インディオ通信

古代アメリカの共感した者の備忘録8年。

11月19日… 冬生まれは、冬に弱い(*運気のバイオリズム)。

2007-11-19 00:51:14 | 悪魔か、踊りか、占いか、禅か、無か
  やっとネットが復活した。

  さっそく、役に立ちそうな情報?を発信したい。

 さて、『金運をつかむ人・貧乏神に追われる人』百々由紀男(ベストブック)
 によると、

   四柱推命を中心とする東洋易学には生まれ月を中心にした四つのバイオリズム(波動)があり、運気の強弱を説いている。

 <生まれ月から三ヵ月ごとに運気が変わる>

  ①受胎期
(生命のボッグバン=0ヶ月~)  インディオの場合、1月~3月

  ②胎動期
(胎児が動き出だす=三ヶ月~)           4月~6月

  ③安泰期
(胎児が安泰=六ヵ月~)              7月~9月

  ④誕生期                    
(出産月=九ヵ月~)
(受胎前の空無の時まで=十二ヶ月)         10月~12月


  とある。

  ①では、「積極的に金運を誘い込め」
  ②では、「金運は移ろいやすく、波乱多し」
  ③では、「運気の自然な成長を見守るべし」
  ④では、「耐えて待つのが、安泰期の万全策」
 らしい。

 「特に誕生日前後の運気は、どん底。生命の危機もある」という。

 インディオは今は…、運気が落ち目には違いない(たぶん。…はあ?)
 
 だが人生を思い起こせば、
 どうも冬は体調が悪いし、ろくなことがないのは事実。

 警戒すべき理由はある。

 みなさんも、誕生日にはご注意を!




 

9月13日 …人相でわかる?!

2007-09-13 00:17:20 | 悪魔か、踊りか、占いか、禅か、無か
 『常識としての人相知識』(2006)
  西谷泰人
  創文 ¥1400+税

  大阪へ行ったとき、梅田の紀伊国屋書店(超大型書店)で発見した。
  インディオは騙され易いので、手相人相を、相手を判断する材料としている。
  
  しかし「すみません、手を広げてくださいませんか?」と初対面の人には言えないので、観相学の方が有効的だと思われる。

  手相本は多いが、人相学の本はあんまり売っていない(インディオは4冊持っている)。
  
 福岡の古本屋で、100円で凄いのをGETしたり(『観相』櫻井大路)、
  大型書店でたまに発見する(『すぐに役立つ人相の見方』大和田斎眼など)。

   最近、水野南北なる人物を知った。

  人相が全てではなく、食い物が重要らしい。

  インディオは食い物の質には気を使っていたが、どうやら量に問題があったようだ。

 インディオは満腹になるまで食べる癖がある→ 運気が落ちる

  満ちれば欠ける、か…。


9月10日 …夢で、劇作家で、ニタニタ。

2007-09-10 00:28:51 | 悪魔か、踊りか、占いか、禅か、無か
 なんか、芝居を監督して、「ハイ、次は○○さんね」と

何個もコマをつなげる夢を見た。

面白くて、夢の中で楽しんでいた。

・・・・ ハッと目覚めて現実に戻る(ため息)。

 インディオもあんな仕事に向いているのではないか(夢が教えたのか?)。

 映画監督とか、劇作家、小説家の仕事は、
 それ自体で楽しいはずだ。

 それを目指して、日々コツコツ書いている人間も大勢いるはず。

 ただ受ける(売れる)と判断されない限り、スポンサー(出版社、テレビ局など)はつかない。

 だからインディオが書いてもスポンサーはつかない(賞をとれば別だが…)。

 スポンサーの目的は、あくまでお金。

 フィクションだろうが、ノンフィクションだろうが、その活字は所詮、お金を呼ぶための「呪文」に過ぎない。

 呪文が本当に呪文になっている場合もある。→『時の輪』
 
 まあ、コノ世界、
 当たれば大きい(原価が作家のドアタマだけ)。
 何万部も売れれば、打ち出の小槌だ。

 みなさん、インディオの書いたシナリオは売れますかね?

   (なかなか来て下さらないので

   → インディオランド

 

8月4日 …幻想の毎日。

2007-08-04 23:04:42 | 悪魔か、踊りか、占いか、禅か、無か
 インディオの頭の中は、幻想と妄想でゴチャゴチャになっている。

 インディオ文明の神々、踊りと音楽から、自分の過去と未来、明日の食べ物…。
固定観念。
 まるで海老に引っ付いたコロモみたいなもの。

 人生が海老天であるなら、タレについたコロモを味わうのであるが、
 コロモを捨てて、純粋に海老だけ味わう生き方もあるようだ。

 禅僧の、一見味気ない人生に、海老だけ味わう食べ方を見出した。

 コロモなど要らぬ。あれはゴミだ。捨ててしまえ。
 純粋に海老だけ口に入れ、咀嚼する。

 文明人、日本人としての自分というより、
 一匹の「生き物」としての自分を、味わう。

 金や財産、社会的地位、名誉などのコロモを剥ぎ取り、山奥にこもって座禅の毎日。無の境地。

 インディオみたいに馬鹿みたいに幻想に耽って踊ったりしない。→ 宗教的な踊り
 ただ静かにじっと呼吸をしている。
 何も考えずに。
 まるで草木のように。

 仕事がないとか、貯金がないとか、未来への不安とかに、動じない。

 どんな状態に置かれても、別に焦る必要はない。力を入れる必要もない。

 …

 あーだ、こーだと、余計なことを考えすぎ! 

 どーでも良いことに拘り過ぎてるよ、インディオ君。
 
 コロモを捨てるのだ!

 所詮、この『インディオ通信』もコロモさ…(でも捨てたくない)。


7月16日 …とにかく体を動かす!

2007-07-16 09:11:24 | 悪魔か、踊りか、占いか、禅か、無か
 嵐の後、微風に吹かれた樹木が輝いていた。
 思わず携帯のカメラでパシャ!

 さて、インディオは、二十代のの終わりから、寝る前に、柔軟体操というか、ヨガのような真似事をやっている。
 ぐっすりと眠れる。

 それに最近、マジカルパスの本に刺激され、得体の知れない動きが加わるようになった。
 
 マジカルパスを習得したわけではないが、
 空手というか、太極拳というか、奇怪な踊りをやって、
 自己満足をしている。

 エネルギーの流れや気の充実が、少しは感じられるかも。

 もっと体の動かし方を研究し、修行?を積むべきか。

 できるだけ思うがままに任せたい。
 


7月10日 …ぼんやりとした頭の中

2007-07-11 03:10:10 | 悪魔か、踊りか、占いか、禅か、無か
  

 人間の頭は、ある日突然、良くなるという事はありうるのか?

 タバコを吸う人間で、冷静になるという者もいる。

 インディオは、どぶろくを飲むと、何か酔った中で冴えてくる。
 
 錯覚かもしれないが。

 食べ過ぎたり、寝過ぎたりすると、鈍らになるが、

 体を動かしたり、何かに集中していると、鋭くなる。


 今は眠くて、ぼんやりしている。

 インディオは何が書きたいのか?

 う~ん、なまくらな状態では、ろくなブログ記事ができないということかもしれない(支離滅裂で失礼!)。


7月6日 …毎日更新しなくなった?インディオ通信

2007-07-06 22:22:32 | 悪魔か、踊りか、占いか、禅か、無か
 パソコンを久々?開けた。
 
 インディオ通信の連続更新記録(?)は途絶えている。

 このブログは潰れたのだろうか?

 いいえ、まだ運営されているのです。

 たとえ30日間、空白が続いても、ある日突然、再開されるでしょう。

 今度は変わった趣向で。


  やっぱインディオは人間的に、「計画性」「合理性」というものが欠けているのかもしれない。

  場当たり的過ぎる。

  ブログも、人生も。
  そして「他人との日常会話」も。
  (いきなり話が飛んでしまう…)


  さて、
  最近、
  インディアン関連の商品を材料に、商売をしているHPを最近、よく見かける。
 
  書物だけでなく、インディアンジュエリー、インディアンTシャツなど。

  Meも、この道で食っていこうかなと、最近考えているが、

  こんな自分だから、

  う~ん、副業で「ちょこっと」が妥当かなぁ。

  「お願いです! インディオの選んだインディアンTシャツ(??)一着買ってください! でないと、電気代やネット代が払えないんです(泣)」

  

  それは限りなく、乞食行に近い。 

 (すでにインディオは乞食に近い)  

 

 

6月23日 …『インディオ通信』のまとめ

2007-06-23 03:25:12 | 悪魔か、踊りか、占いか、禅か、無か

 二ヶ月以上、ほぼ毎日大量の内容を掲載してくると、わけが分からなくなってくる(ブログ主も含め)。

  全部読む閲覧者は、相当物好きだ(インディオ的だ)。

 一体何を取り上げたのか一部紹介。 

カスタネダ

『呪術の実践』

ニーチェ

『ツアラトゥストラはこう言った』

田口ランディ

『コンセント』

ニコルソン

『マヤ・アステカの神話』

学者たち

マヤ・アステカ文明の解説書

 だんだんブログ主が暴走し始めたので、「はあ?」、「それは違うだろ!」、「おかしいよ~」という内容が出てきたと思われる。

 インディオの解釈も、ひとそれぞれ!

 インディオの世界は妄想の世界!?

  とにかく、

 インディオ世界は野蛮である。

 古代アメリカの神々は例外なく人間の生贄を要求する。

 そんな思想を盲信したインディオ達は、悪魔に憑かれていたのではないか?

 そもそもシャーマニズム≒悪魔憑きって感じもする。

 そんな中で、羽毛ある蛇(ケツアルコアトル)=文明神だから、

 これが天使やキリストに近いのか(シンボルの羽もあるし)。

 

ただ,上品な格好をした文明人のほうが、野蛮な行為を多くしているかもしれないから(資本主義の下で、多くの生き物を殺している)。

 人間だけは特別だ、同胞だけは絶対殺してはいけない!

こう考えれば、インディオは悪魔であろう。

 でも、インディオ世界はそうではなかったから。

    ---  ---  ---  ---  ---  ---  ---  ---  ---  ---  ---  ---

コルテスがメキシコを侵略する時の会話。スペイン人はピラミッドの神殿で行われる生贄の儀式を見て、驚愕し慄いた。

   スペイン人「君達は悪魔を崇拝している!」

   アステカ人「悪魔って何ですか?」

    スペイン人「…」

 (コイツらとは話しても無駄だ。早く滅ぼして、キリスト教を布教してやろう)

 

 

 

 

 

 

 


6月21日 …人生を将棋で考える

2007-06-21 01:08:13 | 悪魔か、踊りか、占いか、禅か、無か
 パソコンを開けば、インディオは将棋をする。

 もう、そんな習性が10年以上続いている。
 
 詰め将棋もやるが、主にコンピューター相手の本将棋をやる。

 この人工知能(AI)は、なかなか手強い。
 下手な手を打ってこないから。

 しかしインディオは、個性的な手が好きなので、突飛な手を打つ。
 すると、AIは冷静に無感動に、的確な反応する。
 インディオは 「ああっ(やられた~)」と悲鳴を上げる。
 
 頭が悪い、先を読んでいないインディオは、たびたび「待ったのボタン」を押すのである。

 将棋の起源はチャトランガで、戦争の代用品。

 行動(戦争)しない分だけ平和だが、こんなものばかりに耽っていたら、行動しない人生を送ってしまいかねない。

 だが行動する前に、将棋とかやって先を読むのは大切だ。
 下手な手を打ったら、そこで人生の行方が崩れてしまうからだ。
 人生は取り返しが付かず、「待った」ができない。

 
   順調だった局面は、あっという間に、ぼろぼろに食い荒らされてしまう。
 
 「辞職」や「起業」の一手でそうなったケースは多い。

 ひょっとして、我々は「闇の神」と対局しているのかもしれない。

 
 形勢が崩れないように堅い手を打っていくが、
 やがて何かの拍子で局面は大きく動いていく。

 病気になり、不幸に襲われ、手駒(お金)も取られる。

 一体どこで失敗したのだろうか?

   ☆☆ 為したことが自分に返ってくるのは間違いない。
 
 日頃の行い→ 運
 何を食べたか、運動したか→ 病気
 
 闇の神との対局には、因果応報などのルールがあるに違いない。


 ただ目に見えない世界(勝負)にこだわりすぎると、
 ウマシカな一手につながりかねない。


 たとえば「小説を書く」という一手。
   自分の中だけのやり取りが多く、勝敗が分からない。
   ひょとして(いつか)化けるかもしれない。
   化けなくても、別に問題が起こらない。
   「待った!」が何度でもできる〔書き直せる〕。
 
 星の数ほどいる物書き志望者は、
 
 目の前にいる大勢の人間を直視せず、
 
 ただ高層ビルの屋上で両手を広げている人間を見つめているのであった。
 

  (資料集めやら執筆、推敲などに莫大な時間がかかったが)
   小説が完成した。
      ↓
   新人賞をとった、or大手出版社に採用され出版された。
      ↓
   印税生活できる。
      ↓
   有名な人気作家となり、永続的な印税生活が期待。

 
 そんなことはウマシカが考えることだ!

 インディオなブログでも書いてろ!     


 


6月19日 …闇の神 テスカトリポカ(煙る鏡)

2007-06-19 01:44:29 | 悪魔か、踊りか、占いか、禅か、無か
今回は、闇の神、テスカトリポカについて。

古代アメリカ世界に魅了される皆様は、頭の中でそれぞれのテスカトリポカを思い浮かべていることだろう。

「八章 ケツアルコアトル神話」を語ったニコルソンは、「九章 自然の四つの相」でテスカトリポカを語っている。


「…生命は滅びるが、生命の力は破壊することができない。宇宙は同時に破壊的であり創造的である躍動的な力からできている。そのような力の衝突が、全宇宙の出来事を創造し、その相互作用が自然界を創造する。互いに相反するこの力の働きの中で、すべての自然現象は遅かれ早かれ滅びる。
 しかし活力溢れる力(魂)は、空間・時間・物質とは無関係に永続する。物質でできているものは、単なる見かけのもので、単に活力が取りうる一つの形に過ぎない。存在する全ての物は、絶えず変化している。それ自体を、生命を、変化させること、それが永遠というものなのである…」

 ニコルソン流にインディオを解釈すれば、
 魂は滅びない。永遠を欲する…、
 それでインディオは人間を殺して骸骨にするわけか?

とにかく、ケツアルコアトルが創造する神なら、テスカトリポカは破壊する神である。

    人間は創造され、人間は破壊される。

今生きている人間にとって、一番興味があるのが、いつ破壊されるか(=死ぬか)である。

運命をすべて牛耳っているのが、このテスカトリポカ(煙る鏡)。

タイタニック号を沈没させたのも、救命ボートの乗れなかったのも(参考)、
宇宙でそういう力が働いているから。

 インディオ達は、生贄になって死んでいく同胞を、自分の身代わりになって死んでくれた存在として感謝し、崇拝していた。

  生贄を捧げる者、生贄を見る者 ⇔ 生贄になる者

  救命ボートに乗れた者   ⇔  救命ボートに乗れなかった者

   何か「鏡」を見ている。
   赤の他人なら鏡は弱い(煙っている)。

 阪神大震災で家族が瓦礫の下敷きになった。火の手が迫っている。

  どうにか自力で助かった親   ⇔  親が助けられなかった子供

 親は自分が死んでいくような気分だったと思う。

   煙る鏡(テスカトリポカ)を見ていた。
 
 代わりに自分が死ねばよかったと嘆いた。

 ・・・・

 ちなみにインディオはタイトル、『煙る鏡』の小説を書いている(もちろん無名) 
 
 話はトルテカ時代。
 主人公、ケツアルコアトルが追い出される終盤の場面より、抜粋。

「すべての生き物は残らずそうだろ。わしに食べられた魚や鴨、わしに捕らえられた兵士、全てわしの代わりに命の炎を消してくれている。わしだけ延々と燃え続けて、罪を感じないわけにいかん。鏡に映った分身だ。沢山の分身を犠牲にして燃え続けるほど、わしの炎は尊いのだろうか。わしこそ、生け贄になって、この破壊的な炎を消すべきではないか。どうせ遅いか早いかの違いだ。炎は体を焼き尽くして消える。煙も消える。この大地から」
 テスカトリポカ王は、手の平を真剣に見つめながら、
「この世は煙る鏡だ。わしらは煙る鏡の中で踊らされ、闘わされているのだ。どうせ、生き残ったわしらの生命の炎も、最後には消えるのだ。死の闇に。死ねばこの煙る鏡を脱出できる。苦しみに満ちたこの世から……」  

 インターネットは何をUPしようが自由。 
 しかし…、こんな危ない観念小説は、公表して良いのかなぁ(勝手にしろ!)。


  

6月18日 …宗教的な踊り

2007-06-18 01:27:06 | 悪魔か、踊りか、占いか、禅か、無か
 今、インディオはジャンベをパタパタ叩きながら踊り、叫びたい気分である。
 
 しかし、やれば警察が来るだろう。

「狂った奴がいる~!」と近隣住民が通報するからだ。


 通報せず、場所まで提供してくれる器の大きな人物は、
 坊主や神主くらいだ(違うか?)
 
 そんな寺や神社があればいいな。
 
 都会はだめだ(無理だ)。
 

 山奥の有名な神社が良いな。

 高千穂神社

 観光神楽(高千穂の夜神楽)はいいから、
 客に踊らせろ!(もちろん500円払う)

   神主よ、ただひたすら太鼓を叩いてくれ。

   巫女よ、神懸りな詩を叫んでくれ。

   さすればインディオは、ぽんぽん踊り跳ねるであろう。

 インディオの頭の中では、古代アメリカの神々が、
 日本神話の神々に化けて現れ、踊っている。

 辺りは妖しい香木の煙と、鼻を突く酒の匂いが漂っている。

 そこへ刀を持った禅僧が

 「悪霊退散!」と斬り付けてくる。

 ・・・・

 かくして大蛇退治の神楽がリアルに上演されるのだった…。

 やっぱ、インディオの象徴はヘビで間違いない。

 キリスト教で嫌われている13の数字が神聖とされているし、

 生贄の儀式は、悪魔崇拝だわい。

 ならば、インディオを自認するMeは悪魔か?

 そうに違いない!
 (心の奥底でテスカトリポカ{≒ディオニュソス}を崇拝している)


 ・・・・・

 こうしてブログが壊れていく…。
(いや、もう壊れているか?)

 長続きするブログに何の意味がある!

 ブログは壊れるために存在するのだ(人間もだ)。
 
 

5月25日… シャーマニズム世界は、やっぱり占いだ!

2007-05-25 00:15:32 | 悪魔か、踊りか、占いか、禅か、無か
 『マヤ占い』(1998)
 ~夢をかなえる運命操縦法~
 三宅裕司プロデュース 大沢直行編
 アミューズブックス ¥1400+税

 絵文字が完全に解読されていないので、かなり疑わしい内容ではある。
が、マヤが占い文明であったことは事実。
(この本は結構BOOKOFFにあるので、大量に売れたのかもしれない)


 インディオが「食えないだろうが、やってみたい職業」をあげるとしたら、
「小説家」と「占い師」だ。

小説は相手に鑑定されるものだが、
占いは相手を鑑定するもの。

素人小説は、なかなか読んでもらえないが、
素人占いなら、人は喜んでしてもらいたがる。

血液型と星座は・・・・・・名刺代わりになるしね。
(ちなみに、meはO型で山羊座)

インディオが興味を持ったのは、
○ 四柱推命
○ 風水
○ 手相
○ 観相

この中では、観相(人相で運をみる!)が一番凄いかもしれない。
易者はぱっと見れば何もかも全て分かるという。
社会生活する上で、これほど役立つ技術はないだろう。

古代中国の四柱推命であるが、これが古代アメリカの占いと酷似している。

古代中国の四柱推命→  十二支(子丑虎卯…)という、12の地上の生き物?に、十干(甲乙…)という10の天エネルギーを対応させるもの。

古代アメリカの占い暦→ 20の大地の精霊?に、13の数字(宇宙の霊か?)を対応させている。

どちらも日常生活の「暦」で利用されている。

時間=運の流れ=占い、ということか。

占いは、・・・・・・・宗教に行き着くのか。