インディオ通信

古代アメリカの共感した者の備忘録8年。

気が狂いそうな正月

2012-01-05 06:46:13 | 身の回り
毎年、誕生日が近づいてくると、運気が低迷するのか、何かがおかしい。今、朝食を食べているのだが、歯が、歯が…(熱いものでとてつもない激痛が…)。昨夜も、というより、正月は寝られなかった。最悪なことに、大晦日に、3分はその場のしゃがんでいなければならないほどの奥歯の痛みが始まった。正月休みで歯科医院は閉まっており、実家で軽い麻薬(赤ワイン)を口に含み、のた打ち回った。昨夜は、とうとう25度の焼酎を口に含み、何とか痛み止めを飲まずに、今朝を迎えられたわけである(あと2時間耐えよう)。

 ゲートウエイで、夢見か、寝正月を、という目論見はとん挫した。「エネルギー変換ボックス」を幾ら想像しようが、痛いものは痛いのである。精神統一やら瞑想で痛みが消えれば、世の中から病院はなくなるだろうし、たぶん、戦争とかもなくなるだろう。

 奥歯で黒い槍が何度も突き刺さり、「人間は苦しみから逃れるためには何でもやりかねないな」と妄想したりする。命というものは痛いものであり、カスタネダの教科書にはそういうのが少ない。生き物は苦痛に操られている。究極にまで飢えていたら、道徳やらルールは無視されるだろう。

 ということで、正月はただ苦しみに耐え(元旦には風邪で熱まで出た! 初詣には行っていない!)、何か苦しみを和らげるような娯楽はないかと部屋を物色し

 発見したのが大昔読んだ浅田次郎の『極道放浪記』(三部作?)である。今は小説家として名をあげているが、昔は相当のワルで、企業舎弟として整理屋などをしていたらしい。かなり面白かった記憶があり、再読してみるに、これがまた、歯の痛みを忘れるぐらい面白い!

 吾輩は思ったのである。やはり、文章というものは、今(苦しみ)を忘れさせてくれるような代物でなくてはいけないと。このブログも一昔前はそんな傾向もあったが(??)、今では得体の知れぬ精神世界にずぶずぶにはまり込んで、かなりの綺麗事を言っているには違いない。

 ゲートウエイを聴いたところで、歯の痛みは消えるどころか、余計激しくなる(些細なかゆみがそうであるように)。たとえ、非物質的世界へ行ったところで、一体何をもたらしてくれるというのだ? 三陸沖の地震や津波をしっかりと予知して、伝えることすらできないのではないか? それで商売しているなら、外れるのが怖くて、たぶん、口外しないと思われえるが。

 都会?のアパートに戻り、歯医者は近いし、ネットで愚痴れる?し、と思いきや、ポストを開けてみれば同年代の方から愛娘の顔写真の入った年賀状が届いており、何か愕然とさせられる複雑な気分になるのであった(今から書かねば)。