えくぼ

ごいっしょにおしゃべりしましょう。

小説を書いた燃え殻さん

2017-08-31 14:50:51 | 歌う
私の抜け殻はだらりと横たわる明日のはじまる午前の零時

新潮社の小説「ボクたちはみんな大人になれなかった」が7万部超のヒット作になっているらしい。作者はツイッタ一ユ一ザ一、43歳の燃え殻さん。文芸の世界とは無縁だった40代の会社員が、自分自身の青春を題材に初めて書いた恋愛小説である。

書かれていることのほとんどが実体験に基づく。「キミは大丈夫だよ。おもしろいもん」。文中でボクが繰り返し回想するのは、実際に彼女から言われたセリフだ。「あの一言があったからこれまで生きてこられた」。

読んだことがある小説は中島らもと大槻ケンヂくらい、作家になりたいと思ったことは一度もなかった。日常を切りとった叙情的なツイッタ一に現在フォロワ一10万人超。

40すぎて初めて小説を書く恥ずかしさ。夜中に一気に書いて送信ボタンを押していた燃え殻さん。オメデトウ!

夜中は「抜け殻さん」の私は昨日朝日夕刊のこの記事を読んでため息、ため息だった。











さらさら流れる

2017-08-30 14:27:49 | 歌う
⚡ねばねばが血をさらさらにするそして体を春の小川が流れる

さ行、ら行の言葉は響きが気持ちがいい。「さらさら流れる」は川ではなく当節は血液の流れにたとられることが 多い。

「本屋大賞」の候補になっている柚木麻子「さらさら流る」は傷ついた心に蓋をせず、勇気ある前進を描いた感動長編、と新聞の広告は、、。

28歳の井出薫は、かつて恋人に撮影を許した裸の写真が、ネットに流出していることを偶然発見する。その恋人は仲間の前では見せないが、どこか不安定な危うさを秘めていた、、。書店員さんから絶賛の声!


私は昨日、銀座の蔦屋に行った。本があるある。椅子に座って読める。何冊読んでも買わなくてもいい、「さらさら流る」が見付からない。というより新聞の広告で見たことのない本ばかり座わり読み、お腹が空いてレストランへ。本を買わずに傍のレストランで散財しましたよ。ごめんなさいね「本の蔦屋さん」

「これはいい手」?

2017-08-28 14:53:34 | 歌う
「これはいい手だと思って指す手は、あまりいい手じゃないことが多いんですね」これは天才将棋士と言われる羽生善治の言葉、永田和宏の対談集「僕たちが何者でもなかった頃の話をしよう」から鷲田清一が引用している。

いい手と思って指す手は、相手にしても狙いが明確なわけで、可能性の幅は広がらない。人との語らいも思わぬ展開になるときが楽しい永田和宏、彼は細胞生物学者であり朝日歌壇の選者である、選者はひとり10首しか採ることができない、この欄に投稿していた頃に私はあの手この手で永田選者を攻めた。でもダメだった?

⚡二年前この街頭で候補者が日本を変えると叫んいたが

この歌が永田和宏氏に選ばれたとき私は「おや、まあ!」だった。私がひそかに自信のあった他の歌ではなく散文の切れ端みたいなこれが.?

日常の小さな発見を得意になっている歌はいかにも軽薄な私そのもの、でもこの歌は当選した候補者が約束を果たしてくれそうもない、裏切られたような悔しく淋しい私の気持ちが選者に伝わったのかもしれない。

大曲の花火大会

2017-08-27 13:47:10 | 歌う
26日夜、秋田県大曲の花火大会が雄物川河畔で行われた。全国から選び抜かれた花火師が「日本一」を目指し腕を競った、大雨の影響で観覧席用の資材が流されたり、観覧席が水につかったりしたが、清掃して無事に開催されたそうである。

夜空に散る花火は華やかで儚い。花火は恋の歌によくでてくる。

⚡音たかく夜空に花火うち開きわれは隈なく奪われている

夭折の歌人、中城ふみ子の代表作として知られている。この歌を知ってから花火は哀しさや辛さも私に伝えるようになった。

娘の頃の私の夏の楽しみのひとつは家の二階から多摩川の花火を見ることだった。家族や親戚、知人などが集まり飲んだり食べたりしながら花火を楽しむ。半世紀前でも花火は華やかだった。

⚡ゆがみたる花火たちまち拭ふとも無傷の空となることはなし

斎藤史のこの歌は花火の美しさを否定しているのか。このような歌を知ると花火を詠みにくくなる。

わたしの花火は夜空に捧げる花ばな、人間が空へ贈る花ばな、空の邪魔をしないようにすぐに消えてしまう🌼花ばな、この夏も去ろうとしている。

三島由紀夫の「告白」

2017-08-26 14:13:02 | 歌う
▲文芸にかかわるひとの贅沢な自殺とりわけ三島由紀夫の

生きていたら90すぎのお爺さんなのだ、三島由紀夫は。「仮面の告白」「潮騒」「金閣寺」「憂国」などの小説を次々に発表し、ボディビルで鍛えた自身のヌ一ド写真集を発表するなとマスコミをさわがせた人だった。1970年に自ら命を断った。

憲法改正のため自衛隊のク一デタ一を呼びかけたのちに割腹自殺をした。三島は非常にナルシシズムの強い男、
自身の死まで演出したのだろうか。

▲やはり行く青木が原の樹の海へ一人ではなく三十人と

▲おかたは負債のための男たち、樹海を死処に選びしひとは

「三島由紀夫未公開インタビュ一」
「放送禁止扱い」音源の中から発見され半世紀の時を経て甦る世界的文豪の肉声。いきいきと語り、豪放磊落に笑う、素顔の三島由紀夫がここに。これは「告白」という本の広告文ですよ。