これは、古代エミシの英雄アテルイ達が本拠地としていたと推定される奥州市の羽黒山です。
奈良から平安時代にかけて、まだこの辺は大和朝廷に属していませんでした(この時代での中央を、大和朝廷といっていいかは、ちょっと置いておいて)。朝廷は、日高見と呼ばれたこの地域に採れる金や馬、そしてよく肥えた土地が欲しくて、征夷軍を編成しせめてきます。多賀城に城を築き、北へ北へ。
友好な関係になっていた時期もあったようですが、蝦夷というさげすんだ漢字をあてられ、俘囚として奴隷のように使われたりもします。そして、朝廷対エミシの戦いがあちこちで起こります。とくに沿岸のエミシが桃生城を焼き討ちにしたことから始まった38年戦争と呼ばれるものが有名です。朝廷の5万の大群に1500のエミシ軍が大勝利をおさめたりもしています。巣伏の戦いと呼ばれるもの。それが、ここでの戦い。アテルイがその大将だったときのことです。
しかし、坂上田村麻呂が征夷大将軍となり、体制は逆転します。
というようなことをずっと調べ、この土地に通って書きました。
コロナのために発売が遅れていますが・・・。年を越しそうですが、今本にすべく、進めていただいています。
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