ダーリン三浦の愛の花園

音楽や映画など徒然なるままに書いてゆきます。

明日のためにその487-ワールドミュージックの現状

2020年10月21日 | ワールドミュージック
欧米化が進む現状。

私が「ワールドミュージック」聴き始めて久しいが、最近思うアジアの音楽動向について書きたいと思う。
私は特にアジア圏のポピュラー音楽を最近よく聴くが、思うに上手く伝統的な音楽を継承している国と、そうで無い国があると思しい。
例えば、タイやインドネシアは、ルークトゥンやダンドゥットと言った、今世紀半ばに形成された音楽を、しっかり継承している国がある。
しかし、我が国日本や、韓国等はそれがなされていない。
もっとも、日本は伝統音楽がほぼ無かったに等しいと同時に、250年に至る「鎖国」で文化の海外交流は無かった。しかも、ポピュラー音楽の発祥と言えるインドネシアのクロンチョンが誕生した時を始まりとすると、200年は音楽の発展が遅れている事になる。
韓国も、軍事独裁政権の解放から、40年程度しか経っていないので、その間に、自国独自の音楽を作る時間が無かった。
故にどうしてもアメリカをはじめとする、ポピュラー音楽の模倣をするしかなかったのだ。
同じ事がベトナムやミヤンマーにも言える。
両国とも、戦争や、政情不安が社会を抑え、自由な文化の開放が無かったから、上記のような「ポピュラー音楽のステレオタイプ」を踏襲するしかなかった。
私は以前、アンドロイドのアプリで、ベトナムの音楽を聴いていたが、その内容が、あまりにもアメリカ寄りなのに驚き、落胆した。殆どの音楽はユーロビート系のリズムになっていたのだ。
そこで、私は目を移し、ミヤンマーの音楽を聴いてみた。
こちらもベトナムと全く同じ状況、伝統音楽の継承はなされていない。

一番濃く歴史の色を聴かせてくれると思っていた、ベトナムやミヤンマーの音楽がこの有様では、ワールドミュージック事情も面白みが無くなるというものだ。
これらと同じことは、マレーシアのポピュラー音楽でも言える。
しかし最近、ユーチューブで見つけた、ベトナム音楽の中に、伝統的旋律を盛り込んだものを見つけた。
この流れが、今後も続けば良いのだが.....
まだまだ、アジア圏のポピュラー音楽の総論を語れる立場ではないので、今回は軽くではあるが、最近思うことを書いてみた。
最後に、ベトナムとミヤンマーのポピュラー音楽のリンクを貼った。
皆様も是非お聴きになっていただきたい。
上がベトナムしたが、ミヤンマーである。

365DABAND - BỐNG BỐNG BANG BANG [OFFICIAL] (TẤM CÁM: CHUYỆN CHƯA KỂ OST)


Myanmar Music Video: Chit Kwint Ya Chin Be By Kaung Myat


明日のためにその357-ユーロビジョン

2019年07月15日 | ワールドミュージック
大衆音楽の祭典

昔日本では、ヤマハが主催していた「世界歌謡祭」とTBSが主催していた「東京音楽祭」と言う、全世界対象の大衆音楽の祭典が開催されていた。
世界歌謡祭では、第1回グランプリを受賞した、男女デュオ「ヘドバとダビデ」の「ナオミの夢」と言う楽曲が、日本でも大ヒットした。
しかし残念ながら、両音楽祭とも、10年程度でその幕を下ろし、今は日本で、世界の大衆音楽を聴く絶好の機会は無くなった。
私も子供のころ、両音楽祭のライブをテレビで見て、世界の大衆音楽の素晴らしさを知ったものである。
しかし、ヨーロッパにはまだこのような「世界大衆音楽の祭典」が開催されている。
それは「ユーロビジョン」と呼ばれ、1956年から今でも続く、半世紀以上の歴史を持つ大会だ。
大会に参加できる国は、欧州放送連合に加盟している国に限られ、毎年40ヵ国程度が参加している。
大会はコンペティション形式になっており、予選、準決勝、決勝を経て、最も優秀な楽曲「グランプリ」が与えられる。
参加国は「イギリス」のような大衆音楽大国から小国「アンドラ」まで様々である。しかし皆様も興味が沸かないだろうか、アンドラの音楽とはどのようなものかと。
このようなところが「世界の大衆音楽祭典」の醍醐味ではないだろうか。
私が渇望するのは、この「ユーロビジョン」が「アジアの大衆音楽」を取り込み、本当の意味の「世界大衆音楽祭」を開催することだ。
また、ユーロビジョンでは、どうも英語の歌が多いように感じるが、自国の言葉で、自国に伝えられてきた大衆音楽を披露することが望ましいと思う。
「世界の大衆音楽」。今は「ワールドミュージック」としてジャンルを確立している。このジャンルはもう30年以上の歴史を持つ。
そろそろ一か所に世界の大衆音楽を集め、コンペティションを開催しても良い頃だろうと私は思う。
今年のユーロビジョン2019は、既に開催された。
下にその動画を貼った、是非皆様にに見ていただき、世界の大衆音楽の素晴らしさを感じていただきたい。
なお、この動画はこのページでは再生できない、YouTubeで見るをクリックして見ていただきたい。

Eurovision Song Contest 2019 - Grand Final - Live Stream




明日のためにその329-カンボジアのポピュラー音楽

2018年10月20日 | ワールドミュージック
その濃厚でコクのある素晴らしさ。

私がワールドミュージックを聴き始めて、かなりの年月が経過した。
今まで様々な国の音楽を聴いてきた。
そこには、素晴らしい出会いばかりで、私の人生を豊にしてくれたことにはとても感謝している。
最近は、東南アジアのポピュラー音楽を中心に聴いている。このブログを読んでいらっしゃる方には周知の事実であるが。
そこで本日は、皆様に是非聴いていただきたい音楽があり、筆を執ったしだいである。
それは「カンボジアのポピュラー音楽」である。
最近偶然見つけた「インターネットラジオ」で、60年代~80年代とおぼしきカンボジアのポピュラー音楽を、ナレーションなしで放送するという非常に珍しい局である。
このサイトを見つけたときは、あまりの嬉しさに心躍った。
ここで流れる曲の全ては、非常に深く、コクのある素晴らしいものである。
日本の古い歌謡曲に影響を受けたのだろうか、何かなつかしい耳触りのメロディばかりである。
最近は、必ず一日に一回はこの局を聴いている。
そのラジオ局の名前は「Radio Samleng Khemara」
どのように読むのかは、恥ずかしながら私には分からない。
百聞は一見いや一聴にしかず。下にリンクを貼った。
皆様も是非、深く、コクのある「カンボジアポピュラー(歌謡と言うべきか)」を味わってほしい。

Radio Samleng Khemara

明日のためにその278-Clinah

2017年11月28日 | ワールドミュージック
以前このブログで韓国の「aida」と言う女性バンドを紹介した。
その時、このバンドがメインストリームに乗れなかったのは、K-POPに対する警鐘だとも書いた。
最近は、K-POPを聴いていないが、彼女達と肩を並べられるようなアーティストは出現したのだろうか。
そんな折、インターネットである事を検索していたら「aida」にも引けを取らない女性バンドの記事を見つけた。
そのバンド名は「Clinah(クルリナ)」である。
メンバーを紹介しておこう。

ハンユナ (ボーカル)
リカ (ギター)
マルジャ (ギター)
イ・ソウン (ドラム)

以上である。このバンドは2011年結成と言うから、もう過去のバンドなのだろう。
インターネットで検索しても、彼女等を紹介、また現在の状況を知らせる情報は得られなかった。
しかし、彼女等のデビューアルバムは、なんとか入手した。
10曲入りのミニアルバムで、5曲歌入りで収録されていて、残りの5曲は同曲のインスト(カラオケにしか聴こえないが)になっている。
全体の曲調はアップテンポの、ポップな感あふれるものが多い。
ただ、前述した「aida」と比較するとどうか。正直比較の対象にならない。センスが違いすぎるのだ。
デビューして、六年が経過した今「Clinah」も、K-POPのあだ花となり、散ってしまったのだろう。
アメリカのポピュラー音楽(特にブラックカルチャー)に、それに対抗できるものは出現するのだろうか。
1960年代、リバプールサウンドの時代。1970年代、アートロックの時代。1980年代、パンク&ニューウエイヴの時代。
10年単位で革命を起こしてきた世界の音楽界、1990年代から20年以上経過した今、新しい音は流れ出してこない。
いったい世界のポピュラー音楽はどこを目指しているのか。

下に「Clinah」のアルバムの中でも、最もポップな楽曲を貼った。
今では使われなくなった、二拍三連を多用したスピード感ある楽曲だ。


明日のためにその273-ポーイーセン

2017年11月23日 | ワールドミュージック
最近私は、ワールドミュージックと言う森を、いっそう加熱しながら彷徨っている。
しかし、それは楽しくてしようがないのである。
草木を掻き分け進んでゆくと、意外な国の意外な音楽に出会える。なかなか森から抜け出せない。
多分、一生抜け出せない、いや、抜け出す気がないと言うべきか。
もともと「大衆音楽(以下ポピュラー音楽)とは、様々な国の音楽がフュージョンされて形成されたものだ。
けっしてその国独自の音楽のことではない。それは「民族音楽」になってしまう。
諸説では、十六世紀に生まれた、インドネシアの「クロンチョン」が世界最古のポピュラー音楽と言われている。
本日紹介するCDは「ミヤンマー」の歌手の物である。
ミヤンマーは、最近民主化が進んでいるようだが、まだ閉鎖された国としての印象が深い。
さて、ミヤンマーのポピュラー音楽はどのようなものであろう。
私は以前、ある媒体を通して、ミヤンマーのポピュラー音楽を聴いたことがあるが、あまり印象にない。
今回入手したCDの歌手名は「ポーイーセン」女性歌手である。
CDを聴いた印象は、旋律は少しウエットで、そこにハイトーンのヴォーカルが絡んでゆく。
旋律は、ベトナムの音楽に近いと思った。
しかしこの歌手、只者ではない。歌がとてもうまい。
このような歌手が「ワールドミュージック」の世界には、枚挙にいとまが無いほど存在する。彼女もその一人である。
CD全体の印象は、とても心地よく、精神をリラックスできる仕上がりだ。
やはり「ワールドミュージック」の森を彷徨うのは楽しい。次はどんな音楽に出会えるか楽しみである。
今回のCDは、以前このブログで紹介した、コタサンズさんから購入した。
現在は売り切れになっているが、もし興味を持たれたかたは、お問合せいただきたい。

コタサウンズ

明日のためにその252-世界のロック・ポップス事情。

2017年02月14日 | ワールドミュージック
私がワールドミュージックフリークであることは、このブログをお読みになっている方々には既にご存知だろう。
私は様々な国の音楽を聴く。もう二十年以上ワールドミュージックしか聴いていない。
理由は簡単だ。欧米、日本のポピュラー音楽(ロックも含む)に飽きてしまったからだ。
特に日本は酷く、二十年以上前から、インディーズバンドの「青田刈り」が始まり、アーティストも楽曲も「使い捨て」が当たり前になってきたことが、この大衆音楽文化衰退の起因とおぼしい。
そんな時出会った、ワールドミュージックは新鮮だった。
私は最初、中東のアラビック的な音楽に魅了されて、LPやCDを収集した。
それからは中東アジア、南アジア、ロシア、東欧等様々な音楽を聴いた。
特に最近のお気に入りは「インドネシア」「タイ」「ヴェトナム」だ。
インドネシアには、世界最古の大衆音楽である「クロンチョン」と言うジャンルがある。他にはスンダ地方が発祥の「ポップスンダ」やロマ・イラマが1970年代創造した「ダンドゥイット」等がある。
タイでは「ルークントン」や「ムーラユ」等、日本で言えば、昭和歌謡的な位置にあるジャンルがある。
ヴェトナムは勉強不足が露呈してしまうが、これといったジャンルを私は知らない、しかし、古くからの民族楽器を使った、大衆音楽が存在していることは知っている。
さて、今回のブログの本題であるが「世界のロック・ポップス事情」としたのだが(ポップスとは大衆音楽と解釈していただきたい)、この二つの音楽ジャンルの存在が、現状非常に私は気になっている。
前述したとおり、各国にはそれぞれの民族性を生かした「大衆音楽」が存在している。
それは、私がとても好きな音楽である。
しかし、ロック・ポップスとなると各国、とたんにつまらなくなる。
若干話が逸れるが、例えば日本の場合、二十年以上前には「歌謡曲」と言うジャンルが確立されていて、プロとして勉強をしてきた「作詞家」「作曲家」が存在し、楽曲を制作していた。
今聴いても、歌謡曲の中には十分資質の高い楽曲が多くある。
一例を出せば「フィンガーファイブ」と言うファミリーグループが1970年代に存在した(読者の皆様も覚えていらっしゃる方もいると思うが)。
彼らの代表曲で「個人授業」と言う楽曲があるが、今改めて聴くと、その楽曲の完成度には驚かされる。
曲の部分だけで言えば、当時流行していたヘビーロックとエレクトリックブギーを混在させ、見事に昇華させている。ブルー・チェアーとTレックスのフュージョンである。
これは、プロの作詞家・作曲家だから完成できた楽曲である。アマチュアには制作は無理な楽曲だ。
現在日本には「J-POP」「演歌」しか大まかに言って音楽ジャンルは存在しない。
「歌謡曲」歴史の彼方に置き去りにされたままだ。
話を本題に戻そう。
前述で今回のブログの本題について、少しだけ触れたが、ロック・ポップスにの楽曲制作に関して言えば、飛び抜けてタレントを要している国はほぼない。
なぜそれがいえるかと言うと、現在は「日本」「インドネシア」「タイ」「ヴェトナム」について、かなりの曲数を聴いている私だが、このジャンルの楽曲については、歌詞がそれぞれの母国語になっているだけで、音楽的には各国の特徴が全くなくなる。
つまり欧米の「まね」音楽になっているのだ。
ジャンルに外堀を作られ、その中でしか行動できていないのでこのような結果になる。
ポップス(大衆音楽)でも同じことが言える、マジョリティは自然とつまらないルールを作ってしまった。
しかし、若干だが光明も見られる。前述したインドネシアのダンドゥイット等は、何年も前から「ダンドゥイットレゲエ」や「ダンドゥイットディスコ」など、新しいジャンルが出来ているからだ。
この様に、国内から、様々な音楽がフュージョンし、新しい音楽を作ってくれると俄然ポップスは面白くなる。
日本においては、なかなか「新しいポップス」ができる可能性は少ないと思うが......
中田ヤスタカ等の、ニューカマーがもっとその資質を発揮してくれると面白いと思う。

最後に、やっとユーチューブで探し出せたタイのルークントンの名曲を下に貼った。
残念ながらタイ語なので歌手名、曲名とも分からない、その点についてお詫びする。

皆様、楽しんで聴いていただきたい。


明日のためにその243-ワールドミュージックフアンにお勧めの店

2016年07月05日 | ワールドミュージック
欲しい一品が見つかる店。

私は「ワールドミュージック」が好きだ。
このブログの読者である方は、十分ご承知のことだろう。
しかし、私の購買欲をそそるような店は、実はなかなかない。
有名な大手CDショップで、ワールドミュージックを扱っているところもあるが、欲しい一品はなかなか見つからない。
特に最近食指をそそられている「ダンドゥイット」や「タイポップス」などは、扱っている店(オンラインショップ)は数少ない。
しかし、最近良い店を見つけた。
失礼ながら、店の規模は小さいが、品物は豊富で、いつもHPのカタログを見ては、私はにやけている。
その店の名前は「コタサウンズ」アジア系の音楽に実に詳しい。
特に前述した、ダンドゥイットやタイポップスでは、多分この店でしか入手できないものが殆どで、その種類も多い。
私は結構この店のHPに通い、何ヶ月に一回は買い物をしている。
以前このブログで紹介したタイの女性アイドル「セーン・マオ」もこの店で入手したものだ。
店主は扱っている商品に詳しく、必ず商品ごとに詳しい説明が掲載されている。それを読むとついつい買ってしまうのだ。
しかし今まで商品説明を見て買ったもので、はずれはない。
実に的確に商品の説明をしている。
「ワールドミュージック」が好きな方は、是非訪れていただきたい店である。
きっとお気に召した一品が見つかるに違いない。
百聞は一見にしかず。したに店主の了解を得てリンクを貼ったので、是非一度訪れていただきたい。

コタサウンズ

明日のためにその223-セーン・マオ(タイの60年代女性アイドル)

2016年03月12日 | ワールドミュージック
恐るべし1960年代のタイのアイドル歌手。

以前このブログに投稿したように、最近「タイ・ポップス」に食指が伸びている。
そして、先日遂にタイのCDを購入した。
色々あるタイのポップスCDの中で、一番危険度のある「60年代アイドル復刻盤」を購入した。
歌手の名前は「セーン・マオ」性別は女性。彼女についての詳細は判らない。しかし、販売店のCD紹介レビューとジャケットが決めてとなって、CD購入に至った。
以下、このCDを聴いた私なりのレビューを綴る。

一曲目は、タイの民族音楽でも聴いているような、ドメスティックなポップス。
二曲目は、ブルース。どう聴いてもブルースとはグルーヴが違うのだが、間奏でブロウするサキソホンの熱いうねりが「ブルースなんだ」と主張している。
三曲目は、60年代のゴーゴーサウンド。これもちょっとグルーヴが違うのだが、そこが面白い。
以下、全十八曲あり、上記のようなサウンドを含め、60年代のガレージ風、ドドンパ風、日本の「おてもやん」風とヴァラエティに富んでいる。
中でも、ロイ・オービソン風の曲があるのだが、これはイントロの部分だけ、ロイ・オービソンの「プリティ・ウーマン」と言う曲をそのまま使っている。明らかにイントロ部分は盗作なのだ。
しかし、メロディが出てきて驚く。そのイントロからは想像できないメロディなのだ。
これには思わず「参った」と心の中で呟いた。
歌手としての力量はある方で、様々な曲調を張りのある声で聴かせる。
しかし、高音が強すぎて、その声は耳から脳に抜け、慣れないと不快感を持つかもしれない。
CDの後半は、タイでその当時流行っていたであろう、日本で言う「歌謡曲」タイプの楽曲が続く。
これが良い。当時のタイ歌謡の雰囲気を味わえる楽曲ばかりだ。その楽曲のアンサンブルには、タイで使われている民族楽器も多数参加しているとおぼしい。
全十八曲、時間にして約五十分の長丁場を私は聴きとおした。かなりストレンジな世界であったが、とにかく聴きとうせたのだ。
私の体に、妙な脱力感と満足感が同居した。
しかし、私の集めてきたアジアンポップスのアルバムの中では「白眉」に限りなく近い物であった。
おそらく、今流行のポップスやロックを愛聴している方には、絶対にお勧めできない。
多分CD全般も聴きとおせないだろう。
それほど「ディープ」で「ストレンジ」な世界なのだ。
益々、タイのポップスに興味がわいてきた。
全くなんと、アジアのポピュラー音楽は楽しく、私を喜ばしてくれるのだろうか。
私のCDコレクションに、また「お宝」が加わった。そう思いほくそ笑む私をもう一人の私が愛でている気がした。


明日のためにその220-タイ・ポップス2

2016年03月05日 | ワールドミュージック
前回の投稿後、ユーチューブで「タイ・ポップス」をかなり探した。
しかし、私の思うタイ・ポップスの動画は無く、諦めていた。
だが、更にユーチューブで探したことにより、ようやくタイ・ポップスのフレーバーが感じられる動画を見つけた。個人的にはもっとディープなタイ・ポップスが感じられる動画が欲しかったが、とりあえずこの動画を紹介しておく。
下の動画がそうだ。
是非、この動画を見て、タイ・ポップスの良さを体験していただきたい。


明日のためにその219-タイ・ポップス

2016年03月04日 | ワールドミュージック
聴くのが楽しいタイのポップス

「微笑みの国」
タイ国の呼称としては、有名な言葉だ。
タイと日本の時差は二時間、比較的近い国なのだ。
以前から、このブログに投稿しているとおり、私は「ワールドミュージック」の特にアジアの音楽を好んで聴く。
最近は、インドネシアの「ダンドゥイット」を熱心に聴いているが、他の音楽も機会があるごとに聴くようにしている。
その中で、最近食指のある音楽は「タイのポップス」である。
タイのポップスは、ゆるやかなグルーヴが良い。独特の感覚がある。微笑みの国の所以だろうか。
ジャンルも広く、アイドル系、ダンス系、面白系と様々だ。
楽器構成も、ラナート・エーク(マリンバ)、ケーン(縦笛、雅楽に使われる笙に似ている)、ラム・マナー(太鼓)等、タイ独特の楽器を取り入れた楽曲が多い。
このようなアンサンブルなので、独特のグルーヴを得ているのではないかと思う。
しかし、タイのポップスだけではなく、アジア系の音楽を聴ける媒体は殆ど無い。
唯一、以前このブログでも紹介した、有料音楽サービス「KK BOX」がアジアの音楽を聴ける場所だろう。
この「KK BOX」では、タイのポップスは勿論のこと、アジアの音楽を結構幅広く聴くことができる。
しかし、この「KK BOX」も完全ではない。
「KK BOX」日本の範囲では、やはり聴ける幅が狭まってくる。
「あの歌手の歌」と思い、検索しても、見つからないことが多々ある。「KK BOX」が国の垣根を取り払い、全世界共通でサービスを行なえば、その問題もなくなるのだが、著作権関係でそうもいかないらしい。
私がある所から入手したタイのポップスを、最近はよく聴いている。
前述した「独特のグルーヴ」が結構癖になる。
本来は、その映像を公開したいのだが、これも著作権関係でお見せすることは、残念ながらできない。
もし、タイのポップスに興味を持たれたら、とりあえず「KK BOX」の「お試し」会員になってはいかがだろうか。現在、一ヶ月無料のお試し期間となっている。
前述のとおり、様々なアジア圏のポップスを聴く事ができる。
以前「グラミー賞」の投稿で「欧米のポップスの動向に食指が」と書いたが、やはり私は、アジアのポップスの方が好きなようだ。
今回このブログを投稿するにあたって、ユーチューブで色々なタイのポップスを聴いたが、私の望んでいるような物はなかった。
よって、今回動画をご覧いただけないことをお詫びしたい。
タイの国柄の出ているポップスは、結構癖になるのでご注意を。