マイコー雑記

行き来するもの書き留め場

同性婚が全米で認められる

2015年06月27日 | 雑感

全米で、同性婚が認められることに。

 

パートナーとして同性を選ぶということが、

子供達にとって、

より「普通の選択肢」になっていく。

 

人類史にとっても、

世界に影響力のある大国(随分と力を失っているとはいえ)がこうした動きに出るというのは、

大きな出来事だろう。

 

知り合いには、

同性パートナーを持つ人々もいて、

宗教的見地から、全く受け付けない人々もいる。

 

互いの住み分けが、ますますはっきりと進むだろう。

自らの価値観を同類同士で深め合う場は必要。

 

そこから、異なる者同士が異なる価値観を尊重しあい、

それぞれの価値観の良い部分を提供し合うことで「共生」が成り立つ。

 

ひとまず、

ないがしろにされていた同性愛の人々のこの国での居場所が公に確保されたというのは、

共生への一歩なのだと思う。


子供を褒めて伸ばすということ

2015年06月27日 | メモ

24ヶ月の幼児と母親のやりとりを観察し、36ヶ月を迎えたところで子供達に課題を与えたところ、

24ヶ月の時点で母親がより褒めていた子の方が、自信を持って意欲的に難しい課題をやり抜いたという研究。

http://www.ncbi.nlm.nih.gov/pubmed/11016566

3歳頃まではとにかく褒めるのも有効。

 

言葉をより理解できるようになり、相手の表情の裏側にある意図や気持ちなども感じ取れるようなる頃からは、

少し「褒め方」に気をつける。

日本には古くから、相手の意欲をそぎ落し、だめにする「褒め殺し」という言葉があったり。

 

心にもないことはなるべく口にせず、誠実に、より具体的に、結果より過程の努力を、他者と比較せず、褒める。


外からのイメージと中の躍動と

2015年06月27日 | イメージ

立ちはだかるイメージ。

 

中に入り込んでみるなら、

のっぺりと隙間ないイメージとは対照的に、

粒子が動き回っている。

 

立ちはだかるものなどなく、

間が溢れ。

 

粒子の躍動と供に、

その間を行く。

 

イメージを隙間なく強固に作り上げる自分に気づいてみる。

 

 


死後はね、と話始める三姉妹

2015年06月27日 | 子供言葉

死んじゃうってすごいことだね。この世界からいなくなるなんて。

 

居間で下4人の子とのボードゲームが終わった頃。

ごろんと横になった13歳長女が、

何の脈絡もなく突然ぽつり。

 

今はね、死んでからの練習なんだと思うな、と。

 

11歳次女が、死んだらね、全部記憶が消えて、違う体に入るんだよ。

8歳三女、死んだらね、子宮の中の胎児に戻って、こうやってまるまってぷかぷか浮かんでるんだよ。

 

どこかで聞いたのか、

そんなことを言い出す子供達に、ちょっとびっくり。

我が家では今のところ特定の宗教を持つわけでもなく、

死後について話すということはなかったのですが。

 

その子その子に、それぞれ感じるものがあるのだなと。

 

 


頭朦朧とした状況での具体的行為と軸

2015年06月27日 | 雑感

引越し最後の大詰めで、ファミリーディナーも9時過ぎからと大幅にずれ込み、

頭も随分と朦朧としていたのだけれど、

そんな時こそ、「軸」の感覚にとても助けられる。

朦朧気味の時ほど鼻にそっと手を当てるといった具体的行為が力を発揮する。

心身ともにかなり疲れてくると、

すっと軸が立つというより、軸にどっぷりとよりかかっている感が大きい。


物質的でないものを遺言という形で残すということ

2015年06月27日 | 雑感

昨夜のファミリーディナーでは、

・心の傷を癒すということ

・アンカーポイント

といったトピックの他に、

カナダのユダヤ男性の遺言についての話にもなった。

 

遺言というと、財産をどう分けるとか、物質的なことが浮かぶのだけれど、

その男性はバリューや知恵や信仰についての遺言を残す。

ああこういうことを身近な人々へ遺言という形で残すという発想もあるんだなとはっとした。