ダーリン三浦の愛の花園

音楽や映画など徒然なるままに書いてゆきます。

明日のためにその499-青春の夢よいまいづこ

2020年11月23日 | 邦画
小津映画にしては、シリアスな作品

青春時代から培った友情は、果たしていつまで続くものだろうか。
人は皆時を経て、成長し、感情も変わってくる。
青春の大切な感情、友情は永遠なのだろうか。
今回紹介する映画は「青春の夢いまいづずこ」。
友情の大切さと、その変化を描いた作品である。
ストーリーを紹介しておこう。

大学生活を謳歌する4人、彼らは深い友情で結ばれていた。
しかし、その中の堀野は、会社社長の父を急病で失う。
失意の中、父親の会社を引き継ぎ、大学を中退して、社長となった彼は、就職難の中、他の3人から会社への入社を懇願される。
入社試験で、その3人に不正な待遇を与え、何とか就職できた3人。
皮肉にも大学の同僚は、堀野の部下として働くことになるのだが......

全く皮肉な内容である。当然のことながら、入社した3人は、堀野を社長と仰ぎ、だんだん遠ざかってしまう。
しかし、大学時代の感覚を失っていない堀野は、同等に彼らと付き合おうとする。
ここの視点が面白い。普通は、社長になった堀野が偉そうになり、友情に亀裂が入るのが普通の描き方だと思うが、小津は違う。
いつまでも変わらない友情を小津は大切に描く。ここは私が一番共感するとこだ。
そして、堀野は、大学時代から好意を抱いていた、女性繁に結婚を申し込もうとする。
しかし、繁は4人の中でも一番体裁の上がらない、斉木と結婚するという。
そのことを知らなかった堀野は、3人の前で、繁へのプロポーズをほのめかす。
苦悶する斉木。堀野に大きな借りのある彼は、繁への思いを断ち切ろうとする。
それを知った堀野は、斉木を叱咤し、自分たちの友情の大切さを訴える。
このあたりの作りが、甘いと思われる方もいるだろうが、私は大いに感動した。
ラスト、新婚旅行に向かう列車を、3人は自社ビルの屋上から、手を振って見送る。
いつまでも変わらない友情を称えた、さすがの小津映画である。

1932年、日本製作、モノクロ、サイレント、85分、監督:小津安二郎


明日のためにその489-カツベン

2020年10月26日 | 邦画
周防にしては、平均的な作品。

昔映画が、モノクロでサイレントだった時、日本にはその映画を説明する「弁士」なる職業があった。
彼らは、独特の語り口調で、映画に華を添える役割をしていた。
弁士自体が人気者になり、それを目当てに客は劇場に、足を運んでいた。
今回紹介する映画は「カツベン」。
映画の弁士を主人公にした作品である。

ストーリーを紹介しておこう。
時は大正、幼い俊太郎は、映画が好きで、特に弁士に憧れていた。
ある日彼は、梅子と言う少女と出会う。
彼らは意気投合し、一緒に遊ぶ仲になる。
時は流れ、俊太郎も青年になったのだが、ある窃盗集団に入り、盗みを続けていた。
そんなある日、彼は成長し、女優となった梅子と出会う。
昔を懐かしみ、次第に近い仲になる二人だったが......

この映画は周防正行監督作品である。
彼は、今までも沢山の名画を撮った監督であり、今では「名匠」と呼んでもいい立場にある。
しかし残念ながら、この映画は、周防にしては物足りない、印象が残るものだ。
古き映画の時代へのオマージュにしては、作りが浅く、そうなっていない。
映画全体の作りはしっかりしているものの、何か食い足りない気分になってしまう。
特にラスト近くの、追いかけっこのシークエンスは「スラップスティック」にしたかったのかもしれないが、セリフが多く、動きも緩慢でそうなっていない。非常に残念な所である。
周防作品にしては、主題が見えず、映画としての平均的作りしかなされいないのは、残念な所か。
かなり期待して観たので、ちょっと肩透かしを覚えた。
彼の映画にもこのようなものがあるのだなぁと、ちょっと残念な気になってしまう映画である。
彼の次回作に期待をしよう。

2019年、日本製作、カラー、127分、監督:周防正行

明日のためにその469-けいおん

2020年07月22日 | 邦画
ほっこりできる青春群像。

京アニ(京都アニメーション)。
昨年、センセーショナルな事件が起こった場所だ。
二度とあのようなことは、起こしてはならないと皆様も胸に刻んだことだろう。
今回紹介する映画は「けいおん」。
京アニの製作したアニメーション映画である。
ストーリーを紹介しておこう。

同じ高校に通う、仲良し4人の同級生と、1学年下の学生は「放課後アフタヌーンティー」と言うバンドを組んでいる。
彼女達が所属するのは、軽音楽部通称「けいおん」と呼ばれている所だ、
4人は既に高校の卒業も決まり、大学も受かり、順風な日々を過ごしていた。
そんな折、彼女達は、後輩のメンバーも加えて卒業旅行を計画する。
色々悩んだ末、彼女達はイギリスのロンドンを目指すことになる。
そして旅行当日、5人は空港に集まり、飛行機に乗り、ロンドンを目指すことになるのだが......

私も高校時代からバンドを組み、活動をしていたので、とくにこの映画には興味をそそられた。
まずは京アニ独特のほんわかした感じに好感が持てる。
なかでも、たった一人の後輩である梓が、だらしない先輩の面倒を見るところなど、設定の上手さには感心する。
しかし若干の疑問点も残る。
それはリードギターの唯のもっているギターが、ギブソン製のサンバーストカラーのレスポールであると言うところだ。
おそらく20万円以上の価値があると思われる。このようなギターを簡単に買えていると言うところが映画なのだろうか。
また、彼女達の親が、旅行費用をなんなく出費しているのも、ある意味浮世離れしていると思う。
しかしこれは映画である、観る人たちに夢を与えるのも映画の役割である。
よってこのような設定は「よし」としなければならないだろう。

彼女達の旅行先でのどたばた騒ぎ、勘違いからレストランのステージで演奏するくだり。
どれもこれも甘酸っぱい、青春の光を届けてくれる。
たまにストレスを感じ、疲れた時、この様な映画は、心を和ましてくれる一本だ。
日々忙しく生活している方も多いと思うが、そのような方はほんの少しの時間この映画に時間を貸してはいかがだろうか。
きっと心身ともに、リフレッシュさせてくれるだろう。

2011年、日本製作、カラー、109分、京都アニメーション、監督:山田尚子

明日のためにその465-淑女と髭

2020年07月14日 | 邦画
安定した作りで、安心して観える作品。

人間先のことは分からない。
また、人は、人との出会いによって、その運命を大きく変えられることができる。
めぐり逢いとは、それほど人生にとって大事なことなのだ。
人との出会いによって、人は目標を持ち、または、目標を変えたりする。
それがどのような結果になるのか、これまた先の分からぬことで、それ自体人生を面白くする。
今回紹介する映画は「淑女と髭」。
日本の巨匠、小津安二郎監督の名作である。
ストーリーを紹介しておこう。

剣道を趣味とする岡島は、日本男子をそのまま表したような「質実剛健」な男。
彼は伯爵の友人である妹達に、その顔にたたえた見事な口髭、顎髭から、それを馬鹿にされて嫌われている。
ある日岡島は、街中で、不良少女に恐喝されている女性を救う。
名も告げずその場を去ったかれだったが、この出会いが、彼の未来を大きく変えることになる.........

岡島はこの映画の初頭では大学生の設定。
やがて彼は、大学を卒業し、就職することになる。
彼が最初に向かった会社の面接先で、偶然不良から助けた彼女と出会う。
彼女はその会社に勤める社員だったのだ。
そして後日、彼女は岡島のアパートに出向き、衝撃的なことを告げる。
「あなた、お髭を剃った方が良くてよ」
彼女の突然の忠告に、岡島は戸惑うが、次の言葉で彼も決意を決める。
「その髭が原因で、私の会社はあなたを不採用にしました」
そこまで言われてはと、彼は臍を固め髭を剃る。
所がこれが好評で、次に受けた会社には見事合格するし、友人の伯爵家の妹までに恋ごころを持たれてしまう。
ここらあたりを、小津は軽妙かつ丁寧なタッチで、映画を作ってゆく。
安定、安心したその作りに、観ている者は絶対的信頼を持つだろう。
全く小津とは素晴らしい監督で、コメディからシリアスまで完璧な映画を作る。
モノクロからカラーまで、サイレントからトーキーまで。
本作はモノクロ、サイレントであるが、そんなことは全く気にせず観ることができた。
特にラスト近くのシークエンスで、不良少女が善に目覚め、更生してゆくさまは実に見事。サラリと作ってあるが、その内容にコクがあって、この映画の見どころの一つであろう。

やはり小津作品にハズレはないと思わせてくれる、是非観るべき一本であると言えるだろう。
きっと皆さまもその作りの見事さに魅了されると思う。

1931年、日本製作、モノクロ、サイレント、74分、監督:小津安二郎。

明日のためにその464-電柱小僧の冒険

2020年07月12日 | 邦画
しっかりした作りに裏打ちされた傑作。

塚本 晋也。
最近は俳優としての活躍が目立つ。
しかし、彼こそ、1980年代、日本を代表するインディーズの監督である。
今回紹介する映画は、彼のデビュー作になる「電柱小僧の冒険」。
彼が映画の監督を含め、殆どを担当した作品である、

通常ストーリーを紹介するのだが、本作は短編であり、内容も実にシンプルなので、今回は割愛させていただく。
この映画を観ると、話題作となった「鉄男」の原型はほぼ出来上がっている思しい。
コマ撮りを連続させた「高速移動」独特の世界観を持つ演者の「メイク」。
どれもが完成されていて、とても初監督作品とは思えない。
ゆっくりと始まった映画は、中盤から後半にかけて、スピード感をどんどん増してゆく。
ここが素晴らしい。普通なら疾走してゆきそうなものだが、この映画はどんどん良くなっていくのだ。
そして、物語の全般におかれた布石が、ちゃんと生きてきて、後半を迎える。
人と人との絆、男女の愛。それぞれがちゃんと繋がってくる。
私はこの公判で、あろうことか、慟哭して泣いてしまった。
その作りの素晴らしさに感動したのである。
脈々と物語を構築してゆくあたり、監督の並々ならぬ凄さが伝わってくる。

この映画は、第一回ぴあフィルムフェスティバルでグランプリを受賞している。
鉄男と並び、塚本作品では絶対に観るべき作品と私は思っている。
百聞は一見に如かず、是非皆様にも診てもらいたい作品である。

1987年、日本製作、カラー、45分、監督:塚本 晋也

明日のためにその450-驟雨

2020年05月09日 | 邦画
夫婦愛を愛でる監督の目

夫婦。
結婚する前は、それぞれ他人として暮らしていた男女。
その男女が、一つ屋根の下で暮らすのだから、お互い価値観の違いから、仲違いすることもあるだろう。
しかし、子供が生まれても、所詮親元から旅立てば、最後に残るのは「夫婦」だけである。
そう考えると、お互いの事を慈しむ心も含め、考えも新たになるだろう。
今回紹介する映画は「驟雨」。
結婚倦怠期の夫婦を描いた映画である。
ストーリーを紹介しておこう。

亮太郎と文子は結婚4年目の夫婦であるが、既に倦怠期を迎えている。
亮太郎は休日の朝、些細なことから、家を出てしまう。
そんな折、新婚旅行に出かけていた文子の姪が、旅行先で夫と些細なことで喧嘩となり、新婚旅行を中断して帰ってきてしまう。
文子はそんな姪を諭し、もとのさやに収めようとするが..........

文子の姪は、新婚旅行先での、夫の秩序の無い行動に腹を立て、我慢できずに途中で帰ってきたという。
文子は、自分たち夫婦のことは棚に上げ、あれこれ意見を言い、彼女を諭そうとする。
ここが可笑しい。自分たちも、先ほど些細なことから喧嘩になり、亭主が家出したと言うのに、そのこと気にせず姪を諭す。
しかし、このような風景は、どの家庭でも見られる、決して他人事ではないものである。
さすがは監督の「成瀬巳喜男」このあたりの表現をさせると、実に上手い。
諭された姪は、とりあえず実家に帰ってゆく。
その後亮太郎の会社は買収されることになり、彼は退職するか、職場異動するか選択に迫られる。
そんな折、彼と仲の良い会社の同僚が、彼の家に集まり、今後の相談をする。
その中で、仲間の一人が「クラブでも経営して水商売でもやろう」と提言する。
更に彼は文子を指し「奥さんなら、クラブのママになれるから、一緒にやりませんか」などど言ったものだから、亮太郎は怒り心頭に発するのを我慢しながら「お前には無理だよ」と文子に言う、
このあたりのシークエンスも、倦怠期でありながら、妻に嫉妬心をもつ夫の立場を見事に表現している。

そして暫くすると、新婚旅行を中断して帰省した姪から、夫婦中睦まじい写真いりのハガキが届く。
所詮子供の喧嘩見たいなものよと、嘯きながらそのハガキをテーブルに置く文子。
亮太郎は庭でのんびりしている。陽気の良い一日。
そこに、表で紙風船で遊んでいる子供達。誤って紙風船が亮太郎の足元に。
亮太郎は子供たちに紙風船を手で打って帰そうとするが、誤って紙風船は文子に当たりそうになる。
それをサッと避けた文子は、力を込めて亮太郎に紙風船を打ち返す。
いつの間にか、子供たちの紙風船は、亮太郎夫婦のストレス解消の糧となり、右へ左へと飛ぶ。
その微笑ましい光景を、私たち観客の後ろから、優しく見つめる成瀬の眼差しを感じる。
夫婦とは何かと考えさせられる秀作である。

1956年、日本製作、モノクロ、91分、監督:成瀬巳喜男

明日のためにその445-亀は意外と速く泳ぐ

2020年02月25日 | 邦画
荒唐無稽な大駄作。

世の中、様々な映画が存在する。
しかし、映画の世界だけではないが、結果的に問われるのは、それが「傑作」か「駄作」かである。
「普通」と言う選択肢もあるが、果たして何をもって普通と言えるかは個人それぞれである。
だが、傑作と駄作だけは、映画そのものの作り等で、映画自身がそれを語ってくれるので面白い。
今回紹介する映画は「亀は意外と速く泳ぐ」
キャッチコピーとしては「脱力系スパイ映画」とあった。
ストーリーを紹介しておこう。

夫が海外単身赴任中の主婦、すずめはある日「スパイ募集」の小さな張り紙を見つける。
興味を持った彼女は、早速そこに書いてあった電話番号に連絡し、スパイの一味として活動することになる。
しかし、いくら待っても、スパイに関する指令は無く、毎日を淡々と過ごしていたのだが........

「駄作」である。
全く監督のイメージが空回りして、観客に訴えるものが何ひとつない。
ネットで監督を調べて驚いた、以前このブログで紹介した「音量を上げろタコ!なに歌ってんのか全然わかんねぇんだよ!!」と同じ監督ではないか。
あの作品も、誉める所を探すのにかなり苦心した作品だったが、この作品は更に酷い。
90分と言う短い時間の映画にも拘わらず、かなり観ている方としては苦痛を感じた。
何が言いたいのか、何を表現したいのか、全く分からないのだ。
この映画は、以前キネ旬の邦画ベストテンの中に選出されていた作品と憶えていたが、キネ旬のホームページを見たところ、製作年にこの映画がキネ旬のベストテンには選ばれておらず、私の勘違いであった。
では何故この映画のタイトルを憶えていたのだろうか、私自身未だに謎である。

「脱力系」とか「ポップな彩色」とか、この映画を形容している言葉はあるが、それには全く無理がある。
一体日本映画は何処に向かうのだろうか、心配は募るばかり。
収穫の全くない本作、私は観る必要は無いと思う。

2005年、日本製作、カラー、90分、監督:三木聡

明日のためにその443-血槍富士

2020年02月19日 | 邦画
凝縮された群像ドラマ。

人間、個々に人生は違う。
身分の差も、現代では無いように思うが、実はあったりする。
特にサラリーマンの世界では、江戸時代の身分制度があてはまるシチュエーションに度々出くわすだろう。
個々に違う人生が交錯する社会、そこに真の平等が求められるべきではないのか。
今回紹介する映画は「血槍富士」
江戸時代の階級制度に、辛辣な一撃を加えた映画だ。
ストーリーを紹介しておこう。

江戸を目指して東海道を旅する若様、小十郎と槍持ち権八、お供の源太。
彼らは、旅の途中途中で様々な人と出会い、触れ合う。
そして彼らは、街道中を荒らしまわっている泥棒を見事捕まえる。
ひょんな出来事に、彼ら自身も驚いたが、担当藩主からの礼状に、小十郎は激怒した。
捕まえたのは自分ではないのに、何故自分の手柄になるのか。
礼状一筆だけで、金銭も含めた礼が全くない。
この件を境に、小十郎の中で、武士世界に対する疑問が沸々と浮かび始めるのだが.........

旅する人たちの、群像の描き方が実に上手い。
各個人の描き方も、しっかり個性を込めて描いている点はさすがであろう。
いくつもの人間のストーリーが重なり合い、そこに重厚な物語が出来上がってくる。
とにかく素直に映画にのめりこめるところが秀逸な作品である。
とても柔和な形で映画は進んでいくのだが、それがラストには一転、悲惨な結果が待っている。
小十郎が求めた、自由で、人を尊重する世の中には、現在に至っても達成されていない。

人間は「エゴ」と言うものを持っている。
これを無くすことは無理なのであろうか。
これさえなければ、社会はもっと住みやすくなると思うのだが。
間違いの無い傑作なので、観ておられない方は、観ることをお勧めする。

1955年、日本製作、モノクロ、94分、監督:内田吐夢

明日のためにその433-よこがお

2020年01月27日 | 邦画

「マスコミ」
マスコミュニケーションの略で、不特定多数に対して情報が提供されること、及びそれを行う企業・団体のことである。
ペンは剣よりも強しと言った言葉があるように、反社会勢力に対して、正義の鉄槌を振り下ろすのならよいのだが、時には誤った情報を世間に流し、人を傷つける事もある。
現在はネット社会。マスコミやネットで、誤った情報を流布されて、傷ついた人も多くいるのではないか。
今回紹介する映画は「よこがお」
一人の女性が、負のスパイラルに堕ちて行く様を描いた映画である。
ストーリーを紹介しておこう。

訪問看護師白川市子は、訪問先の姉妹たちの勉強を見てやるほどの仲の良い関係を続けていた。
更に近々医者との結婚話も進んでおり、順風満帆の人生を歩いていた。
しかし、ある日その姉妹の妹が行方不明になる。
翌日彼女は無事警察に保護されたが、彼女を誘拐したのは、市子の甥であった。
訪問先の家族には、そのことを秘密にしていた市子だったが、ある日訪問先の母親にこの事件の載った週刊誌を突きつけられ、事実を知られてしまうのだが.......

マスコミの誤った報道で、市子は誘拐の手引きをしたことになってしまう。
連日マスコミに終われ、職場も辞めざるを得なくなってしまう。
結婚の約束をしていた男からも別離を言い渡され、彼女はその幸せの全てを無くし、負のスパイラルに堕ちて行く。
改めてマスコミとは怖い存在だと思わざるを得ない。

この映画、前半はスマートで丁寧な作りになっていて、現在と過去とのフラッシュバックで物語は進む。
しかし、残念ながら、後半は一気に失速し、作りが雑になってゆく。
主演の筒井真理子の体当たりの演技は、多少褒められはしても、この映画の決定打とはなっていない。
そして、この映画の主題もあやふやになって、観るものに伝わってこない。
そしてこの映画も、おきまりの「日本映画のステレオタイプ」のエンディングになってしまっている。
映画全体を通すと、どうもちぐはぐな面が見えてくる。更に不要と思われるシーンもいくつかある。
彼女は名前を変え、自分に不利な証言をした訪問介護先の姉に復讐を誓い、それを実行するが、その結末はおそまつなもので終わる。
そしてラスト、決定的な復讐の場面がやってくるが、彼女はそれを実行に移せなく終わってしまう。
映画前半の作りが良かっただけに、後半からのシークエンスの狂いは、この映画の最大のダメージだろう。
前回取り上げた「左様なら」と言い、本作と言い、日本映画の未来に、依然光を見つけることはできない。

2019年、日本製作、カラー、111分、監督:深田晃司

明日のためにその429-左様なら

2020年01月19日 | 邦画
青春群像劇。

「青春時代」
特に記憶に残り、人生に多大な影響を及ぼすのは、高校時代ではないだろうか?
肉体的にも成長し、しかし、精神的には不安定な状態にあるアンバランスの時期。
この時期に、受ける衝撃は、深く心に刻み付けられるであろう。
今回紹介する映画は「左様なら」
一人の高校生を中心にした、群像劇である。
ストーリーを紹介しておこう。

高校生の由紀は、中学時代からの友人綾と仲が良い。
しかし、綾はある日突然、由紀に「引っ越すことになった」と言い、彼女の唇にキスをする。
だが、数日後、綾は死んでしまう。
それをきっかけに、由紀はクラスメイトから自ら離れ、孤独になってゆく。
誰も彼女に手を伸ばさない状況が進む中で、彼女はどんどん一人になってゆくのだが........

まず、この映画のPR点であった「高校生達の素直な演技」に関しては、とても中途半端な印象が拭えない。
もっとも、私が基準としている映画が「中原俊監督」の名作「桜の園」であるから、あの作品に及ばないとしても、もう少し手垢のつかない演技をしてもらいたかった。
映画の作りについても、したり。どうも自然さが足りず、これも中途半端な作りになっている。
特にラスト近く、いくつかのシーンを繋ぎあわせて、効果を高める主人公の心のイメージを表現したところは、説得性がない。
そしてラストシーンも、現代邦画のステレオタイプ。これでは作品全体にメリハリがなく、平坦な出来になっても仕方がない。
主人公の由紀を演じた、芋生悠の演技も、素直に見えるがまだまだ。
映画は肝心な綾の死亡原因がはっきりしないまま終わってしまう。
「それは別に指摘することではないだろう」と言う方もおられると思うが、残念ながら、それをカバーするシークエンスがこの映画には見当たらない。

もっと素直に映画を作っていれば、上記のような指摘もなくなる。
監督には、もっと頑張っていただきたいと思う。

2018年、日本製作、カラー、85分、監督:石橋夕帆