まさおさまの 何でも倫理学

日々のささいなことから世界平和まで、何でも倫理学的に語ってしまいます。

Q.どうしたら素直にありがとうと言えるようになりますか?

2014-10-11 13:54:35 | 幸せの倫理学
これは 「ありがたい話」 をした2回目の授業のときに頂いた質問です。
正確には次のように書かれていました。

「Q.ありがとうということが素直に言いたいのですが、シャイなのでハズカシイです。
   どうしたらいいでしょうか?」

今どきの若者とは思えないほどシャイな方ですね。
この質問に対しては2つの側面からお答えしてみることにしましょう。
ひとつは精神面です。
まずは人が自分にしてくれることを心底 「有り難い」 と思えるかどうかということです。
たとえほんのちょっとしたことであろうとも、人が自分のために何かしてくれるというのは、
自分にとっても相手にとってもまったく当たり前のことではないということ、
してくれないなんてことはいくらでもありうることだし、
相手は本当はそれをしたくないのかもしれない、
でもそこをムリしてがんばってやってくれたのかもしれない、
そんなふうに考えてみたことはあるでしょうか?
人間の社会のなかではほとんどたいていのことが文化として当たり前のことと定着していますが、
一度その当たり前という感覚を取っ払ってみましょう。
人は誰しも本能で何かの行動をするように定められているわけではありません。
特に人のために行うことは自然な行動ではありません。
なので、誰かがあなたのために何かしてくれたら、それは本当に有ることが難しいことなのです。
挨拶してくれるとか微笑んでくれるとか、そんなことですら当たり前のことではありません。
ましてや手伝ってくれたり助けてくれたり、一緒に何かをしてくれたら、
それは本当に有り難いことなのです。
そういう感謝の気持ちを心からもつことができたなら、
その行為に対して素直にありがとうと言えるようになるのではないでしょうか。

もうひとつは習慣的な問題です。
先ほどは心底感謝して心からありがとうと言いましょうという話でしたが、
今度はそんなに重たくしないで、軽い気持ちでどんどん使おうという話です。
特に友だちでも家族でもいいので、気軽に話しやすい人を選んで、
その人相手にどんな些細なことでもいいから何かにつけてありがとうと言うようにする作戦です。
「ども」 とか 「サンキュ」 とか 「おっ、ありがと」 みたいな軽いノリで、
ちょっとしたことに対して返すようにしてみましょう。
そうやって気安い人相手に軽~く感謝の言葉を口にする習慣を付けたところで、
ありがとうというのがハズカシイ相手にも言ってみるようにしましょう。
そもそもありがとうと言うのは恥ずかしいことではありませんし、
ありがとうと言われた人もそう言われて戸惑ったり照れたりすることはありませんから、
こちらが軽く口にしたらすんなり受け入れてくれるでしょう。
こんな感じでお互いの習慣にしてしまえば、気楽に言えるようになるのではないでしょうか。

どちらの方法がやりやすそうでしょうか。
好きなほうを選んで (あるいは両方をいっぺんに) 試してみてください。
この方法でダメならまた教えてください。
何か新しい手を考えてみることにいたします。

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