ダーリン三浦の愛の花園

音楽や映画など徒然なるままに書いてゆきます。

明日のためにその217-6才のボクが大人になるまで

2016年02月29日 | アメリカ映画
淡々と映し出す家族の風景。

人は成長し、やがて思春期を向かえ、更に成長し、結婚、子供の誕生と様々な変化を経験する。
宇宙的時間に比べれば、ほんの「瞬き一瞬」と言える人間の人生も、生きてゆくうえでは長い道のりである。
特に「家族」を自ら持った場合、その人生には様々な変化が伴うことになる。
本日紹介する映画は「6才のボクが大人になるまで」
実に撮影すること、12年間と言うかってないスケールの映画だ。
ストーリーを紹介しておこう。

両親の離婚後、母親と姉と一緒に生活するメイソン・ジュニアは6才。まだあどけなさが残る男の子だ。
別れた父親は、定期的に子供達に会いにきて、一緒に遊ぶことを楽しんでいる。
母親は、遅ればせながら通い始めた大学で、そこの教鞭をとる教授と親しくなる。
そして、母親はその教授と結婚することになり、子供達は教授の子供達と同じ家での共同生活をすることになる。
しかし、その教授は酒を呑むと乱暴になり、家族に罵声をあびせる性格だった。
その状況に嫌気がさした母は、教授と離婚することとなるのだが......

母親は、その後結婚に懲りずに、再婚することになる。
しかし、彼女が何度再婚しても、子供達の父親は必ず会いに来て、子供達と遊ぶ。
母親が離婚、再婚をする中、子供達はしっかり自分の意思をもって、非行にはしることなく、素直に成長していく。
そこには、どんなに離れても、時間が経っても、会いに来てくれる父親の存在が重要だ。
特に男性である、メイソン・ジュニアは、男同士隠し事なく話せる父親の存在は貴重だったろう。
印象的だったシーンがある。
父親が再婚後、以前乗っていた車を新車に買い替える。その車でメイソン・ジュニア達を迎えにくる。
メイソン・ジュニアの誕生日を、再婚した細君の両親に合わせるためだ。
その新車を見たメイソン・ジュニアは、父親に言葉をもらす。
「以前の車は僕が16才になったらくれる約束だった」と。
しかし、父親の反応は冷淡で「そんな約束はした覚えがない」「車が欲しければ自分で働いて買え」と返す。
その時のメイソン・ジュニアの、なんとも言えぬ表情が印象的だ。親は常に子供の事を思っていると、メイソン・ジュニアは考えていたのだろう。
しかし、現在、その父親は再婚しており、そちらの家庭を大切にしているのだ。
そこに気づかされた瞬間である。
また、別のシーンで印象的だったのは、大学に入学するために母親の元を離れることになったメイソン・ジュニア。
既に姉は母親の元を離れて、寮で暮らしている。メイソン・ジュニアがいなくなるとひとりぼっちになってしまう母親。
そこで母親は叫ぶ「結婚して、離婚して、子供を育てて、私の人生なんだったのよ」と。
この叫びは、男性には分からない感情だろう。母親もまた一人の女性である。それがよく現れたシーンだった。
前述したとおり、この作品は12年間と言う、長い歳月をかけて撮った映画である。その間、キャストも変わらず、この映画の観衆もきっと成長してゆく子供達の外見や、心情の変化を読み取れたであろう。
この映画は、昨年のアカデミー賞に多部門でノミネートされた。しかし、受賞できたのは「助演女優賞」だけだった。
個人的には、監督賞は受賞してもらいたかった作品である。

本日、日本時間の朝は第88回アカデミー賞の発表がある。
今年はどんな作品が、どの賞を受賞するのであろうか。

明日のためにその216-ディーパンの闘い

2016年02月27日 | ヨーロッパ映画
内戦が招いた男の悲劇。

現在も各国で、内戦が後をたたない。
内戦は、一般市民を巻き込み、彼らを悲劇のどん底へ突き落とす。
戦争経験者が減る一方の日本では、彼らの悲しみを慮るすべもない。
本日紹介する映画は「ディーパンの闘い」
スリランカ内戦が招いた、悲劇の物語だ。
ストーリーを紹介しておこう。

ディーパンは内戦で妻子を亡くした兵隊。
彼は、現状に嫌気がさし、国を去ろうと決意する。
一方同じスリランカに住む、女性ヤリニは孤児を探して奔走していた。
彼女はようやく、イラヤルと言う少女を見つける。
そして、三人は偽造パスポートを作り、フランスへと逃亡する。
三人は偽りの家族を装い、フランス郊外の集合住宅を住まいとした。
しかし、妻子を亡くしたディーパンは、寂しさから、その偽りの家族の距離を縮めようとする。
一見平穏な居住環境だと思われたが、近所には麻薬の売買をする若者達がたむろしていた。
ある日、ディーパン達の住む近所で、銃声が鳴り響く。
平穏な生活を望んでいた、ディーパンだったが......

物語の設定は、ディーパンがスリランカ少数民族の「タミル族」出身となっている。
よって、前編台詞は「タミル語」である。
タミル語で思い出すのは「インド」ではないだろうか。
インドは多言語国で、タミル語以外にも「ヒンディー語」「ウルドゥ語」など複数の言語がある。
また、タミル語はシンガポールでも公用語として使用されている。
フランス製作の映画であるが、この設定であるため、全編タミル語での会話となっている。
あまり聞き慣れない言葉なので、最初は戸惑うかもしれないが、映画が進むうちに慣れてしまう。
そこが「映画」の良いところでもある。
話がそれたので、本題に戻ろう。
映画はゆったりとした時間の中、カメラが漂うように映像を映し出す。
とてもゆっくりとした時間が、そこにはある。
心地よいリズムを刻む映像には好感が持てる。
特に要所に用いられる「像」の映像は印象的だ。
物語は、この「像」の映像と「フェードアウト」を多用した、省略法で進んでゆく。
ただし、最初の各人物の設定に説明が無い。
これは、しっかりした説明が無いと、その後の展開に必用な要素がたりなくなり、不満が残る。
ただ、独特の映像美を持った映画なので、映画全体としては、良い評価をしてもいいだろう。
しかし、映画の宣伝文句につられて観ると、不満が残ると思う。
映画の宣伝文句については、以前から気になっていたが、観衆の興味を煽るために、過大広告を行なう傾向が多い。
その結果、期待して観たわりには、納得のゆかない映画が多くなってきてる。
映画の広報を担当する者は、もっとしっかりしたパブリシティを行なうべきである。
今回も「愛のため、家族のために闘いの階段を昇ってゆく」と宣伝文句にはあるが、あまりそれに期待しないほうが良いだろう。
映画のラスト、クライマックスについては、実際に映画館に足を運び、この映画を観てもらいたい。
よって、今回はこの件については記載しないことにする。
この作品は昨年の第68回カンヌ映画際で、最高賞の「パルムドール」を受賞している。
この映画が、その賞に値するか否かは、評価が分かれるかもしれない。
公開中の映画なので、この点についての私見は慎みたいと思う。
是非、興味を持たれた方は、この映画を観ることをお勧めする。

2014年、フランス製作、2015年日本公開、カラー、115分、監督: ジャック・オーディアール、第68回カンヌ映画際パルムドール受賞



明日のためにその215-Sapna Mukherjee

2016年02月24日 | ワールドミュージック
幻の音源入手。

私は気に入った音楽があると、必ずと言って良いほど、CDを購入する。
今流行のMP3は、殆どダウンロード購入はしない。
以前このブログに投稿したとおり、MP3は音が悪い。しっかりしたオーディオシステムで聴くと、その音の薄さに閉口する。
よって、どうしても気に入った楽曲を聴くと、その楽曲が収録されたCDを購入する。
私の現在一番気に入って聴いている音楽ジャンルは「ワールドミュージック」である。特にアジア圏の音楽を好んで聴いている。
ここに問題がある。
私の聴いている音楽ジャンルのCDは、一般の流通ルートに乗りにくい物ばかりなのだ。
なので、以前このブログに投稿したように、輸入代行を探して、CDを購入しなければならなくなる。
アジア音楽には「暗黙の了解」があるようで、発売直後のCDも、あっというまにMP3の違法アップロードとして取り扱われる。
基本的に、MP3違法アップロードファイルは、ダウンロードも無料なので、皆そちらのファイルを入手し、音楽を聴いているものと思われる。
そうなると、売り手側の方も、国内向けにはCDの販売をするが、国外に向けてはCDの販売をしないようになる。
海外に行ってCDを買う。このようなバカバカしいことは出来るはずもない。
このことが目下、私の悩みでもある。
今まで気に入った楽曲の収録されたCDは、殆ど入手した。
しかし、どうしても入手できなかったCDがあった。
今回紹介する、インドの「Sapna Mukherjee」の「Hai Mera Dil」と言うCDだ。
このタイトル曲は、十年以上前にあるきっかけで聴き、とても気に入り、気になっていた。
しかし、その時にCDを購入しなかった。何故購入をしなかったのかは、自分でも定かでない。
昨年あたりから、このことが気になり、CDを探してみた。
しかし、MP3のダウンロード販売はあるものの、CDは販売されていなかった。
また、CDの発売時期もあやふやである。
明らかに、十年以上前の発売にもかかわらず、MP3のダウンロード販売の記載には2013年発売となっている。
初版発売後、リイシューされたのか、理由のほどは判らない。
散々、検索を繰り返したが、CDの販売は確認できなかった。
しかし、あるサイトにCD音源と同様の「WAV」音源があることを見つけた。
理由があり、そのサイトを紹介できないのは、お許し願いたい。
私はそのWAV音源を、金銭を支払い、購入した。
後はCD-Rに音源を書き込めば、CDは完成する。
幸いなことに、私は「ヤマハ」が昔PC用に販売した「オーディオマスター」機能搭載のCD-Rを所有している。
「オーディオマスター」とはPCでCDを作成する場合、音源重視でCD-Rにデータを書き込む機能である。通常のCD-Rより優秀な、CDをPCで作成することができる。
CDの作成は未だ行なっていないが、これで主だった購入希望のCDは入手できた。
「CDが販売されていなければ、自分で作る」マニアックな自分をまた晒してしまった。

下にタイトル曲を貼った。
今となっては、古い手法のMVだが、当時流行の手法を取り入れた秀作である。
是非、お聴きになって欲しい。

SAPNA MUKHERJEE HAI MERA DIL official full song video

明日のためにその214-舟を編む。

2016年02月22日 | 邦画
紙に言葉を編みこんでゆく。

辞書。
世の中には、様々な辞書がある。
学生時代には、辞書を用いる時が多々あるが、学校を卒業してしまうと疎遠になってしまう。
辞書は「言葉の泉」しかし、その厚さに閉口してしまい、利用する機会は減ってしまう。
今回紹介する映画は、この「辞書」を制作する物語「船を編む」である。
ストーリーを紹介しておこう。

大手出版社に属する「辞書制作部」は、本社の隣の鄙びたビルにある。
ベテラン編集者の荒木は、定年を期に会社を完全退職し、妻と二人で暮らすことを編集長松本に告げる。
しかし、松本は彼の後任は見つからないだろうと心配する。
荒木は責任を持って、自分が退職するまでに後任を見つけると公言、早速後任選びを始める。
そんな折、本社営業部に属する、馬締が候補に上がる。
彼は本が好きで、荒木が問いかけた難しい問題も平然と答える。
荒木は「馬締しか後任はいない」と思い、彼に辞書部への転属を勧める。
荒木の誘いに応じ、辞書部への転属をした馬締だったが......

馬締の転入後、辞書部は新しい辞書「大航海」を制作することになる。
途中、局長の中止命令が発令されそうになったが、それをなんとか乗り越え、膨大な時間をかけて辞書は完成する。
その期間、約十五年。約二十四万語を収録した「大航海」は完成する。
辞書を制作するプロセスが興味深かった。
新しい言葉を聞くと、その言葉をメモに書く(劇中でのメモの呼び名は失念してしまったが)、その意味と使用例を更に書いて行く。
今回登場した「大航海」と言う辞書は、常用語から最新の流行語に至るまで、出来る限りの言葉の意味、使い方を網羅したものを目指した。
映画自体は脚本が良く、最後までよく観させてくれたと思う。
映画の作りは、まあまあであると私は思う。
問題は俳優陣だろう。
主人公、馬締を演じた松田龍平がいただけない。
主人公の内面を演じきれていない、もっとナチュラルな演技をするべきではないだろうか。
その点、後半に登場する黒木華は良かった。
後半で、登場回数は少なかったが、しっかり彼女の個性を出していた。
本作は「脚本」に救われた映画ではないかと、私は思う。
監督の石井裕也の作品は、高評価だった「川の底からこんにちは」を私は観ているが、あの作品は私にとっては駄作だったと思っている。
その概念を捨てて、今回紹介した作品を観たつもりだが、やはり映画の作りとしては、あまり納得のゆくものではなかった。
二時間を超える長尺であるが、観はじめると素直に観終われる作品ではある。
興味を持った方は、観ることをお勧めする。

2013年、日本製作、カラー、133分、2013年キネ旬年間ベスト二位。

明日のためにその213-ポップグループ

2016年02月20日 | パンク&ニューウエイヴ
幻のアルバム遂に発売。

1980年代初期、音楽界でニューウエイヴが全盛だった頃、一つバンドが彗星のごとく現れた。
まだ十代の若いメンバーで構成された「ポップグループ」である。
彼らは、瞬く間にニューウエイヴ界でその存在を知らしめ、音楽フアンの注目の的となった。
彼らの演奏したのは「ホワイト・ファンク」彼等以前は黒人の音楽専科であった「ファンクミュージック」を、白人の手で演奏したのだ。
その音楽性、メッセージ性は音楽フアンのみならず、アーティストにも影響を与えた。
本日紹介するのは彼らのセカンドアルバムにして「幻のアルバム」「ハウ・マッチ・ロンガー」である。
このアルバムは1980年にアナログ盤で発売されたが、後のCD化の時、一部の曲を差し替えてリイシューされていた。
今回は、遂に発売当初のオリジナル曲のみで構成されたCDとして、リイシューされたのだ。
音源も当時ヴォーカルだった、マーク・スチアートが監修にあたり、リマスターされている。
早速CDを入手し、聴いてみた。
音全体の印象は、低音がかなりブーストされている。特にドラムスの音がブーストされており、ベースドラムは体に響くほどの音だ。
しかし、音全体が締まっているので、不快感はない。ただし、ギターの音については、多少オフぎみだ。
アルバム最初の曲「FORCES OF OPPRESSION」インドネシアのケチャに似た合唱から始まる興味深い曲だ。
ファズをかけたような、マーク・スチアートのヴォーカルが炸裂し、強烈なファンクビートが奏でられる。
黒人のヴルーヴとは違った「ファンク」がそこにはあった。
一曲目の意味が「抑圧の力」と日本語訳される、そう、彼らの強烈なメッセージがそこにはあるのだ。
残念ながら私は、英語を解釈できる能力がないので、彼等のメッセージは聞き取れないが、ライナーノーツの対訳を読むことで、彼らのメッセージは理解できた。
そこには、当時の発展途上国の現状、各国の内戦に対する批判。かなり政治色の濃い歌詞が連なる。
アルバム全体を通じて言えることは、楽曲が「一般的」ではないと言うことだ。
軽い気持ちで、このアルバムを聴くと、そのアヴァンギャルド性に当惑してしまうだろう。
しかし私は、この「アヴァンギャルド」性が好きだ。
ポップグループはデビュー後、程なくして解散。メンバーは二つの別のバンドを作った。
どれもアヴァンギャルド性のある「ニュージャズ」バンドで、一つは「リップ・リグ・アンド・パニック」もう一つが「ピックバック」
余談だが、このピックバックのファーストシングル「パパス・ゴット・ブランニュー・ピックバック」は発売当初、日本のスクーターのCMに使われ、話題になった。
ヴォーカルでリーダーだったマーク・スチアートは「メタ・ミュージック」(私は精神音楽と解釈しているが)の分野で、かなりアヴァンギャルドな楽曲を制作していた。
その彼のCDも私は所有している。
同じ「ファンク・ミュージック」でも、前回紹介した「アップ・タウン・ファンク」とは性質の全く違う音楽をポップグループは制作し、当時の世界情勢を批判したメッセージを歌詞に乗せた。
今ではこのような音楽は、望むべくもないが、現在にも通じるものがその中にある。
興味を持たれた方は、お聴きになることをお勧めする。
ただし、ポップ性を期待してお聴きにならないように。

下に今回紹介したアルバムの一曲目を貼った。
是非、若い彼らの熱い「ファンク」をお聴きいただきたい。

Pop Group Forces of oppression


明日のためにその212-海街ダイアリー

2016年02月19日 | 邦画
淡々と描く、姉妹の絆。

姉妹。
世の中には様々な姉妹の形がある。仲の良い姉妹、関係のギスギスした姉妹、様々である。
私は兄弟がいないので、その人間的な間柄は想像できない。
しかし、仲の良い兄弟を見ると、つくづく羨ましく思う。
兄弟ならずとも、人間関係は良いのに越したことはない。
だが、兄弟も結婚し、それぞれの家庭を持つと、その関係に変化が現れるものだ。
本日紹介する映画は「海街ダイアリー」
腹違いの妹を含む四姉妹の物語である。
ストーリーを紹介しておこう。

鎌倉に住む三姉妹。幸、佳乃、千佳は十数年前に父親が愛人と駆け落ち、母も郷里に帰り両親がいない環境で暮らしている。
幸はナース、佳乃は銀行員、千佳はスポーツ店にとそれぞれ職に就いている。
ある日父親の訃報を幸が知る。
三姉妹は揃って父親の葬儀に参列する。
そこで腹違いの妹すずと出会う。
父を亡くした彼女は、身寄りのない状態に置かれていることを三姉妹は知る。
そこで幸は「鎌倉に来て一緒に暮らそう」とすずに提案する。
すずは快く幸の提案を受け入れ、鎌倉に住むことにする。
そして喪が明けた後、すずは三姉妹の住む鎌倉の家へ引越してくるのだが......

この映画には特別なイヴェントは無い。
正確に言えば、イヴェントはあるのだが、物語としては実に平坦に作ってある。
そこが良い。何も無い日常を実に上手く捕らえている。
特に長女、幸を演じた「綾瀬はるか」は気丈な役をうまくこなしている。
長女、幸はならぬ恋に悩み、やがて一人の女性として、また長女として精神的に成長を見せる。
その姿は、母性さえ感じさせるものだ。
三姉妹と、腹違いの妹すず。すずも徐々に三姉妹に打ち解け、心を開くようになってくる。
だが、どこか影のある部分もすずには見え隠れする。
この「すず」を演じた、広瀬すずが良い。難しい役どころをしっかりこなしている。
そしてこの映画全体を包む「空気」が良い。
前述したとおり、何も無い淡々とした物語である。それが非常に心地よい。
一見きれいごとに思えるストーリーであるが、それで良いのだ。何を無理して、人間関係の複雑さ等、描く必用は無い。
このような映画が有っても、私は良いと考える方だ。
じんわり、心に染み入る作品である。
都会の喧騒、疲れた時は、是非この作品を観ることをお勧めする。

2015年、日本製作、カラー、126分、監督:是枝裕和

明日のためにその211-第58回グラミー賞

2016年02月17日 | 洋楽ポップス
世界的音楽の潮流が垣間見える祭典。

グラミー賞。
今も音楽の世界を牽引する、アメリカの誇る音楽の祭典だ。
この賞を受けることで、世界的にアーティストは名声を得る。
過去、多数のアーティストを排出し、そのまま現在も活躍する者、没落してしまった者、振り返れば枚挙にいとまはない。
昨日「第58回グラミー賞」の授賞式があった。
私自身は「ワールドミュージック」しか現在は聴いていないので、あまり興味はなかったが、毎年アメリカ音楽の変化を見たいがために、授賞式を見ている。
今回は、例年より受賞部門数を減らし、トリュビュートやパフォーマンスに時間を割いた。
中でも、レディ・ガガとナイル・ロジャースによる「デヴット・ボウイ」のトリュビュートは、特に興味をそそられ、食い入る様に見てしまった。
ステージ内容は中々。とても満足する出来で、大いに楽しめた。
過去に、多くの賞を受賞した「アデル」もソロで歌唱を披露した。
ただ音響設備に問題があったようで、音程を若干はずしたり、歌唱もいまひとつ雄大さに欠け、残念なステージとなってしまった。
今回のパフォーマンスで注目の一つだった「アリス・クーパー」率いる「ハリウッド・ヴァンパイアズ」のステージも見た。
メンバーはヴォーカル「アリス・クーパー」リードギター「ジョー・ペリー」サイドギター「ジョニー・ディップ」
そう、サイドギターはあのハリウッドスター「ジョニー・ディップ」が担当したのだ。
彼らは古い知り合いらしく、アリス・クーパーの経営するクラブに通いつめていたジョニー・ディップにバンド結成の声をかけたらしい。
彼らは「モーターヘッド」メンバーで、昨年急逝した「レミー・キルミスター」のトリュビュートを行なった。
注目はやはり、ジョニー・ディップのギター演奏だ。彼はテレキャスターに似たエレキギター(恥ずかしながらギターのブランド等は分からなかった)を下げ、僅か数フレーズだが、リードを弾いた。
彼の演奏能力を測れる程の時間は無かったので、演奏に対する評価は控えたい。

そして、授賞式もクライマックス。2015年度の「最優秀アルバム」と「最優秀シングル」の発表を残すのみとなった。
緊張の一瞬。
最優秀アルバムは「テイラー・スィフト」の「1989」が選ばれ、彼女自身二度目の受賞を果たした。リードメンバーとしては女性初の快挙ということだ。
一方の最優秀シングルは「マーク・ロンソン、フューチャーズ、ブルーノ・マーズ」の「アップタウン・ファンク」が受賞した。
私はこの曲を知らなかったが、今の時代には珍しい、ファンクビートの利いた曲で好感が持てた。
アメリカでは、今でも「ラップ系」がメインストリームだと思っていたが、さすが層が厚い、古くからの「ファンク」の系譜がいまだに存在し、グラミーを受賞してしまうのだから。
何を言おうが、現在も世界の音楽傾向はアメリカがその舵を握っている。
しかし、様々な人種が集まり、音楽を制作している国の状況を侮ることはできない。
今回の「グラミー賞」もそのこと私に教えてくれた。
「ワールドミュージック」に熱中するあまり、欧米の音楽に疎くなっていた私だが、今後は欧米の音楽にも少しだけ食指を伸ばすことにしよう。
下に今回の「最優秀シングル」の楽曲を貼った。
とてもグルーヴの効いた、ファンクビートを堪能していただきたい。

Mark Ronson Uptown Funk ft. Bruno Mars

明日のためにその210-ニッポン無責任時代

2016年02月13日 | 邦画
サラリーマン社会を生き抜く方法。

昨日、BSで映画「ニッポン無責任時代」を放送していた。
この映画については、以前このブログにも投稿した。
しかし、昨日再度この映画を観る機会があったので、つい観てしまった。
簡単にストーリーを紹介しておこう。

平均(たいらひとし)は、競馬で会社をクビになった元サラリーマン。
彼はある夜、一人で入ったバーで、太平洋酒の株買占めの噂を聞く。
それをネタに、彼は太平洋酒の社長に取り入り、まんまと太平洋酒の社員となる。
しかし、彼は遅刻の常習、不真面目な勤務態度で周りから反感を買うが、持ち前の要領の良さで、社長からは信頼を受ける。
ある日、太平洋酒の勤務事情に不満を持った社員が、組合を作るべく会社屋上でチラシを配ろうとする。
その計画はあくまで極秘事案であった。
その時、風に飛ばされたチラシ一枚が平均の元に舞い降りる。
そのチラシを見た彼は......

後半、八面六臂の活躍で、平均はバッサバッサと会社を斬りまくる。
このあたりは「体制で評価や始末をされる会社と言う組織では、無責任で居直る他はない」と言うメッセージが見て取れる。
平均を演じる植木等がまた良い。彼独特のキャラクターで、実に上手く「無責任男」を演じている。嫌味臭さが全く感じられないのは、植木等のキャラクターに頼るところが大きい。
あくまで自己を崩さず、一見無茶な行動とも思えることを、完全に遂行する力、ここに私ならずとも、サラリーマン諸氏は共感を得るであろう。
出来ることなら「平均のように会社組織を生き抜いてみたい」と誰もが抱く願望である。
今のストレス社会。多くは会社への不満や、人間関係への不満。様々なストレスに囲まれ、彼のような生き方は出来ようはずもないが......
しかし、この映画は観るたびに勇気をくれる。
振り返れば、私は何度もこの映画を観ている。そのたびに勇気をもらい、気持ちを晴れやかにしてもらった。
最近、嫌な事続きで、精神的に厳しい状態にあった私であるが、この映画は一服の清涼剤、気持ちが晴れやかになった。
サラリーマン諸氏で、まだこの映画を観ていない方には、是非観ていただくことをお勧めする。
出来れば、DVD等の媒体を購入し、嫌な事があった時はこの映画を観ることを提唱したい。


明日のためにその209-NME C81

2016年02月12日 | パンク&ニューウエイヴ
ニューウエイヴ華やかなりし頃の貴重な音源。

1980年代初期、イギリスを中心に音楽界に革命が起こった。
「ニューウエヴ」である。
その影響は全世界に広まり、1980年代中期にその幕を下ろすまで、あまたのアーティストをこの世に送り出した。
その中心となったのが、イギリスのインディーズレーベル「ラフ・トレード」である。
ラフ・トレードとは、イギリス人のジェフ・トラビスが1978年に創設したレーベルで、有名どころでは「ザ・スミス」などが在籍した。
彼がラフ・トレードを創設したときは、イギリスでパンクムーヴメントが起こり始めた時代で、初期のラフ・トレードにはパンクバンドも在籍していた。
その後、ニューウエイヴムーヴメントが起こり、弱小だったアーティスト達は、大手レーベルと契約できなかったため、自然にラフ・トレードに集まるようになった。
今回紹介する物は、通称「NME C:81」と呼ばれる、ラフ・トレードが1981年にリリースした「ヴァリアスカセット」である。
NMEとは、イギリスの週間音楽雑誌「ニュー・ミュージカル・エクスプレス」の略で、その影響はイギリスのみに留まらず、全世界に及んでいる。
このカセットは、1981年当時、NMEが編纂し、ラフ・トレードからリリースされたものだ。
主だったアーティストを紹介しよう。

スクリティ・ポリッティ、ペル・ウブ、オレンジジュース、キャバレー・ヴォルテール、バズ・コックス、ロバート・ワイアット等々。

後にメジャーデビューする、ニューカマーから、ベテランのロバート・ワイアットまで幅広く揃えた選曲である。
中でも「ヤング・マーブル・ジャイアンツ」解散後のメンバーが結成した「ザ・ジスト」の「Greener Grass」は、このカセットの中の白眉と言っていいだろう。
どのアーティストの楽曲も、ソリッドでシンプル、実に素晴らしい仕上がりの楽曲ばかりである。
以前このブログで「ビートルズ=ニューウエイヴ?」と言う記事を投稿したが、やはりこのカセットを改めて聴くと、その楽曲のシンプルさ、メロディの良さは初期のビートルズを彷彿させる。
ビートルズが登場したとき「ブリテッシュインヴェンション」ともてはやされ、彼らに影響を受けたアーティストが続々登場した。
このブリティッシュインヴェンションが生み出したアーティスト達は、主にメインストリームで活躍し、ヒットチャートを賑わせたが、ニューウエイヴのアーティスト達は、カウンターカルチャーとして当時の音楽界を賑わせた。
私は他にもラフ・トレードのヴァリアスレコードを何枚か持っている。そのアルバムに収められた楽曲もソリッドでシンプルな物ばかりだ。
しかし、時代の流れとともに音楽界は変化をする。
前述したとおり、1980年代も中期を迎えると、音楽に様々な「ジャンル分け」が行なわれるようになり、自分たちの音楽性よりも、ジャンルに影響されれた楽曲を制作する傾向が現れ、アーティスト達の「個性」が徐々に失われていった。
ニューウエイヴ発生前夜、1970年代の音楽は混沌とし、方向性を見失っていた。
そこに登場したニューウエイヴは、古くからのアーティストにも影響を与えた。あの「ポール・マッカートニー」や、先日逝去した「デヴット・ボウイ」でさえ、ニューウエイヴに影響されたアルバムをリリースしている。
しかし「ジャンル」を重んじた楽曲制作、そのジャンルに影響されたアーティスト達の作品がリリースされることにより、ニューウエイヴの良さは姿を消していった。
私が「ワールド・ミュージック」に熱中する前、夢中になって聴いていたのが、初期のニューウエイヴのアーティスト達である。
もしこのカセットを、中古レコード市場で見つけたら是非購入していただきたい。
初期のニューウエイヴの良いところばかりを聴かせてくれる、貴重な一品である。

明日のためにその208-チャッピー

2016年02月09日 | アメリカ映画
人間と人工知能。

「AI」
古くから使われている「人工知能」指す言葉である。
最近の「AI」技術の発展はめざましく、人の感情さえ持つことのできるものも登場が近いと言う。
今回紹介する映画は「チャッピー」
人工知能を持ったロボットの物語である。
ストーリーを紹介しておこう。

南アフリカのヨハネスブルグ。犯罪減少を目指し、政府は兵器メーカーから「AI」技術を使ったロボット型警官を配備することになる。
その成果はめざましく、犯罪発生率の減少が顕著になった。
そのロボットを製作したエンジニア、ディオン・ウィルソンは、次世代型ロボットの開発を完了した。
人間の感情を持ち、学習能力のある「人間のクローン」とも呼べるロボットだ。
彼は会社のCEOへ、そのロボットの試作品の製作を願い出るが、CEOはそれを拒否した。
諦めきれない彼は、戦闘で廃棄処分になる予定のロボットを密かに盗み出し、自分で次世代ロボットの開発を行なおうと画策する。
そして彼は、廃棄予定のロボットをなんとか盗み出すことに成功する。
しかし、犯罪者組織のグループにロボットごと拉致されてしまう。
そのグループに犯罪者型ロボットをその廃棄予定だったロボットで製作することを強要されるが......

監督は「第9地区」でメガホンを取った「ニール・ブロムカンプ」
第9地区でも、独特の世界観を持った映像を作り上げていた。
今回の映画も、彼独特の世界観があり、楽しめる作品になっている。
少し残念だったのは、ディオンと同じ会社で敵対しているエンジニアが作った、脳波コントロール型のロボットの形が「ロボコップ」で登場していた、ロボコップと敵対するED-209と酷似しているところだろう。
物語の発想が、ロボコップと酷似しているので、仕方ないことかもしれないが、オリジナルの形をしたロボットの登場が好ましかったと思う。
物語はラスト、宗教や信仰を否定するかのごとくとなる。
発展した「人工知能」さえ有れば、肉体を取り替えるように、自分の「感情」等をロボットに移植することで、永遠の生命を得られるとこの映画は語っている。
「クローン人間」にも似たこの発想、物議をかもしだすやもしれない。
監督独特の世界観を観られる、作りのしっかりした映画であるので、興味を持たれた方は是非観ることをお勧めする。

2014年、アメリカ製作、カラー、120分、2015年日本公開、監督:ニール・ブロムカンプ