2014年8月14日発行の朝日新聞紙朝刊の一面に掲載されたコラム「戦後70年へ プロローグ 消費者の時代 迷い道」を拝読しました。
1970年の日本は高度成長期の前でした。この時点では、高校を卒業して就職した従業員の平均初給料は約2万7000円でした。この時代に、パナソニック(当時は松下電器産業)は19型のカラーテレビを約20万円で販売しました。これに対して、全国地域婦人団体連絡協議会などの消費者5団体が価格の値下げを求め始めたと伝えます。
当時の日本の消費者たちは冷蔵庫と洗濯機を手に入れ、次にほしいものはカラーテレビになっていたからでした。各世帯に電化製品が浸透し始めた時代でした。
こうした日本の消費者の動向を、朝日新聞紙は一面と二面のコラムで解説します。
朝日新聞紙のWeb版である朝日新聞 デジタル版では、見出し「戦後70年へ プロローグ 消費者の時代 迷い道」「戦後70年へ プロローグ 私たちは王様で下僕だ」として掲載されています。


こうした「消費者が王様だ」を体現したのは,1957年に大阪市に第一号店を設けて「よい品をどんどん安く」とのスローガンで店を増やしていったダイエー(現在はイオンの一部)でした。1980年に、ダイエーは売上高1兆円の偉業を達成させた小売りの“王者”でした。
この当時のダイエーは「流通支配を生産者から流通経済の担い手に奪い返す流通革命を実現する」と宣言し、当時は生産者である製造業が販売価格を決めていた商習慣を変え、販売者が販売価格を決める時代に移り始めました。
この結果、巨大流通業が育ち、現在、イオンが売上高6兆円台、セビン&アイ ホールディングが同5兆円になり、仕入れ先の生産者に強い影響力を持っています。その典型例は、ヤマダ電機などの家電量販店での値決めの主導権です。現在は家電量販店は仕入れ先である家電メーカーに強い影響力を持ちます。
“消費者主権”“価格破壊”が実現し、高いといわれた日本の物価が下がり始めます。1990年代に入ると、日本経済はデフレ基調に転じ、価格破壊による値崩れによって、雇用面では非正規雇用者が増え、正規従業員も給料が増えない、下がることもあるという時代を迎えました。
日本は“消費者王国”にたどり着きながら、“労働者には冷たい社会”に変貌したと解説します。この点をどう乗り越えるのか、現時点での大きな課題です。
1970年の日本は高度成長期の前でした。この時点では、高校を卒業して就職した従業員の平均初給料は約2万7000円でした。この時代に、パナソニック(当時は松下電器産業)は19型のカラーテレビを約20万円で販売しました。これに対して、全国地域婦人団体連絡協議会などの消費者5団体が価格の値下げを求め始めたと伝えます。
当時の日本の消費者たちは冷蔵庫と洗濯機を手に入れ、次にほしいものはカラーテレビになっていたからでした。各世帯に電化製品が浸透し始めた時代でした。
こうした日本の消費者の動向を、朝日新聞紙は一面と二面のコラムで解説します。
朝日新聞紙のWeb版である朝日新聞 デジタル版では、見出し「戦後70年へ プロローグ 消費者の時代 迷い道」「戦後70年へ プロローグ 私たちは王様で下僕だ」として掲載されています。


こうした「消費者が王様だ」を体現したのは,1957年に大阪市に第一号店を設けて「よい品をどんどん安く」とのスローガンで店を増やしていったダイエー(現在はイオンの一部)でした。1980年に、ダイエーは売上高1兆円の偉業を達成させた小売りの“王者”でした。
この当時のダイエーは「流通支配を生産者から流通経済の担い手に奪い返す流通革命を実現する」と宣言し、当時は生産者である製造業が販売価格を決めていた商習慣を変え、販売者が販売価格を決める時代に移り始めました。
この結果、巨大流通業が育ち、現在、イオンが売上高6兆円台、セビン&アイ ホールディングが同5兆円になり、仕入れ先の生産者に強い影響力を持っています。その典型例は、ヤマダ電機などの家電量販店での値決めの主導権です。現在は家電量販店は仕入れ先である家電メーカーに強い影響力を持ちます。
“消費者主権”“価格破壊”が実現し、高いといわれた日本の物価が下がり始めます。1990年代に入ると、日本経済はデフレ基調に転じ、価格破壊による値崩れによって、雇用面では非正規雇用者が増え、正規従業員も給料が増えない、下がることもあるという時代を迎えました。
日本は“消費者王国”にたどり着きながら、“労働者には冷たい社会”に変貌したと解説します。この点をどう乗り越えるのか、現時点での大きな課題です。