ダーリン三浦の愛の花園

音楽や映画など徒然なるままに書いてゆきます。

明日のためにその435-今週の一曲

2020年01月31日 | 今週の一曲
みなさま、週末のひととき、いかがお過ごしでしょうか。
今回の今週の一曲は、アフリカの男性歌手「アリ・ハッサン・クバーン」をご紹介します。
アラブ色の濃い、濃厚な一曲です。
では、ご堪能あれ。

Habibi

明日のためにその434-クリエイション

2020年01月29日 | ロック
日本文化から生まれたロック。

1960年代後期から1970年代初期まで「日本語でロックを作ることは可能か」と言う論議が盛んになされた。
その最終結果が「はっぴいえんど」であると言うことは、今や常識である。
そして、その傾向は「char」により昇華され、ここに見事「日本語でロックを作ることは可能である」と言う確信的な状況は完成した。
しかし、はっぴいえんどから、charに至るまで、日本でのロック作りは、紆余曲折を経て成り立ってきた。
その中心的存在だったのが、今回紹介するバンド「クリエイション」だ。

竹田和夫(ギター)を中心に、GSブームの去った後、ブルースクリエイションとして1963年に結成されたのが最初である。
その後、メンバーを入れ替え、1975年に念願のファーストアルバム「クリエイション」をリリース。
そして、1977年、日本ロック史に残る名曲「スピニング・トー・ホールド」がリリースされ、一挙に彼らは名声を勝ち得た。
1979年、メンバーを一新し、日本歌謡界にも進出。彼らの或る意味一番の代表曲「ロンリー・ハート」がリリースされる。
私の記憶では、彼らはこの曲を引き下げて、当時の人気歌謡番組「ザ・ベストテン」にも出演していたはずだ。
彼らの歴史は、今もなお続いており、リーダーの竹田和夫を精力的に活動を行っている。

私が今回注目したのは、ファーストアルバムの頃のクリエイションである。
日本語ロック論を全く無視した、全編英語のタイトルに英語の歌詞。ある意味時代に逆行するような行動を何故彼は取ったのか。
私が思うに「ロックさえすれば、そこに日本語とか英語の問題は存在すること自体が可笑しい」と言う彼ら独特のポリシーがあったのではないかと思う。
勿論歌を歌うからには、歌詞は必要である、がしかし、音楽とは本来音で何かを表現したり、音を楽しむ事が最も重要である。
それに対する彼らなりの解答が、このファーストアルバム「クリエイション」に出ているのではないだろうか。
今このアルバムを聴けば、彼らの回答がここにあるということは明快に分かる。

今回はこのアルバムの中から、名曲「ユー・ベター・ファインド・アウト」を聴いていただく。
スタンダードなブルースロックだが、なかなか編曲に癖があり、一筋縄ではいかない、見事な作りの曲である。
彼らの野心、情熱が伝わってくる名曲である。今のJ-POPにこのような曲は、求めるべくもないが。寂しい次第である。

You Better Find Out


明日のためにその433-よこがお

2020年01月27日 | 邦画

「マスコミ」
マスコミュニケーションの略で、不特定多数に対して情報が提供されること、及びそれを行う企業・団体のことである。
ペンは剣よりも強しと言った言葉があるように、反社会勢力に対して、正義の鉄槌を振り下ろすのならよいのだが、時には誤った情報を世間に流し、人を傷つける事もある。
現在はネット社会。マスコミやネットで、誤った情報を流布されて、傷ついた人も多くいるのではないか。
今回紹介する映画は「よこがお」
一人の女性が、負のスパイラルに堕ちて行く様を描いた映画である。
ストーリーを紹介しておこう。

訪問看護師白川市子は、訪問先の姉妹たちの勉強を見てやるほどの仲の良い関係を続けていた。
更に近々医者との結婚話も進んでおり、順風満帆の人生を歩いていた。
しかし、ある日その姉妹の妹が行方不明になる。
翌日彼女は無事警察に保護されたが、彼女を誘拐したのは、市子の甥であった。
訪問先の家族には、そのことを秘密にしていた市子だったが、ある日訪問先の母親にこの事件の載った週刊誌を突きつけられ、事実を知られてしまうのだが.......

マスコミの誤った報道で、市子は誘拐の手引きをしたことになってしまう。
連日マスコミに終われ、職場も辞めざるを得なくなってしまう。
結婚の約束をしていた男からも別離を言い渡され、彼女はその幸せの全てを無くし、負のスパイラルに堕ちて行く。
改めてマスコミとは怖い存在だと思わざるを得ない。

この映画、前半はスマートで丁寧な作りになっていて、現在と過去とのフラッシュバックで物語は進む。
しかし、残念ながら、後半は一気に失速し、作りが雑になってゆく。
主演の筒井真理子の体当たりの演技は、多少褒められはしても、この映画の決定打とはなっていない。
そして、この映画の主題もあやふやになって、観るものに伝わってこない。
そしてこの映画も、おきまりの「日本映画のステレオタイプ」のエンディングになってしまっている。
映画全体を通すと、どうもちぐはぐな面が見えてくる。更に不要と思われるシーンもいくつかある。
彼女は名前を変え、自分に不利な証言をした訪問介護先の姉に復讐を誓い、それを実行するが、その結末はおそまつなもので終わる。
そしてラスト、決定的な復讐の場面がやってくるが、彼女はそれを実行に移せなく終わってしまう。
映画前半の作りが良かっただけに、後半からのシークエンスの狂いは、この映画の最大のダメージだろう。
前回取り上げた「左様なら」と言い、本作と言い、日本映画の未来に、依然光を見つけることはできない。

2019年、日本製作、カラー、111分、監督:深田晃司

明日のためにその432-今週の一曲。

2020年01月25日 | 今週の一曲
みなさま、週末のひととき、いかがお過ごしでしょうか。
今回の今週の一曲は、レバノンの女性歌手「ハスナ」をご紹介します。
独特のアラブビートにのって、力強く歌う彼女に圧倒されるでしょう。
それでは、ご堪能あれ。

Hasna - Tebgha nidhak (live at studio 2m)

明日のためにその431-哀しみのトリスターナ

2020年01月23日 | ヨーロッパ映画
女性=残酷な生き物?

女性の心理は分からない。
男性の視点では、女性の神秘は永遠の謎ではないだろうか。
こちらを向いたと思ったら、心はあちらの方向を向いている。
良かれと思ってとった行動に、急に不機嫌になる。
私も、いい年になったが、未だに女性は未知の存在と言える。
今回消化する映画は「哀しみのトリスターナ」
シュールレアリスムの監督として有名な「ルイス・ブニュエル」の後期の作品だ。

ストーリーを紹介しておこう。
孤児のトリスターナは、老夫婦に引き取られる。
そして、里親の母が亡くなった時、彼女は里親の父にその貞操を奪われる。
ある日外出したトリスターナは、若い画家と知り合い、恋に落ちる。
里親を捨て、画家と駆け落ち押した彼女だったが.......

ブニュエルの作品としては、少々作りが荒く思われる。
特に時間経過の説明が少々不足しているとおぼしい。
しかし、それを除けば後は完璧に近い。
特に後半、トリスターナが、足にできた腫瘍のため、足を切断することになった以降。
その後の彼女の変貌が凄い。
それまで天使のようだった彼女が、突然悪魔に変わる。
特にメイドの息子の聾唖者が、彼女の裸を見たがるシーンで、トリスターナは惜しげもなく、服の前をはだけ、裸を見せた時の彼女の表情。観ている者の背筋を凍らせるには十分の「悪魔の微笑み」である。
このシーンを観ただけでも、この映画に価値はある。
ラスト、里親の父と正式に結婚を果たしたトリスターナだったが、暫くして父が心臓の発作を起こす。
そして、死に行く父の表情を冷淡に見つめる彼女。
男性にとって女性は魅力的であると同時に、悪魔の使いなのではと思わせる映画である。
観ていない方がいらっしゃったら、是非観ることをお勧めする。

1970年、イタリア製作、カラー、99分、監督:ルイス・ブニュエル


明日のためにその430-賭博師ボブ

2020年01月21日 | ヨーロッパ映画
息詰まるサスペンス。

「IR法」
日本で、今一番興味が注がれている法案だろう。
一旦は国会を通過したものの、今は野党の反対にあって、計画は頓挫しようとしている。
この法案の一番の注目は、カジノである。
一夜にして、億万長者になれるカジノは、博打好きとってはとても興味深いものであろう。
今回紹介する映画は「賭博師ボブ」
一人の賭博師を描いたドラマである。
ストーリーを紹介しておこう。

裏社会にも精通した、伝説の賭博師ボブ。
彼は、街の賭け等を通し、生活をしている。
ある日彼は、仲間からドーヴィルのカジノの金庫に、大量の現金が眠っていると言う情報を聞く。
一念発起した彼は、自分の最後の大仕事として、その金庫から現金を奪う計画を立てる。
昔の仲間を何人か集め、周到な準備を重ね、その時を待った。
しかし、意外な所からその情報が警察に漏れる。
果たして彼らはカジノから現金を強奪できるのであろうか.......

映画前半は、ボブの街の顔役ぶりを丁寧に映し、彼の存在の大きさを上手に描いている。
後半になり、カジノ襲撃計画を話し出す頃から、映画は一気にスリルと緊張感を増してくる。
ここが凄い。観ている者を、映画に見事に釘付けにさせる手法は実に素晴らしい。
そして全編を飾る音楽が良い。
この映画は、ヨーロッパ映画であるが、全編音楽が殆ど途切れない。その音楽のセンスも素晴らしい。
そして流麗なカメラワークで、パリの街を捉えていく、この映画の見どころの一つだろう。
この映画は、全編ロケで撮っている。このあたりが、後のヌーベルバーグに、多大な影響を及ぼしたと言われている。
監督は「ジャン=ピエール・メルヴィル」
フィルムノアールの名匠である。
ここまでの映画、なかなかお目にはかかれない。
観ていない方には、是非観ることをお勧めする。

1955年、フランス製作、モノクロ、102分、監督:ジャン=ピエール・メルヴィル

明日のためにその429-左様なら

2020年01月19日 | 邦画
青春群像劇。

「青春時代」
特に記憶に残り、人生に多大な影響を及ぼすのは、高校時代ではないだろうか?
肉体的にも成長し、しかし、精神的には不安定な状態にあるアンバランスの時期。
この時期に、受ける衝撃は、深く心に刻み付けられるであろう。
今回紹介する映画は「左様なら」
一人の高校生を中心にした、群像劇である。
ストーリーを紹介しておこう。

高校生の由紀は、中学時代からの友人綾と仲が良い。
しかし、綾はある日突然、由紀に「引っ越すことになった」と言い、彼女の唇にキスをする。
だが、数日後、綾は死んでしまう。
それをきっかけに、由紀はクラスメイトから自ら離れ、孤独になってゆく。
誰も彼女に手を伸ばさない状況が進む中で、彼女はどんどん一人になってゆくのだが........

まず、この映画のPR点であった「高校生達の素直な演技」に関しては、とても中途半端な印象が拭えない。
もっとも、私が基準としている映画が「中原俊監督」の名作「桜の園」であるから、あの作品に及ばないとしても、もう少し手垢のつかない演技をしてもらいたかった。
映画の作りについても、したり。どうも自然さが足りず、これも中途半端な作りになっている。
特にラスト近く、いくつかのシーンを繋ぎあわせて、効果を高める主人公の心のイメージを表現したところは、説得性がない。
そしてラストシーンも、現代邦画のステレオタイプ。これでは作品全体にメリハリがなく、平坦な出来になっても仕方がない。
主人公の由紀を演じた、芋生悠の演技も、素直に見えるがまだまだ。
映画は肝心な綾の死亡原因がはっきりしないまま終わってしまう。
「それは別に指摘することではないだろう」と言う方もおられると思うが、残念ながら、それをカバーするシークエンスがこの映画には見当たらない。

もっと素直に映画を作っていれば、上記のような指摘もなくなる。
監督には、もっと頑張っていただきたいと思う。

2018年、日本製作、カラー、85分、監督:石橋夕帆

明日のためにその428-今週の一曲。

2020年01月17日 | 今週の一曲
みなさま、週末のひととき、いかがお過ごしでしょうか。
今回の今週の一曲は、アルメニアの女性歌手「ガヤン・セロビアン」をご紹介します。
彼女の暖かく、優しい歌声は、きっと皆さまに安らぎをおぼえさせるでしょう。
では、ご堪能あれ。

Gayane Serobyan - "Bazmerang Shghtaner"

明日のためにその427-今週の一曲

2020年01月10日 | 今週の一曲
みなさま、週末のひととき、いかがお過ごしでしょうか。
今回の今週の一曲は、ボビー・ウー・マックの「110番街交差点」です。
昔、タランティーノの映画「ジャッキー・ブラウン」の劇中歌としても有名になった曲です。
では、ご堪能あれ。

'Across 110th Street' lyrics Bobby Womack

明日のためにその426-i-dio

2020年01月07日 | 音楽サービス
終焉。

その記事は、私を驚かすには十分すぎた。
それは今年の正月、暇に任せて、ウエブを色々見ていた時だった。
検索エンジンに何げなく「idio」と入力してみた。
そう、このブログでも何度が取り上げたそれである。
検索結果のトップにはi-dioのホームページが出力されていた。
なにかi-dioに新たな動きがあるのか、興味を持って、ページを開いた。
確かにそれはあった。12月25日付けのニュースである。
それをクリックした後、私の体に戦慄が走ることとなる。
そのニュースはi-dioのサービス終了を告げるものだった。
2016年にサービスを開始した同社だったが、経営不振のため、本年3月31日を持って、サービスを終了すると言う。
私はこのサービスの「ハイレゾ」を聴きたいがため、ipadタッチを買った。正直残念である。

何故経営不振になったか、原因は明らかである。受信機の普及が全く伸びていないのだ。
もっとも、i-dioを直接受信でき、音声を再生できるものはない。
単体チューナーも売り出されたが、チューナーで受信したものを、わざわざスマホへwifiで飛ばし、スマホ側で聴くと言う煩雑な物だった。
おまけに、インターネット経由でも同じ内容の物が聴ける。これでは、電波を使って放送する意味がない。
i-dioのHPには、あろうことか「インターネット受信」を推奨していた。これでは主客転倒ではないか。
飽くまで電波受信に拘った方法を。推奨すべきではなかったと思う。
よって、電波の入り口から、音声の出口まで、一貫して行える受信機がなかったのが、まさに画竜点睛を欠くと言わざるを得ない。

そして、現在の「スマホブーム」である。人々は、数多あるアプリから好きなものを選べ、それをインストールする。
i-dioには、そのアプリの中で、さして注目されていなかったのだろう。
日本には、新しい文化がなかなか根づかないと思う。
鳴り物入りで開始された「i-dio」。新しい文化として捉えていた私にとって、今回のことは、大変残念である。
これで、余った「VHF」の周波数帯は何に活用すると言うのだろう。
日本初となったある意味での「DAB」は、寂しい後ろ姿とともに、新年度にはその発信機の灯を落とすのである。