ダーリン三浦の愛の花園

音楽や映画など徒然なるままに書いてゆきます。

明日のためにその228-今週の一曲

2016年03月26日 | 今週の一曲
今週の一曲始めます。

今回のブログから、毎週末には、私のお気に入りの一曲を「今週の一曲」として紹介することにする。
今まで、古今東西、洋邦問わず様々な曲を私は聴いてきた。
その曲を聴いた経験は、私自身が作曲をする場合の、礎となった。
紹介する曲は様々で、一貫性が無い。なんと言うまとまりの無さだと思われるだろう。
しかしそれで良いのだ。
ジャンルに拘って、曲を聴いていてはつまらない。
では、第一回目の曲を紹介しよう。
今とても興味を持っている音楽ジャンル、インドネシアの「ダンドゥイット」から「Wawa Marisa」の「Matahariku」である。
どうぞ、ご堪能あれ。


明日のためにその227-西遊記 はじまりのはじまり

2016年03月25日 | アジア映画
傑作娯楽活劇。

孫悟空、言わずと知れた中国古来の寓話で有名なキャラクターだ。
日本では「ドラゴンボール」の主人公として、アニメ界にその名を残すことになった。
今回紹介する映画は「西遊記 はじまりのはじまり」
孫悟空が英雄になる前の物語だ。
ストーリーを紹介しておこう。

むかしむかしの中国。
青年、玄奘は妖怪ハンターになる決意をする。
しかし、力のない彼は、妖怪と遭遇するが、窮地に陥り、そこを美女妖怪ハンター「段」一味に助けられる。
その後、彼女らと協力して妖怪界でも最も強い妖怪を捕らえようとするが失敗する。
そして、彼は目標を変え、以前妖怪界を牛耳っていた「孫悟空」に助けを求めるのだが......

監督は「チャウ・シンチー」以前このブログでも、彼の作品「ミラクル7号」を取り上げたことがあるが、やはり彼は凄い。
今回の映画でも、独特のセンチメンタリズムとコミカルさを展開している。
私がいつも彼の映画で感心するのが、ここである。彼はアジア人としては稀有な才能の持ち主である。
そのセンチメンタリズムとコミカルさは、アジア人の発想にはおおよそ無いものと言って良い。
この映画にも、その点は活かされていて、思わず吹き出してしまうようなシーンは数多い。
そのイメージの展開の素晴らしさは、どの作品を観ても感嘆してしまう。
そして個人的だが、段役のスーチーが良い。
彼女は「ジャッキー・チェン」の映画「ゴージャス」で見て知っていた。
個人的にとても好みの女性である。
この映画はその「ゴージャス」から十数年後に作られているが、彼女の魅力は依然健在である。

ラスト、孫悟空の悪を取り払った玄奘は、彼の師匠の導きを元に、三蔵法師と名を改め、以前段が捕らえた妖怪から悪を取り除いた「沙悟浄」「猪八戒」そして「孫悟空」を供に経典を探す旅へと出発する。
そのバックに流れる音楽が「Gメン75」のテーマ曲だ。この「Gメン75」は1975年に日本で製作、放送された刑事物のドラマである。
私達の世代にとっては、懐かしいドラマのテーマ曲だ。
またここに「チャウ・シンチー」のコミカルさの非凡を感じる。(ただしこのGメン75を知らない世代ではこのオチは分からないが.....)
楽しく笑えて、満足できる一品なので、観ることをお勧めする。

2013年中国製作、カラー、110分、2014年日本公開、監督:チャウ・シンチー

明日のためにその226-サンドラの週末

2016年03月19日 | ヨーロッパ映画
復職を目指す、けなげな女性の姿

「ストレス社会」と言われて久しい。会社勤めの人々は、何かしらストレスを抱えている。
ストレスも行過ぎると「うつ病」などになり、人生の苦渋をいやと言うほど味わうことになる。
適度な「息抜き」が必用だが、なかなか忙しさに紛れてそうもいかない。
本日紹介する映画は「サンドラの週末」うつ病で休職を余儀なくされた女性が、復職に向かって行動を起こす物語である。
ストーリーを紹介しておこう。

サンドラはうつ病により、休職をしていた女性。
彼女はうつ病も回復し、会社への復職を希望する。
しかし、会社側は、社長の命令として「サンドラを復職させるなら、社員のボーナスをカットする」と言い、既に社員十六名のこの件についの投票を行なった。
結果は「ボーナス」を希望する者の圧倒的多数で、サンドラは復職できなくなる。
しかし、サンドラは、社長に直訴し、再度投票を行なうことにこぎつける。
時期は翌週の月曜日、無記名で十六人の社員の再投票を行なうことになった。
投票まで残された期間は三日、サンドラは十六人の社員宅を個別にまわり、自分への投票を懇願するのだが......

厳しい現実である、人一人救うか、自分のボーナスを守るか。
しかし、サンドラはなんとしてでも、復職したい。彼女は、精神安定剤を飲みながら、夫の励ましに支えられながら、淡々と社員宅を訪問する。
だが快くサンドラに投票すると言った者は少ない。
ある家庭では、親子で会社に勤めているため、サンドラの目前で喧嘩をはじめたり、またある家庭では、夫婦けんかが始まったりと、人間の欲望の中枢を彼女は目の当たりにする。
しかし、絶対不利の中、サンドラはなんとか過半数近くの自分への投票者を確保する。
そして、月曜日。再投票が始まる。
結果は八対八の同数。サンドラは過半数を得ることが出来なかった。
だが、サンドラは社長に呼ばれ、過半数近くを獲得した、サンドラの功績を認め、再就職を約束する。
しかし、それは現在契約雇用中の二人の社員が、契約切れになるのを待ってからの再就職と言うことだ。
サンドラは言う「私が復職する結果、二人の契約社員が失業する、そのような条件で復職はできない」と。
社長は「契約社員の契約時期を延長しないだけだから問題ない」と言う。
しかし、サンドラは自分に投票してくれた、契約社員が居ることを知っている。他人を犠牲にしてまで、自分の我を通すのを良しとしないのだ。
それを言い放った、サンドラの清清しい顔が印象的である。
ラスト、サンドラは何かをやり遂げた如く、満足げな表情で夫に電話をする。
「新しい就職先を決めなきゃね」と。
この映画は「ロゼッタ」等で知られる「ダルデンヌ兄弟」の作品である。
あまり話題にならなかった作品だが、実にしっかりできた映画である。
個人的には「ロゼッタ」に次ぐ傑作と、私は評価している。
是非、興味を持たれた方は観ることをお勧めする。

2014年ベルギー、フランス、イタリア合作、カラー、95分、2015年日本公開、監督:ジャンピエール・リュックダルデンヌ。

明日のためにその225-いきものがかり最新ベストCD

2016年03月17日 | J-POP
残念なベストCD

「いきものがかり」
今一番売れているアーティストの一つだ。
朝の連続テレビ小説「ゲゲゲの女房」の主題歌にも使用された「ありがとう」はなかなか良い曲で、私自身も気に入っている。
このグループの全貌を知らない私は、三月十五日に発売された「超いきものばかり」を早々入手した。
なんと、CDの枚数は4枚、総曲数は60曲になる。
正念を据えてCDを手にしないといけない。一曲五分としても、三百分、五時間程のリスニングタイムとなる。
心を決め、私はおもむろにCDをプレイヤーにセットした。
アンプの電源を入れ、CDプレイヤーの再生ボタンを押す。
出てきた音は、予想外の音だった。
音の解像度があまりにも悪い。音像がぼんやりしていて、明確な音として認識できない。
特にディスク1の一曲目の最後、ギターのソロのリフなどは、もっと綺麗に聞こえて良いはずである。
しかし、その音が汚い。
何故だろうと、想像してみたが、どうもマスターに焼かれた音が、大きすぎるのではないかと思われる。
最近のJ-POPの傾向だが、どの曲も音量が大きくCDに焼かれている。
これは、CDをリッピングして、作成されたWAV音源を、録音ソフト等で開いてみると、音の山が全て途中で切られている。
見ることの出来るはずの、音量の頂点が見られないのだ。
これは明らかに音量オーバーで録音されていることが分かる。
今回のCDは、この実験をしていないので、そうとは断言できないが、音の現象として「音量オーバー」で録音されているとおぼしい。
何故、そのようにするのか、多分ではあるが、音量オーバーでCDを焼くことによって「音圧」を出そうとしていると思われる。
このCDをリッピングし、mp3で圧縮変換して、ポータブルプレイヤーで聴くには良いかもしれないが、しっかりしたオーディオシステムで聴くと、その音の悪さに閉口する。
と言う訳で、私は三曲程聴いてそれ以上聴くことを諦めた。
このCDを全て聴くことによって、このグループの良さを確認したかったのだが、残念ながらその件については、日にちをおいて再度CD聴取の時間を設けることにしたい。
このグループは、楽曲の良さが売りだと思うので、その全貌を知るためにも、CD全曲聴取をして、後日その内容をこのブログに投稿するつもりである。
とにかく、音の悪さに閉口したが、今の若者達は、この音になれていると思うので、買う価値が無いCDとは言えないと思う。
次回のレビューに期待していただきたい。


明日のためにその224-婚前特急

2016年03月15日 | 邦画
コミカルだが、しっかり作られた一本

昔から思うが、恋愛とは女性優位ではないだろうか。
多数の男と付き合いながら、本命を探している女性。
昔風に言えば「ミツグくん」「アッシーくん」などと呼ばれ、女性に重宝がられた男性達がいた。しかし、彼らは所詮女性にとって「便利屋」でしかなく、いつの間にか女性は「本命くん」を見つけ結ばれてしまう。
恋愛には、苦い経験ばかりしてきた私にとって、他人事ではない。
本日紹介する映画は、この女性が、男性を審査するような内容の映画「婚前特急」である。
ストーリーを紹介しておこう。

池下チエは五人の男性と恋愛している奔放な女性。
しかし、親友の結婚を見て、その幸福の片鱗に触れる。
そこで彼女は、五人の男性から一人に絞ろうと思い、それぞれの男性を自分自身で判別しようとする。
その中で、一番体裁も悪く、収入も乏しいタクミと言う男を最初に振ろうとする。
彼に別れ話を切り出したチエだったが、彼から逆に「自分たちは付き合ってないし、体だけの関係だけど」と予想外の返事をもらう。
これに逆上したチエは、タクミを自分に徹底的に惚れさせ、それから彼を振るようにすると決意する。
その作戦を実行しようとしたチエだったが......

高飛車で傲慢な女性を演じたのは「吉高由利子」朝の連続テレビ小説「花子とアン」で有名になった女優だ。
彼女の演技は、ちょっとぎこちなく見え、好演とまでいかなかったが、主人公をまあまあ演じていた。
それとは逆に、タクミを演じた「浜野謙太」が良かった。
だらしなく、お調子者で、体裁の悪い男性を好演していた。
どことなく、親近感を覚えるその演技はナチュラルでこの映画の中では一番気に入った存在だった。
特筆すべきことは、この映画の監督の存在だろう。
監督は「前田弘二」若干三十八歳の男性監督だ。
映画全般を通じて、作りが上手い。最初何気なく観ていた私も、徐々に映画の作りの上手さに、本編にのめりこんでしまった。
映画の作りの上手さとは、解説できる物と出来ないものがある。
この映画は後者の方で、どこがどう上手いというより、映画から醸しだされる雰囲気が良い。
或るシーンなど観て「この監督作りが上手いなぁ」と思える映画を、いくつとなく私は観てきた。そのタイプの作りの上手い監督だった。
ラスト果たしてチエは、最良の男性を見つけ結婚する。
その彼女のお腹は、ぷっくりと膨らんでいる。まさに「ハッピーエンド」である。
しかし、カメラは、二人が乗った列車を後ろから捉え、しばらく列車を後ろから見送るようにしてエンドロールが始まる。
一般的に、このように主たる被写体が、スクリーンの奥へ進んでゆく撮り方は、その後の主人公達への不安定な要素を提示していると言われる。
このあたりの撮り方も、監督の上手さの一つだろう。
私は年甲斐もなく、この映画を観て「運命の異性はいるのだなぁ」の納得してしまった。
後、付け加えるならば、エンドロールで演奏された楽曲がとても良かった。
かなり変わった楽曲だったが、私は久しぶりに、聴く価値のある「日本」のロックに出会えた気がする。
コミカルな内容、作りの一本だが、その映画の作りは見事。
前田弘二。以前紹介した「内田けんじ」や「中野量太」などと並び、期待の新人監督と言えよう。
是非、興味を持たれた方は観ることをお勧めする。

2010年日本製作、カラー、107分、2011年日本公開、監督:前田弘二


明日のためにその223-セーン・マオ(タイの60年代女性アイドル)

2016年03月12日 | ワールドミュージック
恐るべし1960年代のタイのアイドル歌手。

以前このブログに投稿したように、最近「タイ・ポップス」に食指が伸びている。
そして、先日遂にタイのCDを購入した。
色々あるタイのポップスCDの中で、一番危険度のある「60年代アイドル復刻盤」を購入した。
歌手の名前は「セーン・マオ」性別は女性。彼女についての詳細は判らない。しかし、販売店のCD紹介レビューとジャケットが決めてとなって、CD購入に至った。
以下、このCDを聴いた私なりのレビューを綴る。

一曲目は、タイの民族音楽でも聴いているような、ドメスティックなポップス。
二曲目は、ブルース。どう聴いてもブルースとはグルーヴが違うのだが、間奏でブロウするサキソホンの熱いうねりが「ブルースなんだ」と主張している。
三曲目は、60年代のゴーゴーサウンド。これもちょっとグルーヴが違うのだが、そこが面白い。
以下、全十八曲あり、上記のようなサウンドを含め、60年代のガレージ風、ドドンパ風、日本の「おてもやん」風とヴァラエティに富んでいる。
中でも、ロイ・オービソン風の曲があるのだが、これはイントロの部分だけ、ロイ・オービソンの「プリティ・ウーマン」と言う曲をそのまま使っている。明らかにイントロ部分は盗作なのだ。
しかし、メロディが出てきて驚く。そのイントロからは想像できないメロディなのだ。
これには思わず「参った」と心の中で呟いた。
歌手としての力量はある方で、様々な曲調を張りのある声で聴かせる。
しかし、高音が強すぎて、その声は耳から脳に抜け、慣れないと不快感を持つかもしれない。
CDの後半は、タイでその当時流行っていたであろう、日本で言う「歌謡曲」タイプの楽曲が続く。
これが良い。当時のタイ歌謡の雰囲気を味わえる楽曲ばかりだ。その楽曲のアンサンブルには、タイで使われている民族楽器も多数参加しているとおぼしい。
全十八曲、時間にして約五十分の長丁場を私は聴きとおした。かなりストレンジな世界であったが、とにかく聴きとうせたのだ。
私の体に、妙な脱力感と満足感が同居した。
しかし、私の集めてきたアジアンポップスのアルバムの中では「白眉」に限りなく近い物であった。
おそらく、今流行のポップスやロックを愛聴している方には、絶対にお勧めできない。
多分CD全般も聴きとおせないだろう。
それほど「ディープ」で「ストレンジ」な世界なのだ。
益々、タイのポップスに興味がわいてきた。
全くなんと、アジアのポピュラー音楽は楽しく、私を喜ばしてくれるのだろうか。
私のCDコレクションに、また「お宝」が加わった。そう思いほくそ笑む私をもう一人の私が愛でている気がした。


明日のためにその222-殺されたミンジュ

2016年03月10日 | アジア映画
権力、貧困の差への強烈なメッセージ。

組織、特にサラリーマンにとっては、会社と言う組織は絶対的である。
上司の命令は絶対的であり、有無を言わさず実行させる時もあるだろう。
私自身、サラリーマン社会の中で、上司の命令に「絶対」を信じたことはない。
自分自身で考え、正しければ命令に従うが、そうでない時は、命令に従ったことは無い。
そのような生き方をしたおかげで、会社組織の中ではかなり厳しい状況に置かれたこともある。
しかし、一般的に言えば、上記のとおり会社組織の中での、上司の命令は絶対であろう。
また、貧富の差も、金で有無を言わさず、富裕層の人達が、貧困層の人達を絶対命令で動かす時もある。
現実社会、フラットで平等な世界は、望むべくもないのだ。
本日紹介する映画は「殺されたミンジュ」韓国の巨匠「キム・ギドク」の作品である。
ストーリーを紹介しておこう。

ある日、女子中学生が何者かに襲われ、殺されてしまう。
そして、約一年後、彼女を襲撃した犯人が、何者か分からない組織に一人づつ捕らえられる。
犯人を捕らえた組織は、襲撃の日、犯人の行なった事を紙に詳細に書けと命ずる。
嫌がる犯人には、拷問をしかけ、命令に従わせ、襲撃の詳細を書いた紙に、彼らの血痕を手のひらに付け、それを紙に押すことで犯人を解放していた。
徐々に分かってきたことは、襲撃犯にはそれを命令した上司が居ると言うことだった。
謎の組織は、襲撃犯全員を捕らえた後、それを命令した上司も捕らえ、同じ事をする。
そうして、事件の主犯へと徐々に迫ってゆく謎の組織だったが......

この映画には「権力」と言う物に対する、反発の強烈なメッセージがこめられている。
権力が生み出す不平等、それは組織で言えば「上部の人間が持つ権力」であり、世間で言えば富裕層が貧困層を見下す「金」と言うものである。
ギドク監督は、その不平等を認めながらも、それに対する反発をスクリーンに叩きつけてくる。
物語の後半で、謎の組織のボスは、権力にあがない、それに反発するがごとく、事件の主犯格を捕らえ、拷問するが、途中で彼らの権力あり方について納得してしまう。
ここの解釈が、観ていて若干気にかかった。最後まで、彼のポリシーを押し通すことをしなかった展開がこの映画の解釈を大幅に変えてしまう。
結局、現実世界のあがなえないものは、どうしてもそれを突破することができないと、この映画は結論づけてしまっているように思える。
自分自身で発信したメッセージに対して、観客にどう捉えてもらうかという前に、監督自身でその問題に回答を出してしまっているように思えた。
その点が、今回の映画については、不満が残ることになった。
ラスト、天使のハンマーが降りてくる、その結果は現在公開中の映画なので、割愛するが、それ故の結末に、監督の独りよがりが見えてくる作品だと思えた。
以前このブログにも投稿した、同監督の作品「嘆きのピエタ」の出来が良かったので、今回の作品については、全面的に納得ゆかないところがある。
しかし、映画全体としては、ギドク色の出ている作品になっている。
ギドク監督には、次の作品に期待したいと思う。
なお、以前もこのブログに投稿したが、今回も映画の宣伝文句を全面的に信じない方が良い。
いつまで、日本の映画関係者は、パブリシティーに下らないキャッチコピーを書くのだろうか、考えなおしていただきたいところである。

2014年韓国製作、カラー、122分、監督:キム・ギドク

明日のためにその221-きみはいい子

2016年03月08日 | 邦画
許すまじ幼児虐待。

「幼児虐待」
最近では、珍しくなくなってきた大変悲しい事件である。
愛すべき自身の子供を虐待し、最悪の場合は死に至らしめる。
これほど荒んだ事は、世間にあってはならない。
しかし、状況は好転せず、毎日にのように幼児虐待のニュースはメディアを賑わせている。
本日紹介する映画は、この「幼児虐待」をテーマとした「きみはいい子」である。
ストーリーを紹介しておこう。

水木雅美は、夫が海外に単身赴任していて、娘あやねと二人暮らし。
彼女は、娘を愛することができず、娘がそそうをしてしまうと直ぐ娘に暴力を振るう。
娘は体中に叩かれた痣がある、悲惨な状態だ。
また、桜ヶ丘小学校の新任教師、岡野はわがまま放題に暴れる小学生を、なかなか抑えることのできない状況に置かれ、毎日疲弊している。
そして、水木、岡野と同じ町に住む、少し耄碌した老婆佐々木あきこは、毎日自宅の前を通り、自分に挨拶してくれる障害児に愛おしさを持っていた。
物語は、三者三様に進み、一向にらちの開かない状況に苦悶する、雅美、岡野だったが......

物語は、上記のストーリーどおり、三人それぞれの立場から進行してゆく。
印象的だったのは、水木雅美を演じた尾野真千子より、そのママ友、大宮陽子を演じた池脇千鶴だ。
自身も過去に親からの虐待を受けたが、今は二人の子供を忙しく育てながらも、豪快な笑いを絶やさない良い主婦を好演している。
虐待をしている、雅美も、実は幼児期に親から虐待を受けていた。
腕に残る、煙草が原因とおぼしき火傷の跡だ。
だから彼女は、それがトラウマになって、自分の娘を愛せず、つい虐待に走ってしまう。
しかし、同じ虐待を幼児期に受けたにも係わらず、自分を守ってくれた環境に育った陽子は、自分の子供に愛情を注ぐ。
「環境は人を育てる」昔見たソ連の映画(タイトルは失念してしまったが)に、このような台詞があった。
まさにそのとおりである。環境こそが、人間を育てるに一番重要なものなのだ。
その環境が違っていたために、雅美と陽子では、自分の子供に対する接し方が違う。
「自分で痛みを知って、他人を愛することを知る」このことは、人間が幼い時期に一番重要なファクターであろう。
このシークエンスで、一番強烈だったのは、あやねが陽子に「うちの子になれば、おもちゃも遊び放題だよ。うちの子になる?」と聞くシーンだ。
あやねは陽子の問いに迷うことなく、母親雅美に抱きつき、陽子に対して「いいえ」と言う返事を表す態度をとる。あれほど、母親に虐待されているのに、それでも母親に愛を求める姿は見るに耐えないほど辛いシーンだった。
一方、新任教師岡野は、自身反抗期の小学生にどのように接して良いか、その答えがなかなか見つからない。
演じたのは高良健吾。朝の連続テレビ小説「ひまわり」や大河ドラマ「花燃ゆ」で売り出し中の若手俳優だ。
私は彼の演技にはちょっと不満が残った、喜怒哀楽の変化をもう少し上手く表現できたらよかった。
彼の登場シークエンスで、驚いたのは現在の小学校での生徒の呼び方だ。
映画の内容がそのまま本当であれば、私にとっては驚きだ。
教師が小学生の生徒に対して、全て「さん」付けで呼んでいる。
私達の小学生時代は、教師が生徒を呼ぶとき、男性教員なら誰もが「呼び捨て」だった。女性教員であれば、男性には「くん」女性には「さん」の敬称で呼んでいたが。
「呼び捨て」はまんざら悪い行為ではない。以前もこのブログに書いたが、呼び捨てすることにより、他人との距離は縮まる場合がある。
そして、三つ目のストーリー展開に出演する、障害児を演じた加部亜門、彼が上手かった。
この映画製作時に、彼は11歳、その歳にしてはとても難しい役を好演していて感心させられた。
この三つ目のストーリーは、この映画で唯一ニュートラルな展開だ。
無垢の象徴であるかのような、障害児弘也と独居老人のあきこ。人はしかるべしと映画は語っているように思われた。
そして、ラストの桜の花びらが舞い散るシークエンスには「希望」と言うメッセージがしっかり表現されていた。
監督は前年度キネ旬邦画第一位を獲得した、呉美保。その受賞作「そこのみにて光輝く」は既に私は観ているが、内容があまりに暗いため、ブログには投稿しなかった。
今回紹介した本作について、若干難を言えば、三つの視点から綴られるストーリーには、それぞれの登場人物が同じ町に住んでいる以外に、しっかりした共通点があるが、それについての説明が多少不足していると言えよう。
しかし、作品の作りはよく出来ており、十分にお勧めできる作品だ。
興味を持たれた方は、是非、観ることをお勧めする。

2014年日本製作、カラー、121分、2015年日本公開、監督:呉美保

明日のためにその220-タイ・ポップス2

2016年03月05日 | ワールドミュージック
前回の投稿後、ユーチューブで「タイ・ポップス」をかなり探した。
しかし、私の思うタイ・ポップスの動画は無く、諦めていた。
だが、更にユーチューブで探したことにより、ようやくタイ・ポップスのフレーバーが感じられる動画を見つけた。個人的にはもっとディープなタイ・ポップスが感じられる動画が欲しかったが、とりあえずこの動画を紹介しておく。
下の動画がそうだ。
是非、この動画を見て、タイ・ポップスの良さを体験していただきたい。


明日のためにその219-タイ・ポップス

2016年03月04日 | ワールドミュージック
聴くのが楽しいタイのポップス

「微笑みの国」
タイ国の呼称としては、有名な言葉だ。
タイと日本の時差は二時間、比較的近い国なのだ。
以前から、このブログに投稿しているとおり、私は「ワールドミュージック」の特にアジアの音楽を好んで聴く。
最近は、インドネシアの「ダンドゥイット」を熱心に聴いているが、他の音楽も機会があるごとに聴くようにしている。
その中で、最近食指のある音楽は「タイのポップス」である。
タイのポップスは、ゆるやかなグルーヴが良い。独特の感覚がある。微笑みの国の所以だろうか。
ジャンルも広く、アイドル系、ダンス系、面白系と様々だ。
楽器構成も、ラナート・エーク(マリンバ)、ケーン(縦笛、雅楽に使われる笙に似ている)、ラム・マナー(太鼓)等、タイ独特の楽器を取り入れた楽曲が多い。
このようなアンサンブルなので、独特のグルーヴを得ているのではないかと思う。
しかし、タイのポップスだけではなく、アジア系の音楽を聴ける媒体は殆ど無い。
唯一、以前このブログでも紹介した、有料音楽サービス「KK BOX」がアジアの音楽を聴ける場所だろう。
この「KK BOX」では、タイのポップスは勿論のこと、アジアの音楽を結構幅広く聴くことができる。
しかし、この「KK BOX」も完全ではない。
「KK BOX」日本の範囲では、やはり聴ける幅が狭まってくる。
「あの歌手の歌」と思い、検索しても、見つからないことが多々ある。「KK BOX」が国の垣根を取り払い、全世界共通でサービスを行なえば、その問題もなくなるのだが、著作権関係でそうもいかないらしい。
私がある所から入手したタイのポップスを、最近はよく聴いている。
前述した「独特のグルーヴ」が結構癖になる。
本来は、その映像を公開したいのだが、これも著作権関係でお見せすることは、残念ながらできない。
もし、タイのポップスに興味を持たれたら、とりあえず「KK BOX」の「お試し」会員になってはいかがだろうか。現在、一ヶ月無料のお試し期間となっている。
前述のとおり、様々なアジア圏のポップスを聴く事ができる。
以前「グラミー賞」の投稿で「欧米のポップスの動向に食指が」と書いたが、やはり私は、アジアのポップスの方が好きなようだ。
今回このブログを投稿するにあたって、ユーチューブで色々なタイのポップスを聴いたが、私の望んでいるような物はなかった。
よって、今回動画をご覧いただけないことをお詫びしたい。
タイの国柄の出ているポップスは、結構癖になるのでご注意を。