ダーリン三浦の愛の花園

音楽や映画など徒然なるままに書いてゆきます。

明日のためにその364-万引き家族

2019年07月31日 | 邦画
家族とはを問いかけた一作。

「家族」
この言葉が意味するものは何であろうか。
血のつながりだけで、家族は成立するのであろうか。
昨今問題になっている「幼児虐待」。これが成立している人間関係は家族と言えるのであろうか。
今回紹介する映画は「万引き家族」観るに失してしまった作品であるが、最近ようやく観ることができた。

ストーリーを紹介しておこう。
下町に住む柴田家には、妻、祖母、娘、息子と5人で暮らしていた。
ある日柴田は、アパートの玄関の隙間から泣いている幼女を発見する。
可愛そうに思った彼は、その幼女を連れ去り、家族として育てることにする。
実は柴田家は、柴田とその妻以外は全て他人であり、家族のふりをして暮らしていた。
生活費は祖母の年金と、柴田と息子が行う「万引き」で得た食糧。
彼は連れ去った幼女とも、家族として関係を持てると信じていたのだが.......

やはり是枝監督は家族と言うテーマでメガホンをとると、今ではピカイチの存在である。
前作の「三度目の殺人」は正直不満が残るものであったが、今回の作品は文句なしである。
「家族」と言うものの絆、あり方が作品を通して、深いコクとなって表現されている。
それと特筆できるのは、安藤サクラと子役たちの演技である。
実に素直で、自然な演技には驚嘆させられる。
逆に柴田を演じたリリー・フランキーは、若干セリフと演技が剥離してしまって、ちょっと残念な出来だった。
子供がいない彼が「同居人」の息子に「とうちゃんと呼んでくれ」と言うセリフはとても悲しい場面だが、もう一つ説得力に欠けた。
是枝監督は「そして父になる」以来、家族の在り方に対してのサディスションを映画の中で展開している。
「家族」として法的に成立している人の中には、家族を煩わしいと思うものもいるだろう。
しかしそう言う人にこそ、是非この映画を観てもらいたい。
「家族とは何か」と言う大上段に構えた事を言うつもりはない「愛」さえ持っていれば「完全」な家族になるのではないか。
特にあってはならない「幼児虐待」をしている家族には、これを観ても「無用の長物」としてしか受け止めないだろう。
それが、そうでならない世の中になることを切に願う。
実に見事な作品であるので、まだ観ていない方がおられたら、是非みることをお勧めする。

2018年、日本製作、カラー、120分、監督:是枝裕和、第71回カンヌ映画祭パルムドール受賞作

明日のためにその363-寝ても覚めても

2019年07月29日 | 邦画
分からぬ女ごころ

「女心と秋の空」言う言葉がある。
移りやすい女心を例えた言葉だ。
男と女の心の違いは、失恋したとき、男はずっと心を引きつづけるが、女はキッパリ心を割り切ると言う。
時に男は、そんな女心に翻弄され、惨めな思いをする。
本日紹介する映画は「寝ても覚めても」移り気な女心に翻弄される男の物語だ。
ストーリーを紹介しておこう。

大阪に住む朝子は、ある日行きずりで麦と言う男と恋に落ちる。
二人は交際を始めるのだが、麦はある日外出したまま戻ることはなかった。
傷心の朝子は、何もかも捨て、東京へと行く、
彼女はコーヒーショップに勤めるめることとなるが、ある日コーヒーの出前をおさめにいったとき、麦とそっくりな男と会う。
彼の名前は亮平、髪形こそ違うが、顔は麦とそっくりだ。
やがて二人は恋に落ち、その経過は順調のように見えたのだが........

朝子は麦の事を忘れ、亮平との恋に一途になる。
一方麦は、ひょんなことから人気モデルになり、世間に知られるようになっていた。
忘れたはずの「麦」しかし彼女の心には動揺が宿るようになる。
そして麦は、朝子の居所を突き止め、彼女に会いにやってくる。
一度は麦を追い返した朝子だったが、2度目に麦が会いにきたとき、まるで夢遊病者のように彼について行ってしまう。
それは朝子と亮平が、結婚の約束をした直後だった。

本当に女心は分からない。朝子が麦についてゆくシーンは、まるで朝子が催眠術にかけられたような状態で麦についていってしまう。
彼女の中でなにかが、復活したようだ。と、同時に彼女は麦を完全に忘れてはいなかったと言うことだろう。
実際このようなことがあるのだろうか。
あるとすれば、朝子は表面上亮平を愛したように思いこみ、心は麦にあったのだ。
このような心理は、到底男には理解できなものではないか。
最終的に朝子は、麦と北海道に行く途中、我に戻って、また亮平のところへ戻る。
しかし亮平が朝子を許すはずがない。
ラスト亮平は朝子に「今回のことは一生許さない」と言う。
朝子は軽く「うん」と言ったきりだ。
麦と亮平の一人二役を演じた東出はなかなかうまい演技を見せた、朝子役の唐田 えりかも抑えた演技でなかなか好感が持てる。
映画の作りも若干若さの残る作りであるが、まあ好感は持てる。
観ていない方には観ることをお勧めする。

2018年、日本製作、カラー、119分、監督:濱口 竜介

明日のためにその362-今週の一曲。

2019年07月26日 | 今週の一曲
みなさま、週末のひととき、いかがお過ごしでしょうか。
暑さ厳しくなる時期になってまいりました。
お体ご自愛ください。
さて今回ご紹介する楽曲は、イギリス出身のグループ「Buzzcocks 」です。
彼らの音楽も、ソリッドでストレートなサウンドです。
それではご堪能あれ。

Buzzcocks - I Look Alone - NME C81 Cassette

明日のためにその361-フランソワ・ド・ルーベ

2019年07月24日 | 音楽
映画音楽界の革命児。

エンリオ・モリコーネ。映画音楽の父と言われた作曲家である。
また、ヘンリー・マンシーニは「ティファニーで朝食を」のムーンリバー、アメリカテレビドラマのテーマピーターガン等数々の名曲を手掛けた大作曲家である。
彼らの作るメロディーは、時にやさしく、時に鋭く聴く者たちの感性を揺さぶる。
今回紹介する作曲家は「フランソワー・ド・ルーベ」
彼は1939年フランス生まれ。父は監督兼プロデューサーであったという。
彼の作品で代表的なものは「冒険者たち」「サムライ」等が挙げられよう。
特に「冒険者たち」は、曲の展開が聴取者の想像を超え、メロディーが奏でられると言うとてもスリリングな内容で、私が最初この曲を聴いたときはとても驚いたものだ。
特に彼の作品で驚かされるのは、そのメロディーラインだろう。既成概念を壊されるような、それは聴く者にとってはたまらない魅力だ。
特に今回リンクを貼った「ラ・スクムーン」は、それが顕著で、鍵盤楽器の黒鍵しかほぼ使用しないメロディーは実験的要素に溢れた作品である。
1975年、スペインでダイビング中の事故で死去、36歳の若さであった。
もし、彼が夭逝せず、作曲活動を続けていたら、今の映画音楽界にも変化が有ったかもしれない。
「フランソワー・ド・ルーベ」彼の名前と存在は、いつまでも忘れてはいけないだろう。
下に「ラ・スクムーン」のリンクを貼った。
独特の彼のメロディーを十分堪能していただきたい。


François de Roubaix/ la Scoumoune フランソワ・ド・ルーベ /ラ・スクムーン

明日のためにその360-きみの鳥はうたえる

2019年07月22日 | 邦画
男女の絆

男と女。恋人として存在を続けるには、何が必要なのだろうか。
肉体関係さえ成立してしまえば、それは継続できるものだろうか。
明確に見える何か、それがなければ男女の関係は崩れていくものだろうか。
今回紹介する映画は「きみの鳥はうたえる」。
一夏の男女3人の人間模様を描いた映画である。
ストーリーを紹介しておこう。

主人公「僕」は、静雄と言う友人と二人で共同生活を送っている。
ある日僕はバイト先の同じアルバイト員佐知子に誘われ、成り行きで肉体関係をもってしまう。
その後、僕は静雄も加え、3人での友人関係が始まる。
僕と佐知子は恋人同士、そこに静雄。
この関係は永遠に続くように見えたのだが........

まず観て感じたのは、柄本佑たちの演技が非常にナチュラルで良かったこと。
普通の人の日常を、切り取ったような演技には好感が持てた。
一方で、この映画は函館で、オールロケで撮られたものだが、そこの部分の説明が一切なかったのは多少の手落ちである。
3人の関係の描き方はまあ納得できる。
しかし、一番良くなかったのは、3人の友情が一瞬にして崩れるラストシーンであろう。
紋切型のそれは、いかにも若い監督にありがちな過ちであると私は思う。
しかし、一番納得できないのは、副題である「アンド・ユアバード・キャンシング」である。
これはビートルズの名盤「リボルバー」に収められている楽曲で、ジョンレノンが創作したものである。
その詩はとても奥深く、素晴らしいもので、この映画の副題に使われたことは、私としてはこの楽曲に対する冒涜だと言わざるを得ない。
この映画を観て思ったことは「男女の絆」である。肉体の結びつきさえあれば、あとは何もいらないのか。
それは違うのであろう、日頃からお互いを思いやる心、態度をしっかり見せて行かないと、男女の絆はもろくも崩れ去る。
それを見た気がする。
映画全体の作りとしては、まあ納得できるので、観ておられない方には、観ることをお勧めする。

2018年、日本製作、カラー、106分、監督:三宅唱

明日のためにその359-今週の一曲。

2019年07月19日 | 今週の一曲
みなさま、週末のひととき、いかがお過ごしでしょうか。
今回の今週の一曲は。磨香の「冬の華」をおおくりします。
この楽曲は、ヤマハのポプコン本選大会にてグランプリを獲得したものです。
歴代のポプコンのグランプリ曲の中でも、かなり個性的な楽曲となっています。
それではみなさま、ご堪能あれ。

磨香 - 冬の華

明日のために358-BAHO

2019年07月17日 | 歌謡曲
極めてユニークなアコステックデュオ

以前このブログで紹介した「char」
彼はアイドル路線から撤退したあと、様々なユニットを結成した。
その中でも白眉だったのが、今回紹介する「BAHO(バホ)」である。
BAHOはこれも日本では有名なギタリスト「石田長生」と組んだ、アコステックギターデュオである。
コンサートの形式は、charと石田の、丁々発止な掛け合いの間に演奏を行うと言う変わったもの。
しかしさすが日本を代表するギタリスト二人、演奏自体の素晴らしさは筆舌に尽くし難いものである。
リラックスした二人の会話が終わり、いざ演奏となると、とてもギター2丁で演奏しているとは思えないアンサンブル。
音の広がりと、奥深さはかって感じたことない領域に入る。
私が彼らの存在を知ったのはつい最近で、一度その演奏を観てみたいと渇望した。
しかし、その望みは叶わないことも同時に知った。
石田長生は2015年7月、食道癌により永眠したのだ。
彼のひょうひょうとした関西弁から繰り出される洒落たひと言。誰も考えつかないような実験的な演奏方法。
BAHOは間違いなく、日本のアコステックユニットの筆頭だったろう。
ユニット名「BAHO」は「馬鹿」の馬と「阿呆」の呆を合わせたものだとも言われている。
このようにユニット名からも、人を食ったような彼らの姿勢が見えてくる。
それは「俺たちが凄いものを見せてやるぞ」と言う、彼らの自身と意気込みが感じられる素晴らしいアプローチではないだろうか。
下に彼らの演奏の模様を貼った。
これは偶数弦だけを張ったギターと奇数弦だけを張ったギターをそれぞれが持ち、ヴェンチャーズのダイヤモンドヘッドを演奏するいう、なんともアクロバティックな演奏だ。
是非皆様にその素晴らしさをご堪能いただきたい。


3弦ベンチャーズ - BAHO ( Char 石田長生 )

明日のためにその357-ユーロビジョン

2019年07月15日 | ワールドミュージック
大衆音楽の祭典

昔日本では、ヤマハが主催していた「世界歌謡祭」とTBSが主催していた「東京音楽祭」と言う、全世界対象の大衆音楽の祭典が開催されていた。
世界歌謡祭では、第1回グランプリを受賞した、男女デュオ「ヘドバとダビデ」の「ナオミの夢」と言う楽曲が、日本でも大ヒットした。
しかし残念ながら、両音楽祭とも、10年程度でその幕を下ろし、今は日本で、世界の大衆音楽を聴く絶好の機会は無くなった。
私も子供のころ、両音楽祭のライブをテレビで見て、世界の大衆音楽の素晴らしさを知ったものである。
しかし、ヨーロッパにはまだこのような「世界大衆音楽の祭典」が開催されている。
それは「ユーロビジョン」と呼ばれ、1956年から今でも続く、半世紀以上の歴史を持つ大会だ。
大会に参加できる国は、欧州放送連合に加盟している国に限られ、毎年40ヵ国程度が参加している。
大会はコンペティション形式になっており、予選、準決勝、決勝を経て、最も優秀な楽曲「グランプリ」が与えられる。
参加国は「イギリス」のような大衆音楽大国から小国「アンドラ」まで様々である。しかし皆様も興味が沸かないだろうか、アンドラの音楽とはどのようなものかと。
このようなところが「世界の大衆音楽祭典」の醍醐味ではないだろうか。
私が渇望するのは、この「ユーロビジョン」が「アジアの大衆音楽」を取り込み、本当の意味の「世界大衆音楽祭」を開催することだ。
また、ユーロビジョンでは、どうも英語の歌が多いように感じるが、自国の言葉で、自国に伝えられてきた大衆音楽を披露することが望ましいと思う。
「世界の大衆音楽」。今は「ワールドミュージック」としてジャンルを確立している。このジャンルはもう30年以上の歴史を持つ。
そろそろ一か所に世界の大衆音楽を集め、コンペティションを開催しても良い頃だろうと私は思う。
今年のユーロビジョン2019は、既に開催された。
下にその動画を貼った、是非皆様にに見ていただき、世界の大衆音楽の素晴らしさを感じていただきたい。
なお、この動画はこのページでは再生できない、YouTubeで見るをクリックして見ていただきたい。

Eurovision Song Contest 2019 - Grand Final - Live Stream




明日のためにその356-今週の一曲。

2019年07月12日 | 今週の一曲
みなさま、週末のひととき、いかがお過ごしでしょうか。
今回の今週の一曲は、オレンジジュースの曲をご紹介します。
オレンジジュースは、1976年にスコットランドで結成されたグループ。
インディーズ時代の彼らは、ソリッドでストレートなサウンドで、私も大好きなバンドでした。
しかし、メジャーレーベルへ移籍後の彼らのサウンドからは、それがもうなくなっており、ガッカリした事を憶えています。
今回ご紹介する楽曲は、彼らのインディーズ時代のもので、ソリッドでストレートなサウンドを聴かせてくれます。
では、ご堪能あれ。

Orange Juice - Blue Boy - NME C:81 Cassete




明日のためにその355-ぼけますから、よろしくお願いします。

2019年07月10日 | 邦画
夫唱婦随。

人間はなぜ老いるのだろう。
「老いていいことなど一つもない」とは「パルプフィクション」のヴィング・ライムス扮するギャングのボスの言葉。
実際にそう思うこともある。気力は失せかけて、体力も落ちる。感性も徐々に鈍るだろう。
しかし生き物は、生れ出たころから年を取り始める。死にむかって歩き始めるのだ。
今回紹介する映画は「ぼけますから、どうぞよろしく」
高齢の夫婦の介護の模様を追ったドキュメンタリーだ。
監督はのこの夫婦の一人娘である。
ストーリーを紹介しておこう、

映画撮影当時、父親は98歳、母親は89歳。
母親は数年前に、アルツハイマー型認知症を患っていた。
娘は独身で、母親の介護のために地元に戻ってくると言ったのだが「自分の元気なうちは、自分が面倒を見る」と言う父親の言葉におされ、思い切って高齢ではあるが、父親に母親の介護をたのむことにした。
しかし、それが心配な娘は、たびたび実家に帰り母の様子をうかがう。
父親は腰も曲がり、まともに歩くことも難しい。そして耳が遠い。
できるだけ助力せず、その様子をカメラに収めていく娘だったが........

カメラは冷静に両親の様子を捉えていく。さすがに危ないときは、カメラを止めて娘が家事などを手伝う。
「男子厨房に入らず」がモットーだった父だが、彼が家事全般をこなすようになる。時には裁縫まで行う生活の変わり方。
この映画を観ていると「なぜ人は年を取るのか」と言うことが、一種不思議に思えてくる。
母は若い時、今で言うキャリアウーマンであり、カメラが好きだったらしい。
病気になる前は書道を始め、或る大会で優秀な成績をあげたと言う。
今、自分のカメラの前にその母はいない。つい先ほどの行動等の記憶を無くした「痴呆老人」がいるだけだ。
監督と言えども、かなり辛い撮影だったろうと、心中慮らん。
両親ともに良い人生を歩んできたとおぼしいが、何か業を背負っているのだろうか。
カメラはラスト、60歳頃だろうか、両親が並んで歩いてくる姿を映す、そして数秒後、現在の両親の歩いてくる姿を映す。
夫唱婦随。その姿には夫婦だけにしか分からない絆が見えてくる。
利己的な人間同士が結婚し、夫婦生活が破綻して離婚に至るのが当たり前のような現代、若い人たちに是非観ていただきたい映画だと切に願う。

2018年、日本製作、カラー、102分、監督、撮影、語り:信友直子