えくぼ

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漱石を語る声優・藤原啓冶

2014-07-31 09:14:01 | 歌う

           { 漱石を語る声優・藤原啓冶 }

 あの世の漱石は驚いているだろう。100年も前に朝日新聞に連載した小説 こころ が今また 同じ新聞に連載されていることを。連日のように漱石の記事で賑わう朝日新聞を。

 声優の藤原啓冶さんはセリフで演じる✿ドラマCD「文豪シリーズ」で夏目漱石の声を担当している。天国にある大手出版社で、生前のように執筆している文豪たちの少しおかしな日常を、声優たちがセリフで演じている。漱石をはじめ、芥川龍之介、太宰治、谷崎潤一郎、志賀直哉、坂口安吾など有名な作家ばかりだが、それほど作品は読まれていないのではないかと、声優の藤原啓冶さんは語る。7月29日朝日 {リレーおぴにおん} 漱石と私 ⑫

 藤原さんは古今東西の名作はかなり読み、漱石の作品はほとんど読んでいる。一番好きなのは 「こころ」。 中学の頃だったか、相当な衝撃を感じた。漱石の作品は、テーマは真面目でも、軽みやしゃれっ気がある。書かれた当時に読んでいたら、もっと気軽に読めたのに。演じるときも、重みの中に軽みがあるように心がけているそうである。

 門下生やそれにつながる文学者が多い漱石は、文豪たちの兄貴分。それなりの威厳は持ちつつ、周りの騒動に巻きこまれるように藤原さんには思える。今は親分的な男が少なくなりましたものね。1964年生まれの藤原啓冶さんは、声優、俳優、ナレーターなどで活躍。代表作は
♠クレヨンしんちゃんの父・野原ひろし役。 「人は誰でも、表と裏がある。声をあてるときは、隠している面が垣間見えるような演技を心掛けている」 とのことである。

   藤原敬始さま   今日はわたしの裏を詠んでみます。夜がふけてから。

                           7月尽日   松井多絵子  


世田谷の緑道

2014-07-29 09:26:40 | 歌う

            { 世田谷の緑道 }

 想像は緑道から羽ばたいた柴崎友香さん、世田谷の住宅街を蛇行する小道の散歩が
小説『春の庭』を生み、第51回芥川賞に決定した。世田谷区には烏山緑道、蛇崩川緑道、北沢川緑道などなど緑道が多く、わたしも毎日のように歩いている。優雅な散歩ではなく日々の餌を得る買い物の途中に緑道を通る。車や自転車さえ通らない静かな道、スベリ台や砂場、ベンチまである公園のような道である。

       緑道を歩く 六首     松井多絵子

かしの葉とモチの葉をつなぐ蜘の巣はまるでレースのテーブルセンター

わが町の胸かも此処は水車橋跡に佇み深呼吸する

滑る子を待つスベリ台のスロープの急なる傾斜を微風が滑る

どのような語らいありしかこのベンチあるいは恋の入り口、出口

春先にわれを酔わせた紅梅の花のなき枝を光が走る

歌碑あらば六十歳のこの梅はわたしの町のブランドの木だ

 

 柴崎友香さま  芥川賞、おめでとうございます。✿ 春の庭 の広告の貴女のお顔を見ながら、緑道で時折すれ違うあの人って感じがしました。九年前から世田谷に住んでいられるとのこと、私は生まれたときから世田谷、子供のころは田舎でした。いつのまにか周りがオシャレになり、とまどっています。でも緑道は大好き、ここの空気はおいしいです。お忙しくなっても緑道を散歩なさいますように。貴女に緑道でお目にかかれますように。

        わたしも緑道から羽ばたきたいです。 7月29日  松井多絵子


向き合う力

2014-07-28 09:16:27 | 歌う

             ☀ { 向き合う力 } ☀

▲ 山頂のするどき牙がわれに向くアルプス連峰深夜の映像  松井多絵子

 『向き合う力』という新聞の本の広告。著者は阿川佐和子ではない。女優の池上季実子。   「デビュー40年の女優が明かす、生きづらさを乗り越えるためのコツとヒント」。だそうである。昨今の猛暑にこの世の生きづらさを感じる。タイミングのいい広告だ。親との葛藤、いじめ、結婚、仕事と子育ての両立、大事故と後遺症、おひとりさまとしての老後、なんてシンドイ人生だろう。

 池上季実子は1959年生1月生まれ。まだ50代の半ばなのに女の苦労をすべて背負った女なのか。歌舞伎役者で人間国宝の八代目・坂東三津五郎の孫。ニューヨーク州マンハッタンで生まれ3歳で帰国。1974年にテレビドラマでデビュー。オスカープロモーション所属

 20年以上も前、わたしが歌会に出詠した1首を「発想が面白い」とほめてくださったった方がいた。そのときベテランの歌人が 「まあいい歌ですけどね。上には上がありますからね」と一言。深夜のテレビのアルプス連峰がわたしに向ける鋭い牙に見える。いや、映像のアルプスの頂上に向ける私の視線が怯えているのだ。山は登れば登るほど険しいのだ。と。

 池上季実子はいわゆる美人ではない。少し妖しい女、ミステリーの似合う女優ではないか。スーパーのセールへ駆けつける主婦というより、夫に家事をさせる高慢な妻をおもわせる。こういう女は女に好かれない、女の味方がなくて苦労している女。そんなおんなを何人も知っている私の思い込みで、「池上季実子」像を作っているかもしれない。しかし女を味方にするにはかなりのサービス精神が要る。お金と時間と忍耐力。結局、できるだけ人とかかわらない暮らしをしたい、そして おひとりさま、池上季実子はすでに 「おひとりさま」 ✿すべての経験には「意味」がある というキャッチフレーズ、彼女は半世紀をひたむきに生きたのだろう。 ✿ 向き合う力 は 池上季実子の体当たりの著書かもしれない。

  我が家から徒歩15分の書店へも行かず夏眠、ミンミン蝉の合唱をききながら。 

                         7月28日  松井多絵子  


殻ちゃん~24回

2014-07-27 09:16:48 | 歌う

              { 殻ちゃん~24回 }

 6月から殻ちゃんの制服は夏服になった。白い半そでのシャツブラウス、紺色のテトロンのプリーツのスカート。身長もアキと同じになり、一人っ子のアキには殻ちゃんは妹のような感じである。4時すぎに学校から帰った殻ちゃんは、一枚のプリントをアキに渡す。

 殻 ✿ 「6月15日の午後2時から保護者会があるんだって」

 アキ✿ 「6月15日か。 特に仕事がないから出られるよ。担任の泉先生を見たいしね」

 殻 ✿ 「進次はね小泉進次郎に似てるよ。<ボクを信じろ>って初めに挨拶したんでシンジローってあだ名がついちゃった。若くてカッコイイ。保護者会のママ、キレイになってね」。

 3年前に社会科の先生になったシンジローの授業は面白い。世界史の古代エジプトは、彼が学生時代に周遊したエジプトのビデオを見せながらのお話。とても楽しかった、ボクもエジプトに行きたいなあ、と殻ちゃんが数日前に云っていた。その生き生きした目を見ながらアキは安心した。ユイの息子の足立塔なんかに殻ちゃんが夢中になる筈がないだろう。

 アキは洋服タンスをひらく。着古した服ばかり。安物の服ばかり。豊かな子弟の多い神山中学のママたちは服装もさぞかしだろう。アキは殻ちゃんが脱いだ夏の制服を来て「これこそオラによく似合う」と思った。殻ちゃんも 「ママ、かっこいいよ」と笑ってる。どこにでもある
シャツブラウスだが左袖に K のブルーの刺繍、ブランドのマークめいて高級に見える。

 「林真理子の語録」 にアキは話しかけられているような気がする。

 ♥ きれいでいられる人とそうでない人の差って結局 諦めるか諦めないかだ。

     今日はここまで。次の25回も読んでくださいね。  7月27日  松井多絵子

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困ったひと・石川啄木

2014-07-26 09:06:19 | 歌う

          { 困ったひと・石川啄木 }

 石川啄木は「困った人」である。と書きはじめる小山田泰裕さんの文を一気に読んだ。詩歌文学館の館報 「詩歌の森」 の最新号に掲載されている ✿ 啄木と 「うたの風景」 ✿

 新聞記者の仕事をしている小山田さんは、取材対象の相手に近づかなければその人の心の奥を知ることができないが、近づきすぎれば客観性を失いかねないという意識が常にある。2012年は啄木の没後百年であり、岩手日報誌上に 『啄木 うたの風景』を8か月連載。そして 『啄木 うたの風景~碑でたどる足跡』 を刊行した。 
 26歳の若さで亡くなった啄木の後半生は、彼の日記で追うことができたらしい。朝起きると、仕事に行きたくなくなり怠けてしまう。上司とケンカして会社を辞め、お金が入っても借金を返さず、すぐ使う。こんな男とは友達になりたくない。しかし小山田さんは啄木の人間的な弱さに親しみを持つ。啄木はこいう弱さと真摯に向き合ったから、多くの人々の共感を誘う歌が詠めたのだと。

 啄木が夭折したのは100年余も前である。しかし今でも 「はたらけどはたらけど」 の歌はまるで懐メロのように、短歌に関わらない人々にも愛誦されている。明治末期も経済不況だったらしいが、大正も昭和も平成も、富める人はごく少数であり、大多数は経済的に恵まれていない。「はたらけどはたらけど」は庶民の嘆きであり、実感がこもり調べのよいこの歌に、私たちはすぐに酔ってしまう。啄木は夭折したが、この歌は不滅だ。

 小山田泰裕さんは、「啄木は好きではない。あえて言えば仕事上の付き合い」 しかし人間啄木を知れば知るほど意識し、親しみを感じてしまう。だから 「困った人」なのだ」。でも、私はもっと困ったのは啄木の妻だっただろうと思う。彼の我儘に振り回された妻をおもうと切ない。啄木はキライな男だが、好きな歌がたくさんあり、私もやはり「困った人」である。

♥ 啄木がじっと見たのは左手か右手かあるいは冬の妻の手   松井多絵子

 わたしたちは辛いとき、悲しいとき、寂しいときになぜか手を見ていますね。俯きながら。

  現代詩歌文学館さま  「詩歌の森」 をありがとうございます。楽しく読んでおります。

                                         7月26日  松井多絵子