まさおさまの 何でも倫理学

日々のささいなことから世界平和まで、何でも倫理学的に語ってしまいます。

Q.倫理学と論理学の違いは何ですか?

2011-10-22 09:16:23 | 哲学・倫理学ファック
白河と郡山の看護学校の皆さんは、私の 「倫理学」 とほぼ同じタイミングで、
内田詔夫先生の 「論理学」 も受講しているわけですね。
私もみんなにいろいろと書き留めてもらいますと宣言したわけですし、
論理学の講義でも、たくさんの文章を書かされているでしょうから、
この2つはどう違い、どう同じなのかというのは気になるところでしょう。

さて、どうやって説明したものか…。
とりあえずこんなふうにまとめてみることにいたしましょう。

A.倫理学も論理学も哲学の一部です。
  倫理学は実践哲学に属し、論理学は理論哲学に属します。

郡山の皆さんには、哲学が理論哲学と実践哲学から成るという話はしましたね。
白河の皆さんは、 「Q.哲学と倫理学ってどう違うんですか?」 を読んでみてください。
その中で、理論哲学が研究しているテーマのひとつとして、
「人間はどうやって真理を認識することができるのか」 という問題を挙げておきました。
私たちがなにか物事を認識する場合には、ことばを使って考えます。
そのことばを使って論理的に正しく考えるにはどうしたらいいか、
ということを研究するのが論理学なのです。

論理学はすべての学問の基礎といってもいい重要な部分です。
他のさまざまな学問を研究している人たちも、論理学のルールに従わなくてはなりません。
例えば医療現場でも、こんなことがありうるでしょう。
人が死んだら呼吸が止まります。
これを 「人が死ぬ」 をA、「呼吸が止まる」 をBと表してみると、
「AならばB」 という関係が成り立っていることがわかりますね。
さて、論理学を知らないフツーの人は、「AならばB」 という一般的知識から、
簡単に 「BならばA」 と推論してしまいがちです。
つまり、「呼吸が止まっていたらその人は死んでいる」 と判断してしまいがちなのです。
この判断が間違っているということは、医学の知識をもっている皆さんならすぐにわかるでしょう。
呼吸が止まる原因は死だけではないからです。
無呼吸症候群とか全身麻酔や脳死などによっても呼吸は止まってしまうのです。
しかし、そんな知識をもっていなかったとしても、論理学の規則を知っていれば、
「人が死んだら呼吸が止まる」 からといって、
「呼吸が止まっているからその人は死んでいる」 と言ってしまってはいけない、
そもそも 「AならばB」 から 「BならばA」 を導き出してしまうのはすべて論理的な誤りである、
と言うことができるのです。
そんなふうに論理学は正しい考え方の方法について研究しているのです。

ウィキペディアの哲学の項には、「哲学」 の2番目の意味として次のように書かれています。
「問題の発見や明確化、諸概念の明晰化、命題の関係の整理といった、
 概念的思考を通じて多様な主題について検討し研究する、学問の一分野。」
このうちの前半部分 「諸概念の明晰化、命題の関係の整理といった、概念的思考」
について研究しているのが 「論理学」 になるわけです。
で、この論理学の成果を利用して (「~を通じて」)、
「多様な主題について検討し研究する」 ことができるわけですが、
特に人間の実践 (行為や生き方など) について検討し研究していこうとするのが実践哲学、
すなわち 「倫理学」 になるわけです。
したがって、哲学の中でも基礎的、根本的な部分が 「論理学」 であって、
それを応用して人間の生き方にかかわる部分を研究するのが 「倫理学」 であると言えるでしょう。

論理学と倫理学の違いをわかってもらえたでしょうか?
たまにワークシートやレポートで、「倫理学」 のことを 「論理学」 と書き間違える人がいます。
「にんべん」 か 「ごんべん」 かの違いだけですので混乱してしまうのはわかりますが、
内田先生と見間違われてしまったのと同じくらいショックを受けますのでやめてください。
(「論理学」 のことを 「倫理学」 と書き間違えてしまうと、
 内田先生も相当ショックを受けられるだろうと思いますのでそちらも十分気をつけましょう!)

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