えくぼ

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朝日俳壇の猫

2016-02-29 09:41:56 | 歌う

                 朝日俳壇の猫

 ♦ 猫ばかり詠まれて犬は詠まれない隣家の犬がわれを見ている   松井多絵子

 近頃は犬を飼うひとが減り、猫を飼うひとが増えている。マンションの住人は番犬はいらない。ペットとして犬を飼うと犬の保護者になってしまう。運動をさせるため散歩に連れ出す、老人は自分の体の管理だけでも大変なのに犬の世話までするのはシンドイ。それに比べて猫は野放しにできる。外でなにをしても飼い主の責任は問われない。犬のように飼いネコには鎖はいらない。猫でも犬と同じように家のなかだけで大切に飼われている猫もいるが、、。

   本日の朝日俳壇入選句に つぎのような「猫」の句がある。

 <長谷川櫂選>     

     ☀ 帰りこぬ猫待ち二月終わりけり (川越市)  大野宥之介

 <稲畑汀子選>

     ☀ まつ新な瞳でみつむ子猫かな  (京都市)  奥田まゆみ

 <金子兜太選>

     ☀ 猫舌を明かせる春の炬燵かな  (新宮市)  武田夕子

 ※ 猫は死ぬとき飼い主のもとを離れ行方不明になることが多いと聞いたことがある。私が娘のころ飼っていた猫もいつのまにか家をでて帰らぬままだった。※ 生まれて間もない子猫の愛らしいこと、その瞳は格別だ。※ 寒がりの猫はコタツがのなかで春の言葉を、。

 4月1日から朝日新聞で 「吾輩は猫である」の連載がはじまる。雑誌ホトトギスに1905年から翌年にかけて連載された作品である。中学教師・苦沙弥先生に拾われた猫の視点で人間社会が描かれている。この連載がはじまれば、猫ブームになるだろう。暖かくなれば、猫の外歩きも盛んになる。ツイッターには次々に猫の妖しい写真が流れ。犬好きは猫に対抗するだろう。「吾輩は犬である」という小説を連載する雑誌があるかもしれない。

                     2月29日  松井多絵子        


言葉がエスカレート

2016-02-28 14:24:49 | 歌う

              言葉がエスカレート 

♦ 枯れ枝に枯れ枝が寄り添う如月の最後の日曜、叫びたくなる  松井多絵子

 まだ寒いが晴天、今日の天声人語は遠くて近い米国からはじまる 「米大統領選で話題をさらう不動産王トランプ氏は毒づいたり難癖をつけたりする方面の語彙が実に豊かだ。うそ。デマ。詐欺。たわごと。恥を知れ。口を極めて全否定するものの一つが地球温暖化である」。言葉がエスカレートするのはトランプ氏だけではない。朝刊の本の広告も叫んでいる。

▲ 結婚とは、永遠に続く倦怠期。  足立紳著『乳房に蚊』 最悪夫×最凶妻

▲ 埋蔵金探し、それは僕達だけの冒険のはずだった、、。大崎梢著 『誰にも探せない』
           誰が味方で誰が敵か。手に汗握る青春ミステリー。

▲ 乳癌で亡くなった妻・奈央さん(29歳)。その時長男は生後112日。関西の人気テレビキャスターが初めて明かす家族3人の闘い。 清水健著 『112日間のママ』

▲ 貧乏の鎖は、俺で最後にしろ。 相場英雄著 『ガラパゴス』 現代日本の”不都合すぎる真実”を暴きだす危険極まりないミステリー。

 以上は今日、日曜朝刊・本の広告のごく1部である。文字が叫んでいるようだ。新刊が多すぎる。PR誌などタダの雑誌、自費出版で送られてくる本など読み切れない本に囲まれている人が多い。その上、テレビ、パソコン。出版社は新刊書を売るのために広告の言葉はエスカレートする。トランプ氏が大統領選で勝ち抜くために言葉がエスカレートするように。しかし本は生鮮食品ではない。売れない本でも、手にとれば読みたくなる人もいるはずだ。書店だけでなく、売る所を、。などと思うが私たちの財布を開かせるのは容易ではない。

                             2月28日 松井多絵子


新幹線で北海道へ

2016-02-27 10:11:31 | 歌う

              → 新幹線で北海道へ →

 東京から函館まで新幹線で4時間で行けるとは、何ともありがたい。国内の旅は飛行機には乗りたくない私は3月26日が待ち遠しい。運行初日の指定席の販売が始まり、1番列車の切符は1分足らずで売り切れたそうだ。五稜郭の桜を見ようとしたらツアーを利用すると18万円はかかる。春は見送り夏のラベンダーも高くて混んで疲れるだけだろう。それなら「秋の北海道こそよけれ」 でも、なぜそれほど北海道へ行きたいのか。日本なのに日本ではないような異国ムードが魅力なのか。次の5首は4年前の秋の私の歌である。

               くれないの傘      松井多絵子  

        白熊の白が目に染む紅葉の旭川獣園めぐりいしとき

        いちまいの硬質ガラスは白熊をやさしく見せて我を寄らしむ

        白いコートの少女のわれに会いたくて白熊のそばを離れられない

        大いなるくれないの傘、紅葉の木下に立ちてわれは消される

        このあたり昔は海とう釧路にて丹頂鶴をさがしておりぬ

    

    あの秋、わたしは丹頂鶴をさがしながら誰をさがしていたのだろうか。

                         2月27日  松井多絵子         

                         


漱石情報 ②

2016-02-25 10:21:26 | 歌う

            ・・・ 漱石情報 ② ・・・

 ♦ 若きらが老人を大切にするような苺大福おいしいですね  松井多絵子

 文豪のなかでも特に甘党として知られている夏目漱石。京都への旅が「ぜんざい」を食べるためらしいと知り驚く。彼の作品から推して辛口の日本酒が好きそうに思えるのに、おしるこ、駄菓子、羊羹が大好物だったとは。疲れているときに甘いものが食べたくなるが、私はアイスクリームやケーキ、和菓子は苺大福だけ、汁粉や羊羹、ぜんざいなどはほとんど食べない。

 明治25年7月、夏季休暇で帰郷する正岡子規との旅で、漱石は初めて京都を訪れた。柊家に泊った翌日、比叡山に登り、平八茶屋に行ったと推定される。(荒正人『増補改訂漱石研究年表』 ~ 京の夜、赤く「ぜんざい」と書かれた大提灯が目に付いた。「余とぜんざいと京都とは有史以前から深い因縁」があり、「ぜんざいは京都で、京都はぜんざいである。~

 後年、漱石は子規と京都との思い出をつづる。「子規は死んだ。余はいまだに ぜんざい を食ったことがない」 明治40年の日記には 「平八茶屋(雨を衝いて虚子と車をかる。渓流、山、鯉の羹(あつもの) 鰻)」とあり平八茶屋も漱石にとって京都らしい場所だったか。
                                 (1月29日朝日朝刊  岡恵里)

   < 新刊句集 > 

 ◆ 前北かおる句集 『虹の島』   ふらんす堂・本体2200円                  

     2児の父であり高校教師である37歳の日常。 4年間の軌跡をまとめた第二句集。 

 ◆ 内野修句集    『風あり』   角川書店・本体2700円

     昨年の朝日俳壇賞受賞者  題名は「自然とともにある」という人生観からとった。 


読解力の検定

2016-02-24 09:49:19 | 歌う

               ・・・ 読解力の検定 ・・・

♦ 十分で1冊の本が読めるらし10分後には忘れる本を  松井多絵子

 今年は6月1日に行われる 「語彙・読解力検定」の申し込みが3月1日スタートする。私はこの検定を受けてみたいがまだ受けていない。気軽に試しても、不合格の場合は自信を失う。「合格力養成BOOK」で勉強して検定を受けて不合格だったら更に自信を失うだろう。

 短歌を詠んでいても、文を書いていても限られた範囲の語彙である。歌は個性を強調すべく屈折して詠みがちだ。歌の観賞も素直ではない。だから全く自信がないのである。

 芥川賞作家の羽田圭介氏は 「自分の頭で考える助けになる」とこの検定を勧めている。

「小説を書く際には自分の伝えたいモチーフが正確に伝わるようにしています。辞書を引かないと使えないような自分の中にない言葉は小説の流れが不自然になるので使いません」

 わたしは辞書で確認しないと安心できない。電子辞書ではない何年も、何十年も前の。

 「テーマは日常生活の中で気になったことをメモし、数週間から数か月間ほど置いて、まだ自分の中に書きたいという熱が残っているものを選びます。執筆前には本などで情報収集しますがふだんは意識して情報を仕入れることはありません。とくにインターネットは自分の欲しい情報しかアクセスしない。麻薬のようなものと感じています。人からぬきんでたければパソコンから離れた方がいいと思いますね」。

 羽田圭介氏のコメントは芥川賞を受賞した若い作家の自信が溢れている。勝者の奢りが感じられるのは私だけだろうか。執筆依頼が次々に来る、自分のぜひ書きたいものだけを書ける作家の言葉におもえる。ネットの夥しい情報の中からぜひ書きたいことを選び、鮮度が落ちないうちにネットの読者に伝えようとしている人達を彼は知らないのだろうか。

 「小学5年の夏休みに<天声人語>、の要約をやったおかげで自分には文才があると思うようになり、小説家を目指すきっかけの1部にはなりました。」

 これは「読解力検定」の広告だから、とは思う。しかし文才という言葉を気軽に言えるのは彼の若さか。「人からぬきんでたければパソコンから離れた方が」は偏見ではないか。「人からぬきんでる」というのはどのようなことか、わたしには分からない。

                      2月24日  松井多絵子 、