雲が泳ぎだし処暑のま昼の空に溺れる

ひと息に石段のぼりつめしとき巻き雲の渦がわっと迫り来

白鯨のようにも見えるあの雲がいつ生んだのか子雲が寄り添う

区役所のビルの彼方に乱れ雲きげんの悪い雲がひろがる

わた雲が地上に遊びに来たようなライトアップの古城のさくら

                    以上は歌集『えくぼ』より

あの雲は痩せてしまった空言を考えながら歩いていたら

広すぎる野をあてもなくただ歩く広すぎる空は動かぬ

ほんわかと雲のひろがる三輪山の彼方にたぶん私の倖

雲の手がここへ来いよと招けども甘樫の丘はわれを放さぬ

あの雲が褥になってくれるなら我を脱ぎすて眠りのなかへ  ※褥(しとね)

やわらかく自己主張するこそよけれ、あの浮き雲への距離をおもうな

富士山を見るため四十八階にきて鯖雲に見られていたり

わた雲をかぶる恵那山まだ眠りつづけているのか、九時半ですよ

                     以上は歌集『厚着の王さ』より


歌とミニエッセイ

2012-10-26 20:48:33 | 歌う

 十月末のスーパーの魚売り場にはパック詰めのサンマがずらりと並んでいます。まるで刀のようにするどく光るサンマは、新鮮でおいしいことでしょう。でも私は今日もサンマを買いません。何日か前まで海で元気だったであろうサンマの目がうらめしそうに私を見ているからです。      

                                                              

            ★魚を歌う十六首        松井多絵子

処暑のひる魚の館の客人のわれは魚族にとりかこまれて  ※客人(まろうど)

トラフグが胸の辺りに来ていたり、心のなかは覗かないでね

シビレエイに睨まれている電流を放つ魚らし自家発電の

総身の棘を光らせハリセンボン体まるごと怒りていたり

いちまいのガラスを通しその胸にふれいし手より去りゆくメバル

水槽がもし割れたなら非常口どこにあるのか魚のための

死ぬだろう、この水槽が割れたなら外つ国よりきしチョウチョウウオは

調教師がイルカを抱き放つまでラブシーンのごと見つめていたり

今日もまた魚を食べる気になれず冷蔵庫には鰈の死体

あの魚の目は泣いていた私をじっと見ていたアラブの鰈

                 以上は歌集『厚着の王さま』より

泳がねば死ぬとう鮪のごとわれは昨日も今日も一万二千歩

鯖雲が鯖雲に寄りてゆく九月最後の日曜ひとりの昼餉

深海の魚群のなかにいるような、りんどうりんどう母ねむる墓地

太刀のごと鋭く光っている秋刀魚やはり買う気になれない今日も

棘の道の縮図のごとしその胸も腹もひろげる秋刀魚の干物

その薄いからだに心も腹もあり既に屍の鰈が売られる

                以上は歌集『えくぼ』より

 


歌とミニエッセイ

2012-10-25 20:48:10 | 歌う

 創刊八十周年の短歌研究11月号巻頭の「アイヌモシリ」は魅力的な十五首です。作者の時田則雄氏は1946年帯広市に生まれ、父の後を継ぎ農場経営をなさっていられるそうです。石川啄木にあこがれてはじめた短歌は、その生活から生まれる骨太な野男の歌。                

◉汗のシャツ枝に吊るしてかへりきしわれにふたりの子がぶらさがる                  

これは彼の古い歌で、私が大好きな一首です。「俺がねえ」と男が話すときたぶんネクタイをしていないでしょう。背広ではなくセーターかポロシャツ。まわりには気のおけない仲間、気を許せる「おまえ」と呼べる女。男には「俺」という名称?があるのに、なぜか女性にはありません。「これが俺の歌」って感じのものを「アイヌモシリ」から選んでみました。※アイヌ=人間 モシリ=国

         ★アイヌモシリ     時田則雄

今日もまたいつもの場所で待ってゐる樹である お前は同志だ 俺の

雨脚の乱立ゆつたりと眺めつつ祖父の歩みし道辿りをり

月の明るい空だよ 走れ、トラクター 疲れたなんて言つちやだめだよ

てのひらの色はもう秋 汗を噴き顔を歪めて畑を起こす

木と風が会話していゐる午後である 俺は大地と格闘をする

    ※蛇足ですが松井多絵子の「俺」の歌三首

生きるため食べねばならぬ教会のパンもらうため説教を聞く俺

「どうしたらいいんだ俺は」「木もれ日がわたしの項で遊んでいるわ」

左手は願いを叶える手だと言い右手のことは知らぬという俺

                 以上は歌集『厚着の王さま』より


歌とミニエッセイ

2012-10-24 21:13:56 | 歌う

 以前は雨をよく詠みました。雨の夜は感傷的になり次々に歌が生まれました。でも甘い歌が多かったような気がします。加齢とともに目も体も心もかわいてきて、それに近頃はゲリラ豪雨がおそろしく、雨を詠むことが少なくなりました。                                      

                                                              

      ★雨を詠う十三首       松井多絵子

雨の夜の鏡の奥のわたくしは太宰治のように頬杖

七月のなかば過ぎれば遠ざかる太宰治はわたしの梅雨

昼中のわれに読書をさせる雨しずかに紅葉を洗っている雨

玻璃窓をルネラーリックというように雨が流れるルネラーリック

「火星には雨が降らないそうですね」「地球には不幸が降るそうですね」

『赤光』をじっくり読めというように雨音が重くなってくる夜

亀が子を産むのは六月らしわれも一編の詩を産めるか雨夜

雨はやみ人工池の水面はわれの笑顔をひたぶるに欲る

昼すぎのドラマの女も腰掛けて窓を流れる雨を見ている

                   以上は歌集『えくぼ』より

短夜の雨はつぶやくように降る少しかなしい詩のように降る

いま言いしキミの言葉を消している浅夜の雨の濁音、撥音

ひと月に三十五日は雨の降る屋久島にきて三日目も晴れ

おろらくは黒のドレスで唱ってるダミアの声はしだいに豪雨

                 以上は歌集『厚着の王さま』より


歌とミニエッセイ

2012-10-23 20:37:41 | 歌う

 わたくしたち視界には色があふれています。そのためか私には白が気もちのよいこと。でも時には目にも心にもするどく沁みます。

        ★白を詠う十六首      松井多絵子

白い壁、白いテーブルその上のメモには何も書かれていない

うき雲を見ながらおもう買わざりしあのふわふわの白いマフラー

新緑の木々の間にそそり立つ白いタイルの脳外科病院

元旦の厨にさらの白布巾ことさら白く張りつめており

まだ少しだけしか夫を知らぬまま共に白髪が目立ちはじめる

おふくろに似ているなアと彼は言い私ではなく白萩を見る

細きヒールが残暑に喘ぐ、白靴よ今年の夏ともう別れよう

                   以上は歌集『えくぼ』より

眠りたい、白さるすべりの花房を見上げていたりみとれていたり

白靴がわれに逆らい右でなく左の角を曲がってしまう

この秋の旅の予定の記されぬ手帳の空白、白がふるえる

話しても返事をしない四百の真っ白い口、原稿用紙の

白蝶は消えてしまいぬ脳裏には白き曲線描かれている

歩くほど冬に近づく並木道、白いコートの人が近づく

めざめれば辺りの緑は消えうせて雪の白さがからだに沁みる

まっすぐな道こそ迷路まっ白な服こそすぐに汚れてしまう

二百字の原稿用紙だあの家は、白いタイルの三階の家

                以上は歌集『厚着の王さま』より