インディオ通信

古代アメリカの共感した者の備忘録8年。

色んな波動

2014-08-14 20:08:21 | 身の回り
 雅太の部屋は31.6度で、盆は蒸し暑かった。明日から仕事の雅太は、つかの間の休みを利用して、買い物や散髪に出かけた。東京へ行く寸前に切って以来、実に半年ぶりであった。伸びすぎた髪が目にかかり、容貌が女性的であればポニーテールでまとめたかも知れぬが、雅太は眉毛の上までばっさりと髪を切ってもらった。
 頭が一挙に涼しくなり、何か覆い被さっていた荷が消えた気がした。

 これで海に泳ぎにでも行きたいところだったが、暑いだけで、空は曇っており、雨がぱらついていた。料理をしたり、洗濯をしたり、身の回りを整理しながら、最近、音楽を全く聴いていなかったので、昔を思い出しながら懐メロを聞いていると、「歌手は皆自己陶酔している、ある意味狂っているのだなぁ」と波長を合わせる。雅太は昔は波長が合わなかった曲ですら、合わせることが出来るようになってきた。「どこが良いのだろう?」と思っていた黒人音楽ですら、「ええじゃんか」と陶酔したりする。ただ昔と違って、固執したりはしない。

 雅太は世界は波動で出来ているということを、徐々に体感し始めた。こんなインターネットですら、活字が波動となり、それと同調する何者かが、読む、受け取るわけである。雅太の波動は、それほど強いようにも思われぬが、いくらかこの情報社会に発散されているわけである。できれば、プラスの波動、読むものが幸福になるようなエネルギーが発散されれば好ましい。

 そう意図したところで、あんまりブログを書いていない故に、発散以前の問題かも知れぬ。世にはそういうことを試みて、宗教活動だの、スピリチュアルな本を書くだの、行動している人間がいるにはいるだろう。金儲けを志していなくても、結果として金は巡ってきて、それで自立できたりするのか。

 雅太の実家が行う米作りでさえ、昔は収穫祭やら感謝祭、作るものも食べるものも、プラスの波動に触れていたような気がする。今は金、金の世界で、そういう根本的なエネルギーが欠如しているのかも知れぬ。人間関係にしても、金さえ貰えればそれで良いとか。一期一会の精神こそ、プラスのパワーの原動力だったり。当たり前のように会っている人も、あと5年、10年したらどうなるのか分からぬ。

 そう考えたところで、雅太は、日曜日に墓参りに実家に戻らねばならぬか、と思ったりするのだった。