ダーリン三浦の愛の花園

音楽や映画など徒然なるままに書いてゆきます。

明日のためにその377-今週の一曲。

2019年08月30日 | 今週の一曲
みなさま、週末のひととき、いかがお過ごしでしょうか。
今回の今週の一曲はトルコの女性歌手デニスセキをご紹介します。
なかなか艶のある、セクシーな歌手で、みなさまにもきっと喜んでいただけるはず。
では、ご堪能あれ。

Deniz Seki - Masal

明日のためにその376-魚と寝る女

2019年08月28日 | アジア映画
情念突き動かされる映画。

「情念」
感情が刺激されて生ずる想念。抑えがたい愛憎の感情。
または。
深く心に刻みこまれ、理性では抑えることのできない悲・喜・愛・憎・欲などの強い感情。
人々はどんな時この情念を抱くのだろうか。
ストレス社会の現代、案外情念とは人の常識の中に浅く埋もれているのかもしれない。
今回紹介する映画は「魚と寝る女」
ストーリーを紹介しておこう。

湖の釣り小屋を経営している影のある女。
彼女は釣り小屋の世話だけではなく、時には客の要求に応え、自らの体さえ売り物にしている。
そんな彼女のところへ、殺人を犯した男がやってくる。
彼は釣り小屋を要求し、そしてその小屋で夜、自殺しようとピストルを出す。
そんなところへ女は何を察したのか現れ、男の足に怪我を負わせ、自殺を食い止める。
それをきっかけに、男と女は近い関係になりつつあったのだが.......

この映画の主役二人の名前は無い。正確に言うとあるのだが、劇中お互いを呼び合うこともなく、他人も彼、彼女の名前を呼ばない。
映画の最初の字幕に配役名として出ているのかもしれないが、ハングル表記(日本語字幕なし)なので、私には最後までこの二人の名前は分からなかった。
そして、セリフも極端にこの映画は少ない。
しかしさすがキムギドク。朝もやに映る湖畔の風景など、絵的には素晴らしい一服をもらうことができる。
後半、女の情念は極地に達し、男を自分一人のものにしようと思う。
しかし男は、自分はお前のものではない、とはっきり言い、女を貶し、足蹴にする。
だが女も自分の命を懸けて男を止めにかかる。
女の情念が、沸点に達したのだ。
それを見た男も、やがて彼女に惹かれ、共に暮らすようになるのだが、悲しい結末が待っている。
二人の見た、お互いの「情念の成就」は何だったのだろうか。考えるたびに悲しくなる映画である。
しかし、観るものの心を震わせるギドクの作りは見事、彼の傑作のひとつに数えられるべき映画である。
是非観ていない方は、観ることをお勧めする。


2000年、韓国製作、カラー、90分、監督:キムギドク

明日のためにその375-天使の入り江

2019年08月26日 | ヨーロッパ映画
ギャンブル依存症の怖さ。

日本でも昨今議論されている「カジノ法案」
果たしてもし日本に、カジノが作られたのなら、ギャンブル依存症の人間は増えるのであろうか。
また、庶民的なギャンブルと違い、カジノは賭ける金額の桁が違う。
一度その魅力を知ってしまうと、必ずや身を亡ぼすであろう。
ギャンブルで勝ち続けることは不可能、その大多数は負けているのだから。
今回紹介する映画は「天使の入り江」
ギャンブル依存症の怖さを綴った映画である。
ストーリーを紹介しておこう。

銀行に勤める男性ジャンは、同僚からある日カジノの魅力について語られる。
最初は全く興味のなかった彼も、近場のカジノにふと足を踏み入れる。
そこで彼は、ビギナーズラックもあったのか、賭けに勝ってしまう。
彼はその魅力に引きずられ、南仏のニースまで足を延ばし、大きな賭けに出てしまう。
そこで彼はジャッキーと言う、ギャンブル依存症の女性と知り合う。
そして彼らは親しい間柄となり、様々なカジノで賭けを始めるのだが.......

彼らは「勝ち」「負け」を繰り返し、堂々巡りの生活を余儀なくされる。
勝ったお金は、散財して、欲しい物を買い、贅沢な料理をたべる。
残ったお金でまたギャンブルをする。
そしてついには、帰りの電車賃さえ無くなってしまう。
そんな生活に嫌気のさしたジャンは、ジャッキーにギャンブルをやめ、自分と一緒になって欲しいと懇願する。
しかし、ジャッキーは全く耳を貸そうとはしない。
このあたりが「ギャンブル依存症」の怖いところだろう、本当は愛している人の言葉も耳に入ってこないのだ。
このシークエンスをドゥミは、冷静なカメラワークで追い続ける。
そしてこの映画も、以前紹介した、同監督の「ローラー」と同じく音楽が多用されている。
しかし、音楽監督は「ミシェルルグラン」素晴らしい音楽で映画を盛り立てているところはさすがだ。
若干違和感を持ったのは、ラストシーンのひとつ前のシーンで音楽を鳴らしたこと、これは私自身ちょっとタイミングが違うのではないかと思った。

そしてラスト、ジャッキーの元を離れる決心をしたジャンは彼女に別れを告げる。
彼女を背にして、離れて行くジャン。そのときジャッキーの心の中で、あるものが「ふっつ」と切れた。
果たして彼女のとった行動とは。それは皆様の目で確かめていただきたい。

映画全体としては、ヘビーに「ギャンブル依存症」を語っているわけでもないが、観る者には間違いなく問題定義をしている。
内容も音楽も申し分の無い傑作である。
是非観ていない方は観ることをお勧めする。

1963年、フランス製作、モノクロ、89分、監督:ジャック・ドゥミ

明日のためにその374-今週の一曲。

2019年08月23日 | 今週の一曲
みなさま、週末のひととき、いかがお過ごしでしょうか。
今回の今週の一曲は「キノコホテル」をご紹介します。
キノコホテルは日本のガールズバンドで、2007年から活動を始めています。
日本のガレージロックを目指し、ファズやワウを多用した、ストレートなロックを展開しています。
では、彼女達の演奏をご堪能あれ。

「あたしのスナイパー」Music Video (Short ver.)/キノコホテル

明日のためにその373-鈴木家の嘘

2019年08月21日 | 邦画
嘘をつき続ける家族。

身近な人が、ある日突然この世の中から姿を消す。
それを知らない人に、その事実をどこまで嘘で突き通せるか。
あり得ない話である。
それは、映画なら可能なのか。
今回紹介する映画は「鈴木家の嘘」
自殺した長男の事を知らぬ人が、どこまで「長男健在」の嘘を突き通せるかと言う作品である。
ストーリーを紹介しておこう。

鈴木家の長男浩一は引きこもりである。
ある日彼は首を吊って自殺してしまう。
それを発見した母は、手首を切って気を失ってしまう。
浩一は死んでしまったが、母は生き残り、しかし、植物人間になる可能性もあると、医者は残った父と娘に告げる。
しかし、母は暫くして目を覚まし、リハビリに励む日々が続く。
問題は、母が倒れてから前後数日の記憶がなくなっていることだった。
医者はそう簡単に言うが、それは母が息子浩一の死を知らないということだ。
親戚中で相談した結果、浩一は叔父の仕事の手伝いで、アルゼンチンに居ることにして、浩一は死んでいないと言う嘘を突き通すことにした。
最初は納得していた母だったが、時が経つにつれて.......

この映画を観終わった時、正直言って呆れてしまった。
その作りの粗雑さ、内容の無さは、最近観た映画の中ではワーストである。
まる低俗なテレビドラマのような作りは、呆れてものが言えない。
観客に訴えるようなシーン、シークエンスは全くなく。
観客がイメージするようなシーンにまで、自ら語ってしまう。これでは「映画」ではもはやない。
カメラの動きも、カットの構図も平凡で、なんら取り上げる所もない。
若干浩一役の加瀬亮が、僅かな登場シーンで印象付ける演技をしたのが唯一の救いだ。
或る映画評論サイトで、5つ星を付けていた人がいたので、期待して観たが、全くの肩透かしとなった。
ウィキペデアでこの作品の事を調べたが、色々な賞を受賞している。あのキネ旬さえ6位に推薦しているではないか。
もう私の理解力を超えている、この現象は。
私としては、全く推薦しない映画ではあるが、人それぞれ、興味を持った方は観ても良いだろう。

2018年、日本製作、カラー、133分、監督:野尻克己

明日のためにその372-すれ違いのダイヤリーズ

2019年08月19日 | アジア映画
日記が結ぶ愛。

人は劣悪な環境に置かれたとき、どうやって「希望」見つけるのだろうか。
たった一人では戦えるはずもない。
誰か助けが必要である。
または、助けになる物が必要である。
人はそれらを味方に、逆境に立ち向かうのだ。
今回紹介する映画は「すれ違いのダイアリーズ」
劣悪な水上分校に送られた、教師の物語である。
ストーリーを紹介しておこう。

エーンは都会の学校に努める女教師、彼女は右手に彫ったタトゥーについて常に校長から責められていた。
彼女はそれでも頑なに、タトゥーを消そうとはしなかった。
業を煮やした校長は、彼女を劣悪な環境の水上分校に赴任させる。
そして一年後、エーンがわけあって水上分校を後にした時、ソーンと言う体躯教師志望の男性が好調を訪ねる。
体育教師の枠は一杯で、そのかわり水上分校の教師なら雇っても良いという。
なにか職に就きたかった彼は、考える暇もなくそのオファーを受け入れる。
希望を抱き、水上分校へと赴いたソーンだったが.......

ソーンはとても不器用で、生徒たちからもなかなか好かれない。
そんな折、彼は前任のエーンが書き残していった「日記」を見つける。
それを通してソーンは、エーンに憧れと愛を次第に感じて行く。
日記に励まされたソーンは、やがて生徒たちにも好かれ、教師としての自信も身に着ける。
一方エーンは、ヌイと言う昔からの恋人にプロポーズされ、水上分校を後にした。
彼女は都会の学校に教師として勤め、彼氏からの願いで、タトゥーも消してしまった。
しかし彼女には、都会の学校に無機質さを感じており、水上分校に郷愁の念さえ抱くほどだった。
果たしてソーンとエーンの未来はどうなるのか、観客は心おどらせることだろう。

この映画の見事なところは、フラッシュバックの手法だろう。
全くここぞというときに、この手法を使って映画に奥行きを出している。
そして、エーンとソーンの同じ時間をパラレルで作るカットバックの手法、これも実に見事である。
それに加え、カメラのアングルの緻密さにも驚かされる。
映画全体がけれんに満ちて、良い意味で映画たらしの作り方だ。
ラスト近く、二人にがすれ違うあたりの作りのうまさ、そしてラストの何とも言えぬ暖かい終わり方。
まさに近代稀に見る傑作と言えるだろう。
是非観ていない方には、観ることをお勧めする。

2014年、タイ製作、2016年日本公開、カラー、110分、監督:ニティワット・タラートーン

明日のためにその371-今週の一曲。

2019年08月16日 | 今週の一曲
週末のひととき、みなさまいかがお過ごしでしょうか。
今回の今週の一曲は、ベトナムの現代ポップスをご紹介します。
みなさま、ベトナムのポップスと言われると、どんな物を想像されますでしょうか。
なんとなく田舎くさい、東南アジアのそれを想像されるでしょう。
しかし、現代のベトナムポップスは、積極的に欧米の音楽を取り入れた物になっております。
ちょっとK-POPに似たところもあり、将来が若干心配でもありますが。
では、現代のベトナムポップスをご堪能あれ。

Chi Pu 'EM NÓI ANH RỒI' Chung Kết Miss World Việt Nam 2019

明日のためにその370-日本の悲劇

2019年08月14日 | 邦画
届かね母の愛。

世間では、子供の虐待のニュースが相変わらずメディアを賑わせている。
子供にとって、母親とは特別の存在ではなかろうか。
自分の体を痛めて、生んだ子供。親子の中での母親と子供の絆は深いと思うのだが。
今回紹介する映画は「日本の悲劇」親子の絆の思い違いを描いた作品である。
ストーリーを紹介しておこう。

熱海の旅館で女中として働く母、春子は、戦争未亡人である。
春子には娘一人、息子一人の二人の子供がいた。
彼女は、その二人の子供を養い、立派な大人にするため、あらゆる商売に身を染める。
しかし二人の子供からは、みっともなく、だらしのない母親として見られて、子供達は母親に冷たくあたる。
そんなおり、大学の医学部を卒業した息子が、金持ちの老夫婦の養子になると言う。
開業医になるには、うってつけの条件なので、母親にその理解を求めようとするのだが.........

映画は終戦当時の実写映像と、母親のカットバックを中心に成り立っている。
この手法は、映画を限りなくカオスの世界へ押し流していく。
終戦直後の日本人全体の不安感が、そこには描かれている。
そして、母春子のヤミ屋等、手段を択ばず働く姿。
いかに彼女が、血のにじむ思いで子供達だけのために、労働に時間を費やしてきたかが、十分理解できる。
しかし、実際の現場を見ていない子供達には、その苦労が、実感として感じられない。
ここのところが、観ていてとても悲しい気持ちになる。
母親の愛は「無償の愛」である。子供たちに見返りを求めるなどありえない。
私は、私なりにそれを痛感しているので、この映画の子供二人については、全くもって怒りすら感じてしまった。
春子は、息子は立派な医者に、娘は良家の花嫁になってもらうのが一番の夢である。
そのためには、手段を択ばずお金を作り、必要とあらば、それを全て子供達のために使ってしまう。
自分のために使うお金など、彼女にはないのだ。
やがて息子は養子縁組に応じ、裕福な老夫婦の養子になってしまう。
追い打ちをかけるように、娘は通っていた英語塾の老教師と駆け落ちをして、母に書置きも残さず消えてしまう。
全てを失った春子。
ラスト春子は最悪の人生の選択をしてしまう。
万里一空であった春子、彼女の人生はいったいなんだったのだろうか。

親子関係に疲れた人などは、この映画を観て、もう一度「家族」の在り方を含め考えたらどうだろうか。
観ていない方には、観ることを是非お勧めする。

1953年、日本製作、モノクロ、116分、監督:木下惠介

明日のためにその369-鏡の中にあるが如く

2019年08月12日 | ヨーロッパ映画
神の沈黙を訴える。

以前にこのブログにも書いた、ベルイマンの「沈黙」
彼の沈黙三部作の一作「鏡の中にあるが如く」を観る機会にめぐまれた。
今回はこの作品を紹介していこう。

ストーリーを紹介しておこう。
別荘で過ごしているダビット一家。
父親のダビットと娘のカリン、息子のミーナス、そして娘の夫で医師のマーチン。
マーチンはカリンが精神病で、今後治る見込みがないことをダビットに話す。
そしてカリンはそのことを父親の日記を盗み見ることで知ってまう。
その日記の内容を見た彼女は、また精神病の発作に襲われる。
そして翌日、街に買い物にでた、ダビットとマーチンの留守の中、弟と二人になったカリンは、弟の衝動の中、関係を持ってしまう。
そのことにより、更に精神発作が悪くなったカリン、そして父親のダビットもそのことを知ることになるのだが.......

カリンは二階の部屋にあがり「あの方がもうすぐやってくる」と言う意味不明な言葉を発する。
そう「あの方」とは「神」のことである。
そして自分は解放され、幸せになれると彼女は信じている。
この映画は、以前紹介した「沈黙」と違い、セリフは通常の映画程度でてくる。
抽象化された表現も少なく、理解するにはさほど難しくはない。
そして、やはりカットの構図の素晴らしさは健在で、どのカットでもその構図の完璧さは驚嘆に値する。
神の救いを仰ぐカリンの悲しさは、観る者の心を痛めるであろう。
また、娘と息子の関係を知ってしまった父親は、最初こそ激高するが、最後には息子を許してしまう。
このあたりの描き方は、父親のやさしさと言うよりも、完全に崩壊してしまった「家族」への諦めとも受け止められる。
そう、この家族の行く末は、どうなるのか想像に難くない。
一家族の崩壊を描きつつ、神不在を問うたこの作品、是非観ていない方には観ることをお勧めする。

1960年、スエーデン製作、カラー、89分、監督:イングマール・ベルイマン

明日のためにその368-今週の一曲。

2019年08月09日 | 今週の一曲
みなさま、週末のひととき、いかがお過ごしでしょうか。
今回の今週の一曲は、ブルガリアの歌手アルベナをご紹介します。
さて、ブルガリアの音楽とは果たしていかに。
え、どんな音楽かって?
それはみなさまのお耳でお確かめください。
では、ご堪能あれ。

Albena Koi milioner po red si 2011