マイコー雑記

行き来するもの書き留め場

ライターとして書き始めてから2年半ほど、「敏感系の人」が「慣れ」ていくということ

2017年12月12日 | ハイリーセンシティブチャイルド

ここ10日ほど、普段の原稿数の倍の締め切りが重なり、

ブログを書く時間がとれません。

原稿依頼のお声をかけていただくのは、

本当にありがたいことです。

 

私自身、米国からは読むことができないものもありますが、

どんな媒体であろうと、

お伝えしたいことを書き続けていきますね。

 

 

 

 

仕事として、原稿料をいただいて「書く」ようになってから、

2年半ほどたちます。

ここでは、その体験を、少し書かせてください。

 

 

他媒体に仕事として原稿を書き始めの頃は、

心身ともに、まさしく、ボロボロでした。

 

それまでは、自分の個人ブログで、

私自身の普段の生活なども読んでいただき、

気心の知れた少数の方々に向けて、

自分の思いをそのまま綴ることに慣れていました。

 

ですから、より多くの人々に向けて、

より一般的に受け入れられる形で書くことに、

とてつもなく難しさを感じていたんです。

 

 

そうしてたどたどしく、

それでも必死の思いでつづった文章は、

華やかなウェブサイト上で、

ほとんど注目を集めることもなく、

「はい、次!」といった波に、またたくまにかき消されていきました。

 

私に、大勢の人々が納得するものなど書けるわけない、

どうせ私の書くものは、

頭や言葉だけが空回りし

多くの人々にとって、

説得力も魅力もない文字を連ねているように見えるだけなんだ。

 

そう何度も落ち込み、スクリーンに座ることさえ嫌にもなりました。

締め切りが迫り、書こうとしても、

指が震え、呼吸がうまくできなくなることもありました。

実際、吐きながら、書いたこともあります。

 

そうして必死で絞り出すものが、

認められないということにがっくりとし、

また、少しでも認められるならば、

大はしゃぎで浮かれ。

 

そうしたアップダウンを繰り返し、

ようやく1年半くらいたってからです、

気持ち的に、少しずつより楽に書けるようになっていったのは。

 

 

 

結局は、自らが「真」と思うものを、

人々に受け入れられる形で表すよう、

最善を尽くし続けていく。

 

その結果、認められたり、認められなかったりするけれど、

まあとにかく、自分は自分の技と力を全力で磨き続けていく、

それしかないよなあと、次第に、腹の据えどころを身に着けていきました。

 

今では、仕事であっても、

自らの「真」を探り、

より分かりやすい形にしていくことが、

苦しいながらも、とても楽しいです。

 

 

 

こうしたライターを続けてきての体験は、

様々な面で私自身の成長を促してくれました。

どうぞ、シェアさせてください。

 

1.子供の「うまくできなさ」にも寛容になれた

まず、子供の「うまくできなさ」も、

「この子は能力がない」と切り捨てるのではなく、

改善していく「過程」にすぎないと、

以前よりも、とらえられるようになりました。

 

たとえ、芽が出なくてもいいんです。

そう信じてくれる人が傍にいるということが、

とてつもない支えになるということが、

今では、心底分かりますから。

 

 

そして、成長すること上達することに、

年齢制限なんてない、本当にそう思います。

 

そう思わないなら、まあ、

「成長にも年齢制限あり」ということなんでしょう。

 

自分が何を信じ、行動しているのか、

気づいていきたいです。

 

 

 

2.多作多捨の力

こんな実験があります。( 『Art & Fear』 by David Bayles and Ted Orlandより)

 

陶芸のクラスで、

グループAには「ひとつだけ最高の質のものを仕上げなさい。どれほど最高のものを作れたかが評価の基準となります」

グループBには「とにかく数を作り続けなさい。使った粘土の量が多いほど、評価は高くなります」

そう伝えたところ、最高傑作は、

Bのグループから生まれた、といいます。

 

一つを完璧に作り上げようとするより、

試して、冒険して、失敗して、また試してと、

とにかく、数を重ね作り続けていくこと。

その過程で、きらりと光るものが、生まれるんですね。

 

 

 

4.一回一回の結果に振り回されない

昔は、他媒体でも「いいね」の数の表示などがあったりして、

ほとんどのライターの方が3ケタのところ、私だけ1ケタだったりと、

冷や汗もかいたものです。

 

でも、評価というのも、本当にアップダウンがあります。

今回低くても、次に高い、今回高くても、次に低いと、

変化し続けるんですね。

市場というのは、経験のある編集者さんでさえ、

はっきりとは読めないもの。

 

そうしてアップダウンを繰り返していくうちに、

見えてきます。

何にフォーカスしたらいいのかが。

 

自分のその時点での最善を差し出していくこと、

これができているのなら、

その時点でどんな結果であっても、より良き方向へと向いていきます。

 

 


5.自分がインスパイヤーされているか、自分の心が動いているか

自分がインスパイヤーされてないのに、

読者がインスパイヤーなどされません。

自分の心が動いてないところ、

読者の心なんて動きません。

 

日々感動する心を、思い出していいきたいですね。

 

 

 

6.「慣れ」の大きさ

こうして今、以前よりは気持ち的に楽に、

苦しいながらも、生み出す楽しみをかみしめていられるのも、

「慣れ」が大きいと心底思います。

 

何度もやめてしまおうと思い、

心身ともに具合が悪くなりながらも、

続けることで、ライターの世界の雰囲気や手順やルールなどに

少しずつ「慣れて」いったこと。

 

「敏感系」の人は、

慣れることで、より力を発揮できるようになっていく、

そう思います。

まさしく、「ゆっくりエジンンがかかっていく」わけです。

 

ですから、はじめ、あらゆる拒絶反応が溢れても、

とにかく壊り切れてしまわない程度に続けてみて、

少しずつ「慣れ」てみること。

 

そして、

「しどろもどろに動く自分を責め、こてんぱに叩きのめそうとする自分」に気づき、

「まあ、もうちょっと見守ってやろうじゃない」と包み込み、

自分で自分に忍耐強くなってみること。

 

すると、いつか、

よりのびのびと力を発揮できるようになっている自分に、

気づく日がきます。

 

 

 

7.行為者になること

ただ批判する傍観者でなく、

自分が行為者になること。

 

その過程でこそ、成長とインスピレーションがあります。

 

ネットでは、書かれたものへ、

それは簡単に批判が集まります。

 

でも、自分が生み出す側に回るならば、

そうは簡単に、やみくもな批判などできないですし、

批判の内容も、より建設的なものとなり得ます。

 

傍観者より、行為者の仲間入りをしていきたいですね。

 

 

 

8.自分を抱きしめることを忘れずに

そして最後に、とても大切なこと。

 

寝る前には、

「今日もよく頑張ったね」と、

自分を抱きしめ、ただただ、その温もりに包まれ、

眠りに落ちていきましょう。

 

他の誰かを待たずとも、

自分で自分を、温もりで包み込んでしまえばいいんです。

 

これはもう、自分が好きとか嫌いとか、そういう問題ではなく、

この世をサバイバルしていくかどうかの問題だと、

私は思っています。

 

そうして満たされることで、

周りへも、温もりを差し出していくことができます。

 

子供に関わる大人こそ、

日々、実践していきたいですね。

 

 

 

 

みなさん、いくつになっても「これから」です。

「とほほ」な結果を突き付けられることがあっても、

それも必ず、次への糧になります。

顔を上げ、自らのできる範囲とペースで、

力と技を磨き続けていきましょうね。

 

読んで下さって感謝です。

 

 

 

さて、次に、最近の子供たちと生徒さん達との様子←日々アクティビティー尽くしです。

そして、『It Mama』さんへの最新記事について書きますね。

もう一つ明日締め切りの原稿を終わらせ、その後に!

 

 

全く関係ないですが、ちょっと変な組み合わせ。

ザクロとメロン ザクロは子供たちの大好物。

ちなみに、ザクロはこちら、ポリポリと種も食します。

ポリポリ、じゅわ、ポロポリ、じゅわ、ポリじゅわ、触感もちょっと不思議。

 

サツマイモとマシュマロ

これは、こちらではよくあるある料理なんです。

甘い!

 

それではみなさん、よい日を!


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