朝日俳壇の猫
♦ 猫ばかり詠まれて犬は詠まれない隣家の犬がわれを見ている 松井多絵子
近頃は犬を飼うひとが減り、猫を飼うひとが増えている。マンションの住人は番犬はいらない。ペットとして犬を飼うと犬の保護者になってしまう。運動をさせるため散歩に連れ出す、老人は自分の体の管理だけでも大変なのに犬の世話までするのはシンドイ。それに比べて猫は野放しにできる。外でなにをしても飼い主の責任は問われない。犬のように飼いネコには鎖はいらない。猫でも犬と同じように家のなかだけで大切に飼われている猫もいるが、、。
本日の朝日俳壇入選句に つぎのような「猫」の句がある。
<長谷川櫂選>
☀ 帰りこぬ猫待ち二月終わりけり (川越市) 大野宥之介
<稲畑汀子選>
☀ まつ新な瞳でみつむ子猫かな (京都市) 奥田まゆみ
<金子兜太選>
☀ 猫舌を明かせる春の炬燵かな (新宮市) 武田夕子
※ 猫は死ぬとき飼い主のもとを離れ行方不明になることが多いと聞いたことがある。私が娘のころ飼っていた猫もいつのまにか家をでて帰らぬままだった。※ 生まれて間もない子猫の愛らしいこと、その瞳は格別だ。※ 寒がりの猫はコタツがのなかで春の言葉を、。
4月1日から朝日新聞で 「吾輩は猫である」の連載がはじまる。雑誌ホトトギスに1905年から翌年にかけて連載された作品である。中学教師・苦沙弥先生に拾われた猫の視点で人間社会が描かれている。この連載がはじまれば、猫ブームになるだろう。暖かくなれば、猫の外歩きも盛んになる。ツイッターには次々に猫の妖しい写真が流れ。犬好きは猫に対抗するだろう。「吾輩は犬である」という小説を連載する雑誌があるかもしれない。
2月29日 松井多絵子