ダーリン三浦の愛の花園

音楽や映画など徒然なるままに書いてゆきます。

明日のためにその483-ohエド日記

2020年08月19日 | 音楽
昔のバンドマン事情の知れる貴重な話。

以前にもこのブログで紹介した、エド山口がYouTubeで放送している「ohエド日記」。
最近まで、とても興味深い内容を放送していた。
「バンド屋物語」と題した、16回に及ぶ内容である。
昭和40年代初期からの、エド山口が経験した、クラブ等でのライブ経験の物語である。
またこの話の内容が濃い。彼自身の経験が元であるので、普通の人には全く知りえない内容なのだ。
彼は最初、バンドのベースから始めたのだが、そのビートの打ち方をバンマスに教えてもらったくだりにはじまり、自身が最後のバンドを解散するまでを語っている。
ちなみに、彼の最後のバンドには「グッチ裕三」と「モト冬樹」が加入していた。

やはり驚くのは、エド自身の音楽知識と感覚である。これについては、業界広しと言えども、彼の右に出る者は少ないと思しい。
昭和40年代当時存在した、様々な踊れるクラブ。そこで腕を磨いてきたバンドマン達。どの話も、思わず身を乗り出して聴いてしまった。
中でも驚いたのは、当時のクラブ専属バンド(箱バンと呼ばれたらしい)は、曲の頭のカウントを入れれなかったというのだ。
通常、どんなバンドでも「ワン、ツー、スリー」と言う、通常はドラムのステック音で始まるのだが、それを入れれなかったという。
もし入れようものなら、そく「クビ」になったというから恐ろしい。
しかしそこは練習の賜物で、彼らは全く入りのカウント無しで、曲を演奏していたという。
今では考えられない事だ。
そしてギャラの面でも驚いた。当時の事を調べてみると大学卒業者の初任給が5万円ていどだが、彼らはバンド全体で100万~120万のギャラを手にしていたという。
バンドメンバーは5人だったので、一人当たり約20万円もらっていたのだ。なんと、大卒初任給の4倍以上である。
しかし、機材の購入等で結構経費もかかったと言う。

箱バンはいつも早い時間に来て、練習を繰り返したと言う。そこで培われた技術、知識は並大抵のものでは無かったのだろう。
エドは夢叶い、念願の新宿「ムゲン」と言うクラブに出演する。
そこに出演したバンドは、当時「最高のバンド」と称され、バンドマンのステータスになったと言う。
そして、彼らに初めてマネージャーが付き、いよいよレコーディングができる手筈が整った時、バンドは解散をしてしまう。
詳しくはYouTubeの彼のチャンネルを観ていただきたい。
若干話に難があるのは、物語の舞台が東京なので、彼の話すクラブ等のロケーションを理解し辛いところか。
しかし、音楽好きな人には、洋楽ロック等の語り部となって、彼が話してくれている内容には、とても満足するはずである。

明日のためにその466-ストリーミングサービス様々

2020年07月16日 | 音楽
どのサービスにも一長一短あり、悩ましい状況。

私がアマゾンミュージックHDとモーラクオリタスを契約して、結構長期間がたった。
本日はこの、2つのストリーミングサービスを比較等していきたいと思う。
再生環境は、自身のもっているPCで、96kHz24ビットが上限のものである。
この環境であれば、ハイレゾの再生可能と考える。

アマゾンミュージックHD
そもそもこのサービスの問題は、曲名と実際が合っているかどうかという、初歩的な段階の扱いにある。
以前このブログでも紹介したが、フリーの名作「ファイヤー&ウオーター」の一曲目が違う音源になっていたことがあった。
現在は修正されているが、他のアーティストも、曲名と中身が違っている可能性は疑うに十分と言わざるを得ない。
このような誤りは、音源の質を問う以前の問題なので、運営側はより一層の注意が必要だろう。
肝心の音源の質だが、正直、可もなく不可もなし。取り立てて評価も批判もできない。
CD品質の「HD」音源、ハイレゾ品質の「ウルトラHD」音源。それそれを聴き比べても、大差はない。
中にはアルバム単位で音源がアップしてあるにも拘わらず、HDとウルトラHDが混ざっているものもある。
果たしてこのような音源は、本当にその表記してある音質になっているか疑問である。
正直MP3の320kbpsあたりの音源と比べても、全体的に差が見られるようなことは無いと思った。
音の整列、ダイナミックレンジともに聴き手を驚かせるようなものはなく、大変不満が残る。
ただバカにできないのが、その音源の豊富さである。
ワールドミュージック好きな私は、様々な音源を検索するが、その殆どがこのサービスには存在する。
音質だけで、ライブラリーの豊富さが無ければ、とっくに解約しているサービスである。

モーラクオリタス
このサービスには前述した、アマゾンミュージックHDに見られる、運営側の誤りはないと思しい。
音の問題に関しては、さすがハイレゾの専門である、音はハイレゾのしっかりした音源も見事に再現する。
ラジオステーションに登録されている楽曲も、よりマニアックなものになっており、大変楽しめる。
しかし、ハイレゾの音源も「さすが」とは思わせるものの、感動を与えるような凄さは無い。
そして一番の問題は、ライブラリーの楽曲の少なさであろう。
アマゾンミュージックHDのそれと比べると、音質の良ささえ霞んでしまうほど、保有楽曲数が少なすぎる。
特にワールドミュージックは、殆ど楽曲が無く、私自身としては非常に不満な現状である。
音の整列、ダイナミックレンジは褒められるが、楽曲の少なさには閉口してしまう。
こちらは、音の良さがなければ、とっくに解約しているサービスである。

以上2つの代表的なストリーミングサービスを比較したが、もうお気づきのとおり、この2つのサービスの長所を保有したサービスがあれば最高であるが、なかなかうまくいかないものである。
残念ながら、これらのサービスで「絶対的に聴き手を感動させられる要素」が無い、私自身、どちらのサービスを勧められるかといわれれば、どちらでも無いとしか答えようがない。

あと私が契約しているストリーミングサービスで、KKBOXと言う、アジアの楽曲を提供しているものがある。
このサービスは、アジアの楽曲に特化しており、ワールドミュージックで特に東南アジア系の楽曲が好きな私は、結構利用している。
こちらの音質はMP3の320kbps。しかしこの辺りまでのビットレートを利用しているので、現在の私の再生環境では音質は十分である。
ただこのサービスも、私の本当に好きなジャンルの楽曲は少なく、かと言ってサービスを解約するまでの不満もなく、これも悩ましい状況となっている。

更に付け加えておかなけれいけないものがある。
それは今年の3月末で、サービスを終了した、i-dioであろう。
このサービスでもハイレゾストリーミングを行っていた。
48kHz24ビットのHE-AACコーデックで放送されていた。
私はそれを聴きたいため、わざわざ「ipod」を購入し、ビットパーフェクト再生で、で暫くの間楽しんだ。
正直いままで聴いたストリーミングサービスの中では、音質は抜群であり、いたく感激した。
音の整列、ダイナミックレンジも、申し分なし、その感動しか残らない音の世界を経験できたのは、貴重な体験となった。

総論として言えるのは、私自身、現在満足しているストリーミングサービスは、無いと言える。
重ね重ね残念なのは「i-dio」のサービス終了と言える。
サービス終了したストリーミングサービスの音質が、一番良かったとは、なんと皮肉なことであろう。


明日のためにその447-ohエド日記

2020年03月13日 | 音楽
ポップスの深い薀蓄を知れる。

YouTube。
以前このブログでも最近のYouTubeの悪さ(広告の長さ)について言及した。
もともとYouTubeのことは、あまり好きではなかった。
長い広告、投稿者のつまらない映像。趣味がYouTubeと言う人も多いが、なにが興味をそそるのか私には分からなかった。
しかし最近、とても興味深いチャンネルを見つけた。
それは「ポップスの伝承者」エド山口が放送してる「ohエドチャンネル」である。
とにかく、ベンチャーズ等の時代を生きてきた人だから、その裏話がとても面白い。
若くして、クラブのフルバンドのベースを担当してきた彼だ、その時代の裏話は豊富に持っている。
まだ始まって、歴史の無いチャンネルだが、あまりに面白いので、ついつい沢山見てしまう。
昔はベースアンプが無く、ギターアンプをベースアンプとして使っていたとか。ビートルズの偽バンドに感動したりとか。とにかく内容が面白い。
私は初めてこのチャンネルを、チャンネル登録した。一話も見逃したくないのだ。
下に最新版の一話を貼った、是非音楽好きの方は見て欲しい。
エド山口氏には、今後も末永くこのチャンネルを続けて欲しいものである。

【エド山口】驚き!チョーキングの真実!

明日のためにその361-フランソワ・ド・ルーベ

2019年07月24日 | 音楽
映画音楽界の革命児。

エンリオ・モリコーネ。映画音楽の父と言われた作曲家である。
また、ヘンリー・マンシーニは「ティファニーで朝食を」のムーンリバー、アメリカテレビドラマのテーマピーターガン等数々の名曲を手掛けた大作曲家である。
彼らの作るメロディーは、時にやさしく、時に鋭く聴く者たちの感性を揺さぶる。
今回紹介する作曲家は「フランソワー・ド・ルーベ」
彼は1939年フランス生まれ。父は監督兼プロデューサーであったという。
彼の作品で代表的なものは「冒険者たち」「サムライ」等が挙げられよう。
特に「冒険者たち」は、曲の展開が聴取者の想像を超え、メロディーが奏でられると言うとてもスリリングな内容で、私が最初この曲を聴いたときはとても驚いたものだ。
特に彼の作品で驚かされるのは、そのメロディーラインだろう。既成概念を壊されるような、それは聴く者にとってはたまらない魅力だ。
特に今回リンクを貼った「ラ・スクムーン」は、それが顕著で、鍵盤楽器の黒鍵しかほぼ使用しないメロディーは実験的要素に溢れた作品である。
1975年、スペインでダイビング中の事故で死去、36歳の若さであった。
もし、彼が夭逝せず、作曲活動を続けていたら、今の映画音楽界にも変化が有ったかもしれない。
「フランソワー・ド・ルーベ」彼の名前と存在は、いつまでも忘れてはいけないだろう。
下に「ラ・スクムーン」のリンクを貼った。
独特の彼のメロディーを十分堪能していただきたい。


François de Roubaix/ la Scoumoune フランソワ・ド・ルーベ /ラ・スクムーン

明日のためにその292-ABUソングフェスティバル

2017年12月25日 | 音楽
アジア発信ポピュラー音楽祭典。

このブログをご覧の皆様は、私が「ワールドミュージック」の特にアジアの音楽が好きだと言うことをご存知であろう。
しかし、この趣味の困ったこととしては「音源」がなかなか見つからないことである。
ユーチューブなどで探し当てた楽曲も、いくらウエブ検索してもCDなど見つからない。
見つかっても、怪しいサイトのMP3ダウンロードぐらいである。
私はそのような怪しいサイトのお世話になる気はない。
私が頼りにしているのは、日本のウエブCDサイト数件で、そのにはなかなか良いCDが揃っている。
しかし、自分の欲しいCDとなると、それらの店もあてにならない。
よって、前々回ご紹介した「Discogs」が最後の砦となる。
CDはなんとかなっても、一つだけどうにもならないものがある。それは「映像」だ。
日本のテレビで、ワールドミュージックを紹介する番組などない。
そこで私が、唯一楽しみにしているテレビ番組がある。
年に一回行なっている「ABUソングフェスティバル」である。
このフェスティバルは、アジアを中心に、今注目の歌手の楽曲を紹介する番組だ。今回は中国の四川でおこなわれた。
出場歌手は以下のとおり。

LiSA(日本)
Yisa Yu(中国)
Alvin Ng(香港)
Catalyser(マカオ)
MAMAMOO(韓国)
Luong Nguyet Anh(ベトナム)
Syamel(マレーシア)
Januarisman(インドネシア)
Kailash Kher(インド)
Mohamed Thasneem(モルディブ)
Mahiuddin Farukh(アフガニスタン)
Gazret Yerzhanov(カザフスタン)
Sohbet Kasymov(トルクメニスタン)
Hezron Ngosa(ザンビア)

この中で、私が注目していたのは「インドネシア」と「トルクメニスタン」。
インドネシアはダンドゥイットを期待したが、普通のポップス調の楽曲が歌われた。
トルクメニスタンは、例えるなら「ユーロビート」系の、地元色も表れたなかなかの良い楽曲だった。
余談だが、トルクメニスタンは以前、地元の音楽を演奏している動画を見たが、その祭は、アラブ系のビートをふんだんにとりいれた、私好みの楽曲だった。
今回のトルクメニスタンの歌手に、それを望んだが、そういう意味ではすこし期待がはずれた。
あとは「韓国」のMAMAMOO。
四人組の女性グループだが、なかなか歌が上手く、感心した。恥ずかしながら、私は彼女達のことを知らない。
ステージ全体の印象は、演出はさほど派手ではなく、残念だったのはバックの演奏(おそらくカラオケ)がオフぎみで、よく聴こえなかったことだろう。
歌手の音圧は強いが、バックの演奏の音圧が弱い。もう一段階バックの演奏のヴォリユームを大きくしてほしかった。
この模様は、NHKのBSプレミアムで90分にわたって放送された。
どの国のどの歌手も、私の期待にこたえてくれたといっても良い。(ただし、日本は除く)
このような番組を見ていると、ワールドミュージックの素晴らしさを再認識させられる。
因果だが、良い趣味を私は持っていると実感した。

明日のためにその196-デヴィット・ボウイ(David Bowie)

2016年01月12日 | 音楽
音楽界の巨星堕つ。

今朝、新聞の朝刊を持つ私の手が震えた「デヴット・ボウイ死去」新聞の一面にそれはあった。ジョンレノン射殺事件以来のショックを私は受けた。

デヴィット・ボウイは1947年にイギリスで生を受ける。
音楽好きの父親の影響で、幼い頃から様々な音楽に影響を受ける。
1967年音楽界デビュー、その後1971年グラムロック全盛期に「スパイダーズ・フロム・マーズ」を率い、傑作アルバム「ジギー・スターダスト」を発表。ロック界に大きな衝撃を与え、このアルバムはNMEの選ぶ1970年代傑作アルバムの第一位に輝く。
その後話題のアルバムを次々と発表「時代がボウイに追いつくのはいつの日か」がキャッチフレーズになるようになった。
そして1983年、スマッシュヒットとなった「レッツ・ダンス」を含むアルバム「レッツ・ダンス」を発表。一躍表舞台に復帰した。
その後1983年、バンド「ティーンマシーン」を結成。2年ほどで解散に至るも彼唯一のバンド活動を行なう。
その後も歳を重ねるも、全く制作意欲は衰えず、数々のアルバムを発表する。
しかし2016年1月10日逝去、69歳であった、死因はガンといわれている。

以上がデヴィット・ボウイの略歴である。
私は正確には、彼と同時代ではなく、後追いでの経験となる。
1980年代初頭「パンク&ニューウエイブ」全盛期に、そればかり聴いていた私に、いきつけのレコード店の店員が「これ聴いてみたら」と言ってすすめられたのが、デヴィット・ボウイの「ジギー・スターダスト」だった。
勿論彼の名前は知っていたが、あまり興味を持っていなかった私にとって、そのアルバムは大した価値がないと思っていた。
しかしLPに針を落とした瞬間から、私の衝撃は始まった。
スピーカーから流れ出る音楽の素晴らしさ、新しさは私の体を硬直させた。
アルバム一枚を聴き終えてから、私は暫く椅子に座ったまま動けなかった。
「ジギー・スターダスト」は私にとって紛れも無い、生涯の名盤になった瞬間だった。
その後、リアルタイムで「レッツ・ダンス」を聴いた。
これは一時「スケアリーモンスターズ」で彼にしては珍しく「パンク&ニューウエイブ」に乗ったアルバムを作ったが、原点回帰で、彼自身の世界を作り上げた「レッツ・ダンス」は佳作の一つと言えよう。

「デヴット・ボウイ」
20世紀から21世紀にかけ、音楽界を震撼させた数々の音楽を作った功績は、褒めたたたえる言葉が見つからない。
あえて「ロック界の巨星」とは書かない「音楽界の巨星」だったのだ。

彼は今「スパイダー・フロム・マーズ」とともに、火星に駆け上がっている途上に違いない。

下に私が傑作と思う彼の楽曲2曲を貼った、是非聴いていただきたい。

David Bowie Space Oddity


David Bowie Ziggy Stardust

明日のためにその192-カラオケ

2016年01月01日 | 音楽
カラオケマシンとは。

あけましておめでとうございます。
本年もこのブログをご愛読、よろしくお願いします。

正月、昼間から酒をあおって、ほろ酔い気分ですごしている方も多いと思う。
近年、お酒につき物は何か、私はカラオケではないかと思う。
一次会でしたたか酔い、気分の良さもあいまって、一曲歌いたいを思う人達が多いと思う。
私ごとではあるが、二ヶ月に一回程度、気のおけない会社の先輩と酒をともにする。
彼は、すでにリタイアして長いが、いまだに連絡を取り合い、酒の席を設けている。
昔は一次会の後に、スナックへ行って、カラオケを歌うというのがパターンであった。
しかし、スナックは他人同士、あいまみれて歌うことになる。そうすると、その場の雰囲気に合った歌を選曲せざるを得ない。
私も彼も、演歌は得意としていないので、スナックで歌うときなど、ちょっと空気が違っていた。
そこで最近は「カラオケボックス」へ行くことにしている。他人やその場の雰囲気に、気を使わなくてすむからだ。
私達は一次会でほろ酔い気分になった後、カラオケボックスへ向かう。
そしておもむろにリモコンを手に取り、選曲を始める。そしてよせばよいのに「全国カラオケランキングバトル」に参加する。
これはチェーン店であるカラオケボックス各店で、誰が何点の評価をうけ、全国で何位であるかを競うものだ。
私達は様々な曲を、精一杯歌うのだが、なかなか高得点は出ない。
しかし全国で一位を獲得している人などは、99.何がしの高得点を出している。いったいどうやって歌っているのか、本人に会って聞いてみたいものである。
これは負け惜しみでもなく言うのだが、歌の本当の上手さとは、カラオケマシンに決められるものではないと言うことだ。
他人が聞いて「上手い」と思った歌唱でも、カラオケマシンのアルゴリズムに合わなければ得点は低い。
カラオケマシンは、譜面どおりに歌ったものに良い得点を出す。
しかし本来の歌の上手さとは、譜面どおりに歌うだけではいけないのだ。
バンドでヴォーカルを担当していた私は、その日の気分によって歌唱法を変えて歌っていた。譜面とは音程等ずれているのは承知のうえだ。
今日も昼間のテレビ番組で、カラオケバトルと称して、カラオケマシンの得点を基に勝敗を決める番組を放送していた。
やはり皆声は綺麗だが、譜面どおりに歌っていて面白さに欠ける。
カラオケマシンの判断とは「画竜点睛を欠く」といえないだろうか。
話はかわるが、今から三十年程前は、バンドで演奏する時、楽器のチューニングは合っていて当たり前、合ってなければ演奏以前の問題、とよく言われた。
いかしそれから何年かすると、楽器のチューニングが合って、譜面どおり演奏するのは面白みがない、むしろチューニングに拘ることはない、との音楽評論家の発言もあったと記憶している。
歌も演奏も、グルーヴ感、スピード感が大事で、音楽とは耳から入り「心」や「体」で聴くものだと私は思っている。

カラオケボックスで良い得点を出しても、それが本当の歌の上手さには繋がらないと、私は思っている。
さあ、今月あたり、先輩との酒席をもうけ、二次会でカラオケボックスにでも行こう。
勿論「全国カラオケランキングバトル」に参戦して。

明日のためにその191-今年の収穫。

2015年12月30日 | 音楽
音楽の収穫が多かった年。

私は、先日のブログにも書いたとおり、MP3は好まない。
聴きたい楽曲はCDを購入する。
もう来年もそこまで迫ってきている。そこで今回は、私が「収穫」したCD等をご紹介しよう。
まずは、先日ブログに投稿した「柴山モモ子」のCDだろう。
あれほど歌の上手い歌手が存在していたことを、私は知らなかった。
しかし臭覚が動いたのか、なんとなく購入してみて、大きな収穫となった。
そして、これはCDではないのだが、カセットテープの大きな収穫もあった。
以前ブログに投稿した、インドネシアのダンドゥット歌手「イヌル・ダラティスタ」のカセットだ。
彼女の楽曲で、どうしても聴きたい物があり、贔屓にしているネットショップへ問い合わせた。
しかし、古い商品で入手は不可能と返答があった。
そこで私はネットで検索をしてみた。果たしてそのカセットは見つかった。
私は音楽の趣向がら、世界規模でCD等を売買しているサイトを知っている。
なんと探しもののカセットはそこに一本だけ販売されていた。
今はカセットと書いてはいるものの、当初はてっきりCDだと思ってネットでも検索していた。
もともと、インドネシアでは、音楽を聴くのならカセットテープと言う風潮があり、1980年代のダンドゥイットの名盤もカセットで売られていた。現在もCDとともに、カセットも売られているとおぼしい。
これには大いに喜んだ、今年一番の収穫である。
そして、CD等の媒体ではないが、ユーチューブで最近探していた楽曲を見つけた。
今から三十年程前、私は或るカセットテープを、輸入盤店で購入した。
イギリスの、私が好んで聴いていたバンドが多く所属していたイギリスの「ラフトレード」と言うレーベルだ。
そのカセットには、ラフトレードに属するアーティストのオムニバス構成になっているものだった。
しかし私は、現在そのカセットテープの行方が分からないのだ。
なさけのない話だが、整理方法が悪いのか、どこに収納してあるか見当もつかないのだ。
そのカセットの中で、二曲ほどとても聴きたい楽曲があった。
一つは「アズテックカメラ」もう一つは「テレビジョンパーソナリティズ」二つともバンドの名称である。
アズテックカメラは、ソリッドで瑞々しい演奏がとても好感をもてた。
彼らは暫くして、メジャーデビューを果たす。
これが私にとっては、残念な結果となった。
ソリッドさは身を潜め、やたら豪華なアンサンブルで歌われる彼の曲には何も魅力がなかった。
彼らを追うことは諦めることにした。
テレビジョンパーソナリティズについては、以前もこのブログに投稿した。
彼らはやはり、ソリッドな演奏が好感がもてるバンドである。
私がカセットで好んで聴いていた彼らの曲も、彼ららしさが表現されていてとても良い曲だ。

他にもいくつか収穫があったが、それはまたの機会に別の記事として投稿しよう。

今年もこの拙者のブログを、愛読していただいた方々にお礼を申し上げたい。
皆様も良いお年をお迎えください。

最後に、前述した「アズテックカメラ」と「テレビジョンパーソナリティズ」の楽曲を貼った。
聴いていただけたら、幸いである。

Aztec Camera - We Could Send Letters


Television Personalities - Magnificent Dreams


明日のためにその178-新しい音楽が産まれる時の煌き

2015年10月05日 | 音楽
新しい音楽が産まれる時の煌き。

以前このブログでも書いたが、ポピュラー音楽とは、異文化の交流によって誕生する。
簡単に言うと、民族音楽と民族音楽のコンフュージョンがポピュラー音楽の元になる。
その世界最初のポピュラー音楽は、インドネシアの「クロンチョン」と言われている。
一方、ポピュラー音楽が、異文化ポピュラー音楽とコンフュージョンすると、どうなるだろうか。
これには、とても興味深いことが起こる。受け入れるポピュラー音楽の解釈の誤りが起こす一大カオスである。
日本に例えて言えば、1950年代から1960年代の「カバーポップス」流行時には、それは起こらなかった。
それは当たり前で、音楽そのものは、アメリカから輸入した旋律にアレンジを少し変え、日本語の詞を乗せただけのものだったからだ。
しかし、ビートルズが隆盛を極めた1960年代後半から、一大カオスが日本でも巻き起こる。
その代表例が「B級グループサウンズ」だ。
彼らはメジャーな「タイガース」や「スパイダース」とは違い、楽曲にひどい「勘違い」が盛り込まれ、その結果、とても珍しい「グループサンド」を生み出した。
同じことは、僅かではあるが、1960年代のカバーポップス隆盛期にもあった。
いつか紹介するつもりであるが、その代表例が、日本版「ツイスト」として発表されたジェリー藤尾の「インデアンツイスト」だろう。
だが、そのカオス的楽曲も、徐々に日本人的な解釈を深め、慣れてくるとクオリティの高い楽曲も作られるようになる。
そして、1970年代、世界の特にロック界が不確定な状況の中、日本のロックもようやく世界に追いついてくる。
しかし、やはり一番面白いのは、異文化ポピュラー音楽の初期の「誤った解釈」から産まれる「カオス的音楽の煌き」なのだ。
作った本人達は、全く持って真面目に楽曲を作っていると思っているが、後日それを聴いてみると、その本人達でも、赤面するのではないかと思うほど「大いなる勘違い」が、それを形成している。
やはり音楽は面白い。五線譜に音符を載せれば、それは全て音楽と解釈される。詞もその旋律に合わせたものを作れば、それはポピュラー音楽と呼べる。
しかし、解釈しだいで、今まで聴いたことのない、まさに「迷曲」が誕生する。
このことは、日本だけではない。世界各国で同じ現象は起こる。

今回は下に、パキスタンの1970年代から1980年代に作られた「誤った解釈」が産んだポピュラー音楽を貼った。
本人達は真面目だが、その「誤った解釈」の音楽を堪能していただきたい。

M. Ashraf Feat Ahmed Rushdi -[1]- Dama Dam Mast Qalandar (The Sound Of Wonder)

明日のためにその153-キューピーバックグラウンドミュージック

2015年08月07日 | 音楽
日曜日の朝は。

今から25年以上前のことである。
私の日曜日の朝の過ごし方は決まっていた。
朝9時頃目覚め、遅めの朝食を取り、しばらくは眠気に襲われうつつとなる。
そして朝10時を迎えると目はしっかり覚め、おもむろにラジオのスイッチを入れ、選局をする。
すると軽快なアフルレッドハウゼ楽団の演奏する「ミリタリー・タンゴ」にのせ、今井とも子さんの爽やかな声がそれに乗ってくる。
「キューピーバックグラウンドミュージック」の放送開始だ。
この番組はとてもしっかりできていて、日曜日の朝にふさわしい今で言う「イージーリスニング(歌がある場合もあるが)」の曲が次々流れる。
そしてスポンサーである「キューピー食品」のCMが凝った演出で途中に挿入される。
あくまで番組の雰囲気をこわさないのだ。
この番組が始まったのは1964年、東京オリンピックの頃だ。
私がこの番組を聴き始めたのは1970年代後半だと思う、以前から気になっていた番組だったが、一度聴いたらその雰囲気の良さに感激し、毎週聴くようになった。
番組は1時間番組で放送局はTBS系列、毎回10曲程度の曲がセンスの良い選曲で放送されていた。
しかし残念なことに、1990年9月、突如番組は終了する。
ラジオから、また一つ良質な番組が無くなると私はとても嘆いた。
その後この番組の意志を継ぎ、スポンサーや語り手が様々に変わり、2009年3月に番組は完全終了する。
しかし、私にとってのこの番組は「ミリタリータンゴ」と「今井とも子」が「キューピーバックグラウンドミュージック」の象徴であり、私にとっては1990年の番組終了が全てであった。
以前もこのブログで書いたが、今のラジオ番組は低俗化している。
また「キューピーバックグラウンドミュージック」が再開されることは無いとは思うが、あのような良質の番組を制作することをラジオ関係者に向かって切にお願いしたい。
なお、現在は文化放送にて、決まった祝日に「キューピーメロディホリディ」として放送している。
関東圏の方は是非一度お聴きになることをお勧めする。
ユーチューブで「キューピーバックグラウンドミュージック」を検索していたら、アップロード者が番組の要所だけ編集したものを見つけた。
下にリンクを貼ったので、是非聴いていただき、その雰囲気を味わっていただきたい。
あの爽やかで優しいオーブニングが今も耳に残る。

キユーピー バックグラウンドミュージック