インディオ通信

古代アメリカの共感した者の備忘録8年。

奇怪な図を眺めながら

2014-01-12 08:38:33 | カスタネダ『呪術の実践』 !
  今朝も雅太は着る毛布にくるまって、キーボードを叩き始めた。8時半過ぎ6.8度。その表示のある時計の隣、コルクボードには昨晩、幼児がクレヨンで落書きしたかの絵が、ピンで止められてある。古代メキシコの教義が記されたイーグルの図。

 雅太はそれを眺め、白い息を吐きながら、呟く。
 何かカスタネダの各巻から引っ張り出したモザイクのようだ。実際は、あの教義は「集合点」の移動と固定に尽きるのだが、それではイメージが湧きにくい。むしろ集合点という理屈を使っていない方が分かりやすい。要は、内的対話を止めること=内的沈黙の状態に達すること、こそ最も重要なことである、からだ。

 内的対話を止めるためには、「血の汗を出す思い」が必要で、実際それは呼吸を止めるのに似ていなくもない。ただ呼吸と違って、内的対話は眠っている間は止まっており、その代り「夢を見る」という塩梅である。その夢は何処からやってくるかというと、内的対話の芽を育む土壌、「自分の過去・経験」であり、だから自分の人生を「反復」する必要がある。

 内的対話を止めるには、それを「意図」しなければならず、エネルギー体にそれを意図させることが出来れば、もう一つの別の世界に到達できるという。第一の注意力から、第二の注意力へ。それはシーソーのようになっており、肉体の意識、理性的な物体の意識が沈めば、純粋エネルギーである、エネルギー体が浮かび上がるという構図なのだろう。

 そのためにはもっと自分自身を揺さぶらなければ、自分自身に忍び寄らねば、と雅太は腕を組み、退職届を出すのはそれほど効果的ではなかったな、と思ったりするのであった。