ダーリン三浦の愛の花園

音楽や映画など徒然なるままに書いてゆきます。

明日のためにその177-いそがしバンド

2015年10月02日 | お笑い
昭和期最後のコミック・バンド

時は1970年代末期、カルチャーが一気に変化した時期である。
喫茶店では「インヴェーダーゲーム」に興じる人々が増え、ゲームセンターもこの頃からしだいに開店する。
若者のファッションも、ネクタイは1960年代のような細いものが流行り、ツートーンと言った白黒柄のシャツなども流行っていた。
お笑い界は「第三次漫才ブーム」が訪れ「ツービート」や「B&B」など今までの漫才とは、形式もスピード感も違うものが流行りだす。
この頃である、私を感動させたコミック・バンドが出現する。
それが今回紹介する「いそがしバンド(ビジー・フォー)」である。
私の記憶では、テレビ番組の「みごろたべごろ笑い頃」で彼らを見たのが初めてである。
そのときの感動は、今でも忘れない。この時代に「定番」とも言える、お笑いを持った、コミック・バンドが存在していたとは夢にも思わなかった。
彼らの略歴を紹介しよう。

バンドの結成は1976年。
メンバーはグッチ裕三(ヴォーカル)、モト冬樹(ギター)、いたっけ島田(ベース)、ウガンダ・トラ(ドラムス)の4人。各メンバーは「ビジー・フォー」結成前に、コミック色の無い実力派バンドに在籍していた。
そして、上記のとおり1976年それぞれのメンバーが出会い、バンドを結成。当初は「ビジー・フォー」ではなく「いそがしバンド」と名乗っていた。
そして事務所に属さないまま、東京のクラブで演奏を続けた。
やがて口コミで彼らの噂は広がる。その玄人好みの演奏、ステージングにより、業界人が彼らのライヴへ殺到する。
その後、彼らは「ナベプロ」こと「渡辺プロダクション」と契約を結び、テレビへと進出する。
その頃からバンド名を「ビジー・フォー」と改名する。
テレビでも、人気を博した彼等だったが、同時にストレスも溜まっていたらしい。
そして1984年バンドは解散、各自それぞれの道を歩むこととなる。

以上が「ビジー・フォー」の略歴である。
バンドのその後について、一番知名度があったのは「グッチ裕三」と「モト冬樹」だろう。
彼らはよくコンビを組み、ものまね番組に出演して人気を博した。
しかし、私にとってそれは「ビジー・フォー」にとって代われるような、良質なお笑いではなかった。
テレビ番組で見た「ビジー・フォー」の素晴らしさは、筆舌に尽くしがたい。
あれほど、定番の「コミック・バンド」のシークエンスを踏襲し、なおかつ古さを感じないネタ。本人達は、かなり悩んで考えていたのだろう。
彼等以後、日本の定番コミック・バンドは未だかって登場していない。
表舞台に出てからの、活動期間が短かったゆえ、今でも、もっと彼らを見たいと言う衝動にかられる。
今後も、彼等のようなバンドが出現することは望むべくもないが。
下に、彼らのテレビ出演時の映像を貼った。
是非、その面白さを堪能していただきたい。

ビジーフォー SOUL MUSIC MEDLAY 初期1981

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