ダーリン三浦の愛の花園

音楽や映画など徒然なるままに書いてゆきます。

明日のためにその336今週の一曲

2018年11月23日 | 今週の一曲
みなさま、週末のひととき、いかがおすごしでしょうか。
今回の今週の一曲は、Buddy & Julie Millerで「Gasoline And Matches」
この夫婦デュオは、カントリー音楽界では有名ですが、日本ではあまり聞いたことがないかもしれません。
独特の重厚なグルーヴをお聴きください。
では、ご堪能あれ。


明日のためにその-335 今の学習のありかた。

2018年11月20日 | 日記
あまたある映像授業。

今、学生達にとって、学校とはどんな存在なのだろう。
それは、1970年代頃から始まっていたとおぼしい。そう「学習塾」の存在が学校のありかたに変化をもたらしていた。
小学校~中学校は、卒業証書をもらう場所。
問題はこの最中から、いかに進学率の高い「良い高校」へ入学するか、そのための助走路として義務教育は利用されることとなった。
そして今や時代は「パソコン」「インターネット」「スマホ」の時代である。
スマホなどは、娯楽から教養・情報を詰め込まれた、モンスターアイテムとなった。
今回紹介するのは、このインターネットを利用した「電子学習塾」と言える「映像授業」についてだ。
最近面白いサイトを見つけた。

成績のび太

このサイトは、非常に簡潔で、読みやすく、数ある映像授業について、利用者の観点からベストと言える映像授業を紹介している。
特に感心するのは、利用者が最も関心を持つであろうカテゴリーについて、的確な内容でそれを説明しているところである。
そして、映像授業のメリットだけではなく「デメリット」も記載してあるところは見事。
一見便利そうに思える「映像授業」だが、様々なデメリットもあるというのは知っておくべきだろう。
このブログを読んでいただいている方達も、是非一度リンク先からこのサイトを見て、様々な知識を得ていただきたい。
これからも日進月歩であるテクノロジー社会は、どうなっていくのか。未来が楽しみでもある。

明日のためにその-334今週の一曲

2018年11月16日 | 今週の一曲
みなさま、週末のひととき、いかがお過ごしでしょうか。
早いもので、平成も30年をむかえました。
今週の一曲は、平成元年に放送を開始した「平成名物テレビ いかすバンド天国」の出場バンドの楽曲をご紹介します。
そのバンドは「グレートリッチーズ」とてもドライブ感があり、素晴らしい演奏を聴かせてくれるバンドでした。
一旦はメジャーデビューしたものの、その後音沙汰を聞きません。
今はどうしているのでしょうか。
では彼らの演奏で「あさねぼう」
ゆっくりとご堪能あれ。


明日のためにその333-愛と希望の街

2018年11月10日 | 邦画
格差社会への強烈なメッセージ。

今の日本は裕福になったものだ。
私の幼い頃には、貧乏な家庭が多く、私の家庭もその例にもれなかった。
しかし、私の記憶では、1980年代以降、日本に「中流階級」が確立され、昔の貧困層も数を減らしたと思っている。
今や日本の家庭に、その貧乏を振り返る者も、興味を抱く者もいないだろう。
本日紹介する映画は「愛と希望の街」
監督大島渚のデビュー作である。
ストーリーを紹介しておこう。

正夫は貧困層の家庭で暮らす中学生。ある日彼は街で富裕層の家庭で暮らす京子と言う女子高生と出会う。
純真な京子は、正夫の家庭環境に哀れみを持ち、彼と友達となる。
正夫も京子と心が通じあい、お互い良い友達関係を続けていたのだが.........

ストーリーの後半で、京子は正夫がある「詐欺」をしていたことを知る。
彼女は大いに怒り、悲しみ、正夫の元を離れてゆく。
しかし、正夫は貧困のあまり、それをしなければ生活ができなかったのだ。
この映画には、当時(昭和30年代)の格差社会に対する強烈なメッセージを発信している。
何故同じ人間なのに、何も悪いことをしてもいないのに貧富の差に苦しまなければいけないのか。
この映画は観る者の心を締め付けてやまない。
そしてラスト、光さえ飲み込んでしまう、ブラックホールのような、救いようのない悲しさに観るものは心うたれるだろう。
この映画は、間違いなく大島渚の代表作であり、傑作である。
まだ観ていない方には、是非観ることをお勧めする。

1959年日本製作、モノクロ、62分、監督:大島渚


明日のためにその332-メディアとツイッター

2018年11月05日 | 日記
コマーシャルよりも邪魔な存在。

インターネットが普及して、もう20年程経過しただろうか。
私がインターネットを始めた頃は、常時接続等なく、電話回線を使用していた。
しかし今は、常時接続が当たり前である。
いつでも好きなとき、好きなだけインターネットが利用できる、便利になったものだ。
それに伴い「SNS」系統のサービスも普及してきた。
代表的なのが「フェイスブック」「ツイッター」あたりだろうか。
私はSNSに興味は無く、全く利用していない。
特にフェイスブックは、個人情報の集積場所なので、利用する意思は私には無い。
このSNSの中で特に「ツイッター」については、私はかなりの不満を持っている。
ツイッター自体に不満を持っていると言うよりも、その使われ方に不満を持っていると言った方が正しいかもしれない。
最近はテレビ、ラジオの生放送で、ツイッターによる視聴者からの意見を募集している番組が多くなった。
ラジオはまだしも、テレビにおいては画面下にツイッターのメッセージ等が常にうつされている。
これがとても見ていて邪魔である。
これと似たものが、ヴァラエティ番組でVTRを流しているとき、スタジオのゲスト等がPIPで画面すみにうつしだされるパターンが殆どだ。これがまた見ていてうるさい。
生放送のツイッターメッセージは本当に邪魔である。
テレビを観る時に、それに集中できないのである。
メッセージを送った人も、自分のメッセージが放送されるか、期待を込めてテレビを観ているはずである。
さすれば、番組内容はそっちのけで、そればかりに注意がいき、ゆっくり番組を楽しめていないと、私は推測するのだが......

ツイッターを使用していない私の邪推と思われる方もあろう。しかし、前述したような、ツイッターの利用方法(放映方法)は、何度見ても画面がうるさくなって、番組に集中できない。
邪魔の度合いで言えば「コマーシャル」よりもうるさい。
皆様はどうお考えだろうか。