fromイーハトーヴ ーー児童文学(筆名おおぎやなぎちか)&俳句(俳号北柳あぶみ)

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伊藤洋子さんの散文詞・その2

2017年08月16日 | 日記
      

 洋子さんの散文詞や素描を観ていると、なんとも言われず「恥ずかしい」気持ちになりました。有名になろうとか、何者かになろうとか、そんな気持ちを感じさせない澄んだ上澄みのようなものと対面したからです。秋田の片隅で、こうした心持ちを持った方がいることを誇らしく思います。
 素描展は、明日までです。


私は樹が好きです

お花見の頃のサクラには、
冬の間 がんばったねぇ、偉いねぇと話しかけます
サクラは愚痴をこぼさないし、
花を咲かせたからと自慢もしません
黙って立っているサクラが愛おしいです

草や木の名前を覚えるのは 楽しいことです
サクラ、エノキ、カントウタンポポ、オオイヌノフグリ・・・・・
今まで 見過ごしていたのが、ぐっと身近になり、
友だちになったようで 嬉しくなります

でも、この事には 私の場合、大きな落とし穴があるのです
植物学者ならば、名前を入り口にして、さらに
生態を深く観察するでしょうが
私は「それ」と同定した途端、安心してしまって
「見る」ことを止めてしまいます。

若い頃から、いい絵を描くためには、よく見なければいけないと
思っていました
が、私は逆に描こうとしなければ、いつもぼんやりして、
何も見ていないことに、気がつきました
だから、見たつもりになっている自分を捨てて、
わかった気になっている自分を捨てて、
よく見るために、描こうと思います

老眼はもちろん、絶え間ない耳鳴りとめまいの中でスケッチを
するようになって、ようやく こんなつまらない事に
気がつきました
気づくのが遅いなあと思います

けれども、「よく見る」とは、必ずしても
微細に明瞭に見ることではないのかもしれません

よく見ることを続けていれば、
これから先、もっと感覚が鈍った時に、
別のものが見えるんじゃないか、
かえって、余計な飾りが削ぎ落とされ、
サクラであるという名前も捨て去った先に、
何か、
「ただ そこに在ること」が見えてきたらいいなあ と、
私は 楽しみにしているのです

本当は、地中から水を飲む音が聞こえるような樹を
描きたいのですが、それができないということは、
まだまだ 見方が良くないです

樹が私か、
私が樹か、
わからないようになりたいです

伊藤洋子さんの散文詞・その1

2017年08月16日 | 日記

      
 秋田市日赤2Fのミニギャラリーで開催中の伊藤洋子素描展を観てきました。洋子さんは、大学の先輩で油絵から彫塑を経て、現在はこうして自然と向き合いながら、素描を続けていらっしゃいます。毎年いただいている年賀状は、その素描が素晴らしく、全部保存しています。
 今回、もちろん素描は素晴らしいのですが、大きな紙に自筆で書かれていた文章に心を奪われました。ご本人の承諾を得たので、ここに紹介させていただきます。(本当は、自筆の文字もまた素敵なのですが)

今年も庭は植えた花よりも雑草が
元気にはびこっています
仕方なく鎌を手に重い腰を上げます

ヨモギ、スギナ、ハルジオン・・・夢中で刈って、
オニノゲシも
剣客よろしくバッサリやった時でした

思ってもみない大量の水が顔にかかり、
一瞬何が起こったかわからず、びっくりして手を止めました
「カエリチ ヲ アビタ」と思い、
思わず顔を拭った手を見ました
「アカクナイヨネ」
切ったオニノゲシの茎から水を浴びせられて、
(変な言い方ですが)
こいつ、こんなにも生きていたのか と
慄然としました
短くなった茎は、まだ凛と、まっすぐ空を目ざして立ち、
切り口からはじわじわと水があふれています

ごめんなさい オニノゲシ
生きてるって教えてくれて ありがとう

見回せば
空も雲も草木も鳥も、
照っても、曇っても、降っても、
世界が あんまり きれいで、嬉しくて、
讃えても
讃えても
足りません