えくぼ

ごいっしょにおしゃべりしましょう。

にわかに富士山

2013-06-30 14:14:19 | 歌う

              「にわかに富士山」

 この日ごろテレビも新聞も富士山、富士山である。まるで地殻変動で日本に富士山という山が隆起して現れたような騒ぎだ。

★ボクたちの富士山の高さはアバウトで二千、三千、五千メートル

 こんな一首を詠んだことがあるが、わたしも正確に答えられない、大勢の登山者の重みで山は何メートル、あるいは、何十、何百メートルも低くなっているのではないか。計り直したほうがいい。富士山の身長は低くなっているような気がする。老人だってみな若い頃より身長は低くなっている。私の場合は1・3センチもマイナス。

★あのビルがなければ見えるかまだ白い帽子を脱がぬ富士の山頂

 わたしは富士山とともに育った、というほどでもないが二階から、晴れた日には富士山が見えた。あのころの東京都世田谷区には高層ビルなどはなく、田園めいていた。半世紀以上も前のことではあるが。ついに私は語り部になるのか、東京の。

 富士山が世界遺産になったのは浮世絵などの魅力も貢献しているはずだ。

★いくたびも落選せしを知りしより片岡球子の富士の絵たのし

 この数日のテレビには富士山へのぼる人々が映され、わたしは21歳の夏に頂上でご来光を見た朝をおもう。あの時が私の絶頂、その後は下り坂、ゆるやかではあるが。

★富士山を見るため48階にきて鯖雲に見られていたり

★わからないときには遠くの富士山をひきよせたまま眺めていたい

  旅行社から送られてきた「富士山の旅」を旅している 松井多絵子


あじさいと共に

2013-06-29 14:44:23 | 歌う

          「あじさいと共に」

 ことしの関東地方の春は早すぎる桜の満開からはじまり、すでに去ってしまった。せめて初夏はのんびり過ごしたいが。

▲あじさいの夢の道にて今しがた出会いし人に会いたくなりぬ
▲あじさいの花まだ若き寺に来て三年ぶりに亡きひとに会う

<あじさい>の語源はあづ(集まる)、さゐ(真藍)とも言われる。日本には奈良時代からあったようだが「万葉集」には大伴家持と橘諸兄の二首のみである。花の色が変わることから、「心がわり」のようで不道徳とみなされていたという説もある。あじさいが大好きな私はやはり「不良老女」なのか。花の色の変わってゆく過程、そして泡立つように咲きひろがる花々の球、まだ咲き続けてほしい。初夏を私から去らせないために。

▲紫陽花の道がおわりて振り返る今年はすでに半ばをすぎた

 初夏を知らせるように咲き始めた水色のあじさいは淡い青になり、紺碧になった頃には梅雨。小雨に濡れた紫陽花はとても叙情的だ。近年あじさいの品種改良が進んでいるらしく、白い変形の花球や淡いグリーンの花など園芸店を飾っている。が今年ほあじさいの終わりも早い。

▲紫陽花はもう紫陽花ではなくなったサムライブルーが消えてしまって

    6月29日 今年の前半が終わりますね。ため息の松井多和え子 


「君にまかせたい」

2013-06-28 14:21:19 | 歌う

           「君にまかせたい」

★ギタリスト去りて舞台に椅子ひとつ明日のことは風に任せる
                          歌集『えくぼ』より

 朝刊を開いたとき大きな活字の群れがわたしに迫る。~「君にまかせたい」と言われる部下になる51の考え方~。7万部突破とは7万人の人々がすでにこの本を読んでいるのか。「まかせる」のは相手を信頼しいるからだろうか。「面倒だから」という場合もあるかもしれない。
 先日、グルメ老女S子とイタリアンの昼食を共にした。彼女は安くてオシャレなレストランを沢山知っている。1200円でデザートも付いたサービスランチ。わたしはメガネをかけてメニューを見るのが面倒なので、「アナタに任せるわ」という。彼女の味覚を特に信頼しているわけではない。「まかせる」と言いながら「肉ではなく魚にしてね」と言い「パンでなくライスがいいわ」そして「紅茶でなくホット珈琲にミルクを入れて」「デザートはチーズケーキがいいわ」などと。「まかせる」と言いながらまかせていない。
 上司から「君にまかせる」と言われたら「自分は信頼されてるのだ」と喜びヤル気になるのは当然だ。ただ結果が「ダメ」だったとき上司は寛大だろうか。任せると言いながらトヤカク干渉したりしないか、仕事の一部ならよいが。世の中はめまぐるしく変わり先が読めない。

 都心から離れた街にも「動く歩道」が多くなってきた。立っているだけで私を、この56・5キロをたやすく運んでくれる。 

★見送りに行きて見送られておりぬ動く歩道に運ばれながら
                6月28日   松井多絵子

       


わたしの好きな恋の歌

2013-06-27 14:58:30 | 歌う

          「わたしの好きな恋の歌」 

 短歌研究7月号の大井学の「わたしの好きな恋の歌」に注目した。大井学(かりん)は浜田到に傾倒しているらしい歌人。私も浜田到の作品に惹かれている。先ずは大井の作品を。

     { 新作    大井 学 }

★宿泊者氏名書くきみ姓の欄ブランクのまま 嘘ではないから

※夫婦でない二人が宿泊するとき、嗚呼わたしはそんな妖しくステキな経験がないまま、、、 

★天井の木目の流紋きみのさす 「あのあたり」 そうだね天衣のようだ

※天井の木目を天女の衣のように見上げる、大井さん、あなたは画家ですね。

★あたたかきふたりの記憶純白にオコタンぺ湖は凍っていたこと

※これは詩ですね。分かち書きにしたいような、ゆっくり記憶に浸っていたいような。

㊟ 浜田到(1918~68)は内科医であり歌人であり詩人である。短歌研究の編集長として知られた中井英夫に見いだされ、短歌と詩の併走。深夜往診の際の交通事故により49歳で夭折。大井学は浜田到の歌集『架橋』から次の一首を抄出している。

★★あなたとの対話よりしづかに声だけを消せば海湛へくる空間があり 浜田到

 「この歌は、恋が愛に変わる時だろうか。静謐な思いが美しい」 これは大井学さんのコメントです。 もやもやした青白い空間に置き去りにされている私。
     6月27日 夕暮れになりました 松井多絵子


妊娠していないシンシン

2013-06-26 14:47:40 | 歌う

           「妊娠してないシンシン」

★はつ夏の獣園の檻に黒白の物憂いからだを転がすパンダ

 東京・上野動物園は25日、シンシンは妊娠していない可能性が高いと発表し、私はがっかりした。朝刊のこの記事でジャイアントパンダはまだ7歳であることを知る。ことし3月に雄のりーりーとの交尾が確認され、2年連続での出産が期待されていたのに。

★桜桃の実りはじめる頃だった、わたしが想像妊娠したのは

 シンシンには昨年7月、赤ちゃんが誕生、しかし6日後に死んだ。赤ちゃんが欲しくて偽妊娠したのか。妊娠していなくても兆候が現れる「偽妊娠」とみられるらしい。パンダの発情期間は約2週間、受精できるのは数日間、ことしはもうダメ。来年に期待するしかない。一度に何匹も産む猫などとは違う、せいぜい2匹しか生むことができない。繁殖しにくい動物なのだ。

 「シンシン偽妊娠」の記事の左下に「晩産化」の見出し。これは人間のこと。日本人のこと。政府の発表によれば、女性が1人目の子を産む平均年齢が30歳を超え、生涯結婚しない男女の急増などが少子化の要因だそうである。わが町の4人に一人はお年寄りである。子供が少なく犬が多い。犬といっしょに歩く老人たちが。 6月26日 松井多絵子