えくぼ

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ふしぎな歌集*『落ち葉の墓』                           

2015-08-31 09:45:47 | 歌う

           ふしぎな歌集*『落ち葉の墓』   

 歌誌「かりん」編集委員・日置俊次の新刊歌集「落ち葉の墓」は不思議な歌集である。あとがきに~『落ち葉の墓』は私の第六歌集です。近年に詠んだ歌五百三十八首を精選しました。ほとんどが歌誌「かりん」に発表した歌で、母が生きていた頃の作品を中心にまとめました。どこにも旅行せず、映画や展覧会にも行かない、つましい生活の身辺を詠んだ歌群です」~。しかし、私はこの歌集を読みながら旅をしているような気分になる。

     ◉ 黒き影肌にちらばるわが犬よ空に散らばる雲も影なり

     ◉ 木道とふ額の内なる十月の池にしづまる雲の蓬髪

     ◉ この雨の生れたる雲に入りて舞ひ幾たも降るわが身をさして

 雲は身近な自然である。しかも刻々と変化し、同じ雲の形を2度と見ることができない。私の旅の楽しみの一つは、雲を見ることだ。日置俊次は日常生活のなかに雲を引き寄せ詠んでいる。母上が亡くなられてから毎日読経を欠かさない彼は1961年生まれなのだ。現在は日本文学の教授だが、大学生時代にフランス留学、この歌集にはイベリア半島の歌も多い。自身の調理や学生たちとの会話などを気軽に詠む。自在な作品が多い。

     ◉ いつこんなに齢とったのかおやぢが見るテレビはけふの渋谷を映す

     ◉ 新しく青くえぐるかヒカリエの積木のごときビルの翳りは

     ◉ ヒカリエの微塵系列からぬけて地下鉄は青き澱みを走る

     ◉ ごつた返して流るる渋谷なにものも繋ぎ止められぬ交差点あり

 渋谷は新宿、池袋と並ぶ3大副都心の一つだ、日置俊次の親しい街らしい。私の家からは20数分で行ける。買い物の多くは渋谷。もしかして時折、氏とスクランブル交差点で擦れ違っているかもしれない。今日の午後は渋谷へ行き、デパ地下で2日分の餌を仕入れる。まだ面識がない日置俊次もデパ地下で、好物のメンチカツを、、かもしれない。

                        8月31日   松井多絵子、、                      

  

 


やんちゃな神さま

2015-08-30 09:30:24 | 歌う

             ・・・ やんちゃな神さま ・・・

    ❤ 陸橋を上りてきたるY君と目が合う、少し笑ってごらん    松井多絵子

 Y君は39か、いや40歳か、まだ独身だ。準エリート的青年、やや長身、ジャガイモみたいな顔だが堅実そうに見える。幼い頃の彼は「やんちゃ」だった。小学校から塾へ通い、受験校の生徒になってから、無口になり、笑顔を失ってしまった。話しかけても「はい」か「いいえ」だけ。本の広告「やんちゃな神様さま」を見ながらY君のことを思った。♦ あなたのなかの<やんちゃ>にめざめよ。 Y君は 幼い頃はやんちゃ、ガキ大将だった。茶目っ気もあり可愛かった。彼はもともと<やんちゃ>なのだ。一流の人生を目指したために <やんちゃ>を失ったのではないか。50歳からは「まじめに生きる」を止めなさい。という広告のことば。50歳では遅すますよ。話していると教科書みたいな人には人が寄らない。マンガみたいな人になればいいのだ。

 <やんちゃなひと>が好かれるのは人を楽しませようとするサービス精神、その温かさではないか。コミカルな表現、軽い会話は人間関係を深刻にしない。私たち人間には悪魔が宿っているが神様も宿っているようだ。悪魔は眠らせ神様に働いてもらえばこの世はバラ色になるだろう。

 5万部も売れているという 『やんちゃな神さま』 著者・金城幸政は沖縄が生んだ「こころ」の伝道師とのことである。紅いも や もずく が心の餌になったのだろうか。私は毎日モズクを食べているが、紅いもは手に入らない、Y君もモズクと紅いもを食べたら幼い頃の彼に還るかもしれない、いや、私がやんちゃになれば、Y君も「ボク、彼女が欲しいなあ」。なんて言い出し、私は29歳のあの女を、えくぼのあるあの女を彼に紹介するのに。

    ❤ やがてこの向日葵は首を垂れながらわたしに種子をくれる日がくる

                        8月30日   松井多絵子    

  

 


☀光の中へ

2015-08-28 09:40:03 | 歌う

                ☀ 光の中へ ☀

 最優秀賞に選ばれたのは☀溝呂木敏夫の「光の中へ」。全写真連盟の「第47回カラーフェア」の応募総数は938点、審査には写真家で全日写連関東本部委員の榎並悦子と佐々木広人・アサヒカメラ編集長があたり、入選作62点のなかから最優秀賞に選ばれたのが☀「光の中へ」

 入選作品は、9月4日~10日に冨士フイルムフォトサロンで展示される。(東京赤坂9)

 「光」とは何か。あらためて思う。辞書には◉「視神経を刺激して視覚を起こさせる物理的対象。電磁波の一種。光の本性はエネルギー粒子と考えられている」。光は陰を生む。その明暗はアートには欠かせないテーマとなり、一瞬を捉える写真には好適なのだろう。私もかなり光と陰を詠んできた。これからも詠み続けたい。

                 ☀ 光を曲げる     松井多絵子 

        風を倒し光を折り曲げ白昼の街路を歩く もうじき秋だ

        春先にわれを酔わせた紅梅の花のなき枝を光が走る

        黒蝶が光の海を泳ぐ今われは言葉の海に溺れる

        なぜなのか光り損ねてしまうのは、わたしは陰に愛されている

        書くならば言葉の身なりを整えて光が窓を去らないうちに

        蹴りたいのはわたしの怠惰、なにもせず光が来るのを待ちわびている       

 

   溝呂木さん  今日は晴れたり曇ったりです。ときどき光と戯れてくださいね。、   

                         8月28日  松井多絵子


疲れている手

2015-08-27 09:43:23 | 歌う

               ☚ 疲れている手 ☚ 

 すこし涼しくなると夏の疲れが表われる。クーラーがよく利くテレビ局では、手や爪のカサカサやヒビ割れ、亀裂などの原因になるらしい。全身を見られるのが仕事の女優やモデルだけでなく、女子アナやリポーターなど、手元がアップになる頻度の高い女性たちにとって、ケアーは欠かせない。私はマニキュアをすることもなく、特に手のケアーはしていない。いかにも世帯じみた手をいま動かしている。よく働いてくれる手に感謝しながら。

 短歌には「手」が詠まれることが多い。「手」といえば石川啄木の「~じっと手を見る」がまず浮かぶが、そのほかにも「手」の名歌は多い。1999年発行の岩波短歌辞典の「手」の項で梅内美華子が次のように書いている。当時29歳の梅内美華子の解説である。

 {手} 手は今日ではおもに手首から先の部分を示すが、かつては肩から指先に至る広い範囲を示していた場合もあった。生活や生産などの行動において手の動きは重要視され、そこに豊かな表情をみることができるし、それは「手に関する熟語や慣用表現が多いことからもわかる。身体器官のなかでも文学や芸術においてきわめて多様なイメージを託されかつ頻繁に使用されている。

 ☚ 大きなる手があらわれて昼深し上から卵をつかみけるかも   北原白秋

 手の行為が巨視的に捉えられ、ある大きな力の比喩としてうたわれている。

     29歳の梅内美華子さま 、丁寧な解説をありがとうございます。

 

 ♠ つれあいが我に逆らうときつねにその頤に左手があり  ㊟頤(おとがい)は あご

                       8月27日  松井多絵子                 


しょんぼり老後

2015-08-26 09:49:33 | 歌う

               ~ しょんぼり老後 ~

 ♠ 黄のバラが胸にひろがるブラウスの中にしょんぼり私がいる   松井多絵子

 「充実老後」と「しょんぼり老後」、これは婦人公論9月号の広告である。老人だけでなく今後老人になる日本人の切実な問題を特集している。婦人公論の創刊は1916年1月、来年は100周年を迎えるが、まだ老いてはいないようだ。平均寿命が延び、人生の後半はより長くなった。生きてゆには「お金」と「健康」が必要だ。そして毎日楽しく暮らしたい。

 「充実老後」に欠かせないのが趣味、いま老人の趣味の1位は旅行といわれるが、時間持ちでも旅行はお金が要る。ゆとりのない人はウオーキングを愉しむことも小さな旅行になる。趣味の2位は園芸、庭がなくても室内で観葉植物を育てる。挿し木で増やすのも楽しい。3位以下は音楽鑑賞や読書など。テレビ・ラジオや図書館を利用すればお金はかからない。しかし受け身の趣味は老化防止には役立たない。読書の場合、特に興味のある本、傾倒している作家の作品をとことん読むという熱意があればよいのだが。

 趣味といっても興味もないのに友達作りのために句会などに参加し、仲間に嫌われて孤独になる老人も多い。なにかに興味を持たなければ 「しょんぼり老人」になってしまう。私は1か月前の旅で出会った「充実老女72歳」を思いだす。大手スーパーに勤めていた彼女の話はとても面白い。スーパーをうまく利用し、いかに家計を豊かにするかを彼女は教えてくれた。私だけでなくツアーの仲間たちがみな彼女に寄ってくる。仕事をやめても商品やスーパーの経営や戦略から目を離さない。私たち年金生活の老人は食品などの買い物を上手くしなければならない。現在は働いてなくても情報を提供できる人には、人が寄ってくる。孤独にはならない。お金がさほどなくても 「しょんぼり老人」にはならないのではないか。

                            8月26日   松井多絵子