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マイコー雑記

行き来するもの書き留め場

「外的な動機付け」では、これからを「生きる力」は育たない

2016年03月07日 | 子育て全般

プリンストン大学心理学教授サム・グラックスバーグ(Sam Glucksberg)氏率いた研究:

 

2つのグループに、クリティカル思考や創造性を必要とするタスクを与える。

両グループともタスクを終えるまでのタイムを計り、

ひとつのグループには、

「単にこういったタスクにどれくらいの時間がかかるかを知るため」と伝え、

もうひとつのグループには、

「トップ25%以内の時間で終えられたら5ドル、

最も早く終えられたら20ドルの報酬がもらえる」と伝える。

(1962年に発表された実験なので現在では5ドル=39ドル、20ドル=159ドルぐらい)。

 

結果、報酬をもらえると伝えられた方が、

報酬に言及されなかったグループより

タスクを終えられた人数が少なく、

また終えたとしても、

著しくより時間がかかったとのこと。

 

これは、外的報酬を提示され、競争にさらされることで、

「交感神経系(Sympathetic nervous system)」が活性化し

「闘争・逃走反応(fight or flight response)」を引き起こすことで、

クリティカル思考や創造性を司る前頭野がシャットダウンしてしまったため、

と説明されている。

https://en.wikipedia.org/wiki/Candle_problemより)

 

つまり、報酬などの「外的な動機付け」は、

単純な作業の繰り返しなどには有効だけれど、

クリティカル思考や創造性を必要とするより複雑なタスクには、

逆効果ということなんですね。

 

 

 

 

以前紹介した

世界中でベストセラーとなったダン・ピンク氏の『DRIVE』には、

このグラックスバーグ氏の研究をより展開させた研究が紹介されています。

 

それらの研究も、「外的な動機付け」では、

クリティカル思考や創造性が鈍く弱くなってしまう、

と示しています。

 

 

 

クリティカル思考や創造性とは、

これからますます複雑化する現実社会で、

問題を解決していくために最も必要とされる能力。

 

報酬、ステータス、成績、学歴といった「外的な動機付け」、

そしてそれらを目指す競争が、

これからを生きる子供たちに与える影響を思います・・・。

 

 

 

年齢が上になるほど、

直面する問題もより複雑になります。

そしてこれからますます複雑化する社会で問題を解決していくには、

クリティカル思考や創造性が必須。

 

外的な報酬のためだけではなく、

「内から湧き上がるやる気=内的な動機」を強めるサポートをしていきたいですね!

 

 

 

ちなみにピンク氏は、「内的な動機付け」として次の3つをあげています:

1.自主性    自分が手綱を握っている感

2.マスタリー  できる!という喜び

3.目的     何のためにするのか?

「子供をやる気にさせる『三つの内的動機付け』」に少し詳しく紹介してあります)

 

探究し、まとめていくことを続けます!


どんな難しい状況でも「祝い事」を見出すという習慣

2016年03月07日 | 子育て全般

放課後スクールでは、

授業が終わると、必ずスタッフで集まりミーティングをする。

 

その日の問題点、チャレンジングな出来事、改善点、改善方法、

必要な教材や用具、それらを話し合ったあと、

最後は、「その日の祝いごと(セレブレーション)」をシェアし合う。

 

前回のこういった問題が、こうすることで、解決した。

○○君が、周りに振り回されず、よい選択をしていた。

○○ちゃんが、思いやりに溢れたこんな言葉を言っていた。

などなど。

 

コーディネーターの方が、逐一書き記し、

内容によっては、親御さんに知らせたり、

生徒皆の前で発表したり。


この「ミーティングの最後」にいたるまでに、

皆で頭を抱え、ため息をつき、首をふり、と続くことも多く、

「とてもとても祝い事なんて・・・」という雰囲気に包まれることもある。

 

それでも、数々の「問題」に押しやられ、

見えにくくなることもあるわけだけれど、

気持ちを切り替え、改めて眺めてみると、

必ず、「祝い事」ってあるものなんですよね。

 

 

 

その日の「祝い事」を見出す習慣。

これ、家庭でも、使えるなあと思っています。

 

寝る前など、一日を振り返り、

家族で「祝い事」をシェアしてみる。

日々の生活で、少し立ち止まって、

子供についての「祝い事」を見出してみる。

 

お弁当の卵焼きが美味しかった。

上手くいかない時も癇癪を起さず解決しようとしていた。

妹に優しい言葉をかけていた。

今日も一日大した怪我も病気もしなかった。

 

どんな小さなことでも、

普段「当たり前」で通り過ぎてしまいがちなことにも、

スポットライトを当ててみる。

 

さて、明日からも、

問題に立ち向かうぞー

という力が湧き出ます。


悩み相談には2種類ある、共に感じて欲しい&解決策の模索

2016年03月04日 | 子育て全般

悩みを打ち明けられる時にいつも思うこと。


悩み相談には2種類ある:

1.ただ聞き、共に感じてほしい

2.解決策を見出したい

 

ママ友などと話していると、夫婦いざこざの原因としてよく聞くパターンにも、

夫婦間でのこの「1」「2」のギャップがあることに気づく。


妻の方は、「1.ただ聞き、共に感じてほしい」という気持ちで、あれこれと話しかける。

ところが夫の方は、悩みと聞けばとにかく2.解決策を見出したい」と目指すものだから、

「で、どうしたいんだ、だったら俺にどうすればいいというんだ」という話になり、

お互い「分かってなーい!」となって終わる。

 

我が家もとてもよく分かる。

「もう困っちゃうのよねえ」と今日の出来事を話そうものならば、

すぐさまイライラし始め、「で、どうしたいわけ?」と返ってくる。

それでカチンときて、

「あなたにシェアしようと思ったのが間違いだったー」とぷりぷり。

 

「解決策を考えないでただ困ったことをつらつら話し続けるのを『愚痴』というんだよ。

困っているならじゃあどう解決できるかに力を注ぐべき。

文句言っているだけじゃ何も変わらない」と夫。


「でもね、ただ『嫌になっちゃう気持ち』を分かってほしいというようなことってあるものなのよ。

特に、夫婦とか親しい中だとね。

シェアすることで、また頑張ろう、という気持ちにもなれたりするのよ」と私。


こんな話し合いを経、少しずつ互いに歩み寄ってきたようなところがある。

 

 

 


子育てでも、この「ギャップのパターン」を覚えておくといいなと思う。

子供って、まずは、ただ聞いてほしい、共に感じてほしいだけのことって多い。

ふんふん、へー、そうなんだあ、と聞いてやる内に、

少しずつ、こうしたらいいかな、

と子供自身が自分で歩き始めたりする。

1.ただ聞き、共に感じてほしい」が満たされることで、

 2.解決策を見出したい」に移っていける。


夫の場合、「もう嫌になるのよね~」と子供達から聞こうものなら、

すぐに解決策を見出す話へと移っていくんですが。(笑)

それは、大好きな相手が、

嫌な思いをするのがたまらないという気持ちが底にあったりもするのでしょうね。

 

 

相手が何を求めているのか、

どう接することで相手がよりハッピーに自分で歩いていけるのか、

見ていきたいですね。

 


「虹色教室」の奈緒美さんとのスカイプ、子供の持てる能力を伸ばすということ

2016年03月03日 | 子育て全般

 一昨日は、虹色教室の奈緒美さん

(「先生」ではなく「さん」でと同意の末、こう呼ばせていただきます)

とスカイプでお話しさせていただきました。

あっという間に1時間ほど! 

 

日本では、

「その子の持てる能力を伸ばす」といった周りの大人の眼差しが、

どうしても「いい大学に入ること」や「受験勉強」

というものにからめとられてしまいがち。

 

また学校という場になかなかなじめないとしても、

学校へ行かないということに対する周りの反応も否定的なものが多く、

なかなか、ホームスクールなどに踏み出しにくい雰囲気がある。

支援団体なども少ない中で、ホームスクールをする方が、

孤立し、家庭に引きこもりがちになってしまうこともある。

 

『成功』についてのイメージや、

学習環境について、

もう少し選択肢が増えることで、

楽になれるだろう大人や子供がたくさんいるだろう、

というようなことをおっしゃられていました。


私自身育った環境を振り返り、痛いほど分かります。

 

 


膨大な時間や労力を受験勉強に注ぐことで築かれる「成功」、

それとはまた違った「成功」の道が築かれていくこと。

 

「有名大学」の他にも、質の高い専門性を身に着けられる場が増え、

一旦社会に出て働いてからなど、

いくつになってもそれらの場へアクセスしやすい状況が整えられていき、

そうして専門性を身に着けた人々が活躍できる場が充実していったら。

そんなことを思います。

 



他にも、奈緒美さんの教室の様子や、

なかなか言葉で表しにくいけれど感じられていることなどに、

少しでも触れることができ、とても充実したひとときでした。

 

私自身、奈緒美さんの活動にインスピレーションをいただきつつ、

できることをしていきたいと思っています!


ごそごそ動くことで学習効果アップの子もいればダウンの子もいる、脳の多様さ

2016年02月28日 | 子育て全般

ADHDの子は、「動く方が認知的なタスクでよりよい成果をおさめる」、

という去年発表された研究を紹介しましたが

動くことがプラスになる子供達、異なる特性にフレキシブルな環境作り)、

もう少し詳しく書いておきます。

http://www.wsj.com/articles/the-benefits-of-fidgeting-for-students-with-adhd-1434994365より)

 

研究に携わったカリフォルニア大学教授Julie Schweitzer氏によると、

「ごそごそと動く(Fidgeting)」ことを教室に取り入れることで、

ADHDの投薬量を下げられるか、

または軽いADHDの子が薬を飲まないですむかについては、

引き続き研究が必要。

それでも、もし投薬を避けたいと思っているのならば、

他の行動療法などと共に、取り入れてみるのがいいでしょう」とのこと。

 

サウスキャロライナ医科大学精神科医のRussell A. Barkley氏は、

「ごそごそ動くことを投薬と置き換えることは不可能」としつつも、

「それでも、多くの研究が一貫してADHDの子が、

身体的に動くことのベネフィットを示している。

教室などで補足的な手段として用いるのは有効でしょう」と。

 

ミシシッピ医科大学小児精神科医Dustin Sarver氏によると、

「ADHDの子の、通常の脳に比べ弱い箇所が、

動くことによって活性化され学習能力が上がる」

のだそうです。

 

 

ちょこちょこ立ったり座ったり歩いたり、

握りながら手をごそごそできるグッズや(このウォールストリートジャーナルの記事に写真あり)、

ガムを噛むことでも効果ありとも。

アラスカ時代、テストの前にクラス全員にガムを配る先生がいたなあと思い出します。

ボールで小刻みに揺れながらガムをくちゃくちゃ・・・、

一昔前の教室からは考えられない光景ですね。

 

 

 

ただ、ひとつ覚えておきたいのは、

これらの研究によると、

ADHD傾向のない子は、逆に学習効率が下がることもある、

ということ。

 

皆が皆この方法を用いれば学習効果が上がる!

というわけではないんですね。

本当に、「脳の特性は多様」。

 

 

 

以前のアラスカの学校では、

椅子かごそごそ動けるボールかを生徒自身が選べるようになっていたのですが、

クラスの大多数が毎日ボールを選んで座ってました。


小学生ぐらいの子だと、皆「何だか楽しそー」とボールを選びそうですが、

実際どちらのほうが集中して学習効果を挙げられるのか、

ひとりひとり見ていく必要もあるのかもしれませんね。

 

「ボールに座る教室」を体験した我が家の子供たちに聞いてみると、

皆、「少し動きながらのほうが、集中できる」と言ってました。

 

 

 

「学習は姿勢を正し、じっとしてするもの」

が過去も今も主流の学校生活。

 

多様な脳のあり方に合った、

多様な学習方法がこうしてどんどん明らかにされ、

より学ぶことが楽しくなっていく子供たちが増えていくことを願っています。

 

 

 

 

今日は、また「異なる脳の特性」(小学生時代にディスクレシアと診断)を持った夫の誕生日。

昨夜から、子供たちが隠れてこそこそとサプライズのお祝いを準備しているようです。

 

みなさん、新しい週、よい日々を!


「学習障害」とされた子にダンスの能力を見出した医師、「ものさし」を多様化するということ

2016年02月26日 | 子育て全般

以前少し紹介したんですが、

「最も聞かれたTedスピーチ」とされる、

 教育学者ケン・ロビンソン氏の「Do schools  kill creativity? (学校教育は創造性を殺してしまう?)」

(日本語版のスピーチスクリプト)。


このスピーチが「もっとも聞かれた」とされるのは、

全世界で多くの人々が、

同じように思い、同じように感じているということの表れなんでしょうね。


私自身、このスピーチの中の言葉を、時々思い出します。

 

その中で、

2014年に、それまでのダンス界での功績が認められ、

87歳にして「大英帝国勲章」を受章し、

「キャッツ」や「オペラ座の怪人」の振付師や、

ダンサーとして活躍されたジリアン・リン氏の話が出てきます。

 

 

1930年の英国。小学生だったリン氏は「学習障害」だとして、

病院の診断を受けるよう学校から通知を受けたそうです。

 

とにかくじっとしていられない。

 

医師は、しばらくリン氏を診察したあと、

「お母さんと話してくるからね」とリン氏に告げ、

ラジオをつけ、診察室から出て行ったそうです。

 

そして窓からリン氏の様子を見る母親に、

こう言いました。

 

「見てください。この子は、ダンサーなんですよ」

 

ラジオのリズムに合わせ、踊るリン氏。

 

「どうぞダンススタジオに、連れて行ってあげてください」と。

 

1930年代の英国に、こんな医師がいたんですね。

今なら、「投薬」の相談になるのでしょうか。

 

 

リン氏はロビンソン氏にこう話しています。

「ダンススクールには私みたいな子ばかりいたのよ。

みんなじっとしてられないの。

考えるのにまず体を使わなくちゃいけないのよ」

 

それ以来、ロイヤルバレー団に受かり、ソリストをつとめ、

ダンス界を駆け昇っていったリン氏。

 

 

 

ロビンソン氏はスピーチの最後にこう言っています。

「これまでの教育は、

地表を削いで石炭を直接取り出すように、

 私たちから特定の物だけを発掘してきました。

でも将来それはもう役立ちません。

私たちは次世代の人間を教育するための 、

根本的な理念を再考しなければならない」

 

 

私自身、それには、

この医師のように、子供に接するひとりひとりが、

「ものさし」を多様化していくことが、

ひとつだと思っています。

 

その子を見る「ものさし」の種類を広げること。

今は、学校の成績や偏差値やIQなどで、

「地表を削いで石炭を直接取り出すように、

 私たちから特定の物だけを発掘」している状態といえないでしょうか。

 

でも、「石炭の周りの土壌」だって、様々生かしていくことができるはずです。

その生かし方を、見出し工夫していくこと。

 

 

同じように感じている人々が力を合わせ、

少しずつ少しずつ、変わっていけるといいですね。

 

ロビンソン氏の言うように、

「私たちは未来を見ることはないかもしれないですが、

子供たちは未来を生きていく」

のですから!


動くことがプラスになる子供達、異なる特性にフレキシブルな環境作り

2016年02月23日 | 子育て全般

クラスに、

とにかく動きたくてしょうがない子達が一定の割合いるんですよね。

椅子に座りながらもごそごそ落ち着きがないんですが、

ちょっと目を離すと、踊り始めます。リズムが身体中を駆け巡っている。

男の子に多いです。

 

そういう子達には、

「この絵の具皆に配って」

「筆を洗ってきてくれるかな」

「この包み紙ゴミ箱に捨ててきて」

とちょこちょこと身体を動かす機会を与えるようにしてます。

すると「ダンス」の回数も少なくなっていきます。

 


以前、紹介したことがあるんですが、

アラスカの子供達が通っていたプログラムには、

こんな小さな半球状のトランポリンが教室の後ろにあって、

こうした「じっとしてない子達」を、

「飛んできなさい」と定期的に先生が送っていたんですよね。

 

あと、「ボール」か「椅子」かを選ぶこともできました。

「少し動き続けていた方が集中できる子もいるんですよ。

脳が活発に動き続けているので、

身体も少し動すぐらいが自然な場合もあるんです」

と先生方。他州の教育会議で学ばれたそうです。

 

また去年6月に発表されたこんな研究もあります:

「ADHDの子は、動いた方が認知力が高まる。

教師は動くことを罰するのではなく、

他の子の迷惑にならない程度に動く機会を与えるべき。

動くことで彼らの思考力が向上する」。

http://www.sciencedaily.com/releases/2015/06/150611082116.htm

 

 

 

 

 

ピョンピョンとトランポリンで飛び跳ねる子や、

ユラユラとボールの上で揺れてる子に溢れていると、

教室の雰囲気や規律が乱れる、

といったいわゆる「伝統的教室」的な感覚も、

クラスをまとめる側としては、分からないでもないです。

こちら東海岸の子供達が通う学校もそれがマジョリティーの感覚。

 

確かに、「程度」を示していかないと、

溢れる「動き」に呑み込まれ、教室全体がカオスにということもあるでしょう。

だからこそ、「定期的に教室の後ろのトランポリンで跳ねる」であり、

アラスカの教室でも「ボールに座る際のルール」があって、

「どれほど揺れどれほどジャンプしていいか」が決められていたんですね。

 

 


実は、高校生の我が家の長男もこうした子の一人だなあと思うのですが、

前のセメスターで、先生のおひとりに、

「息子君、テスト中何だか動きたくてしょうがないようだったので、

前の席から後ろの教室の隅っこに移動させ、

立ち上がったり外を見たり壁に持たれたりとできるようにしてあげたんですよ。

より集中できたようでした」

と報告していただいたことがあります。

ああ、何て子供の性質を見抜いたフレキシブルな先生なのだろうと感動しました。

 

本人としては、じっとしてなきゃいけないときは全然できるから、

と「自信」があるようで、まあもう高校生ですし、

見ていてもそうなのかなとは思うのですが、

寝不足だったり、運動をしばらくしてないと、

「ごそごそ度」が増すとも感じてますね。

 

 

実はアラスカ時代のこの「教室の後ろの小さなトランポリン」、

元々、ADHDと診断された子を持つお母さんと担任の先生が相談され、

始められた試みなんですよね。

システム的に変えるのに時間がかかるようならば、

親と個々の先生とで、できる範囲で工夫していけるといいですよね。

 

異なる特性を持つ子が学びやすい環境が、

よりフレキシブルに整えられていくこと、願っています!


太陽のような同僚から学んでいること、状況によらない「活気」

2016年02月22日 | 子育て全般

職場に、太陽のような方がいる。

 

スタッフ皆がため息をついて頭を抱える日にも、

凛として、周りに励ましの言葉をかけられ、

「では、どうしたら改善できるだろう」という話し合いへと導かれる。

そして、日々こつこつと具体的な改善策を試し、実際に動かれている。

 

見上げつつ、学ばせていただく中で、気づいたことなのだけれど、

どんなことが起こっても、どんな難しい状況に囲まれても、

この方の活気のようなものが絶えることがないのは、

活気の源が、変化し続ける周りの状況には依ってないため。

 

出来事に対し、常に活気が「先行」している。

難しい出来事に活気が引きずられ影響受けることなく、

活気が、難しい出来事を引っ張っている。

 


ご本人とお話ししても、

決して、「易しい人生」をこれまでの50年近く送られてきたわけではない。

そのひとつひとつを乗り越えられるたびに、

こうした姿勢を身につけてこられたんだなあと。

 

 

周りの状況に創られる「活気」ではなく、

周りの状況を創っていく「活気」。

 

この方から学んだイメージが、

学校生活だけでなく、家庭生活でも、力を与えてくれているのを感じている。

 



毎日ホント色々ありますから、

ひとつひとつの物事に「創られて」いたら、

毎朝起き上がるのさえ難しくなります。

 

どんな状況にあろうと、

ふつふつと内から湧き上がる力に感覚を澄ませ、

身体中に行きわたらせてみる。

 

そうした「状況に依らない活気」を「先行」させ、

こつこつと具体的に動き続けるうちに、

状況もそれなりに改善していくんだなと実感しています。

 

彼女と出会い、共に働けることに感謝!


子供を導く有効メソッド、「いつも!」「ぜんぜん!」から今「できていること」を認めるへ

2016年02月21日 | 子育て全般

 「いつも(always)」や「ぜんぜん(never)」というコトバが、

自分の口や子供たちの口から出てくると、

「ちょっと待てよ」と思うことにしてます。

 

だってほとんどの場合、

「いつも~する」「ぜんぜん~しない」なんてことありませんから。

 


例えば先日の、娘の一人との会話。

 

わたし:○○(妹)に対し、もう少し、気持ちを思いやるような言葉をかけてやりなさいよ。


娘:だって、「いっつもね」、○○がああいう言い方するんだもの。


わたし:そういうこともあるかもしれないけれど、あなたの方が少し長く生きてるんだから、○○の言い方に引きずられずに、教えてあげなよ。

こういう言い方ができるのよ、って。

だいたい、「いっつも」○○から始めるんじゃなくて、あなたから始めることもあるじゃない?

「いっつも」なんてことないのよ。


娘:ママは私が「いっつも」始めてると思ってるのよね。「いっつも」なんてことないのよ。

 

 

上のような「咎め」も時に必要だけれど、

「思いやりある言葉をかけてやって、○○も嬉しそうね」と、

娘の「できている時」をこまめに認めてやることの方が、

変化を起こしやすいんですよね。


特に娘の頭の中では、

「ママはどうせ、私が『いつも』できてないと思ってる」とぐるぐるしているようですし。

 


「いつも」「ぜんぜん」という思い込みで見えにくくなっている、

実は目の前に刻々と繰り広げられている「できている時」をこまめに認めていくこと

対して、「いつも」「ぜんぜん」通りの言動を集めて咎めてばかりいても、

ますます「その通りの像」を作り上げていくだけだったりします。

  

 

 

教室の生徒達とのやりとりを通しても、これは本当にそう。

いかにその場その場で切り替え、今「できている」ことを認めていくか。

「問題児」というレッテルや、

10分前に椅子を投げようとしたとか、

勝手にトランシーバーを使おうとしたとかを引きずることなく。

「パレットきれいに洗ってくれて、助かったわ」

「机についた絵の具拭いてくれたのね、ありがとう」

そうこつこつと認めていく。

 

すると、子供達も落ち着いていきます。


 

以前紹介した(親子の成長を助けるエキスパート&メソッド

手に負えない問題行動にも効果があると世界的に認められているPCIT(Parent-Child Interaction Therapy)メソッドでも、

できてないことに、細々逐一関心を払うことなく、

「できていることをこまめに認めていく」は基本。

 

改めて、

教室でも、家庭でも、まさしく!と実感してます。

 


完璧な子育てなんてあり得ないのだから、ガラス細工ではなく粘土細工として子供に向き合う

2016年02月19日 | 子育て全般

子供達は最長で2年から数か月まで、

皆プレスクール時代ウォルドルフ学校(シュタイナー教育)にお世話になった。

私自身も高額な月謝を部分免除してもらうという条件をいただき、

教室でお手伝いをさせていただいた。

 

シュタイナー教育では、7歳までは夢の中」といって、

学齢期までは一切アカデミックを取り入れない。

シュタイナー教育に関わる人々の間では、

7歳までにアカデミックな知的面に力を注ぐことで、

その後の土台となる身体面や意志の力や情緒面が損なわれるといった

様々な「弊害」が取り上げられている。

「創造力や想像力が潰されてしまう」というものもあった。

 

ちなみにこれらの「弊害」は、

周りの大人が無理やり詰め込むという場合だけでなく、

子供本人が文字や数や科学的な知識に興味を持つ場合にも当てはめられ、

なるべく、そうした方面へは興味を深めないようにといった働きかけがされていた。

 

こうした教室の雰囲気に当時共感し感銘を受けつつも、

家に戻れば子供達、

絵本(シュタイナー教育では想像力を育むためストーリーテリングのみ)や

数式や百科事典や様々なパズルに夢中。

シュタイナー教育の信念を実践できない肩身の狭さや、

どうしてもフィットできないといった気持ちがあった。

 

 

 

10年以上ウォルドルフ学校でキンダーの先生をしている友人にも、

長男が学齢前の当時、「せっかく子供が持っている色々な能力が潰れちゃうよ」

そんな指摘をされたことを覚えている。

 

その後、我が家もその友人も様々な変化を通り、

我が家は五人とも小学校から公立のプログラムに通うことになり、

友人はシュタイナー教育を生かした独自のプレスクール経営を軌道に乗せている。

 

今は成人した友人の息子さん、高校生になった我が家の子供達に囲まれ、

その友人が、子供たちに長年関わる中で変化した気持ちとして、

こんなことを言っていたのを思い出すことがある。

 

「創造力などの子供の持つ力って、潰されなんてしないんだよね。

環境によって、隠れてしまうことはあるかもしれないけれど、

その子の中に、脈々とあり続けている。

そしていくつになっても、発揮することができる

 

私自身も、幼児時代アカデミックに興味津々で突き進む子を、

特にアラスカ時代たくさん見てきたけれど、

創造力溢れ健やかに育っている子もいっぱいいるということを実感している。

 

 

 

 

 

現代は、子供に関わるのが初めてという親も多い。

また世界も刻々と変化している。

この子にとって一体何が大切なのだろうと、試行錯誤で進んでいる方がほとんどだろう。

そんな中、

ああー、あれはまずかったー、なんてこと、何度も繰り返すもの。


そんな時、

多くの子供達との関わりを通し、友人のたどり着いた、

「能力は潰されなんてしない、隠れることはあっても、脈々とあり続けている」という言葉が、

力を与えてくれる。

 


子供も大人も、

ガラス細工のように、パリンと割れて取り返しのつかないものじゃない。

粘土細工のように、凹んでも戻り、むきむきと形を変えていけるもの。

 

そんなイメージを持って子供達に向き合う時、

子供自身も、ガラスから、弾力のある粘土へと変身していく。

 

 


追記:

・シュタイナー教育について、以前まとめた記事:http://kosodatekyua.com/2014/04/steiner/

プレスクール時代の先生に、多くを学びました。

短い間だったけれど、あの世界観に触れ子育てできたこと感謝しています。

 

・学齢期前のアカデミックについて私自身は、

アカデミック自体の導入を否定するよりも、

周りの大人がどう導くかが大切だと思っています。

子供の興味や好奇心に火をつけ、そこから広げていくようにする。

小さな子ほど、机上よりも、遊びや日常の文脈の中で学んでいく、など。