今回は、予定を変更して、
Harry Belafonteさん追悼です。
Harry Belafonteさん、
80's洋楽ヲタ的には、
やはり、"We Are The World"の、
『USA For Africa』提唱者としての
イメージが強い方でありますが、代表曲
"Day-O (The Banana Boat Song)"は、
子どものころ、ベテラン歌手である、
浜村美智子さんが、
引退から、カムバックをして、
当時の懐メロ番組などで歌われていたのを、
よく聴いていたので、そちらのカバーのほうで、
♪デーオは、耳タコになるくらい、
知っておりました。
でも、正直、なかなか、
Harryさんのオリジナルのほうは、
聴く機会はありませんでしたが。
今回、調べてみましたら、
Harryさんが、初めて、
USチャートに入ったのは、
1953年のことで、それが、こちらの、
"Gomen-nasai (Forgive Me)"
というナンバーだったようです。
(Pop #19)
Benedict Mayersという
当時の在日米軍兵士が書いた詞に、
レイモンド服部こと、
服部逸郎さんという日本人作曲家が、
曲をつけたナンバーで、
江利チエミさんも、渡米して、
録音している曲とのことですが、
誰か、うまい米国人歌手にも、
歌わせようということで、そのころ、
まだ無名だったHarryさんに白羽の矢が立ち、
スマッシュヒットになっていたみたいですね。
Harryさん、自らもシンガーで、
言い出しっぺでもあったのに、
"We Are The World"では、
録音に参加しながらも、
ソロパートをとることもなく、
裏方に徹しておられましたが、
どこにいたっけなぁ?と、
今回、改めて見てみたら、
俳優のDan Aykroydと並んで、
最後列で歌ってらっしゃいます。
しかし、他にも、なぜ、
この人はソロで歌わなかったのだろう?
と思う人、何人かいますね。
R.I.P.
https://amass.jp/166256/
「バナナ・ボート」など、歌手・俳優の
ハリー・ベラフォンテが死去
(amass)
※次回は、同名異曲です。
Harry Belafonteさん追悼です。
Harry Belafonteさん、
80's洋楽ヲタ的には、
やはり、"We Are The World"の、
『USA For Africa』提唱者としての
イメージが強い方でありますが、代表曲
"Day-O (The Banana Boat Song)"は、
子どものころ、ベテラン歌手である、
浜村美智子さんが、
引退から、カムバックをして、
当時の懐メロ番組などで歌われていたのを、
よく聴いていたので、そちらのカバーのほうで、
♪デーオは、耳タコになるくらい、
知っておりました。
でも、正直、なかなか、
Harryさんのオリジナルのほうは、
聴く機会はありませんでしたが。
今回、調べてみましたら、
Harryさんが、初めて、
USチャートに入ったのは、
1953年のことで、それが、こちらの、
"Gomen-nasai (Forgive Me)"
というナンバーだったようです。
(Pop #19)
Benedict Mayersという
当時の在日米軍兵士が書いた詞に、
レイモンド服部こと、
服部逸郎さんという日本人作曲家が、
曲をつけたナンバーで、
江利チエミさんも、渡米して、
録音している曲とのことですが、
誰か、うまい米国人歌手にも、
歌わせようということで、そのころ、
まだ無名だったHarryさんに白羽の矢が立ち、
スマッシュヒットになっていたみたいですね。
Harryさん、自らもシンガーで、
言い出しっぺでもあったのに、
"We Are The World"では、
録音に参加しながらも、
ソロパートをとることもなく、
裏方に徹しておられましたが、
どこにいたっけなぁ?と、
今回、改めて見てみたら、
俳優のDan Aykroydと並んで、
最後列で歌ってらっしゃいます。
しかし、他にも、なぜ、
この人はソロで歌わなかったのだろう?
と思う人、何人かいますね。
R.I.P.
https://amass.jp/166256/
「バナナ・ボート」など、歌手・俳優の
ハリー・ベラフォンテが死去
(amass)
※次回は、同名異曲です。
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