ダーリン三浦の愛の花園

音楽や映画など徒然なるままに書いてゆきます。

明日のためにその191-今年の収穫。

2015年12月30日 | 音楽
音楽の収穫が多かった年。

私は、先日のブログにも書いたとおり、MP3は好まない。
聴きたい楽曲はCDを購入する。
もう来年もそこまで迫ってきている。そこで今回は、私が「収穫」したCD等をご紹介しよう。
まずは、先日ブログに投稿した「柴山モモ子」のCDだろう。
あれほど歌の上手い歌手が存在していたことを、私は知らなかった。
しかし臭覚が動いたのか、なんとなく購入してみて、大きな収穫となった。
そして、これはCDではないのだが、カセットテープの大きな収穫もあった。
以前ブログに投稿した、インドネシアのダンドゥット歌手「イヌル・ダラティスタ」のカセットだ。
彼女の楽曲で、どうしても聴きたい物があり、贔屓にしているネットショップへ問い合わせた。
しかし、古い商品で入手は不可能と返答があった。
そこで私はネットで検索をしてみた。果たしてそのカセットは見つかった。
私は音楽の趣向がら、世界規模でCD等を売買しているサイトを知っている。
なんと探しもののカセットはそこに一本だけ販売されていた。
今はカセットと書いてはいるものの、当初はてっきりCDだと思ってネットでも検索していた。
もともと、インドネシアでは、音楽を聴くのならカセットテープと言う風潮があり、1980年代のダンドゥイットの名盤もカセットで売られていた。現在もCDとともに、カセットも売られているとおぼしい。
これには大いに喜んだ、今年一番の収穫である。
そして、CD等の媒体ではないが、ユーチューブで最近探していた楽曲を見つけた。
今から三十年程前、私は或るカセットテープを、輸入盤店で購入した。
イギリスの、私が好んで聴いていたバンドが多く所属していたイギリスの「ラフトレード」と言うレーベルだ。
そのカセットには、ラフトレードに属するアーティストのオムニバス構成になっているものだった。
しかし私は、現在そのカセットテープの行方が分からないのだ。
なさけのない話だが、整理方法が悪いのか、どこに収納してあるか見当もつかないのだ。
そのカセットの中で、二曲ほどとても聴きたい楽曲があった。
一つは「アズテックカメラ」もう一つは「テレビジョンパーソナリティズ」二つともバンドの名称である。
アズテックカメラは、ソリッドで瑞々しい演奏がとても好感をもてた。
彼らは暫くして、メジャーデビューを果たす。
これが私にとっては、残念な結果となった。
ソリッドさは身を潜め、やたら豪華なアンサンブルで歌われる彼の曲には何も魅力がなかった。
彼らを追うことは諦めることにした。
テレビジョンパーソナリティズについては、以前もこのブログに投稿した。
彼らはやはり、ソリッドな演奏が好感がもてるバンドである。
私がカセットで好んで聴いていた彼らの曲も、彼ららしさが表現されていてとても良い曲だ。

他にもいくつか収穫があったが、それはまたの機会に別の記事として投稿しよう。

今年もこの拙者のブログを、愛読していただいた方々にお礼を申し上げたい。
皆様も良いお年をお迎えください。

最後に、前述した「アズテックカメラ」と「テレビジョンパーソナリティズ」の楽曲を貼った。
聴いていただけたら、幸いである。

Aztec Camera - We Could Send Letters


Television Personalities - Magnificent Dreams


明日のためにその190-海外CD購入のむずかしさ。

2015年12月28日 | 日記
プロ意識にの無い業者達。

私は、このブログでも紹介してきたとおり、様々な国の音楽を聴く。
そして前回のブログにも書いたように「音楽ダウンロード」反対派である。
以前にも書いたが、同じ「音楽ダウンロード」でも、リマスタリング音源のハイレゾ化のものは購入する。
ポータブルオーディオでは違いが分かりづらいが、ステレオシステムで聴くとMP3(圧縮音源)とCDの音では直ぐに違いが分かってしまう。
ということで、私は好みの楽曲があると、どうしてもそのCDが欲しくなるのである。
しかし、前述のとおり、私の聴く音楽はかなり世間からするとマイナーなジャンルである。当然そのCDを探すのも困難を極める。
だが、ネットでの検索によって、いくつも入手困難なCDは購入できた。
先日も、インドネシアの歌手のCDを探していた、正確に言うと数ヶ月前から探していた。
インドネシアに係わらず、アジアのCDはその購入がとても難しい。
CD発売後、直ぐに誰かかがMP3化して、ネットでダウンロードさせてしまうのだ。
楽曲を聴きたいだけならば、これほど嬉しいことはない。無料で好みの楽曲がダウンロードできるのだから。
しかし、私はCD派である。
どれほど苦労しようが、ネットで気に入った楽曲がみつかると、そのCDをどうしても入手したいのだ。
今回はインドネシアのCDである、かなり手強い。
そのCDの発売を知ったのが、数ヶ月前。かなりの時間を経て、ようやくそのCDを販売しているネットショップを探しあてた。
しかし残念なことに、そのショップは日本には商品を出荷できないのだ。
そこで思いついたのが「輸入代行」である。
輸入代行とは、日本に商品を出荷できないショップ等から、直接現地で商品を買いつけ、日本に送ってくれる業者である。
この業者を見つけるにもかなり苦労した。アメリカやヨーロッパの輸入代行業者は多くあるが、ことインドネシアとなるとなかなか無い。
私はようやくの思いで、ある個人の輸入代行業者を探しあてた。手数料が安いと思ったからだ。
早速その業者と連絡を取った、果たして思ったとおりリーズナブルに利用できることがわかった。
その業者に今回の件を依頼し、即商品代金等を業者の指定する金融機関へ支払った。
しかし、一向にその業者から連絡が来ない。
不審に思った私は何度かメールで業者に連絡をした。その業者からの返事は驚くべきものだった。

「入金(私からの)確認時に、街のCDショップでストックがあるのを確認した。しかし本日(入金確認から数日)買い付けに行ったところストックがなくなっていた。」

要約すると、上記のような内容である。
これには驚いた、私からの入金確認時にショップに在庫確認をしたのなら、何故そのときに商品の取り置きの依頼をしなかったのか。または、商品の買い付けに行かなかったのか。
その業者曰く「商品の買い付けは入金確認後数日以内に行なう」と言っている。
しかし、商品は待ってくれない。日数が経てば売り切れになる可能性も当然ある。

最近はネットの繁栄で、誰でもホームページを作成すれば、直ぐにショップオーナーになれる。
しかし、彼等彼女等に一番たりないものは何か、それは「プロ意識」である。
今回の件もそうだが、以前も私の贔屓にしている個人のネットショップで商品を購入したとき、手際の悪さがあり、注意したことがある。
他人から金銭を頂戴し、作業を行なう、これは既に「ビジネス」である。ビジネスであれば「プロ意識」を持たねばならない。
特に企業を相手にする場合より、個人を相手にする場合の方がその意識は強くなければならない。
個人の財布から出るお金は、企業が取引して出すお金より意味が重い。

今回のCD購入の件は、これからどうなるか分からない。
最後に再度言っておきたい「ネットショップ」のオーナー達よ、もっとプロ意識を持ち、責任感を持ちなさい。

明日のためにその189-ポプコンを振り返って。

2015年12月25日 | 歌謡曲
記憶に残る曲。

今や音楽はダウンロードブームである。
好きな楽曲を試し聴きしては、携帯等にそれをダウンロードする。
CDの売れ行きが悪いのは、このダウンロード販売が原因だろう。
しかし、このような方法が無かった十数年前は、CDを買うのが当たり前だった。
CDは売れた。
国内の歌手でも、数百万枚売り上げたものもある。まさに世界クラスの売り上げだ。
だが、残念なことに、今もそうだが、CDが売れていた時代からそれは始まった。
音楽の使い捨てだ。
ちょっと興味を引く楽曲があれば、CDを買う。それに飽きるとまた次のCD。
これにより、その頃から「記録に残る楽曲の売り上げ」はあるものの「記憶に残る楽曲」がなくなってしまった。
三十年以上前、久米、黒柳の司会で有名な「ザ・ベストテン」が全盛の頃は、楽曲の売り上げでは今にかなわないものの、記憶に残る楽曲は沢山あった。
また、それ以前の歌謡曲全盛の時代も、楽曲の売り上げはさほどでもないが、記憶に残る楽曲は沢山あった。
先日久しぶりに「ポプコン」のCDを聴いた。
「ポプコン」とは、1960年代~1990年代まで行なわれていた、ヤマハ主催のアマチュア音楽家のコンテストである。
それは時代が近くなるごとに、プロミュージシャンへの登竜門的役割を果たしていた。
そこから生まれた楽曲は「ニューミュージック」と称され、大変流行した。
音楽家の中には、この「ニューミュージック」と言う名称が嫌いで、否定する人達もいた。
今回久しぶりにポプコンのオムニバスCDを聴いて思った。今よりはるかに楽曲の完成度が高い。
詞もすなおに、自分の言いたいことを「等身大」で訴えかけている。
ポプコンが流行っていた当時、私はポプコンの事を馬鹿にしていた時代があった。
ポプコンの仕組みは、ヤマハ加入店での一次予選、ホールを借りた二次予選、そして各地域の決勝大会となり、決勝大会でグランプリに選ばれるとつま恋での全国大会に出場できる。
そして参加者は、大会が進むにつれて、プロの編曲者がつき、アマチュアの作った曲をオーケストラアレンジなどにしてしまう。
私はこのような事が嫌いで、ポプコンを嫌っていたのだ。最終的にはアマチュア本来の良さが無くなってしまうから。
しかし、前述したように、記憶に残る楽曲がなくなった今、ポプコン参加の楽曲はいくつか記憶に残るものがある。
今さらながら、何か教えられたような気がする。
ミュージシャンになっても、楽曲が売れなければ意味が無い。確かにそうであろう。
だが、この辺で記憶に残る楽曲を作ることに、今のミュージシャンは専念したほうが良いと思う。
今の楽曲は、どの楽曲も似たメロディである。詞も本当に自分の言いたいことを歌っているのか疑わしい。

「記憶に残る歌」いつか、誰かが作ってくれるのを期待したい。

明日のためにその188-映画「ターミネーター・ジェニシス」

2015年12月23日 | アメリカ映画
シリーズ物の難しさ。

映画には様々なシリーズ物がある。
最も有名なのは、ギネスにも登録された日本の「男はつらいよ」シリーズではないだろうか。
海外の映画でも「007」シリーズは長く続くシリーズ物である。
しかし、どちらのシリーズ物も主人公は変わらず、物語が変化することで作品を作りあげている。
最近では「Xマン」シリーズが物語に無理があるものの、シリーズ化をめざしているとおぼしい。
今回紹介する映画は「ターミネーター・ジェニシス」ターミネーターシリーズの5作目にあたる作品である。
ストーリーを紹介しておこう。

2029年、ジョン・コナー率いる人類は、スカイネットの機会部隊との戦いに勝利する。
苦肉の策として、スカイネットはジョンが誕生しないように、母親のサラ・コナーを抹殺すべく、1984年にターミネーターをタイムマシンで送り込む。
それを知った人類側もそれを阻止するため、部隊の隊員、カイル・リースを同年に送り込む。
サラを守るべくタイムマシンで1984年に送り込まれたカイルだったが、彼はそこで思わぬ光景を目の当たりにする......

実際に思わぬ光景を目の当たりにするのは、ターミネーターの一作目を観たことのある観客である。
タイムマシンでターミネーターが1984年に送られるところのシークエンスは一作目とまったく同じである。フィルムをコピーして編集したのではないかと思うほど、忠実に再現している。
しかしそこからが問題だ。ターミネーターを追って、タイムマシンで1984年に到着したカイルはいきなりターミネーター2で現れた「液体形ロボット」に襲われる。
一作目を観た観客は「いったいなにが起こっているのか」混乱してしまう。
結局は同年の別の時間軸に到着してしまったらしい。
その時間軸では既にターミネーター1号(シュワルツネッガー)がサラの守護人として存在していたのだ。
かなりストーリーが進まないと、この映画は内容が理解できない。
前述のシリーズものであれば、単に物語を変え、登場人物を変えれば映画はつじつまがあい、完成できる。
しかし「時間軸」などというものを設定の中心にしてしまったために、この映画は失速する。
私はターミネーターシリーズを4以外全て観ているが、これほど酷い脚本はない。
謎の多い結末も、陳腐で納得がいかない。

一説にはこの映画は、ターミネーターの新シリーズ物としての一作目となるように製作されたらしい。
しかしこの内容では、二作目以降の製作は難しいだろう。
最近期待して観た映画の中では、駄作の部類である。
それでも試しに観て観たい方は、ご覧いただきたい。

2015年、アメリカ製作、カラー125分、2015年日本公開、監督:アラン・テイラー

明日のためにその187-柴山モモ子を聴いて。

2015年12月22日 | 歌謡曲
恐るべき歌手、柴山モモ子。

何度も、このブログで取り上げてきたが、今は「歌姫」全盛時代である。
すこし歌が上手ければ「平成の歌姫」と呼ばれ、楽曲もヒットする。
しかし「歌姫」と呼ぶに相応しい歌手は、現在のJ-POPの中には一人もいないと拙者は思う。
今日紹介するのは「柴山モモ子」幾度か改名しながら、歌手を続けている「本当の歌姫」だ。
プロフィールを紹介しておこう。

柴山モモ子は1951年、東京生まれ。
13歳で歌手デビュー。ミスクラウンコンテストに優勝するも、ヒット曲に恵まれず、環ルナと改名。
しかし、アニメ「アタックNo,1」を主題歌がヒットし、アニメ主題歌歌手に転向。
ただ、歌謡界も忘れられなかったのか、杉美子として歌謡曲も歌っていた。
結局はアニメ界に戻る形で、現在も活動を続けているという。

簡単ではあるが、彼女の略歴である。
私は以前から、彼女のことが気になっており、今年になって編集物のCDが発売されたと側聞したので、早速購入した。
どんな歌唱を聴かせてくれるのか、ワクワクしながらCDをかけた。
驚いた、このような歌手が存在しているのか、CDを聴き終わったあと暫く余韻に浸っていた。
彼女の歌唱の特徴は、よく伸びる高音、オクターブの広さである。
ちょっとしゃくりあげて高音を出すところは、初期の弘田三枝子に似ている。
だが、その高音に微妙なビブラートがついていて、実に心地よい。
また、歌う楽曲も様々で、スロー系からアップテンポ系まで歌いこなす。
その際、歌唱法も変えているのが凄い。アップテンポ系では張りのあるビブラートのついた高音。スロー系では抑揚をもたせた高音。それぞれを使いこなしている。
余談ではあるが、1960年代にラテンパーカショニスト「ティト・プエンテ」が発明したと言われる「ブーガルー」のリズムまで歌いこなしている。

最近のアニメ歌手といえば、私は高橋洋子を思い出す。
彼女も歌の上手さは絶品と言える。
今回の柴山モモ子の件と言い、アニメ歌手界には「本当の歌姫」がまだ存在していると実感した。
本来なら、この素晴らしい歌唱を聴いていただきたいのだが、残念ながらユーチューブを検索したが、該当はなかった。
廉価版のCDではないので、積極的に購入はお勧めしないが、興味をもたれたら是非ご購入いただくことをお勧めする。



明日のためにその186-音の聴き比べ

2015年12月18日 | オーディオ
音楽媒体の聴き比べ。

前々回の記事で「パプリック・イメージ・リミテット」のSACD発売に触れた。
そのSACDが届いたので、早速聴いてみた。
せっかくなので、日ごろはあまりしない「音楽メディア」による聴き比べをしてみた。
具体的な機器の品番等は省略させていただく。

まずは今回購入した「パプリック・イメージ・リミテット」のSACD、タイトルは「セカンド・エディション」を聴く。
機器構成は、i-LINK端子付きのユニバーサルプレイヤーからi-LINK付きのシャープの1ビットデジタルアンプへベルギンのi-LINKケーブルで接続する。
この接続方法が最もSACDの再生には適していると、私は思っている。
一曲目の「アルバトロス」が流れ出す。この曲はジャー・ウルブのベースがうねり、キース・レヴィンのギターの高音が伸びる、音楽メディア、リマスタリングを評価するのにはうってつけの曲だ。
だいたい想像していたとおりの音が聴けた。
ダイナミックレンジは広く、見通しの良い音質。音の粒立ちも細かくてよい。
ただ、想像を超えた音を出してくれなかったのは残念の至りである。

次にネットワークオーディオで、昨今流行の「ハイレゾ」音源を聴いてみた。
機器構成は、LINNのネットワークオーディオプレイヤーからアンバランス出力で、前述のシャープの1ビットデジタルアンプにアナログ接続をする。
音楽ソースは、これもジミーベーイジが拘ってリマスタリングした「レッド・ツェッペリンⅣ」である。
サンプリングレートは96kHz、粒子は24ビットである。
一曲目の「ブラックドック」を聴いてみた。
これもSACDに勝るとも劣らないダイナミックレンジの広さである、音質の良さも申し分ない。
SACDに比べると音の粒立ちが若干弱いか、しかし聴くには十分のものである。

次に上記と同じ機器構成でアストラッド・ジルベルトのベストを聴いてみた。
サンプリングレート192kHz、粒子は24ビットである。
やはりダイナミックレンジの広さは素晴らしい、SACDにも劣らない、音の見通しも良く、良質な音源である。
ただ、SACDとハイレゾの違いは、ドラムの音に見られた。SACDの方が特徴があり、よりなまなましくスネアの音等を再生してくれる。
私はこのような特徴が好きなので、好きなアーティストのSACDが発売されると、つい買ってしまう。

さて、最後にアナログ盤を聴いてみた。
最初にSACDで聴いた「パプリック・イメージ・リミッテット」の「セカンドエディション」である。
しかし私の用意したのは正式には「セカンドエディション」ではなく、1982年だったと思うが、それに先立ち発売された、12インチ、45回転、3枚組みの、通称「メタルボックス」と呼ばれているものだ。
機器構成は、デンオンのDD方式のプレイヤーからアンバランスでレイヴェンのフォノイコライザーへ接続し、アンバランスで前述のシャープの1ビットアンプに接続した。
そしてSACDと同様、一曲目の「アルバトロス」を聴いた。
瞬間、今まで聴いた感覚が全て崩壊した。
全く恐ろしくなる程の音である。
ベースのうねりは部屋全体を包み、私のからだをグラグラ揺らし、ギターの高音も際限なく伸びきる。
全てが、良質のアナログ音源の前では頭をたらさなければいけないのだ。
アナログ音源の無限性を思い知らされた聴き比べとなってしまった。
今回はアンプについて、同じものを使用しているので、再生機器や音源の良し悪しで、聴いた印象は変わる。
しかし、アナログ音源については、それを超えた可能性がある。
昨今アナログ盤のリイシューが続いている。音楽業界もCD発明後30年以上経過して、やっとアナログ盤の可能性に気がついたらしい。

明日のためにその185-映画「セッション」

2015年12月15日 | アメリカ映画
音楽の果てしなる道。

音楽の道は長く、深い。
作詞家、作曲家、編曲者、演奏者、様々なジャンルで皆生みの苦しみを持ち、闘い続けている。
音楽の世界とは、まさに樹海に迷い込んだごとくである。
本日紹介する映画は「セッション」青年ドラム演奏者を扱った映画である。

ストーリーを紹介しておこう。
19歳の若いドラマー、アンドリューはアメリカで最高峰の音楽学院に通っている。
ある日、彼は指導の厳しさで有名なフレッチャー教授に見いだされ、彼の楽団に加わる。
その指導の厳しさは、一線を越えるもので、しかし彼はそれに耐えひたすらドラムを叩いていた。
彼は徐々に時分をささげるかのように、ドラムスの練習を厳しくしてゆく。
折角、彼がアプローチして付き合い始めた彼女にも別れを告げることになる。
そんなおり、彼にチャンスが舞い込んで来る。コンテストでドラムを叩くことになったのだ。
そのコンテストには、全米から音楽業界のスカウトが集まるもので、彼にとっても自分を売り出す絶好の機会である。
しかし当日、彼はトラブルに巻き込まれ、交通事故を起こしてしまう。
満身創痍で会場に向かい、ドラムの前に座ったアンドリューだったが.........

凄い映画である、特にフレッチャー訳のJ・Kシモンズは厳しく、完ぺき主義者の役を、大仰にならずしっかり演じきっている。
因みに彼はこの役で、昨年のアカデミー賞助演男優賞を受賞している。
そして不思議なことに、私にはこの映画から「臭い」を感じ取れた。
それは冒頭部分様々なの演奏者が、楽器をとりだしているシーンである。
昔懐かしい、スタジオの臭いが私の臭覚を刺激した、当然テレビからは臭いは出ないのに何故か。
映画の作りもしっかりして、申し分なし。脚本もしっかり作りこんである。
ラスト一旦音楽の道を諦めたアンドリューだったが、再度ドラムを叩くことになる。
その鬼気迫ったドラム演奏のシークエンスは圧巻であり、演奏を終えた彼はついに産みの苦しみを克服する。
彼は自分自身に勝ったのだ。
最近の映画では文句なく傑作に入る作品である。
是非観ることをお勧めする。

2014年、アメリカ製作、2015年日本公開、カラー106分、監督:デミアン・チャゼル

明日のためにその184-public image ltd.のSACD発売。

2015年12月13日 | オーディオ
PILのSACD

以前もこのブログで「SACD」の素晴らしさを訴えた。
しかし、最近それについて、疑問がふつふつと沸いてきた。
どの「SACD」でも良質な音が得られるかと言うことだ。
私の記憶にある、その音の素晴らしさは、以前このブログで取り上げた「フリー」の「ファイヤーアンドウオーター」がある。
この「SACD」はユニバーサル・ミュージックがシリーズ化してリイシューしている。
音源にも拘り、全ての音楽ソースは、最新のデジタルリマスタリングが施されていて、素材も今やCDで市民権を得た「SHM」が使用されている。
更に通常の「SACD」では、CDプレイヤーでも再生できるように「CD」層と「SACD」層の2層構成になった「ハイブリッド型SACD」だが、そのシリーズは「SACD層」のみの「SACD」専用型なのだ。
私は何枚か「SACD」を所有しているが、この「ユニバーサル・ミュージック」のクオリティを超える物とは出会っていない。
最近入手した台湾の「SACD」を聴いてみたのだが、思ったより音が良くない。
何でも全てSACD化すれば良いというわけではないと実感した。
やはり「ユニバーサル・ミュージック」のSACDシリーズのように、かなりの拘りをもって製作しないとSACDの良さは発揮されない。
SACD=アナログ盤。このような堂々たる宣言をしてSACDは誕生した。確かに様々なスペックに拘りをもって製作すれば、この公式は成り立つ。
今回、私の好きなアーティストのSACDが「ユニバーサル・ミュージック」から発売された。
略称「PIL」パプリック・イメージ・リミテットのSACDだ。
注文したばかりで、まだ商品は届いていないが、期待大だ。
特に「セカンド・エディション」を名をうたれた2枚目のアルバムは、音の良さを追求するあまり、アナログ盤発売当初は、45回転のLP3枚組みで発売された。
今回、私は何枚か「PIL」のSACDを購入したが、このSACDが一番の楽しみである。
後日ブログに感想を投稿するので、楽しみにしていただきたい。
なお、末筆になってしまったが、長らくブログを更新できなくて大変申しわけない。
この場を借りてお詫び申し上げる。