えくぼ

ごいっしょにおしゃべりしましょう。

動詞派と名詞派

2017-03-31 23:24:18 | 歌う
現代短歌新聞四月の沖ななも寸評が面白い。歌人には動詞派と名詞派がいると。動詞を多用し巧みに使う人、名詞を多用し、、。わたしは動詞派かもしれない、ただし巧みに使うことはできないが。

魚の館 五首

トラフグが胸の辺りに来ていたり、心のなかは覗かないでね

総身の刺を光らせハリセンボン体まるごと怒りていたり

いちまいのガラスを通しその胸にふれいし手より去りゆくメバル

水槽がもし割れたなら非常口どこにあるのか魚のための

死ぬだろう、この水槽が割れたなら外つ国よりきしチョウチョウ魚は

あおによし 七首 松井多絵子

2017-03-30 22:02:51 | 歌う
山の辺の道を流れているような東へゆくのか西へゆくのか

広すぎる野をあてもなくただ歩く広すぎる空の雲は動かぬ

いくたびも風の曲線くぐりぬけ古代に来ておりジ-ンズのまま

われを見るわれの心を見るような一人の青年、埴輪の武人

このような風もなくよく晴れた日は笑ってごらん耳成山よ

この辺りですか額田王がロングドレスで散策したのは

ほんわかと雲のひろがる三輪山の彼方にたぶん私の倖

3月30日 松井多絵子

もぐら駅

2017-03-25 22:09:50 | 歌う
   もぐら駅

 「もぐら駅」のツアーの広告を見た時、わたしは「もぐら」を見たことがないことに気がついた。幼いころ絵本で見たとき可愛かった。でも地中にトンネルを作り昆虫の幼虫を食べ農作物に被害を与えるらしい。まるで可愛い魔女だ。


  もぐら駅  6首 松井多絵子
 
 まだ我はモグラに会いしこともなく「もぐら駅」へと向かいていたり

 「もぐら」とは漢字で土竜と書くことを昨日辞書にてはじめて知りぬ

 まだ下りてゆくのかもぐら駅ホーム、いま四百段を踏みしめている

 下りるのは誰よりはやく上るのは常にわたしは「殿」である

 こんな地下を上越線の汽車がゆく背広やスーツの若きらも乗る
  
 地下深くかくれてくらした人々をおもい目瞑れば雲が流れる


 ㊟ 群馬県のもぐら駅は486段、改札口まで約10分かかると言われるが私は?(苦笑)

       3月25日  松井多絵子    

池袋に屋久島が

2017-03-16 09:55:54 | 歌う
     

 池袋に屋久島が

 東京・池袋の「コニカミノルタプラネタリウム 満天」で、2月中旬から、連日開かれている「星に包まれた森」、世界遺産に登録されている屋久島の森の香りを映像を見ながら体験できる企画が開催中である。島で育った杉から抽出した精油などで作ったアロマオイルが会場に漂う。高齢化が進む島では、若者の働き口は少なく、人口の減少が進む。世界遺産人気にも陰りが見え始め、観光客は最盛期の7割以下に減り、島を去る山岳ガイドも増えた。

    杉たち 十三首    松井多絵子
 
 ひと月に35日は雨の降る屋久島にきて三日目も晴れ

 どの幹も傾きながら伸びているガジュマルに追われ樹林をぬける

 心のきれいな人しか映さぬ川らしい水面の顔はわたくしですね

 山頂をめざしてのぼる亀ですとガイドがいえば亀にもなる山

 まっすぐに伸びる杉たち空ばかり見上げていたら疲れてしまう

 うかつにも落ちて消されし人のこと聞きしとき虹が滝壺を跨ぐ

 二本の木が合体している杉の木が獣のごとく迫りてきたり

 これが木とはおもえぬ仏陀杉があり我のゆくてを塞ぐがにあり

 歩けども歩けども会えぬ弥生杉わたしに会いたくないなら会わない

 テゲテゲデヨカトダヨとはいい加減でいいという意味らし屋久島言葉

 たちまちに屋久島を失う高速のジェットホイルは飛び魚も消す

 屋久島の杉たちはみな岩のごと写真のなかに黒々とあり

 勾配の急なる坂に立つビルを見上げておもう縄文杉を


 ㊟ ここが日本?というような屋久島の旅、7年も前の私の歌です。

         3月16日  松井多絵子

苺を産む男

2017-03-15 10:07:17 | 歌う
      苺を産む男

✿ 管理され実りし苺はどれもみな同じ真紅の小さき円錐  松井多絵子

 紫陽花の咲きはじめる頃に苺が店先にならび始める。小さな浅い木箱に入れられた小粒の不揃いの苺、それを潰して牛乳と砂糖をたっぷりかけて食べた、半世紀も前の初夏。いまは晩秋から大粒の苺も売られ、ほとんど一年中苺を食べられる。

「どんな果物も、最近は甘いものが人気です。でも、甘ければいいというものでもない。ほどよい酸っぱさが甘さを引き立て、糖酸比のバランスで味にインパクトが生まれます。ぼやっとしたものは、作りたくありません」と語る岩佐大輝氏は1977年生まれ。大学在学中に起業。3・11後に農業生産法人GRAなどを設立。母方の祖父がイチゴ農家だった。

「大きいイチゴは、先端の糖度を思いきり高くします。最初の一口の舌で極端な甘さを味わい齧るうちに第2の刺激、酸味できゅっと締まる。イチゴを食べるという体験価値を、最大化したいのです。濃淡のない味は飽きられます」昨日の朝日「リレーおぴにおん」を歌人の言葉のように読んだ。「人間は、ときに楽な環境を飛び出して、つらい環境に身をおきたくなるもの。一方で、きついだけでは耐えられなくて癒しを求める。起伏があるからこそ味わい深い」。と言う岩佐氏は詠むように苺を栽培しているらしい。

 岩佐氏は東京のIT企業の社長だったが3・11で故郷の宮城県山元町を津波が襲った。たどり着けたのは、3日後、泥かきを手伝いながら「復興させたい」と思った。町の人はみんな、名産のイチゴを誇りにしていた。調べるとイチゴの市場は大きく、海外にも通用すると判断した。栽培歴35年以上の大ベテランに教えを請い、最近ようやく成果がでてきて納得できる糖度や酸度、形をつくれるようになってきた、そうである。

 岩佐大輝さま わたしもアナタの栽培する苺のような歌を詠みたいです。

                  3月15日 松井多絵子