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マイコー雑記

行き来するもの書き留め場

「これら4つあれば子供は自ら学ぶ」とミトラ氏、「雲の学校」という試み

2016年02月06日 | 子育て全般

「自主学習環境(Self Organized Learning Environments :SOLEs)」に基づく学校の在り方について

研究実験を続ける教育科学者スガタ・ミトラ氏は、

子供が自ら学ぶためには、以下の4つがあればいいとする:

 

1.良質な情報

2.子供同士で話し合える環境

3.大きな質問 

4.「おばあちゃん的存在」

 

1.良質な情報

ミトラ氏は、インターネットの普及が、これからの学校の在り方を変える鍵だとする。いつでもどこでも「良質な情報」へアクセス可能になったのだから、と。

 

2.子供同士話し合える環境

子供同士で、分析し、試し、議論しと、わいわい話し合える環境。

 

3.大きな質問

例えばミトラ氏の「自主学習環境」に基づいて試みられている「雲の学校」のウェブサイトによると:

 

・どうして政党があるんだろう?

・古代文明やそれらの歴史を勉強することが今日私たちをどう助けてくれるんだろう?

・瞑想はよりよい人間になるのを助けてくれる? それとも単に違う名前をもった宗教なのかな?

・どうして遺伝子は重要なんだろう?一生を通して私たちの遺伝子が変わることはできるのかな?

・どうしてとても貧しい国ととてもお金持ちの国があるんだろう?

・世界宗教は人間社会がよくなるのを助けるのかな?

・私達は皆同じ学び方をするのかな?

 

などなど。おもしろーい。

 

4.「おばあちゃん的存在」

「うわあ、すごいわねえ。私があなた達の頃はこんなことなんてできやしなかったわよ!」など励ましたり、

「どうしてこんなことができちゃうのかしら?」「次はどうなるのお?」など素朴で「大きな質問」もする。

 

 

ミトラ氏は、2013年のTEDでこれらの実験研究についてスピーチし優勝。賞金の約一億円をこうした「自主学習環境」に基づいた「雲の学校」創設に投資。2014年から英国やインドなど世界のいくつかの地域で試みられている。

「雲の学校」は、コンピューター、インターネットアクセス、生徒何人かによってどこでも成り立つとのこと。教育者が、「大きな質問」を与え、生徒は小さなグループに分かれて答えを見出そうとする。授業中生徒はインターネットを用い、グループの子と話し合い、好きなように動き回って他のグループの子と情報交換してもいい。授業の終わりには、クラス全体に、見出した答えをシェアする。

 

通常の学級に、こうした「雲の学校式クラス」を挟み込むというのは、こちらの学校では結構始まっているのかなと感じている。

今私達家族の暮らしているこの州では、小学校五年生から一人一台ノートブックパソコンが支給され、授業の課題や宿題提出もほとんどオンライン。先生も、「質問する前に、まずは自分でグーグルしてみなさい」なんて言うことも。

 

プロジェクターでスライドを見せるだけの先生もいるぐらいだから、だったらもう本当、「良質な質問」と、自ら「良質な情報」を検索でき生徒同士議論できる環境、それと気持ちが励まされるような「おばあちゃん」、それが「学校」の基本的仕組みとする、でいいじゃないとも思ったりする。学校スタッフは、「良質な質問や情報」を制作吟味する存在として活躍する。「おばあちゃん的存在」は、近所のリタイヤされた方々にお願いする。

一気にみんながみんな「雲の学校」というより、通常の学級に「雲の学校時間」も少し設けるという形だったり、メインの学校に対し「雲の学校」という選択もある、となっていくのもいい。

 

現在の各地での試みが、未来へどう繋がっていくのか、楽しみ。

 

 

 

以前、ミトラ氏の研究実験についてまとめたもの:「未来の学校像、これからの学びのあり方」

「今の学校というのは、帝国主義時代の名残」という意見、なるほどなと思う。


ちきりん氏の記事に思う、「学校で無駄に過ごす」から「多様な選択肢のある」システムへ

2016年02月05日 | 子育て全般

ユア子育てスタジオの方に、記事アップ。

ちきりん氏の記事に思うこと、「学校で無駄に過ごす」から「多様な選択肢のある」システムへ

”ちきりん氏の言う「100人にひとりぐらい」の人材が伸びていくためにも、そして、そうした「ちょっと際立った能力」があるわけじゃなくても、学習障害など様々な特性を持った子も含め、一人一人が持てる力をより発揮していくために、「学ぶ時と場を柔軟に選べる教育システム」が目指されることを願っています。”

 
そのために、私なりに少しでもできることはないかと考えていきたい。



「パッションを育てる」という考え方に共感、積み重ねの奥底からじわじわと湧き上がるもの

2016年02月04日 | 子育て全般

「パッションを追え!(Follow your passion!)」という言葉がある。

 

スティーブス・ジョブスのあの有名な演説のフレーズ、

「You’ve got to find what you love, don’t settle.

(あなたが愛することを見つけなさい。安住するな。」も、

ソーシャルメディアなどで「パッションを追え!」と解釈され広まったという。

 

自らすることを愛し、

情熱をもって探求し続ける、

確かに、理想的だなあと思う。

 

少し前の記事に、

「パッションを向けるものがあること」の強み、能力を伸ばしていくということ について書いたのだけれど、

パッションがあるかないかで、

子供達が物事に取り組む様子も、随分と変わってくると実感している。

 

 

 

じゃあ、パッションって、一体なんなの?

 

私自身「しっくり」とくる説明に、

ジョージタウン大学のコンピューターサイエンス助教授カル・ニューポート氏のものがある。

 

ニューポート氏は、

「パッションとは、既に在り、それを発見する、といったものじゃなくて、育てていく(cultivate) もの」とする。

 

だから、

「パッションを追え」というよりも、

「パッションを育め」という方が適切でしょう、と。

 

 

 

確かに、

「追え!」というと、

既にあるものをあちらこちら追いかけ回るイメージだけれど、

「育め!」というと、

地に足をつけ、小さく見える芽から少しずつ少しずつ育てていくイメージになる。

 

何かに取り組む始めっから、

ぼーぼーとパッションが燃え上がるなんてことそうはないだろう。

また続けていれば、距離を置きたくなったり、止めてしまいたくなる時だってある。

 

そんな時、もし「パッションを追え!」だとするならば、

「炎が萎えてきちゃったから、また他を探そうかな」

となる。

 

氏は、

単なる「興奮状態」と「パッション」を混同してはいけない、とする。

興奮状態は、瞬間的で来ては去るもの。

 

 

 

パッションとは、育むもの。

そう考えると、

物事にじっくり取り組める。

積み重ねの奥底から、

じわじわと湧き上がるパッションに力をもらい、

再び一歩一歩踏み出していける。

 

 

 

この記事でカーポート氏、

「もし、迷い、自分が何にパッションを向けたらいいのか分からないという人がいたら、パッションを育むために、どんなことを勧めますか?」

と聞かれ、こう答えている:

「発見されるために待っているパッションなんてものはないんです。パッションとは育てるもの。あらゆる異なる分野で、育てていくことができます。だから、『私が何にパッションを持っているのか分からない』というのは、おかしなことなんです。『私はまだパッションを育んでない、小さくわずかなことにフォーカスしてみて、このパッションを育てるプロセスをスタートさせよう』と言うのが適切なんです」と。

 

 

 

 

 

子供のパッションについても、

この「パッションとは育てていくもの」というイメージを思い出していきたい。

 

こつこつと積み重ねていく。

ひとつひとつの小さな喜びを共に祝いつつ!

 

 

 

 

 



メモ:

 

ビジネス本や高校生や大学生向けの勉強の仕方などを扱ったベストセラー本の著者でもあるニューポート氏。先月、「Deep Work」という著書を出版した。

「常に気がそれやすい現代で、いかに『ディープワーク』を目指すか」についてまとめられている。

「ディープワーク」とは氏曰く、

「認知的に多くを要求されるタスクにおいて、気を散らすことなくフォーカスする能力のこと。複雑な情報を素早くマスターしより少ない時間でよりよい成果を可能にするスキル。ディープワークは、取り組むことについて上達させ、熟練からくる真の満足感を提供するだろう。大急ぎでぼんやりとしたe-mailやSNSに多くの時間を費やすことで、多くの人々は、こうした『深くある能力』を失ってしまった」とのこと。(http://calnewport.com/books/deep-work/より)

ちょっと本屋でのぞいてみようかなと思う。

 

 

他にもこんな研究! 

Tel Aviv 大学チームによると:

「パッションを持っている若者の方が、よりチャレンジに挑み、粘り強く、そのフィールドで仕事を得やすい。ティーンでパッションを持っている子の方が、その持てる才能に関わらず、後に成功しやすい。」とのこと。「持てる才能に関わらず」!


私自身が「こうありたいと思う人生」に必要なものとは?と考えてみた

2016年02月02日 | 子育て全般

私自身が「こうありたいと思う人生」に必要なものとは?と考えてみた。

 

1.創作:  人生のコア

2.成長: 力&スキルを磨き続ける。前に進み続ける。

3.貢献: 少しでも 役に立つ情報発信 

4.コミュニティー: 三人寄れば文殊の知恵、シナジー、共に創り出す人と人との繋がり

5.ファイナンス: パンのみによって生きるわけじゃないけど、パンがなければ生きられない。

1.2.3.4.をより可能にするためにも。

 

この1.2.3.4.5.の間で、互いに刺激をもたらしながら、進んでいきたい。

 

放課後スクールの方が落ち着いてきたので、少しずつ動き始めます。

まずは「ブログ&ウェブサイトの展開」や「事業」を煮詰めていく。


「多様な子育てが世界を豊かにする」という夢はそんな大それたことじゃない

2016年02月02日 | 子育て全般

二男三女(現在6歳から16歳)を育てつつ、子育てイベント担当や、幼児から大学生までを対象とした各種インストラクター&アシスタントを通し、子育てに関わること16年。

また子供時代は、祖母が園長を務め、母や親戚がスタッフとして働く0歳児から中学生までを対象にした保育園&学童保育で生まれ育った。

つくづく、子育てと縁の深い人生だなあと思う。

 

とはいえ、学部・大学院時代は、子育ての「子の字」も頭になかった。

文化人類学を専攻し、バックパックを背負い世界中を旅しつつ、世界各地の文化に触れ感銘を受け。

 

文化人類学の研究者になろう!と燃えていたあの頃。

今では五人の子に恵まれ、「子育て研究」に燃える日々。

 

 

 

そして、子育てに日々向き合いつつ、

文化人類学で学んだ「多様な文化が世界を豊かにする」イメージが、

私の子育て観の背景に、しっかりと根付いているのを感じている。

 

子育てでも、「メインストリーム」の周りに、幾筋もの「オールタナティブな道」が築かれ、

「多様な子育てが世界を豊かにする」となっていけば。

それが、私の夢。

 

 

 

大きく見える「目標」だけれど、身近にできることって、結構たくさんあるのだと思う。

 

ネット、街角の本屋、ママパパの集まり、子育て大先輩のアドバイスなど、

子育て情報溢れる中で、自らの感性を大切に、子育てを築いていくこと、

それも、多様さへと繋がる1つの歩みに他ならない。


朝日デジタルの記事に思う、多様な学習スタイルを選べる教育システムでは「不登校」なんて存在しない

2016年01月31日 | 子育て全般

昨日の朝日デジタル記事:

「新たに不登校になる小中学生が増えています。2014年度は6万5千人で、1日平均で180人。特に中学に入ると急増します。大人たちはどうすればいいのでしょう。」

 

年々新規の不登校児が増えているとのこと。特に中学で急増と。

そして、不登校児を何とか登校できるようにする取り組みが取り上げられている。

 

 

 

思うことざっとふたつ:

 

1.「学校に戻るため」に、本人や周りが頑張るよりも、

学校以外にその子が伸びていける場を充実させることに、

労力や時間やお金が費やせられていけばなあと。

 

学校へ行けないことで、

自分はだめだと落ち込み、

罪の意識にさいなまれるという女の子の事例が紹介されているけれど、

「私、

そっちの学校スタイル全然合わないから、

こっちのスタイルでいくわ。」

そうさくっと前向きに歩き出せる選択が当たり前になっていけば。

 

罪悪感を抱え何とかフィットしよう/させよう、とか、

心の傷が癒えるまでゆっくりと待ってやりましょう、というよりも、

合わないと感じる感性を大切に、

学校以外に学力や様々な能力をマイペースにどんどん伸ばせる場が充実していけば。 

 

ホームスクールや、

モンテッソーリ・シュタイナー・フリースクールなど、

多様な学習スタイルの選択肢がある教育システムには、

そもそも「不登校」なんて存在しないのだから。

「これは合わないから、あっちにしよう」だけのこと。

 

不登校児の急増は、

「みんな一斉に同じことをしましょう!」といったスタイルでは、

もう無理だという表れに過ぎないのではないか。

 

 

 

2.もうひとつ、

「頑張り過ぎたり、敏感な子が不登校になりやすい」とあるけれど、

認知行動療法に詳しい臨床心理士によるカウンセリングを受けられる環境があるといい。

心理的な「敏感さ」は、「曝露療法」などの認知行動療法やマインドフルネスを組み合わせることでかなり緩和する。

学力や能力を伸ばしつつ、より楽になれるライフスキルも身につけさせていくこと。

 

 

 

 

オーソドックスな学校に合わない感性を大切に、

さくっと前向きに学力や様々な能力を伸ばせる場、

心理カウンセリングを受けられる環境、

それらの充実を願う。

 

異国の地から日本を応援しつつ。


学ぶ場・時・スタイルをフレキシブルに選べる教育システムが「当たり前」になる日

2016年01月30日 | 子育て全般

長男を見ていて、

今回の出来事のひとつひとつをとってもそうなのだけれど、

高校ドロップアウトとか、落ちこぼれとか、もう本当に紙一重なのだと思う。

 

それがたまたま長男の場合は、

偏った特性を持ち、

マジョリティーの波の中でそれなりに困難を重ねてきた両親と話し合う機会があったり、

たまたま、

NPOやロボティックスやスポーツなどパッションを向けられる環境にあったりして、

今のところ、

「マジョリティーから認められるような道」を歩いているというだけのことであって。

 

実際、彼のお友達で、

「もうやめた」と「降りていった子」を、どれほど見てきただろう。

 

長男と接していると、

その後ろに、膨大に連なる群れを感じることがある。

なぜ「降りて行ってしまったのか」「降りて行かざるを得なかったのか」

私なりに痛いほど分かる。

 

それは、

「このシステムでできないなら、どんな環境でもできないよ」、とか、

「そんな弱弱しいことでは、何やってもだめだよ」、とか、

そんな言葉でくくられるよりも、

はるかに大きく深い問題を根に持っているのだと思う。

 

今の表舞台で一生懸命頑張れる人々、

その周りに、

「降りてしまった」子達が、

力を存分に発揮できる「オールタナティブな道筋」がいくつも築かれていけばなと思う。

 

今のシステムの中で「ちゃんとする」ためのメソッドは、

ちまたに溢れているわけだけれど。

 

働き方も多様化する中で、

今のマジョリティーの「学校」のようなシステムのみが有効なわけじゃないという認識が、

いつか「普通」になる日も来るのだろう。

あのアンカレッジの教育システムのように。

 

学ぶ場、時、スタイルをもっとフレキシブルに選べる教育システムが、

いつか「当たり前」になる日を願いつつ、

身近な周りから、できることをしていこう。


「パッションを向けるものがあること」の強み、能力を伸ばしていくということ

2016年01月28日 | 子育て全般

我が家や周りの子供達を見てきて、

「パッションを向けるものがあること」の強さを思う。

 


大きな変化の中で「パッションを持つものがある」ということ

 

先日「様々な国々を移動する職につく家族向けの子供のケア」をテーマにした政府主催のパネルディスカッションを録画したものを見る機会があったのだけれど、そこでも、「パッションを持つものがあることの強み」が取りあげられていた。

例えば、フルートを続けている子の場合、どこの国へ行っても、フルートを習ったり演奏したりとコミュニティーと繋がることができ、また環境ががらりと変わってしまっても、フルートを吹くという変わらぬ習慣により、情緒的にもより安定しやすいと。

 

今回の引っ越しでも、

長男16歳の「NPO活動」や次女12歳の「サッカー」など、

この「パッションを持つものがあることの強み」についてとても納得している。

 

 

 

日常生活で「パッションを持つものがある」ということ

 

そしてこうした「パッションを持つものがあるということ」とは、

たとえ海外移動や引っ越して新地に暮らすという状況になくても、

日常生活に次から次へと起こる変化の中で、

「エネルギーの源」や「安定する場」になってくれたりと、

「ひとつの軸」のような働きをしてくれるのだなあとも、

子供達を見て、日々感じている。

 

三女8歳と次男6歳は、まだまだ「これだ!」というわけではないけれど、

こちらに来てからの縁で「チェス」にはまっている。

私も二人と共に初めて習い、実はかなりはまっていて。

 

ここ数か月、三人とも、毎日「少なくとも」一度はチェス盤に向かっている状態。

ビギナーズでヨワヨワだけれど、これがもう毎日はっとさせられる学びに溢れていて!

何よりも、三人一緒にあーだこーだと作戦や戦略を学び試すのが楽しい。

(ちなみに、チェスマスターから薦めていただいたウェブサイト「chesskids.com」いいですよ。

ビデオなどで分かりやすく様々な手やコツを教えてくれます。)

 

 


で、長女はどうなんだろう?

 

長男、次女、三女、次男ときて、

そこで、長女14歳。

何だか、これといったものがなく。

 

長男のNPOに何度か参加したもののその後頑なに拒否、

サッカーも違うようで、

チェスもちょこちょこと誘うのだけれど、ときどき遊ぶ程度。

私達三人が戦略なんかを興奮して話す横で、シラー。

 

何となくしていたバレーボール部も、シーズンが終わり。

そんな中、やりたい!とパッションを持っていた彼女が目指す分野でのボランティアも、

あちらこちら問い合わせてきたのだけれど、通える範囲では、

15歳からしかポジションがないことが分かり。

ひとまずこの先一年は、無理。

 

 

 

長女の、あ、そうだ、これだった!

 

と、先日、大きな転機があった。

そうだった、ずっとこれがしたかったんじゃない、

そう本人も周りも、「あっ!」とクリックする瞬間というか。

 

私って/この子って、アクロバティックダンスが好きだった!

 

小さな頃少しバレーをして、小学校高学年にはアクロバティックなダンスにはまり、中学校では学校の部活で色々なスポーツを試す中で、ダンスも続けたいと何度か口にしていたのだけれど、時間的にも難しく遠ざかり。

そしてアラスカを離れる夏には、行く予定になっていた高校の「チアリーディング」のトレーニングに通っていた。私自身「チアリーディング」というものに無知で、これまで全くピンとこなかったのだけれど、最近長女といくつかの映像を見て、初めて、チアリーディングというのは「アクロバティックダンス」そのものなんだと分かった。ポンポン振って「チア」するだけなのだと思っていた。

ところがこちらに引っ越してくると、高校のチアリーディング部は、既に入部審査も終わり、夏の間に練習が始まっていた。人気のある部で、チームに入るにはかなりのスキルも要求され、遅れてきた初心者の彼女には、入部できる可能性なし。ということで、何となく以前もしたことのあるバレーボール部へ。そしてチアリーディングもバレーボール部もシーズンが終わり、今に至る。

 

 


したいしたい!という子もいれば、分かりにくい子もいる

 

そんな好きなら、なんで分からなくなっちゃうわけ? とも思うのだけれど、

子供によって気質もそれぞれなんだなとしみじみ思う。

長男や次女は、自分でどんどん調べてこれをしたいと「勝手に」決めて、こちらが「ちょっと待って!」と止めることも必要なぐらいなのだけれど、長女の場合、「長女気質」というか、まあ何となく、与えられた環境でそれなりにハッピー、足下の花をそれなりに嬉しそうに摘んでいるというか。

 

ところが、この「チアリーディング」という言葉が最近我が家で行き交うようになってから、長女の様子がみるみると変わった。学業も含め、様々なことに向き合うやる気や覇気のようなものが全く違う。

 

長女の出来事からも、「パッションを向けるものがあること」の強さを改めて実感している。

そして、その子その子に、表れ方は違っても、あ、この子はこれかな、と感じる瞬間があるのだなあと。

 

 


直接にはその大きさが見えないかもしれないけれど

 

長女の「ダンス」や「チアリーディング」のように親が関心なかったり、この子の将来にそれが何か役に立つのだろうかと考えたりすることもあるだろう。実際、中学時にダンスから遠ざかったのも、そうした私達親の意識も背景にあったなと思う。

それでも、子供たちの変化を見ていると、確かに「直接」には見えないかもしれないけれど、あらゆる面で、この「パッションを持って向かうもの」が大きな力となっていると感じている。パッションを持って向き合う中で、自発的に少しずつスキルを磨き成長していく体験の貴さ。

 

 

ということで、一緒に調べてみたら、車で5分も行ったところに、ジムナスティック/ダンス/チアリーディングを教えるジム発見! 長女自らコンタクトを取り、レッスン開始。ひとまず来年度新しい高校での入部審査通過を目指して、スキルを磨いていく予定。

「一つの軸」にしていけるといいね、表情の輝く長女を眺めつつ。

 

 

 

追記:

先日、「子供の才能をどう引き出し伸ばしたらいいでしょうか」という相談をいただいた。

私は、この「本人のパッション」が鍵だと思う。

その子を観察して、

「どうしたらこの子の内面に炎が燃え上がるだろう?」そう問い続けていると、

あ、これかな、という瞬間が見えてくる。

その内に湧き上がる炎に、薪をくべるサポートをしていく。

外から鋳型で囲うのではなく、内から外へと湧き出るものへ、フォーカス。