ダーリン三浦の愛の花園

音楽や映画など徒然なるままに書いてゆきます。

明日のためにその440-パラサイト半地下の家族

2020年02月12日 | アジア映画
カンヌ、アカデミー賞受賞作品。

今年のアカデミー賞で、奇跡が起きた。誇張表現と思われる方もいるだろうが、私にとっては「奇跡」以外の何物でもない。
そう、韓国のボン・ジュノ監督の映画「パラサイト」が、アカデミー賞の監督賞と作品賞を受賞したのだ。
これは92回を誇るアカデミー賞の中で、母国語の「英語」以外が使用された映画が、作品賞を取るのは初めてである。
それもアジア圏からそれが現れるとは、誰も予想だにしなかったことではないだろうか。
早速それを受けて、私もパラサイトを観に行ってきた。
普段ならばここで、ストーリーの紹介をするのだが、この映画、ストーリーを紹介すると、全てネタバレとなってしまうので、あえてここは割愛させていただく。
よって、今回は、私のこの映画を観たストレートな感想を書いてみたい。

ボン・ジュノ作品は何本か観ており、正直あまり好きな監督ではない。
何と言うか、作品は実に上手く作ってあるのだが、その作りの上手さがスクリーンに出過ぎてしまって、少々鼻につくのだ。
今回もそのような点が目立つのを覚悟に、劇場へと足を運んだ。
しかしどうしたことだろう、いくら時間が経ってもその「鼻につく上手さ」が全く出てこないのだ。
これは意図的なものか、彼の作風が変わったのか、私は知るべくもない。
ここについては、観終わった後、今になっても、この映画の最も疑問な点である。
そして、韓国映画については、いつも思うのだが、脚本が上手い。
韓国映画は脚本で持っていると、私は常々思っている。
この映画も例外ではない、脚本の上手さが目立つ。
しかし、前述のとおり、監督の映画作りの上手さは、全く目立っていない。
繰り返し申し上げるが、いつものボン・ジュノの映画とは違うのだ。
それが功を奏したと言うことは無いと思うのだが........
それと、何故か映画の前半に、是枝裕和の「万引き家族」の臭いがしていた。(私だけがそう思ったのかもしれないが)

韓国には名匠「キムギドク」が居る。果たしてボン・ジュノは彼に追いつき、追い越せるのだろうか。
各国の映画賞を受賞した作品が、全て名画とは限らない。後に語られる映画になるとも限らない。
果たしてこの「パラサイト」は、後年どのような評価を受けるのだろうか。
私自身は、傑作と呼べるほどの映画だとは言えないと思った。これが素直なこの映画の感想である。
しかし、昨年のカンヌ映画祭のパルムドールを受賞し、今年の米国アカデミー賞の作品賞、監督賞を受賞した作品だ。
特にアカデミー賞の受賞内容が凄いので、駄作ではないとは言えよう。
現在公開中であるから、観ていない方には、観ることをお勧めする。

2019年、韓国製作、カラー、132分、監督:ボン・ジュノ


明日のためにその439-The NET 網に囚われた男

2020年02月09日 | アジア映画
国にとっての個人とは何か。

北朝鮮。未だ謎の多い閉ざされた国である。
多くの人民は、貧困で飢えに苦しんでいると言う。
一方南朝鮮(韓国)は、決して裕福とは言えないものの、以前の軍事政権下時代に比べれば、自由な生活を送っている。
この南北朝鮮問題は、いつ解決するのだろうか。
今回紹介する映画は「The NET 網に囚われた男」
南北の朝鮮に、人生を破綻させられた男の物語である。
ストーリーを紹介しておこう。

北朝鮮の漁夫、ナム・チョルは、妻と娘と三人で質素に暮らしていた。
ある日彼は、いつも通り前日に仕掛けた網を上げるべく、小さな船にのり、自分の漁場まで行く。
しかし、網が船のスクリューに引っかかってしまい、挙句スクリューを回転させるモーターまで故障させてしまう。
彼は波の動きに逆らえず、どんどん韓国との境界線に近づき、ついには韓国側へ入ってしまう。
それを見ていた韓国側の兵士は、彼を捉え、警察に引き渡す。
引き渡された所で、彼を待っていたものとは.........

この映画の監督は、キム・ギドク、韓国を代表する一流監督である。
全編見渡した所、彼独自の解釈がこの映画にはでていない。
しかし、さすがはギドク、強烈なメッセージを込めて映画は作られている。
韓国当局に引き渡されたチョルは、一人の優しい若い刑事に親切にされるが、後の刑事には不当な扱いを受ける。
暴行を含んだ取り調べを受けるのだ。
韓国側としては、北朝鮮に彼を帰すことなく、韓国へ脱北し、新しい家族を作り生活してもらうのが狙いだが、彼は断固としてそれを断る。
ソウルの街並みの裕福さを見せ、心変わりをさせる作戦も、彼には通用せず、結局脱北の作戦は不発に終わる。
そんな折、彼が捕まった直後に捕まった別の北朝鮮人が、スパイとして認定されるのだが、彼は取り調べの最中に脱走をして、自らの命を絶つ。
しかし、マスコミの調査で、死んだ彼は北のスパイではないことが報じられ、もはやチョルに対しての、スパイ容疑をでっち上げることが難しくなった。
散々の取り調べの上、チョルは北朝鮮へ、来た時と同じ船で戻ることになる。
北朝鮮に恩義を感じ、徹底的に韓国の取り調べに対抗した彼だったが、北朝鮮に帰国すると、すぐ当局に連行され、韓国で受けたような取り調べを経験する。
「折角帰ってきたのに、この仕打ちは何だ」彼の心からの悲痛な叫びがスクリーンを通じてこちらにも響いてくる。
韓国、祖国で受けた仕打ちに、彼はすっかり人間として壊れてしまっていた。
そしてラスト、彼はいつも通り、魚を捕る網を張りに川に出ようとする。しかし、境界線の警備隊に「お前は既に漁夫ではない、他の仕事を探せ」と冷たい言葉を投げかけられる。
ついに怒り心頭に発したチョルは、警備員の静止を振り切り、船を出す。船を出したら即射殺すると言う警備員の言葉も彼には通じない。
そして彼が船を出した後、銃声が聞こえたのだった。
結局国家にとって、人個人は、大した存在ではないのであろうか。人が集まり、やがて国家と言うものができる。その礎は、国民一人一人の存在ではないだろうか。
この映画を観て、いかに個人と言うもが、国に大切に扱われていないのかと言うことを痛感した。

ギドクの映画の中では、具象的な分かりやす作品であるから、是非観ていない方は観ることをお勧めする。

2016年、韓国製作、カラー、112分、監督:キム・ギドク

明日のためにその392-娘よ。

2019年10月06日 | アジア映画
パキスタンの雄大な風景を捉えた作品。

パキスタン。国としてはよく聞くことはあるが、内情は分からないのが現実である。
国内紛争が、絶えない国として捉えられることが多いと思う。
インド、中国と国境を接した国の内情はどうなのだろうか。
今回紹介する映画は「娘よ。」
日本で初めて公開されたパキスタン映画である。
ストーリーを紹介しておこう。

パキスタンとインド、中国の国境にそびえるカラコム山脈。
10歳になる娘、ゼイブナは、教養の無い母に、英語などを教える母アッララキの宝物のような存在。
しかし、父であり、部族の長であるドーラットは、他の部族と抗争を重ね、先の見えない状態だった。
抗争を終結したい彼は、抗争先の部族の長トールグルと和平を結ぶため、ある条件を受けることとした。
その条件とは、ゼイブナをトールグルの嫁に迎えることだった。
当然両者の間には、父娘以上の歳の差がある。
それを知った母アッララキは、娘を連れて村を脱出することを決意。
早々二人は村を抜け、脱走の旅を始める。
しかし、それを知ったトールグルは、自分の部下達を武装させ、二人を追うことにしたのだが.......

パキスタンの雄大な風景を、しっかり撮ってあり、印象的なシーンはいくつもある。
映画の作りもしっかりしていて、文句は無い。
しかし、何か足りない。それは何かと考えたが、やはり「主題」であろう。
この映画のキャッチコピーは「母と娘の脱出サスペンスドラマ」となっているが、サスペンスとしては要素が弱い。
私などサスペンスと言えば、ヒッチコックの一連の作品や、第三の男、恐怖の報酬等を想像してしまう。
これらの作品は、映画史に残る名作なので、それほどの要素は求めないが、それにしても要素が弱い。
そうなると、主題は何になるのか。母と娘の絆の強さか、それも違う。
この映画は、アカデミー賞のパキスタン代表としてエントリーされたということ。
と言うことは、この作品に「何か」があるのだろう。
残念ながら、私にはそれが感じられなかった。
決して駄作ではない。しかし何かが感じられない作品。
パキスタン映画としては、日本初公開と言うことを含め、興味を持たれた方は観ることをおすすめする。

2017年、パキスタン製作、カラー、93分、監督:アフィア・ナサニエル

明日のためにその390-ドラゴン×マッハ

2019年09月30日 | アジア映画
濃密な作りが楽しめる佳作。

70年代、ブルース・リー。
80年代、ジャッキー・チェン。
カンフー映画は、時代とともにスターを生み、発展してきた。
しかし、昔のカンフー映画は、作りが荒く、今観ると雑な部分がどうしても目に付く。
ここ20年程前からは、徐々にその内容もしっかりし、観ても雑な部分が少なくなっている。
これは、ツイ・ハークの発明した「ワイヤーアクション」やウシャウスキー姉妹の「マトリックス」に見る、カンフーアクションへの憧れからカンフー映画の転機、変化と言うものを生み出したとおぼしい。
今回紹介する映画は「ドラゴン×マッハ」香港のマックス・チャンとタイのトニー・ジャーと言う豪華顔ぶれによるカンフーアクション映画だ。
ストーリーを紹介しておこう。

潜入捜査官のチーキットは、臓器密売の組織に潜入していたが、ある日その正体が組織にバレて、タイの組織の息のかかった刑務所に送られる。
そこで、彼は手痛い仕打ちを受け、香港の警察に助けを求める。
それを知った彼の叔父、チャンはなんとしても彼を助けようと、警察を裏切り、単独で行動を起こす。
一方、白血病の娘を持つタイの留置所の管理人チャイは、チーキットの扱いの酷さに多少の不満を持つようになるが、所長から手厚い養護を受けている手前、自分の意思を表すことができない。
そんな折、所長のボスである心臓病を患っているホンが、自分の弟を誘拐し、彼の心臓を自分に移植する計画を所長に依頼する。
その計画は徐々に進み、ホンの弟を拘束した一味だったが.......

この映画の良いところは、骨子がしっかりしており、その中で濃密な映画の作りが成功しているところだ。
特に格闘シーンでの、音楽の使い方は、そのシーンと対照的な音楽を作り、シーンを印象付ける。
これは、ジョン・ウーが映画「フェイス・オフ」で使った手法と同じもので、その模倣と思われるが、効果としては良くできている。
そして、その格闘シーンが凄い。
特に終盤の、所長とチーキットとチャイとの三つ巴の戦いは、スリル満点で過去のカンフー映画の格闘シーンと比べても、特筆に値する出来である。
カットバックを多用した映画作りの上手さといい、濃密なストーリーといい、現代アクション映画の佳作と言えるだろう。
傑作と言いたいところだが、残念ながらラストシーンに近いところから、つじつまの合わない、説明不能な個所がいくつかある。
ラストは、白血病を克服した娘が成長し、この物語の述懐するシーンで終わっていく。ここの作りは上手いと思わせる。
ただ、ラストのつじつま合わせをしていない分、こちらに伝わってこないところがある。
多少惜しい部分もある映画ではあるが、観て損のない物だ。
是非観ていない方は、観ることをお勧めする。

2015年、香港・中国製作、カラー、120分、監督:ソイ・チェン

明日のためにその376-魚と寝る女

2019年08月28日 | アジア映画
情念突き動かされる映画。

「情念」
感情が刺激されて生ずる想念。抑えがたい愛憎の感情。
または。
深く心に刻みこまれ、理性では抑えることのできない悲・喜・愛・憎・欲などの強い感情。
人々はどんな時この情念を抱くのだろうか。
ストレス社会の現代、案外情念とは人の常識の中に浅く埋もれているのかもしれない。
今回紹介する映画は「魚と寝る女」
ストーリーを紹介しておこう。

湖の釣り小屋を経営している影のある女。
彼女は釣り小屋の世話だけではなく、時には客の要求に応え、自らの体さえ売り物にしている。
そんな彼女のところへ、殺人を犯した男がやってくる。
彼は釣り小屋を要求し、そしてその小屋で夜、自殺しようとピストルを出す。
そんなところへ女は何を察したのか現れ、男の足に怪我を負わせ、自殺を食い止める。
それをきっかけに、男と女は近い関係になりつつあったのだが.......

この映画の主役二人の名前は無い。正確に言うとあるのだが、劇中お互いを呼び合うこともなく、他人も彼、彼女の名前を呼ばない。
映画の最初の字幕に配役名として出ているのかもしれないが、ハングル表記(日本語字幕なし)なので、私には最後までこの二人の名前は分からなかった。
そして、セリフも極端にこの映画は少ない。
しかしさすがキムギドク。朝もやに映る湖畔の風景など、絵的には素晴らしい一服をもらうことができる。
後半、女の情念は極地に達し、男を自分一人のものにしようと思う。
しかし男は、自分はお前のものではない、とはっきり言い、女を貶し、足蹴にする。
だが女も自分の命を懸けて男を止めにかかる。
女の情念が、沸点に達したのだ。
それを見た男も、やがて彼女に惹かれ、共に暮らすようになるのだが、悲しい結末が待っている。
二人の見た、お互いの「情念の成就」は何だったのだろうか。考えるたびに悲しくなる映画である。
しかし、観るものの心を震わせるギドクの作りは見事、彼の傑作のひとつに数えられるべき映画である。
是非観ていない方は、観ることをお勧めする。


2000年、韓国製作、カラー、90分、監督:キムギドク

明日のためにその372-すれ違いのダイヤリーズ

2019年08月19日 | アジア映画
日記が結ぶ愛。

人は劣悪な環境に置かれたとき、どうやって「希望」見つけるのだろうか。
たった一人では戦えるはずもない。
誰か助けが必要である。
または、助けになる物が必要である。
人はそれらを味方に、逆境に立ち向かうのだ。
今回紹介する映画は「すれ違いのダイアリーズ」
劣悪な水上分校に送られた、教師の物語である。
ストーリーを紹介しておこう。

エーンは都会の学校に努める女教師、彼女は右手に彫ったタトゥーについて常に校長から責められていた。
彼女はそれでも頑なに、タトゥーを消そうとはしなかった。
業を煮やした校長は、彼女を劣悪な環境の水上分校に赴任させる。
そして一年後、エーンがわけあって水上分校を後にした時、ソーンと言う体躯教師志望の男性が好調を訪ねる。
体育教師の枠は一杯で、そのかわり水上分校の教師なら雇っても良いという。
なにか職に就きたかった彼は、考える暇もなくそのオファーを受け入れる。
希望を抱き、水上分校へと赴いたソーンだったが.......

ソーンはとても不器用で、生徒たちからもなかなか好かれない。
そんな折、彼は前任のエーンが書き残していった「日記」を見つける。
それを通してソーンは、エーンに憧れと愛を次第に感じて行く。
日記に励まされたソーンは、やがて生徒たちにも好かれ、教師としての自信も身に着ける。
一方エーンは、ヌイと言う昔からの恋人にプロポーズされ、水上分校を後にした。
彼女は都会の学校に教師として勤め、彼氏からの願いで、タトゥーも消してしまった。
しかし彼女には、都会の学校に無機質さを感じており、水上分校に郷愁の念さえ抱くほどだった。
果たしてソーンとエーンの未来はどうなるのか、観客は心おどらせることだろう。

この映画の見事なところは、フラッシュバックの手法だろう。
全くここぞというときに、この手法を使って映画に奥行きを出している。
そして、エーンとソーンの同じ時間をパラレルで作るカットバックの手法、これも実に見事である。
それに加え、カメラのアングルの緻密さにも驚かされる。
映画全体がけれんに満ちて、良い意味で映画たらしの作り方だ。
ラスト近く、二人にがすれ違うあたりの作りのうまさ、そしてラストの何とも言えぬ暖かい終わり方。
まさに近代稀に見る傑作と言えるだろう。
是非観ていない方には、観ることをお勧めする。

2014年、タイ製作、2016年日本公開、カラー、110分、監督:ニティワット・タラートーン

明日のためにその327-カンフー・ヨガ

2018年07月04日 | アジア映画
久しぶりにジャッキーを堪能出来る作品

人のものに対する価値観は、好き、嫌いできまる。
当たり前のようだが、ここに人間の性がある。
嫌いなもの(興味のあまりないものも)捨てる場合は簡単である。
後に何も残らない。
しかし、好きな物を捨てるとなると、そのようにはいかない。
捨てたつもりでも、好きであった感触が、体にしみついている。
本日紹介する映画はジャッキー・チェン主演のアクション映画「カンフー・ヨガ」である。
ストーリーを紹介しておこう。

ジャックは中国で考古学を研究している教授である。
ある日彼の元へ、インドの考古学者アスミタが訪ねてきて、太古の合戦で消えた財宝を探すように依頼される。
ジャックは自分の助手達をつれて、チベットに向かう。
そこで彼らは、財宝に関するあるアイテムを手に入れるが、財宝を受け継ぐ子孫と自称するランドルが表れ、そのアイテムの争奪戦となる。
なんとか、ランドルからそのアイテムを守り抜いたジャック達ではあったが......

久しぶりのジャッキー・チェンのアクション映画である。
私はワクワクした期待感で映画を観た。
正直ジャッキーのアクションの体のキレは、全盛期にかなわないものの、堪能はできた。
彼は、2012年の「ライジング・ドラゴン」を最後に、アクション映画からの引退をフアンに宣言した。
そのライジング・ドラゴンも私は観ているが、その時もアクションの体のキレが鈍ったと思った。
これが、ジャッキーのアクション映画からの「引退」の真意なのかもしれないと少々寂しい気分を味わった。
しかし、世界中のジャッキーフアンは、身勝手なもので、彼のアクション映画をもっと観たいと思っているに違いない。
それが彼に届いたのか、今回のこの映画になって表れたのだろうか。
それとも冒頭に記したように、アクション映画が好きでたまらない彼だからなのだろうか。

この映画のラストシーンは、インド映画ではお馴染みの、多数の男女が入り乱れた大規模なダンスシーンで締めくくられる。
以前、ダニー・ボイル監督の「スラムドック・イン・ミリオネア」でも、インドがテーマの映画だったので、このような派手なダンスシーンで映画の幕を閉じていた。
しかし、この手法は考えなおした方が良い。
ワールドミュージック専門で聴いている私は、かなりのインド映画のPVを観てきた。
本場のそれは、もっと桁の違う規模で、到底真似できるものではない。
インド以外の国がインドを題材にする映画を製作するとき、陥りやすい誤りである。
しかし、その点を除いても、結構ジャッキーらしい作りの映画で、私は満足できた。
万人に受け入れられる作品ではないとおもうので、あまりお勧めしないが、もし何か観たいと思った時、この一本を思い出して欲しい。

2017年中国・インド合作、2017年日本公開、カラー107分、監督:スタンリー・トン

明日のためにその316-トンネル

2018年03月21日 | アジア映画
緊迫したサスペンスの佳作。

人はたった一人、閉鎖された環境に取り残されたらどうするだろう。
外部との通信手段は「携帯」だけ。しかもそのバッテリーには限界がある。
食べ物も無く、飲み物も無く、人はいったいどれぐらい生き延びれるのであろうか。
本日紹介する映画は「トンネル」。
高速道路のトンネルを走行中、それが崩落して、一人その中に閉じ込められた男の物語である。
ストーリーを紹介しておこう。

自動車ディラーのチョンスは、客との契約をとりつけると、一人妻子の待つ自宅へと車を飛ばした。
軽快に彼は車を飛ばし、或るトンネルにさしかかる。
何の気配もなしにそのトンネルへ入るチョンス。しかしいきなり大きな音をたて、彼の車を追いかけるようにトンネルが崩落しはじめた。
彼が気がつくと、そこはコンクリート片に囲まれた孤独の世界。
車のおかげで、九死に一生を得たチョンス。
彼はそこから脱出しようと、救急隊に携帯電話から連絡をするのだが..........

昔から思っていたが、やはり韓国映画は「脚本」で成り立っている。
この映画も脚本が良い。
映画の作りとしては、丁寧そうだが、すこし荒っぽいところもある。
そして幾つかの疑問も残る内容である。
映画の作りが群を抜いていると、そういうところは、観客にとってどうでも良くなるのだが、そこまでの強烈な作りの映画にはなっていない。
具体的な疑問点を露にすると、ネタバレになってしまうので割愛する。
しかし、緊迫感あふれる映画なので、観るに値する映画である。
まだ観ていない方には、観ることをお勧めする。

2016年、韓国製作、2017年日本公開、カラー、127分、監督:キム・ソンフン。

明日のためにその304-人生タクシー

2018年02月21日 | アジア映画
未知の国イラン。

イラン。
遠い日本からは、その実情がつまびらかではない。
イラン映画と言えば「桜桃の味」に代表される、アッバス・キアロスタミが有名であろう。
今回紹介する映画は「人生タクシー」イランの名匠、ジャファル・パナヒ監督の映画である。
ストーリーを紹介しておこう。

パナヒ監督は、政府から映画撮影を禁止され、素人タクシーで道路を流している。
彼のタクシーは乗り合いで、複数の他人を乗せ、目的地に届けている。
タクシーには、様々な人間が乗りあう事になる。
女教師、金魚を泉に返すため乗った忙しい老婆達、そして自分の姪。
様々な人間から現代のイランの内情がつまびらかになっていく......

ストーリーはないに等しい。
乗客の口から、イランに対する不満等々語られるだけの映画である。
よって台詞は多い。台詞だけで成り立っている映画である。
カメラも車内に設置された一台で基本的に映像を撮っている。
この映画はイランの人々の心情吐露で構成されている。
平和な日本にいると、想像も出来ないことが、イラン社会ではマジョリティとなっている。
監督の、運手するタクシーに乗ってくる、乗客の言葉を信じれば、日本では計り知れない人権的重圧があるのだろう。
映画としては、賛否分かれるだろう。
私は、映画の完成度は驚くほど良いものとは言えない。ただ、伝えたいメッセージを伝えるのにはその役をはたしていると思う。
自由な表現、日本ではあたりまえに市民権を持っているものが、イランでは、真っ向から否定されている。
その実情を知るだけでも、観る価値はあると思う。

2015年、イラン製作、カラー82分、第六十五回ベルリン映画祭金熊賞、監督:ジャアファル・パナヒ

明日のためにその297-人魚姫

2018年01月10日 | アジア映画
チャウ・シンチーの独特の世界を感じられる一本。

環境破壊。
今、世界中が注目する現象である。
私が幼い頃には、排気ガスが元の「光化学スモッグ」や、廃棄物が元の「ヘドロ」などの環境破壊が、日本でも話題に上がった。
最近では、中国の「PM2.5」が記憶に新しい。
人間の生活が豊になるにつれ、その憂いを受けるのは自然環境である。
人類の発展と、自然界の発展はシンクロできないものであろうか。
今回紹介する映画は環境破壊をテーマにした「人魚姫」。このブログでも以前紹介したことのある、喜劇役者兼監督チャウ・シンチーの作品である。
あらすじを紹介しておこう。

香港の若手実業家、リウは、大金を投じ、海岸の土地を買う。
その土地を埋め立てて、リゾート施設を作り、大儲けを企んでいる。
しかし、その海には、魚屋、人魚が住み着いていて、本来なら埋め立て禁止地の地区だ。
だが、このビジネスに投資した会社が、魚類を近づけない周波数を発信する「ソナー」をその海に設置し、魚類を一掃してしまった。
当然のこと「人魚」達も苦しめられ、それに憤慨した人魚が、リウを暗殺するように、刺客を立てた。
それは「シャンシャン」と言う女性の人魚で、特別の訓練を受け、リウ暗殺の為、彼に近づく。
計画はまんまんとはかどり、シャンシャンはリウを暗殺できる段取りになったのだが......

この映画は、前半、チャウ・シンチーのいつもどおりの笑いのシークエンスが続き、ちょっと期待はずれだと思った。
そして、後半も大体結末までのシークエンスが見通せる、彼にしては「駄作」の部類に入る作品だと思った。
しかし、後半は、私の推測を大いに裏切り、彼独特の「愛」の世界を展開してみせた。
見事である。
チャウ・シンチーは、やはり「愛」の描き方が、アジアのティストではない。
ヨーロッパ映画に近い描き方に、彼の才能が稀有であることがわかる。
今まで何本も、チャウ・シンチーの映画を観たが、その作りは安定期にあるといえるだろう。
観る方によっては、チープに映る彼の作品だと思うが、私にとっては、お勧めできる作品だと思う。
余談だか、劇中、前半には香港の監督、ツイ・ハークも出演している。

2016年 中国製作、2017年日本公開、カラー、93分、監督:チャウ・シンチー