ここに、大島みち子さんと言う少女の日記(詩)があります。
みち子さんは、高校生の時に顔の軟骨が腐るという病魔にかかり、
入退院を繰り返し5年かかって、高校を卒業し同志社大学に進学したが、
ほどなく再発し、病院のベッドの上で短い生涯を閉じた…
そのみち子の日記の中に次のように書いていた。
〉〉〉〉〉〉〉〉〉〉〉〉
◎神様、私に健康な日を三日だけ下さい…
【一日目】
私は飛んで故郷に帰りましょう。
そして、おじいちゃんの肩をたたいてあげて…
母と台所に立ちましょう。
父に熱燗(あつかん)を一本つけ、美味しいサラダを作って妹達と
楽しい食卓を囲みましょう…
【二日目】
私は飛んであなたのところへ行きたい…
あなたと遊びたいなんていいません。
お部屋のお掃除をしてあげて、ワイシャツにアイロンかけてあげて、
美味しいお料理を作ってあげたいの…
そのかわり、お別れのとき、優しくキスしてね…
【三日目】
私は一人ぼっちで思い出と遊びましょう。
そして静かに一日が過ぎたなら…
三日間の健康ありがとうと、笑って永遠の眠りにつくでしょう…
〉〉〉〉〉〉〉〉〉〉〉〉
私は、読みながら涙が止まりませんでした…
みち子さんがひたすらに求めたのは、
私たちが日頃当たり前にやり過ごしてる(粗末にしてる)ことばかり…
私たちはどうでもいいようなことに振り回されているかに気づかされました。
(大島みち子)
昭和17年(1942)2月3日兵庫県西脇市生まれ。
昭和33年(1958)兵庫県立西脇高校2年在学中に顔面の軟骨肉腫が発病、卒業まで入退院を繰り返すもこの間に、入院先の大阪大学附属病院で河野実さんと出会い文通を始める。
昭和37年(1962)同志社大学入学の夏、再発、阪大病院に再入院。
一度も退院することなく、昭和38年(1963)8月7日永眠します。
(学陽書房参照)
みち子さんは、高校生の時に顔の軟骨が腐るという病魔にかかり、
入退院を繰り返し5年かかって、高校を卒業し同志社大学に進学したが、
ほどなく再発し、病院のベッドの上で短い生涯を閉じた…
そのみち子の日記の中に次のように書いていた。
〉〉〉〉〉〉〉〉〉〉〉〉
◎神様、私に健康な日を三日だけ下さい…
【一日目】
私は飛んで故郷に帰りましょう。
そして、おじいちゃんの肩をたたいてあげて…
母と台所に立ちましょう。
父に熱燗(あつかん)を一本つけ、美味しいサラダを作って妹達と
楽しい食卓を囲みましょう…
【二日目】
私は飛んであなたのところへ行きたい…
あなたと遊びたいなんていいません。
お部屋のお掃除をしてあげて、ワイシャツにアイロンかけてあげて、
美味しいお料理を作ってあげたいの…
そのかわり、お別れのとき、優しくキスしてね…
【三日目】
私は一人ぼっちで思い出と遊びましょう。
そして静かに一日が過ぎたなら…
三日間の健康ありがとうと、笑って永遠の眠りにつくでしょう…
〉〉〉〉〉〉〉〉〉〉〉〉
私は、読みながら涙が止まりませんでした…
みち子さんがひたすらに求めたのは、
私たちが日頃当たり前にやり過ごしてる(粗末にしてる)ことばかり…
私たちはどうでもいいようなことに振り回されているかに気づかされました。
(大島みち子)
昭和17年(1942)2月3日兵庫県西脇市生まれ。
昭和33年(1958)兵庫県立西脇高校2年在学中に顔面の軟骨肉腫が発病、卒業まで入退院を繰り返すもこの間に、入院先の大阪大学附属病院で河野実さんと出会い文通を始める。
昭和37年(1962)同志社大学入学の夏、再発、阪大病院に再入院。
一度も退院することなく、昭和38年(1963)8月7日永眠します。
(学陽書房参照)