まさおさまの 何でも倫理学

日々のささいなことから世界平和まで、何でも倫理学的に語ってしまいます。

まさかの絶不調新年会

2015-01-04 19:11:14 | 生老病死の倫理学
元日の夜は義父も義母も不在で2人だけになったので、「善知鳥」 のお節の残り物や、

その他もろもろの残り物をざらーっと並べて夕食をすませました。



我が家ではこういう残り物料理を細々といろいろ並べる食卓を 「乞食の宴会」 と呼んでいますが、

これってうち限定のジャーゴンなんだろうなあ。

ネットで調べると 『聖書』 に由来する別の言葉遣いがヒットしました。

それはさておき、この乞食の宴会がいけなかったのでしょうか?

あるいは年末から (いや年末になるずっと前から) 続いている暴飲暴食の日々が悪かったのか、

1月2日は朝から胃だかお腹だかの調子がずっと優れませんでした。

激しく痛むわけではないけれどずっと軽い鈍痛がある感じ。

朝の用を足せば治まるかと軽く見ていましたが、何度トイレに行ってもまったく回復する気配はなく、

けっきょく不調を抱えたまま新年会に突入することになってしまいました。

2日は小野原方の新年会です。



市ヶ谷のうちにこんなふうにみんなが集まってくるわけですよ。

昼2時にスタートして延々飲み続け食べ続け、8時か9時にやっと解散という厳しい戦いです。

いつもだったらベロベロに酔っ払って途中で寝てしまうか、

たとえ寝なかったとしても確実に記憶は失って、最後のほうはグダグダになるのが常です。

ところがこの日はこれだけ酒好きの私が本当に全然進まないのでした。

ビールは乾杯のときにちょっと口を付けただけでしたし、

あとはワインを泡、白、赤とほんの数杯ずつ飲んだだけでした。

それでも少しは飲むことができたのですが、食べるほうは全然ダメでした。

小野原家の新年会は、以前は焼き肉とかしゃぶしゃぶなど肉料理がメインで、

その他、母が作ってきた諸々のお正月料理 (やお正月とは関係ない料理) が並ぶ感じでしたが、

いつからか母も疲れてしまったのか、買ってきたお弁当がメインとなり、

それにサラダやお刺身などをほんの少し追加するというスタイルに変わりました。

うちのお気に入りは 「なだ万」 のお弁当です。

以前はデパ地下まで買い出しに行ったりしていましたが、

市ヶ谷で新年会をやるようになってからは配達してもらえることに気がついて、

準備がとてもラクになりました。

で、今年は 「匠の膳」 というやつを注文してみました。



これはお節料理ではなくお弁当ですので一人前です。

手の込んだ様々なおかずはどれもとてもよくできているのですが、

写真でわかるでしょうか、左下の昆布ご飯がほんの少し食べられています。

そうです、この一口だけ食べて私はギブアップしてしまったのです。

ああ、美味しそうなのにもったいない

夜が更けてきても腹具合といい食欲といいいっこうに回復せず、

けっきょくこのお弁当にありつくことはできませんでした。

みんなからは顔色が悪いだの肌つやが悪いだのと口先だけで心配されながら、

1ミクロンも酔うことなく、始まりから終わりまですべてを記憶したまま新年会は終わりました。

こんな新年会、というか家族の集まりはほとんど初めてと言っていいでしょう。

これまではお酒を飲んだり料理を食べるのに障害を感じたことはなかったのですが、

今後は美味しく飲み食べ続けるためには少しは身体を労ってあげなければいけないのでしょう。

それにしても自分は酔えずに、ひたすら酔っ払いたちを観察していなければならない飲み会って、

本当に苦痛でした。

こんな思いを2度としなくてすむように摂生していきたいと思います。


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