ダーリン三浦の愛の花園

音楽や映画など徒然なるままに書いてゆきます。

明日のためにその472-技術進歩の陰

2020年07月28日 | 日記
発展する技術の陰で消えていくもの。

巷では、携帯の電波容量が増えた「4G」「5G」が話題となっている。
これによって、携帯の通信速度は飛躍的にあがり、その恩恵を受けている人たちは多い。
しかしこのことは、全ての人たちにとって喜ぶ事ではないのである。
それはこの規格の通信が、一部の趣味を持っている人の「妨害」になっているからである。
4G,5Gの利用している通信周波数帯は、3.4GHz~4.6GHz。
実はこの周波数帯は「Cバンド」と呼ばれ、放送衛星の受信周波数帯と同じなのだ。
これで何が問題かと言うと、当然同じ周波数帯を使っているので、衛星からの電波にそれが干渉し、混信を招く。
地上3万6000キロメートルの上空に、放送衛星は地球の自転に合わせ動いている、地上から見ると同じ位置に停止して見ることができる。
そう、放送衛星の電波は遥か上空から到達し、携帯の電波は地上波として到達している。
一見、問題が無いように見える(衛星波の到達角度と地上波の到達角度)のだが、あまりにも携帯の電波が強すぎる所では、直接衛星の電波を受信するパラボラアンテナの受信部に、携帯の電波が飛び込んでくるのだ。
以前このブログでも取り上げたが、世間には「TVRO(テレビジョン・レシーブ・オンリー)」と言う趣味を持った方が沢山おられる。
私も引っ越す以前は、大きな口径のパラボラアンテナを設置し、TVROに勤しんできた一人なのである。
この趣味は、主に世界中の国が所有している放送衛星の電波を受信し、各国のテレビ番組を楽しむ事を目的としている。
思い出すに4年程前のことだったか、突然今まで見えていた海外のテレビが見えなくなってしまった。
最初は機器の故障かと思ったのだが、以前何かの記事で見た「携帯の4G化」の事を思い出した。
ネットで色々検索したところ「4G開始に伴う海外衛星放送の混信について」と言う携帯会社の相談窓口を見つけた。
早速私はそこへ連絡し、状況等を伝えたところ、果たしてその原因は4Gの混信であると判明した。
しかしその窓口へいくらクレームを申し出ても、お客様の実費・責任で混信を排除して欲しいの一点張り。全くお話にならない。
この妨害波を避ける方法はいくつかある、アンテナを低い位置に設置するとか、1個数万円以上するフィルターを付けるとか。
私は海外で販売されていた、混信除去フィルター内蔵の受信部を買ったが、3.4GHz~4.2GHzまである放送衛星の3.6GHz以降しか受信できない物だったが、しぶしぶそれで我慢した。(これを使わないと携帯の電波が強すぎてCバンド帯が全滅してしまうのだ)

私以外の人で、TVROを趣味としている人たちにも差ができてしまった。
携帯の基地局、経由局から遠いロケーションに住む趣味人は、いままでどおりその恩恵を享受でき、不運にも局に近いロケーションに住む趣味人は、パラボラアンテナを下ろすことになった。
このTVROと言う趣味が、市民権を得ていないため、少数派の趣味のため、その趣味をあきらめざるを得なかった人たちは、本当に気の毒である。
同じような趣味で「BCL(ブロードキャスティング・リスナー)」と言う趣味があり、1970年代後半から1980年代初頭にかけて大ブームとなった。
このブログをご拝読いただいている方の中には、BCL専用機として発売された、ソニーの「スカイセンサーシリーズ」やナショナルの「クーガーシリーズ」などお持ちになっていた方もいるのではないだろうか。
このBCLと言う趣味も一時は存亡の危機があった。
それはインターネットが普及後、新しい通信方法として、家庭内の電線を使い、コンセント経由でネットを利用しようとした「PLC」技術が開発された時だ。
この通信方法を使うと、電柱を介して貼ってある電線から、短波帯のノイズが出ることが知られており、これが問題になった。
BCLとはこの短波帯を利用した、海外からの放送を受信する趣味なので、この技術が普及すると事実上BCLは行えなくなる。
しかし幸いにも、PLCは普及せず、BCLは今も続けられる趣味となっている。

もともとBCL自体が、既に100年近くの歴史があり、ある意味で市民権を得ているから存続できたのではないかと私は思っている。
しかし、TVROは僅か40年程の歴史しかなく、設備に費用もかかるので、市民権を得ることができなかった。
このTVROとBCL共に今となっては、かなりマイナーな趣味となっている。
しかしいくらマイナーな趣味であっても、技術進歩の影響で、でその趣味を止めさせる状況を、作っててしまってもいいものだろうか。
今はやりのメディアが、いくら便利になっても、その陰で消え去るべくものがでてくる、本当の平等は何処に存在するのであろう。


明日のためにその468-無くしてしまった趣味

2020年07月20日 | 日記
止められぬと思った趣味。

人はそれぞれ趣味を持っている。
無趣味と言う方もいるから、必ずではないが。
私も結構多趣味で、色々楽しんでいる。
その中で、最近止めててしまった趣味がある。
それは「パチンコ」である。
高校時代(違反であるが)から、様々なパチンコ台を打ち、様々な景品等を獲得してきた。
しかしトータルで言えば、負け戦である。ギャンブルで勝ち続けることはできない。
それを分かっていても、何故か続けるパチンコには何か言い知れぬ悪魔的魅力があった。
一度パチンコ店を訪れれば、勝つまで黙々とお金をつぎ込みはじめる。
資金が無くなれば、近くの銀行に行って、お金をおろす。
また負ける、また銀行へ行く。これを繰り返し、一日に何万とパチンコにつぎ込む。
調子の良い時は、何十連荘と勝ちが続き、一日に何万も儲けることができる。
この繰り返しが楽しくて、暇なときは一日中パチンコ店に居たりした。
しかし、人間の心理とは不思議なものである。あれほど好きだったパチンコを止めることになるとは。

ことのきっかけは、「1円パチンコ」にあった。
昔から1円パチンコは、あまり打ったことが無かったが、経済的に、4円パチンコを打てない時期があった。
その時期に私は、1円パチンコに手を染めた。
最初は、投資単価も安く、結構長く遊べるので、重宝していたのだが、ある日ふと思った「いくら遊んでもリターンが少ない。
そう思い始めると、いくら当たりに巡り合っても、その感動の度合いが徐々に低くなってくる。
その感情は、たまに4円パチンコを打った時も変わらず、当たってもあまり嬉しくない。
この感情に支配されてから、パチンコ自体に興味が無くなり、店からも足が遠のいた。
やがてパチンコへの情熱は薄れ、果たして打つ気も消えて無くなってしまった。
これは果たして、自分にとって良いことなのだろうか。ある意味一つの「欲望」が無くなってしまったと言えるからだ。
人間は何かしらの「欲」を持っていなければならない、とは私自身の人生観にある。
それは他人から、もしくは常識から敬遠されるものでも無ければいけないと私は思う。
欲望=生きる糧と思っている。パチンコとてしたりだ。

今はパチンコ店の前を通っても、YouTubeでパチンコの動画を見ても、全く食指が動かない。
私にとって、パチンコは全くの「無」なってしまった。
かっては、自身パチンコ依存症ではないかと思っていたこともある。
しかし、なんと言うことのないきっかけで、それは無くすこともできるのである。
かって「時間」と「お金」を私から奪っていた「パチンコ」は、既に今はもう私の前から消え去った。
しかし、何か喪失感を感じる自分もそこにいるのである。

明日のためにその410-TVRO

2019年11月28日 | 日記
心から愛した趣味。

皆さんは「TVRO」と言う趣味をご存じだろうか。
これは「テレビジョンレシーブオンリー(ただテレビを見る人)」の頭文字をとったものである。
事の始まりは、1980年、西側諸国がボイコットした、モスクワオリンピックを、アメリカでどのようにしたら見られるかと言うところにあった。
その結果、通信衛星を傍受すれば良いと言うことになり、アメリカの家々では、裏庭に大きなパラボラアンテナをたて、衛星の傍受が始まったと言う。
これが「TVRO」の始まりと言われている。
この趣味はその後市民権を得て、各国にもひろがり、自国にいながら、他国の衛星を通じてその国の文化等を享受できるようになった。
赤道上空3万6000㎞には、各国の衛星が静止衛星として、ひしめき合っている。
今までブログでは触れていなかったが、私もTVROを趣味としてきた。

自宅のベランダに、2m近い大型パラボラアンテナを設置し、そのアンテナが回転して、各国の衛星追尾し受信していた。
目的は、ワールドミュージックが好きな私が、現地から「生」の音楽を聴いてみたいと思ったからだ。
当時受信できるチャンネルはスクランブル(有料放送)を含め、2000チャンネル以上あった。
ウエブや、チャンネルのザッピングで、音楽番組を見つけては、それをチューナーから直接USBメモリなどに録画し、それをPCに入れ、動画編集ソフトを使い、コマーシャルカットをして、DVD等に焼く。
これが楽しくて、夢中になり、この趣味にのめり込んだ。
海外の衛星放送では、ラジオのチャンネルもあり、殆どが音楽番組であったので、それも大いに楽しんだ。
これにより、私の趣味「ワールドミュージック」の幅も広がった。
オーディオと並ぶ趣味で、かけがえのないものであった。

しかし、その趣味が突然終焉を迎えることとなった。
それは2016年10月。携帯電話会社が「4G」と言われる通信を始めたからだ。
4Gに使用されている周波数は、私が受信している周波数と同じ帯域を利用している。
更に強力な電波なので、直接地上波として、アンテナの電波受信部に直接飛び込んでくる。
こうなると、受信機側のフロントエンドが飽和してしまい、目的の電波を判別できなくなる。つまり受信不能となるのだ。
このような問題が起きることを想定していた携帯電話会社は、この問題の相談窓口をもうけている。
私は「ドコモ」の相談窓口へ連絡したが、全く解決には至らなかった。
これが「5G」の時代になると、もっと厳しくなり、海外衛星放送の周波数帯域は全て混信を受けることになる。

私はしようがなく、泣く泣くアンテナを取り外すことにした。
個人の趣味が国家に妨害された瞬間である。
今は、昔撮りためたDVD等を暇を見つけては、虚しい心で観る日々である。
約20年間続けた趣味。それをこんなことで失うとは思わなかった。
通信の発達の裏には、このような実態があることを、皆様に伝えておきたかった。
日本では、少数派の趣味である「TVRO」しかしその素晴らしさは、経験した者ではないと分からないと思う。
重ね重ね無念、残念である。

明日のためにその-335 今の学習のありかた。

2018年11月20日 | 日記
あまたある映像授業。

今、学生達にとって、学校とはどんな存在なのだろう。
それは、1970年代頃から始まっていたとおぼしい。そう「学習塾」の存在が学校のありかたに変化をもたらしていた。
小学校~中学校は、卒業証書をもらう場所。
問題はこの最中から、いかに進学率の高い「良い高校」へ入学するか、そのための助走路として義務教育は利用されることとなった。
そして今や時代は「パソコン」「インターネット」「スマホ」の時代である。
スマホなどは、娯楽から教養・情報を詰め込まれた、モンスターアイテムとなった。
今回紹介するのは、このインターネットを利用した「電子学習塾」と言える「映像授業」についてだ。
最近面白いサイトを見つけた。

成績のび太

このサイトは、非常に簡潔で、読みやすく、数ある映像授業について、利用者の観点からベストと言える映像授業を紹介している。
特に感心するのは、利用者が最も関心を持つであろうカテゴリーについて、的確な内容でそれを説明しているところである。
そして、映像授業のメリットだけではなく「デメリット」も記載してあるところは見事。
一見便利そうに思える「映像授業」だが、様々なデメリットもあるというのは知っておくべきだろう。
このブログを読んでいただいている方達も、是非一度リンク先からこのサイトを見て、様々な知識を得ていただきたい。
これからも日進月歩であるテクノロジー社会は、どうなっていくのか。未来が楽しみでもある。

明日のためにその332-メディアとツイッター

2018年11月05日 | 日記
コマーシャルよりも邪魔な存在。

インターネットが普及して、もう20年程経過しただろうか。
私がインターネットを始めた頃は、常時接続等なく、電話回線を使用していた。
しかし今は、常時接続が当たり前である。
いつでも好きなとき、好きなだけインターネットが利用できる、便利になったものだ。
それに伴い「SNS」系統のサービスも普及してきた。
代表的なのが「フェイスブック」「ツイッター」あたりだろうか。
私はSNSに興味は無く、全く利用していない。
特にフェイスブックは、個人情報の集積場所なので、利用する意思は私には無い。
このSNSの中で特に「ツイッター」については、私はかなりの不満を持っている。
ツイッター自体に不満を持っていると言うよりも、その使われ方に不満を持っていると言った方が正しいかもしれない。
最近はテレビ、ラジオの生放送で、ツイッターによる視聴者からの意見を募集している番組が多くなった。
ラジオはまだしも、テレビにおいては画面下にツイッターのメッセージ等が常にうつされている。
これがとても見ていて邪魔である。
これと似たものが、ヴァラエティ番組でVTRを流しているとき、スタジオのゲスト等がPIPで画面すみにうつしだされるパターンが殆どだ。これがまた見ていてうるさい。
生放送のツイッターメッセージは本当に邪魔である。
テレビを観る時に、それに集中できないのである。
メッセージを送った人も、自分のメッセージが放送されるか、期待を込めてテレビを観ているはずである。
さすれば、番組内容はそっちのけで、そればかりに注意がいき、ゆっくり番組を楽しめていないと、私は推測するのだが......

ツイッターを使用していない私の邪推と思われる方もあろう。しかし、前述したような、ツイッターの利用方法(放映方法)は、何度見ても画面がうるさくなって、番組に集中できない。
邪魔の度合いで言えば「コマーシャル」よりもうるさい。
皆様はどうお考えだろうか。

明日のためにその301-パーフェクTV

2018年02月14日 | 日記
専門に特化したチャンネル。

1953年、日本に産声を上げたテレビ。既に今年で65年目を迎える。
この60年間、テレビの役割は大きく世間に影響をあたえた。
様々な流行が、テレビを通して世間に広まっていった。
一方、テレビが原因で、映画業界が斜陽を向かえ、やがて衰退してゆくことになった。
20世紀後半、テレビは徐々に世間が興味を引く番組を作ることができず、視聴率の低迷が続いた。
そこに現れたのが「パーフェクTV」等の専門チャンネルを持った「衛星放送」である。
最初に「パーフェクTV」次に「ディレクTV」「スカイTV」と三大衛星放送が開始されるはずだった。
しかし、パーフェクTVはスカイTVと合併し、ディレクTVは倒産。現在ではパーフェクTVだけが放送を続けている。
これは多チャンネルメディアにとって、危機的状況なのだ。
一社独占で放送媒体を握ると、切磋琢磨する者がいないため、自己満足的な放送を作りかねない。
事実、現在のパーフェクTVでは、見るべきチャンネルが少ない。
多チャンネル放送とは、そのチャンネルに特化した素材を流し続ければ良いのである。
くだらないミニ番組を製作し、放送するのはもってのほか。
最近ではあの「MTV」でも、自社で下らない番組を作って放送に乗せている。
MTVは様々なジャンルのPVを、ただ流し続ければ良いのだ。
私は以前パーフェクTVを見ていたが、興味惹かれるソフトがなかった。
何百チャンネルあっても、興味を惹かれるソフトが放送されていなければ、ゼロチャンネルに等しいのだ。
その時の気分にあわせ、チャンネルを選択する。このようなことは現在困難である。
是非「パーフェクTV」には、番組よりも素材を流し続けるチャネルが増えることを期待する。

明日のためにその296-オーストラリアの郵便事情。

2018年01月29日 | 日記
まったくもって不親切、無責任な体質。

オーストラリア。
南半球のその国は、今、真夏である。
昨日まで開催されていた、テニス四大大会「オーストラリア・オープン」は、スイスのロジャー・フェデラーの優勝をもって、その幕を閉じた。
海外旅行でも人気のある「オーストラリア」だが、その郵便事情は最悪である。
先日、オーストラリアのオンラインショップから、或るパーツを購入した。
しかし、そのショップは日本に商品を発送できないとのこと。
しかたなく、個人運営の転送代理業者を通じて、商品を買うことにした。
以前このブログに投稿した、いい加減な転送代理業者と違い、今回の業者はしっかりした仕事を行なった。
問題はオーストラリアア・ポストである。
日本の郵便局と同等の立場であろう、ここが、最悪なのである。
オンラインショップは、日本で言う「速達」で商品を転送代理業者に送った。
そのショップから「荷物は明日届く」旨メールで連絡が送られてきた。荷物追跡番号も送られてきた。
私は早速荷物追跡番号を、オーストラリア・ポストのHPに入力し、追跡を始めた。
しかし、いつまで経っても、荷物は動かない。
そうしている間に、荷物の到着日を過ぎてしまった。
私はやきもきして、更に追跡を行なった。
結局到着日から三日過ぎて、荷物は転送代理業者の所へ届いた。
しかし、荷物は届いたものの「速達」扱いにした、料金は無意味となった。
オーストラリア・ポストのHPを見ると、規約に「速達便について、遅延が発生した時は、料金を返還する」と明記してある。
早速私は、オーストラリア・ポストに異議を申請し、更にオンラインショップにもこのことをメールで通知し、速達料金の返還を要請した。
しかし、オーストラリア・ポストからもショップからも、未だに連絡が無い。
以前、このブログでも紹介した「Discogs」で、オーストラリアのバイヤーからCDを購入した時も、書留郵便にしなかったため、商品を受取るのに一ヶ月近くかかった。
オーストラリアの郵便事情は最悪と言える。
おまけに、苦労して購入したそのパーツは、全く機能しない「駄品」であると言うオチまでついた。
皆様も「オーストラリア」から、何か買い入れる時は、その郵便事情に気をつけた方が良い。
こうやってみると、日本の郵便事情はすごぶる良いのかもしれない。

明日のためにその284-KARAOKE

2017年12月06日 | 日記
マシンの採点に物申す。

相変わらずカラオケの需要は高い。
私も呑んだ後は、二次会と称して、カラオケルームへ足を運ぶ。
お腹に力を貯め、大きな声を出すことは、ストレスの発散にも繋がる。良いことだ。
しかし問題がある。
それはカラオケマシンの採点についてだ。
私は知人と二次会でカラオケに行くが、決まって「ランキングバトル」と言うモードで歌う。
しかしいくら上手く歌っても(自己陶酔の世界かもしれないが)、マシンには通じない。低い得点で、バッサリ切られてしまう。
しかし得点順位を見ると、99.XX点などと言う、人間離れした得点をたたき出している人がいる。
どう言う歌唱か、是非一度聴いてみたいものである。
昔、あるテレビ番組で、プロ歌手が、自分の持ち歌をカラオケランキングバトルを行なった時、90点を越える歌手が一人もいなかった。
プロの歌手ともなると、自分の持ち歌でつい余裕を見せるため「遊んで」歌唱することがある。これがいけない。
相手は「マシーン」である。冷酷非情だ。
少しでも音程が外れたり、抑揚を間違えたりすると、減点の対象となる。
今流行の「AI」でも入ったカラオケマシーンがあれば(あるのかもしれないが、私は知らない)マシーンの採点も変化するだろう。
要は、歌唱の上手さとは、聴いている人間の感情にどれほど訴えかけるかで、評価されるべきである。
決して、楽曲の作曲者が起こした、譜面どおりのメロディーに、沿わなければいけないと言うルールは無い。
しかし、譜面を基本にしている「マシーン」にはそれは通じない。
よってカラオケの得点は、あくまで一つの目安「マシーン」が提供してくれた、その場の和みの要素と捉えるべきである。
などど偉ぶっても、また私は二次会で「マシーン」に向かって、文句を吐くのだろう.......

明日のためにその283-ラジオ

2017年12月04日 | 日記
中波とFM。

遠い昔。私がまだ少年時だいたっだ頃、私はテレビよりラジオに勤しんだ。
夜になると、他県の放送が、電波特性によって、我が家でも楽しめた。
遠くは、北海道、九州からの電波がよく入感していた。
もちろんこれは中波(AM)放送の話。FM放送は電波の特性上、遠距離の放送が届くことは無い。
みなさまの中にも、昔、ラジオをよくお聞きになっていた方もいらっしゃるだろう。
当時は歌謡曲が全盛で、よく「歌謡曲ベストテン」などの番組を聞いていた。
ところで、中波とFMみなさまはどちらの音質が良いとお考えだろうか。
圧倒的に「FM」を推す方がおおいと思われる。
私も最初はそうだった。しかしある日、中波の音の良さに気づいた。
あの低音、注音が豊で、どくとくの音質を持った中波の音に魅入られた。
オールディズなどは、FMより中波で聴いたほうが、よりノスタルジックを覚える。
それ以外も(最近は例外が多いが)中波の方が、より「番組」を制作していると思う。
最近のFMはただ曲を垂れ流し、曲の前後に全く持って下らないDJのトークをはさむ。
番組と言えるものが殆ど無い。
昔はFMも、しっかりした「企画」を持った「番組」が沢山あり、楽しめたものだ。
放送は番組で成り立っている。番組は企画でなりたっている。この構成をまったく持たなくなってしまったのが、今のFM局である。
それもあいまって、私は何年もFMを聞いていない。
今現在、ラジオを聞くことがあまりないが、私はFMより「番組」を持った、あの優しい音のする中波放送が好きである。

明日のためにその282-演劇

2017年12月02日 | 日記
テレビの演劇中継の誤り。

私は昔、学生の頃、初めて演劇と言う物を体験した。
学校の行事として、近くの有名な舞台を観に行った。
演目、演者は既に記憶に無いが、初めて見た舞台に私は衝撃を覚えた。
それまで、映画好きな私は、映画しか観た事がなく、今で言う「2D」の世界しか体験していなかった。
しかし、生身の人間が、舞台に立ち、演技をするのを観て、とても新鮮であると感じたものだ。
その後は、やはり私は映画が好きで、もっぱら映画鑑賞に時間とお金をかけ、夢中になり、舞台のことは忘れていた。
先日、テレビで久しぶりに演劇(舞台)を見た。厳密に言えば、それ以前もしばしば見たりしていた。
だがどうしても、最初から30分も見たらチャンネルを変えてしまうか、テレビを消してしまう。
私が演劇の中継を見ない理由は「カメラ」の存在である。特に先日見た演劇中継は、やたらカメラをスイッチして、落ち着いて見られなかった。
この「カメラ」が問題なのである。以前のこのブログで「カメラ=万年筆」について書いたが、映画はカメラで物語を紡いでゆくが、舞台は「演者」で物語を紡ぐ。
しかし、カメラが舞台中継に介在すると、私達は舞台を観ているのではなく「カメラ」を通じた「映像」を見ていることになる。
これでは、カメラ=万年筆になってしまい、カメラの意のままに私達はコントロールされてしまう。
現在のテレビは縦横比率が「16:9」となっている。これは長年の研究の結果16:9の画面比率が、人間の視野に最も近いとなり、現在にいたっている。
ならば劇場中継など、もってこいの環境なのだ。人間の視野に近いのだから。
私が提言したいのは「カメラ一台の据え置き」で舞台を中継することだ。
観客席の一番良い所へ、カメラを据え置きし、一切動かさず、舞台の上の時間を映す。
見る我々も、好きに舞台への視線を移動できる。
これが私の考える、最も理論的な舞台中継だと思う。もし、これが実施されれば、舞台中継にも興味がわき、視聴する機会も増えるだろう。
テレビ側の人間から見れば「ばかばかしい」と思われるかもしれないが、私はこの持論を推してやまない。