ダーリン三浦の愛の花園

音楽や映画など徒然なるままに書いてゆきます。

明日のためにその350-サバービコン 仮面を被った街

2019年06月30日 | アメリカ映画
世間的には評価が低いが、良質の作品。

私は「コーエン兄弟」のフアンで、その作品は殆ど観ている。
しかしその中で、ジョージ・クルーニーを主演に作られた映画は、不満の残るものばかりだった。。
彼を主演においた最初の作品「オーブラザー」などは、上手の手から水が漏る、コーエン兄弟レベルの監督作品としては駄作の部類に入ると私は思っている。
しかし、ジョージ・クルーニは、監督としてはなかなかしっかりした物をつくっている。
私は彼の「グッドナイト&グッドラック」を観ているが、その完成度の高さには驚いた。
今回紹介する映画は「サバービコン 仮面を被った街」コーエン兄弟脚本でジョージ・クルーニ監督の作品だ。
ストーリーを紹介しておこう。

1950年代に開拓されたサバービコンは、閑静でリッチな住宅街として知られていた。
そこに住むカードナー・ロッジは、会社の管理職。裕福な家庭生活を満喫していた。
ある日この街に黒人家族が引っ越してくる。
彼らは、周囲の白人から明らかに色眼鏡で見られ、蔑んだ態度をとられる。
ある日ロッジ家に強盗がはいる。彼らは家族達をクロロホルムを使い眠らせる。
しかし、ロッジの妻だけには大量のクロロホルムを使い、結局妻を殺害してしまう。
悲しみに沈むロッジ家だったが、このあと更なる不幸がロッジ家を襲う.......

この作品は、ネットで調べると評価が低い。
しかし私が観たところでは、それほど評価が低い作品とは思えない。
ジョージ・クルーニはしっかり監督業をしているし、脚本も文句のつけどころはない。
映画の最初のほうで、ある程度展開が読めるのだが、映画は読めたと思った展開を見事に裏切ってくれる。
サバービコンに黒人の家族が引っ越してきたときから、不幸が始まるような設定は、映画中盤から描かれる、黒人排除主義者たちの彼らへの暴動とともに、黒人差別意識に警鐘を鳴らす描き方である。
ただそのシークエンスの描き方が、少し甘いと感じる方もいらっしゃると思う。
映画はラスト、背筋の凍るような展開になっていく。
今までのコーエン兄弟なら、あまりハッピーエンドを描いてTこなかったが、この映画ではラストシーンで「希望」を表現している。
私はこのラストシーンは好きである。
世間の評価は低いが、観るに値する映画だと私は思うので、観ていない方には是非見ることをお勧めする。

2017年、アメリカ製作、カラー、105分、監督:ジョージ・クルーニ、脚本:コーエン兄弟

明日のためにその349-今週の一曲。

2019年06月28日 | 今週の一曲
週末のひととき、皆様いかがお過ごしでしょうか。
本日の今週の一曲は、日本ハードロック黎明期に人気を博した「外道」の香りです。
そのスピード感のある演奏は、今聴いても色あせることはありません。
では、ご堪能あれ。

外道-香り

明日のためにその348-char

2019年06月26日 | J-POP
日本のロック黎明期

1970年代、日本の音楽界では「日本語でロックが歌えるか」と言う議論が盛んにされた。
現在の定説では「はっぴいえんど」その始まりではないかといわれている。
はたししてそうだろうか。
私としては、異論がある。
「チャー」こそが日本のロックの黎明ではないかと思っている。
彼が1976年に発表したファーストアルバム「char」が、日本人が本格的にロックを完成させたものだと思っている。
私がこのアルバムを若き日に聴いたときには、たいそう驚いたものである。
英語の曲もあれば、日本語の曲もある。その日本語の曲に驚いた。しっかり「ロック」になっている。
このアルバムは、あまりヒットせず、その後かれは「原田真二」「ツイスト」と並ぶ「ニューミュージック三羽烏」と呼ばれ、アイドル的な人気を獲得した。
皮肉にも、名盤であるファーストアルバムからのヒット曲はなかったが、プロの作品による「気絶するほど悩ましい」等はヒットし、彼の人気を不動のものとした。
彼はその後「ジョニー、ルイス&チャー」と言うグループを結成し、アイドル的な表舞台から去ることとなった。
彼の素晴らしさは、作曲のセンスは勿論のこと、ギターテクニックの素晴らしさは、日本のギタリスト随一であると言える。
その彼の素晴らしいテクニックの基となっているのは「ヴェンチャーズ」である。
以前このブログにも書いたが、ヴェンチャーズは日本のギタリストに幅広く影響を与えているのだ。
御年64歳になる「チャー」老いても益々盛んであり、このような音楽家に、日本のロック界をけん引してもらいたいと切に願う。
下にチャーのファーストアルバムの中の代表曲を貼った。是非一度聴いてその素晴らしさを感じて欲しい。

Kagerou - Char

明日のためにその347-按摩と女

2019年06月24日 | 邦画
戦前の日本映画の傑作喜劇。

日本映画の喜劇については、深く語れるほど詳しいわけではないが、どうも「人情」「涙」などが絡み、とてもウエットな感じをうけてしまう。
海外映画の喜劇については、スラップスティック以来、ドライな映画が多く「笑い」に徹した作りになっていると思う。
しかし戦前の日本映画では、以前このブログで紹介した「彦六おおいに笑ふ」と言うオフビートでドライな喜劇が存在した。
今回紹介する映画は「按摩と女」若き日の「佐分利信」「高峰三枝子」の出演する映画である。
ストーリーを紹介しておこう。

温泉按摩である徳市と福市は感がとても鋭く、目がみえないにもかかわらず通り過ぎる人の数を当てたり、その素性を言い当てたりすることができた。
また、毎日何人の人を追い抜いたかと言うことに、一種の生きがいを感じるちょっと変わったコンビである。
徳市は、ある日東京から来たという女からマッサージの依頼を受ける。
感の鋭い徳市は、その女から妙な不安感を感じ取る。
時同じくして、その温泉旅館に泊まっていた学生たちが、入浴中に財布を盗まれると言う事件が発生する。
その犯人とは果たして.......

まずこの映画の素晴らしいところは、計算されたカット、レールカメラによる流麗なショット、画面を暗転するタイミング。
全てにおいて、完璧なまでの完成度である。
そしてセリフの言い回しの妙。小津安二郎の映画のような「クスッ」とするような見事さ。
映画、映像への監督の拘りがこれほど垣間見える作品もないであろう。
特に計算しつくされたワンシーンは、観ているととても勉強になる。
残念ながら、現在の邦画界では、このような作品を作れる監督はいないであろう。
「彦六おおいに笑ふ」以来の戦前邦画の名作を観たと思う。
観ていない方がいらっしゃったら、是非観ることをおすすめする。

1938年、日本製作、モノクロ、トーキー、監督:清水 宏

明日のためにその346-オーディオへのレクイエム

2019年06月23日 | オーディオ
悲しみのオーディオ生活

最近引っ越しをした。
長年住み慣れた土地を離れ、見知らぬ場所で暮らすと言うことは、結構な緊張感を醸し出す。
引っ越しの時、一番困ったのが、長年収集してきた「レコード」等の音源だ。
業者への引き取りも考えたが、レア物も多く、どうしても手放せなかった。
そして、オーディオ機器も多かったので、これだけはどう考えても引っ越し先に持っていくことはできぬと諦め、中古業者へ売ってしまった。
オーディオ機器の売価は、購入価格の10分の1の価格にしかならなかった。これはオーディオ機器に限ったことではないと思うが.......
今の環境では、スピーカーは鳴らせない。
仕方なくヘッドホンで音楽を聴いている。
これが結構厳しい。私の使っているヘッドホンは「密閉型」と言う、耳全体を覆うタイプのもので、長時間聴いていると、耳が痛くなってくるのだ。
オーディオ理論の中で「音楽を聴く方法で、ベストはヘッドホンである」と言う記事を昔オーディオ専門雑誌で読んだと記憶している。
しかし長時間のリスニングには、やはり無理があるようだ。
それに、私としては「空間」に漂う音を聴きたいと言う欲望がある。
やはりスピーカーが必須である。
しかし、もうスピーカーでリスニングすることはないであろう。
あれほど愛したオーディオ。
もう過去の話になってしまった。
オーディオ関係の趣味を持つみなさまは、体が丈夫な限り、大いにその趣味を楽しんでもらいたい。

明日のためにその345-今週の一曲

2019年06月21日 | 今週の一曲
みなさま、週末のひととき、いかがお過ごしでしょうか。
本日お届けする曲は。その甘い音色で一世を風靡した「ロスインデオスタバハラス」のマリア・エレナです。
何時聴いても感傷的になる名曲です。
では、ご堪能あれ。


マリア・エレーナ / ロス・インディオス・タバハラス




明日のためにその344-運び屋

2019年06月20日 | アメリカ映画
家族とは、人生とは。

人生を振り返った時、皆様は何か後悔することがあるだろうか?
私は、若い時には「人間まず仕事に生きる」と随分鼻息の荒い時代もあった。
しかし、様々なことを経験したことによって「人生仕事ばかりではない」言う結論に達した。
仕事で得た名声など、自身のエゴイズムの塊であり、何の価値もない。
少し言い過ぎかもしれないが、私はそう思っている。
本日紹介する映画は「運び屋」クリントイーストウッドの最新作である。
ストーリーを紹介しておこう。

90歳を超えるアールは、花園を経営していたが、業務不振で家屋、土地ともに国に差し押さえされる。
アールは花園経営と、友達との関係を大切にしたばかりに、自分の家族を顧みず、家族の記念日にさえ顔を出したことがない。
土地、家屋を差し押さえられたアールは、孫の結婚パーティである男から仕事を依頼される。
その仕事は、指示された時間にある場所へいき、荷物を指示された場所へ運ぶと言う仕事だった。
勿論報酬は支払うという。
アールは1回限りの約束で、その仕事を受けることにした。
その仕事を終えて、報酬金を見たアールはその高額さに驚く。
そして、報酬金欲しさに、その後もその仕事を続けていくが、3度目の仕事の途中、運んでいるものが何か気になったアールは、運ぶ途中で荷物の中を開けてしまう。
アールが目にしたのは、なんと大量のコカインだった。
後ろ髪を引かれる思いで仕事を続けてゆくアールだったが..........

まず「枯れた」イーストウッドの演技が素晴らしい。
よどみなくしっかりした作りの映画である。
イーストウッドは、失敗なく「運び屋」としての使命を果たすが、13回目の仕事の時に、孫から電話が入る。
イーストウッドの妻が、余命僅かなので、すぐ病院に来てほしいと。
生憎運び屋作業中だったイーストウッドは、孫の要請を断る。
しかし翌日、イーストウッドは運び屋の予定を中断し、自分の妻を見舞いに来る。
危ない職業である。こんなことをすれば間違いなく殺されるだろう。
しかし彼はそれを承知で、妻を見舞い、そして妻の最期をみとった。
イーストウッドは、自分の家族たちへの粗末な扱いを後悔していたのだった。
終盤で彼が言う「お金があればなんでも買えるが、時間だけは買えなかった」
涙があふれる思いで、私はその言葉を聞いた。

自分の人生の中で、家族以上に大切なものがあるだろうか。この映画はそれを観客に問いただしている。
仕事の忙しさを理由に、家族を大切にしていない方がいるなら、もう一度家族と言うものを考えて、家族に向き合うべきだろう。
この映画はイーストウッド作品でも、傑作にあたるものなので、是非観ていない方は、観ることをお勧めする。

2018年、アメリカ製作、カラー、116分、監督:クリント・イーストウッド

明日のためにその343-エレキ革命

2019年06月16日 | 洋楽ポップス
エレキギターは、1930年代「リッケンバッカー」社が、ハワイアンバンドへの売込み目論見、製作されたといわれている。
その後「ギブソン」社によって改良が重ねられて、アコースティックエレキギターの登場となる。
当初、エレキギターは主にジャズミュージシャンに重宝がられ、チャーリークリスチャン等の名ギタリストを生むこととなる。
既に100年近い歴史を持つ、20世紀の楽器界のエポックとなったエレキギター。この今では当たり前の楽器を自身で意識したのは、皆様、何時のことか覚えていらっしゃるだろうか。
世界的に見れば、1950年代「エルヴィス・プレスリー」の登場とともに黎明の時が来て、ビートルズの登場により、爆発的な音楽界の存在なったと私は理解している。
私がエレキギターを買ったのは、16歳のころ。その出会いは強烈であった。
私の年代はビートルズをリアルタイムでは経験しておらず、後追い組の年代である。音楽界のエポックでリアルタイムで経験しているのは「パンクロック」の時代である。

私をエレキギターに目覚めさせてくれたのはビートルズでもなく、セックスピストルズでもなく「ヴェンチャーズ」なのである。
ビートルズもろくに知らず、青春時代にはパンクロック。このような状態で、何故自身のエレキギターへの目覚めが「ヴェンチャーズ」なのであろうか。理由はひとつ。
「エレキギターの音があまりにかっこよかった」からである。
特にパイプラインと言う曲の冒頭、6弦のミュートグリッサンドの音が強烈だった。(俗に言う「テケテケ」サウンドである。)
エレキギターを手に入れた私は、毎日ヴェンチャーズの曲をコピーして、悦に入っていた。
今でも「パイプライン」の冒頭部分を何かのきっかけで聴くことがあると、体が熱くなる思いである。

私たちの年代で、影響を受けたギタリストといえば「ジミーヘンドリックス」や、ヤードバーズが生んだ「3大ギタリスト」と答える人が多いと思う。
しかし、真のエレキギターの革命者はヴェンチャーズではないだろうか。彼らに影響を受けたプロのミュージシャンは枚挙にいとまがないと思う。

下にエド山口のミニライヴの模様を貼った。
自身もヴェンチャーズマニアの宣言している彼の演奏も素晴らしい。御年70歳である。
是非この動画を見て、ヴェンチャーズの偉大さを再確認していただきたい。

エド山口&東京ベンチャーズ モズライトカフェ





明日のためにその342-今週の一曲

2019年06月14日 | 今週の一曲
週末のひと時、皆様いかがお過ごしでしょうか。
今回の今週の一曲は、これからの時期にふさわしいものを選んでみました。
それは、ビリーボーン楽団の定番のがっきょくです。
それで皆様、ご堪能あれ。

浪路はるかに(Sail Along Silvery Moon) ビリー・ヴォーン楽団 1957

明日のためにその341-deezerの現状

2019年06月10日 | 音楽サービス
堕ちた偶像?

なんと、半年近くも、ブログの更新を怠ってしまった。
期待してた読者の方々には、お詫び申し上げたい。
以前このブログで紹介したが、フランス発祥のストリーミングサービス「deezer」
このサービスに変化が起きている。
このdeezer、一番のセールスポイントは「音源」だ。
他のストリーミングが「MP3」不可逆圧縮方式を使用しているのだが、このdeezerは「flac」と言う可逆圧縮方式を使用している。
それぞれの違いだが、不可逆圧縮方式(MP3)は、可聴周波数帯以外の音はカットされて音を圧縮し、データとしての容量を削減している。
一方、可逆圧縮方式(flac)は、一切音源に手を加えず、圧縮して、音源が再生されるときに、CDと全く同じクオリティーで再生できる。
つまり、可逆圧縮方式で送信された音源は、遠隔にあるCDを手元の音響端末で聴いていることと同じとなる。
これが何を意味するかと言えば「音質の良さ」である。当然可逆圧縮方式の方が圧倒的に音質は良いと言える。
この「可逆圧縮方式」の音源を採用しているdeezerは、この音の良さをセールスポイントとしている。
しかし、現状はモバイル端末では、理由はあかしていないが「不可逆圧縮方式」のみの音声配信となっている。
では、どうすれば「可逆圧縮方式」の音源、CD音質の音源を聴くことができるだろうか。
私が調べた結果、パソコンはOS、windows8.1(windows7は未検証)で聴くことができ、他の方法は、オーディオ機器で聴く方法しかない。国内、国外のいくつかのオーディオメーカーがdeezer対応の機器を販売している。
これに関して、deezerに対して、メールにて問合せてみた。回答はなんとも重みのないもので「現在、日本向けのディスクトップアプリは開発されておらず、開発のめども立っていません」とのことだ。

現在、ストリーミングサービスは、数多ある。
そのサービス元が所持する音源数は多く、deezerの所持する音源数は、他のそれに比べるとかなり少ない。
音源数の少なさを「可逆圧縮方式」と言う、音源のクオリティーでカバーしようしたとおぼしきdeezer。
本当の彼らの頑張りはこれからだ。
くれぐれも日本からの撤退と言う形での終焉は避けていただきたい。