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私の札幌生活も17年目を迎えました。これまでのスタイルを維持しつつ原点回帰も試み、さらなるバージョンアップを目ざします。

名将の陰に名参謀あり

2022-01-17 19:39:47 | 講演・講義・フォーラム等

 よく言われる言葉であるが、話は紀元前にさかのぼる現在の中国の春秋時代、「斉」の国の第16代君主「桓公」の話である。桓公が名将であったか否かは評価の分かれることかもしれないが、桓公を支えた宰相・管仲は間違いなく名参謀だったようだ。中国の昔、むかしの話を聴いた。

           

        ※ ウェブ上で見つけた「桓公」の図像です。

 本日、札幌市社会教育協会が主催する「高齢者市民講座」が東区民センターで開催されたので参加した。参加した主な理由は講座のテーマに興味を持ったからである。講座のテーマは「覇者『斉』の桓公」「持続可能な開発目標?」の二つだったが、最近の私はSDGsに関して少し学ばねばならないこともあって参加を決めた。

 そうしたところ、どちらの講座も興味深かったので2日間にわたり、両方の講座の内容をレポートすることにして、本日は「覇者『斉』の桓公」の講座についてレポすることにする。

 講師は札幌市社会教育協会に所属する井原紀元という方だったが、井原氏がどのような履歴をお持ちの方かは分からないが、非常に博識の方であることは間違いなかった。

 「斉」という国、そして「桓公」について説明することはここでは省きたい。私の下手な説明など不要なほど豊かな知識をお持ちの方が多くいらっしゃるだろう。そうでない方はウェブ上などで検索していただきたい。

 講座において当時の群雄割拠の時代の説明がなされたが、当時の中国においては凄まじい権力闘争が展開されたようだ。油断をすれば側近はおろか、肉親にさえ裏切られるという時代だったようだ。そうした権力闘争を勝ち抜き「桓公」(幼名:小白)が第16代の「斉」の君主となった。この間の詳しい経緯を講師の井原氏は立て板に水のごとく滔々と語られた。

   

※ 春秋時代の中国国内のの勢力図です。講師の井原氏が書いたものです。

 君主となった桓公は、政敵の家臣だった管仲(カンチュウ)を宰相として取り立てることにした。管仲は経済を重視する政治を行い、有名な「衣食足りて礼節を知る」という言葉を残したとされるが、正式には「倉廩(そうりん)実ちて則ち礼節を知り、衣食足って即ち栄辱を知る」と述べたそうである。ちなみに「倉廩」とは「米倉」、「栄辱」とは「栄誉」と「恥辱」のことだそうだ。

 管仲はまた経済を重視しながら富国強兵策を取り、周囲の国々との交流を進めながら和を乱す国へは出兵を桓公に勧め、桓公の信望を厚いものとすることに尽力したそうだ。そうした管仲の陰の功労もあって桓公は名君の誉れ高かった。

 しかし、管仲が病に就いたため桓公は管仲の後継者を模索した際、管仲の意見を受け入れず後継者を決めたのだが、桓公は彼らに裏切られ悲惨な最期を遂げたという。後の韓非子は桓公について「人を見る目もなければ君主として臣下を統御する方法を知らなかった」と酷評している。桓公を名将とするにはいささか無理があるようだ。そうすると本日のタイトルは誤りとなってしまうのだが…。



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