ダーリン三浦の愛の花園

音楽や映画など徒然なるままに書いてゆきます。

明日のためにその115-ビートルズ再考

2013年10月25日 | パンク&ニューウエイヴ
初期のビートルズ=80年代ニューウエイヴ?

最近故あってビートルズを聴くことが多い。
私が学生時代、既にビートルズは解散していて同世代の体験者ではない。
しかし彼らの楽曲を聴いたときの驚きと新鮮さは未だ心から消えていない。
ビートルズのデビュー以来様々な「リバプールサウンド」と呼ばれるビートルズの楽曲をまねたグループが沢山デビューした。
これは世界の音楽業界に革命をもたらし「ブリテッシュインヴェンション」と呼ばれるようになった。
私がビートルズの楽曲に覚えた驚きなどを再度体験させてくれたのが80年代に数々のバンドを排出した「パンク・ニューウエイヴ」である。
セックスピストルズの過激で新鮮な衝撃の後、私が好んで聴いたのは「ニューウエイヴ」の楽曲だった。
「ニューウエイヴ」の範囲は当時は幅広くどこからどこまでがそれなのか限定されていなかった。
現代ではかなり当時の「ニューウエイヴ」の楽曲はジャンル化されている。
以前このブログでも取り上げた「ウイークエンド」などは当時で言うとニューウエイヴにジャンル分される。
このブログで取り上げた他のバンドもその多くは当時ニューウエイヴのジャンルに属する。
話を本題に戻そう。
何故私が「初期のビートルズ=80年代ニューウエイヴ」と位置づけるようになったのか。
それはメロディの特殊性とシンプルでソリッドなアンサンブルによるところが多い。
ビートルズの初期の楽曲は明らかに同時代の他のポピュラー音楽の楽曲と相違するところが多い。
「キャッチーでシンプルなメロディ」ビートルズが時代に革命をもたらした所以である。
「シーラヴスユー」「抱きしめたい」に見られるシンプルでストレートな8ビート。
アルバム「プリーズプリーズミー」「ウイッズザビートルズ」に見られる同様な楽曲傾向。
この全てが「80年代のニューウエイヴ」に通じるところがある。
代表格では「モノクロームセット」「テレビジョンパーソナリティーズ」方法論こそ違うが「スエルマップス」もそれに含まれると思う。
「パンク・ニューウエイヴ」からかなりの年数が経過したが最近は前述のような聴き方でビートルズを聴くことが増えている。
ここ最近のバンドでは「アークステックモンキーズ」がそれに近いティストを持ったバンドではないだろうか?
「パンク・ニューウエイヴ」当時聴いていた方は初期のビートルズを是非聴きなおして欲しい。
それには20年先の音楽未来予想図が織り込められていたのだから。

明日のためにその114-大衆音楽の真実

2013年10月13日 | 
ポピュラー音楽の歴史を紐解く傑作本。

私は1980年代の後半様々な音楽を聴いてきた結果それに飽きてしまった。
1980年代初頭に始まった「パンク・ニューウエイヴ」も一段落してアメリカの音楽が次第に世界のポピュラー音楽に影響を及ぼしていった。
邦楽についても「歌謡曲」が徐々に減り始め「J-POP」なる新しい分野が台頭、中心は若いバンドの楽曲となっていった。
私はその頃自分のバンドの楽曲作りで忙しく、あまり他のミュージシャンの作品を聴いていなかった。
更に古典楽曲が好きだった私は古いキューバーのLPなどを買いそれを聴いていた。
ある意味私の音楽を聴く空白を埋めてくれたのはそれらの古典ポピュラー音楽だった。
ちょうどその頃一冊の本が出版された。
今回紹介する「」である。
作家は音楽評論家でもある「中村とうよう」
私は早速その本を読んでみた。
まさに目から鱗、私の音楽の世界観が広がった。
世界で最初に確立された音楽はインドネシアのクロンチョンと言うもので16世紀あたりの出来事だとこの本にはある。
そしてポピュラー音楽とは国同士の混血音楽であると明言している。
この本には実際に文中で紹介した楽曲が聴けるようにLP2枚組みのレコードが2種類発売された。
私は逸る気持ちをおさえながらこのLPを2種類とも購入し、聴いてみた。
私は思った「これぞ求めていた音楽これからは必ずこれが流行る」
まだ「ワールドミュージック」と言う音楽ジャンルが生まれる前である。
それから私は輸入レコード店に足しげく通い様々な古典ポピュラー音楽のLPを買っては聴いていた。
今でこそ市民権を得た「ワールドミュージック」であるが当時は流行盤などレコード店には置いておらず前述のように古典盤を買うしかなかったのである。
この500ページを越える大書、その中身は濃くて深い。
この本を読み世界のポピュラー音楽に興味を持ってから一年程度経た時初めて「ワールドミュージック」と言うジャンルが確立され様々な世界のポピュラー音楽の新譜が入手できるようになった。
前述したLP2枚組み2種類のレコードは後に曲を追加しCDで3種類発売された。
私はこれを買いそこねていたので先日オークションで3種類まとめて買った。
買って驚いたのだがCDは単にLPの曲に他の曲を追加したものではなく、殆どの曲はLPに収録されていたものだがLPに収録されている曲でもCDに収録されていない曲や曲は収録されているが歌手が違うものなどあり、結局LP、CDともに買わないとこの本の著者が提示してくれたサンプルは聴けないことになる。
できれば本と音源を購入しワールドミュージック流行前夜を味わっていただきたい。
1986年初版、著者:中村とうよう。


明日のためにその113-M.S.スブラクシュミ

2013年10月12日 | ワールドミュージック
至高の歌声。

インド音楽と言うと皆様はどのようなものを想像するだろうか。
やはりシタールを代表としたアンサンブルを想像する片が多いと思う。
インド音楽の現状と言えばパンジャミ地方で発展して言った「バングラビート」がイギリスのクラブ音楽とコンフュージョンして新しいビートを作っている。
かなり「バングラビート」の基本から逸脱した音楽がそこにはある。
それはそれで面白いのだが本来の「バングラビート」の土臭さが消えてしまい私としては残念な気持ちもある。
今回紹介するのは「M.S.スブラクシュミ」の「至高のインド声楽」である。
南インドの古典音楽の女性の歌い手である。
アンサンブルは想像に難くない古典的なものでそこに彼女の軽やかな声が自在にグルーブを作ってゆく。
歌をこれほど軽やかにそして独特のうねりを持って歌う歌手を他に私は知らない。
前述した「バングラビート」を含めインドには様々な音楽形態がある。
その殆どはアップテンポで女性歌手と言えば甲高い声で歌を歌う。
ボリウッド系の映画音楽などはまさにその典型的な例であろう。
以前このブログで紹介したインドの男性プレイバックシンガー「キショレクマール」とは正反対の古典音楽における美の頂点がこの「M.S.スブラクシュミ」であろう。
残念なことにこのCDは現在廃盤となり高値で取引されている。
だがインド音楽のCDを専門に扱うネットショップではこのCDは入手できないが他のCDなら入手可能である。
彼女の歌を綴っていく様を是非聴いていただきたい。

明日のためにその112-ウイークエンド

2013年10月11日 | パンク&ニューウエイヴ
もの静かで落ち着いたサウンド。

1980年代のパンク・ニューウエイヴ全盛の頃、様々なバンドが人気の渦中に分裂し新しいバンドを結成していた。
代表的なのはマークスチアートが率いた「ポップグループ」であろう。
白人ファンクとして有名だった「ポップグループ」は2枚のアルバムを残し解散してしまう。
そして「ピックバック」と「リップリグアンドパニック」の2つバンドに分かれた。
マークスチアートはどのバンドにも属せず、単独でメタミュージックへ転進した。
今回紹介するバンド「ウイークエンド」も男女混合バンドだった「ヤングマーブルジャイアンツ」が解散し、そのヴォーカリストの女性「アリソンスタットン」が結成したバンドである。
この「La Variet」はバンドのデビューアルバムである。
サウンドは落ち着き、静かで、とても癒されるものである。
昼下がりに聴くにはちょうど良いテンションだ。
全体はボサノバを基調にしたサウンドでアルバム全体も良くまとまっている。
前述の「ヤングマーブルジャイアンツ」からはもう一つ「ザ・ジスト」と言うバンドも生まれている。
こちらは典型的なテクノバンドであった。
1980年代はまさに群雄割拠、様々なバンドが生まれては分裂し新しいバンドを結成していた時期でもある。
更に特徴的にはアメリカのロックやポップスとは一線を引いた方向性の違いが明確であった。
第二のブリテッシュインベイションであった。
今回紹介したこのウイークエンドのアルバム、時と場所を選ばずに聴ける名盤であろう。


明日のためにその111-ヴェルヴェット・アンダーグラウンド

2013年10月10日 | ロック
ノイジーでソリッドな音。

私の好きな80年代のパンク・ニューウエイヴのバンドはその殆どが1970年代に結成されている。
70年代の音楽界は正に混沌、アートロックやプログレッシブロック派手なコスチュームで演奏するグラムロック。
音楽のメインストリーム不在の時代と言える。
しかし時代は確実に動いていた。
そのような状況下次世代の音楽を目指し様々なロックバンドが産声を上げていた。
今回紹介するヴェルヴェット・アンダーグラウンドは時代こそ60年代終盤のバンドだがこれ以降現れたバンドの先駆けとなった。
1965年に結成されその後あの「アンディウオフォール」に見出されデビューしている。
そして1968年に歴史に残る名盤「ホワイト・ライト/ホワイト・ヒート」を発表、しかしその後バンドの方向性の違いからメンバーの交代があり音楽性も変化していった。
このバンドの中心人物は今も現役で活躍する「ルー・リード」である。
彼はこのバンド脱退後も名作、問題作を次々と発表している。
今回紹介するのは別名「ヴェルヴェット・アンダーグラウンドⅢ」と呼ばれる彼らの三作目のアルバムである。
前述した二作目の「ホワイト・ライト/ホワイト・ヒート」を紹介したかったがあまりにも前衛的過ぎるので今回は「ヴェルヴェット・アンダーグラウンドⅢ」の紹介となった。
内容はいたってシンプル、前作のノイズを全体的にフィーチャーしたアルバムと違い聴きやすい内容となっている。
一曲目のバラード調の「キャンディセッズ」から始まりノイジーでソリッドな「ホワットゴーズオン」を含む全10曲で構成されている。
どの曲もシンプルでケレンの無い見事な仕上がりでとなっている。
個人的には彼らのアルバムの中で一番好きなものである。
「ヴェルヴェット・アンダーグラウンド」
その後の洋楽界をリードすべく現れた稀有なバンドだ。
是非お聴きになることをお勧めする。

明日のためにその110-西鶴一代女

2013年10月09日 | 邦画
圧倒される力強い傑作。

人間うまく行かないときはとことんどん底まで叩き落とされることがある。
人生様々である。
自分と他人の人生を比べ他人に嫉妬する人も少なくあるまい。
どん底まで叩き落された人生、果たしてそこで「希望」は持てるのか、あとは「どん底」から這い上がるだけの力を持っていれば幸福になれるのか。
自身そのことを考えることがしばしばある。
しかし結論はまだ出ていない。
今回紹介する映画は昨日このブログで紹介した日本映画三巨匠の一人「溝口健二」の作品「西鶴一代女」
である。
ストーリを紹介しておこう。
或る荒れ果てた寺に娼婦達が集まっている。
その中に主人公の老いた厚化粧をしてもその老いを隠せない娼婦がいた。
彼女は百姓が焚き火をしているところへ寺のそうから引きずり出され晒し者にされる。
彼女はいたたまれなく寺の羅漢堂へ入る。
そこに並ぶ仏像を見ながら彼女は自分の歩んできた人生を振り返りはじめる.......
時代設定は江戸時代ごろであろうか。
ここに描かれた主人公の女性はもともと御所づとめする裕福な家庭の娘だった。
しかし実らぬ恋をしたときから彼女の人生は転落する。
男たちに翻弄されながら彼女は必死に生きてゆく。
その過程を溝口健二は見事に力強く描き続ける。
彼の代名詞でもある「ワンシーンワンカット」の長撮り。
主人公を俯瞰で捕らえ彼女が旅を続ける姿を名がまわしでとったショットなどは彼の真骨頂であろう。
溝口健二は他にも「大阪(なにわ)エレジー」「祇園の姉妹」など男に翻弄されながも力強く生きてゆく様を描いた映画を撮っている、まるで女性に対する「自立」への応援歌のように。
溝口健二の評価は日本ではあまり高くないと私は想っている。
しかし欧州での評価は高い。
彼の懇親を込めたこの作品まだ観ていない方には是非観ることをお勧めする。
1952年日本製作、1952年4月日本公開、モノクロ148分、監督:溝口健二、ヴェネツィア映画祭国際賞受賞。

明日のためにその109-東京物語

2013年10月08日 | 邦画
親子の絆を問いただす日本映画の傑作の一本。

人間、生まれて成長していく過程で様々な人々と巡りあう。
付き合いの浅い人、深い人それぞれやはり「縁」と言うもので結ばれているのだろう。
人としての最大でかつ幸せな「縁」は愛する人との巡りあいにある。
老若関係なく男女の結ばれる媒体となるのはこの「縁」なのである。
自分を苦しい思いをして生んでくれた母親、一緒になって育ててくれた父親。
両親と自分ある意味深い「縁」で結ばれているのであろう。
そして家庭という環境で「絆」が両親と自分の間に芽生えてくる。
今回紹介する一本はこの親子の絆とはなにかと問いかける日本映画屈指の名作「東京物語」である。
ストーリーを紹介しておこう。
尾道に暮らす老夫婦周吉ととみは東京へ旅行に行くことにする。
今では離れて東京で暮らす子供たちを訪ねていこうというのだ。
子供たちに逢うのを楽しみにしている周吉ととみであったが、すっかり自分たちの家庭を持ち独立している子供たちは二人をけむたがる。
唯一やさしくしてくれたのは戦死した息子の嫁であった。
二人は満足した様子で尾道へと帰ってゆくのだが......
劇中で二人を煙たがった娘が小遣い銭を渡し二人を熱海旅行へ追いやる。
この一連のシークエンスの侘しさ儚さは未だに私の記憶に残っている。
監督は小津安二郎。
日本映画の巨匠であり欧州の映画監督から崇拝されている人物である。
以前このブログで紹介した「ルアーヴルのくつみがき」カリアスマキ監督も彼を崇拝している。
小津安二郎監督の映画は常に平凡である。
平凡な日常や親と子の絆を似たような題材で撮る。
しかし一作一作違った味があり全作品を観ても飽きることなど無い。
昨日このブログで紹介した「黒澤明」と「溝口健二」彼らに小津安二郎を加えたのが「日本映画三巨匠」である。
渡し自身とても小津監督は好きである。
とくに彼はふてぶてしい才能を持った監督である。
彼なら恋愛物からアクション物まであらゆる映画を撮れた世界でも珍しい実力を持った監督であると思う。
しかし彼はそれをせず映画人生を「平凡な日常」と「親と子の絆」だけにこだわり映画を撮り続けた。
日本だけではなく世界を代表する一本と言っても良いこの作品、まだ観ていない方には是非観ることをお勧めする。
1953年日本製作、1953年11月日本公開、モノクロ136分、監督:小津安二郎

明日のためにその108-酔いどれ天使

2013年10月07日 | 邦画
黒澤明の初期の傑作。

以前このブログで黒澤作品については何本かご紹介した。
しかし今回紹介する映画抜きで初期の黒澤は語れない。
その映画とは「酔いどれ天使」である。
戦後間もない街を舞台とした医師と若いやくざの物語である。
ストーリを紹介しておこう。
アルコール好きな周りからは「酔いどれ」と呼ばれている医師真田はある日手を怪我した松永と言う若いやくざを手当てする。
彼はこの近辺の闇市を仕切っている若いが大物のやくざだった。
怪我の治療中妙な咳をする松永に真田は「おまえたちような自堕落な生活をしているものは結核にかかりやすい」と言う「それなら結核かどうか診てもらおうじゃないか」を上着を脱ぎ捨てる松永。
眞田は彼の体に聴診器をあて、彼が結核であることを見抜く。
それを聞いた松永は真田に手荒い態度をとりその場を後にする。
後日結核患者というとどうしても見捨てておけない眞田は彼の出入りする酒場へ何度も足を運び治療をうけるように説得する。
最初は彼を煙たがっていた松永だが徐々にその心境は変化をしてくる.......
まずこの映画で見事なのは戦後間もない風景を完全に再現したセットであろう。
これは古川ロッパ(昭和初期の名コメディアン)が主演した「新馬鹿時代」のセットをそのまま流用したものだという。
立派なセットをその映画のためだけに使うのはもったいないと考えてこの映画にも使うことになったらしい。
そして映画の創りは文句なくつけいる隙のない出来栄えである。
それに加え松永役の三船敏郎の演技が圧巻である。
そのギラギラした強烈な個性はこの一本で三船を世間に知らしめるには十分であったろう。
そして初期の黒澤作品に見られるようにはっきりと主題を表現し、その映画内でそれを言い切る力強さは見事である。
名シーン、名シークエンスはいたるところにあり、いつまででも語れそうな映画である。
そしてラスト、はかなく悲しい結末には美しささえ感じさせられるところがある。
そして黒澤はこの映画の最後に映画を通して語る「希望」と言うものの素晴らしさを。
1948年日本製作、1948年4月日本公開、モノクロ、98分、監督:黒澤明

明日のためにその107-SoundHound

2013年10月05日 | オーディオ
ベネフィットなアンドロイドアプリ。

前回このブログでアンドロイドについて書いてみた。
先ず書いておきたいのだが前回のブログで試してみたいと思っていた「SoundHound」を所有しているヘッドセットを端末に接続して試してみた。
前回書いたとおりこのアプリはマイクを通じて自分の聴きたい・知りたい曲をハミングなどすることによってアプリがそれを解析して該当の曲を探し出してくれるというものだ。
自身バンドでヴォーカルをしているのでもし該当曲が見つからなかったら恥ずかしいと思いつつ試してみた。
その結果なのだが見事アプリは私の歌ったメロディーを解析して曲を探し当てた。
私はカルチャーショックを受けるに至った。
皆様も是非一度このアプリ試していただきたい。
本題にもどるがあれから様々なアプリをダウンロードして試してみた。
その中に今一番私が利用している私にとってのベネフィットなアプリがあった。
「jango radio」
これがそのアプリである。
利用方法はいたって簡単、自分の好きなミュージシャンを検索する。
該当があればアプリが自動的にそのミュージシャンのステーションを作成してくれる。
後はそれを再生するだけ。
アプリ側がそのミュージシャンを好きであろう人達の好みに合う曲を連続して流してくれる。
この様なアプリ(サービスも含む)は様々あるが「jango radio」は今まで私が試した中でもベストである。
本当に自分の好みを知っているのではないかと思うような選曲にははなはだ感心するばかりである。
私は80年代のパンク&ニューウエイヴが好きなのでそのようなステーションを作成したが自分の好きな曲が次々流れてくるのには喜びさえ感じる。
この「jango radio」無料アプリなので是非試していただきたい。
なお、ステーションを作成する作業はスマートホンよりPCの方が楽である。
自分の好みの一曲と出会える可能性の高い優秀なアプリである。


明日のためにその106-アンドロイド端末

2013年10月01日 | オーディオ
遊ぶにはもってこいのアンドロイド。

今やスマートホンはしっかり市民権を得た。
電車に乗っていても何人かはスマートホンで何やら楽しんでいる。
私は携帯電話を所有していない。
今時珍しい人種と言える。
しかし前からこのスマートホンに搭載されている「アンドロイド」と言うOSには興味があった。
様々なアプリと呼ばれるプログラムが豊富に揃っているということを私は知っていた。
しかしそれを使うためだけに「携帯」を買うのもばかばかしい。
先日偶然に海外製のアンドロイド端末を見つけた。
アンドロイドのアプリを利用できるもので「携帯」ではない。
当然携帯電話の機能はついていない。
アンドロイドは試してみたいが携帯を必要としていない私にとっては好都合な商品である。
値段も日本円で一万円未満、おもちゃとして楽しむのにはちょうど良いと思って買ってみた。
使い勝手はなかなか良く様々なアプリが楽しめる。
ライブ壁紙と言う動く「壁紙」から音楽ソフトまで殆どのアプリをこれで楽しめるようになった。
出力映像画面も日本のハイヴィジョンモードに設定できとても見やすい。
様々なアプリの中、私が一番試したいものがある。
「SoundHound」と言うアプリだ。
このアプリを起動してマイクに聞きたい曲をハミングしたり歌ったりするとかなりの確率でその曲を探し出して演奏してくれると言うのだ。
多分スマートホン用に作られたものだろう、私の買った端末にはマイクはついていないのでまだ試したことはない。
私の買った端末にはUSB端子が複数装備されているので機会があればヘッドセットを接続してそのマイクからこのアプリが使用できるか試してみたい。
その他様々にアンドイドで利用できるアプリは枚挙にいとまがない。
これからもグーグルストアを通じ購入した端末で使える面白いアプリがあったら紹介したいと思う。