インディオ通信

古代アメリカの共感した者の備忘録8年。

呪術の参考書

2014-08-21 20:09:46 | 身の回り
  休日だった雅太は、日差しが強かったこともあり、逃げるように実家に戻った。スイカやメロンなどを土産に家に入ると、広島市の土石流災害のテレビ放送が耳に入る。そのまま森林浴をしに山に向かい、早速小川に足を浸ける。

 水気が抜けたのかICレコーダーが直ったこともあり、雅太は『呪術師の飛翔』を朗読し始めた。自由になるためには、過去を徹底的に反復しなければならない、それも呼吸法を、大地の力を利用して。

 反復では、「一体なんで己はこんな呪術の本を読んでいるのか?」とふと根本的な思いがよぎったりする。精霊が導いたと言えばそれまでだが、カスタネダの本にしろ、案外、受験やら資格なんかの参考書の延長なのかも知れないな、と思ったりするのである。

 思い返せば、小学校6年生ぐらいから、学習参考書などが雅太の部屋には賑わっていた。受験勉強など縁のない親が、インテリグッズとして奨励したこともあるのだろうが、本来一教科一冊あれば十分なのに、中学校時代とかは、問題集やら参考書の他、塾のテキスト、塾の推薦した参考書など机の上一杯に並んでいたわけである。もちろん、隅から隅まで読むわけもなく、そもそも参考書を読む読解力がないという致命的な欠陥を抱えていたので、自己満足で終わっていた。それがその後にも続くことになるのである。

 今、本棚に並んだカスタネダのシリーズを眺めながら、「人生は同じことを繰り返しているのではないか?」と勘ぐったりする。もっとも、テストやら志望校への合格やらで、実力を判定するわけもなく、日常生活で、それが判定されるということになるのだろうか。

 成功すれば、集合点が動く、つまり、精霊が来訪するわけである。ただそうなってしまえば、人生の連続性が断たれ、破壊点の到来、つまり、雅太が昨年末にしでかしたような、辞表の提出、ということになるのだろうが、一体次はどのようになるのか分からない不安が待ち受けている。もっと凄い小暴君がいるところで、修行する運命が待ち受けているのか、有り金が尽きるまで反復をして、悩むことなく動けるようにするのか、皆目見当もつかぬ。

 案外、人は毎日仕事に出ることによって、余計な妄想から逃れ、精神的に安定を保てるのではなかろうか。雅太にしても、明日が仕事だから22時には寝る、7時までには起きようとするのであって、タイシャ・エイブラーのように朝起きて、反復するために一人で洞窟へ行く、ような環境にあれば、…。

 人間の行動はパターンによって成り立っているだけなのかも知れぬ。雅太は森林浴をした後、海沿いの温泉サウナによったのだが、その前に、ぷかぷかと海に浮かびながら青空を眺めた。この前と比べて、海水が少し冷たい。大地のエネルギーとやらを体に集めようと意図する。洞窟はなくとも、こうやって車であちこち移動して自然とふれあうことが出来れば十分かも知れぬ。車の中では、カスタネダではなく、雅太にとっての懐メロを流しながら、当時を反復する。テレビドラマの主題歌やら心を励ますために聞いた歌が、窓を全開にした雅太の車から流れている。青い空。外は田園風景、地方都市、海岸沿い。日差しが雅太の腕を焦がす。

 呪術の参考書の言わんとていることは。空にしなけりゃならんのだ、と雅太は受け取った。詰め込み教育の逆が、ここにある。その前に、坊主と同じように、多くの経文を覚えねばならぬのか。やはり基本は膨大な知識という土台があってのこと。雅太は人生で同じようなことを繰り返しているような気もした。運命は変えられぬのか。本は語る。

 「だがな、お前は時間を無駄にしているんだよ。過去は過去、今は今だからだ。そして、今には自由のための時間しか存在しないんだ」