スペイン語で遊ぼう!みんなの広場_since2004

スペイン好き、ラテンアメリカ好き、スペイン語好き、スペイン語をやってみようかなぁと思っているヒト、寄っといで!

ラティーノス

2010-05-23 | スペイン語圏まめ知識
ヒスパニックという言葉がある。
アメリカ合衆国に住む、スペイン語圏の人々は、現地英語でhispanic(ヒスパニック)と呼ばれており、それが外来語として日本にも入ってきているのだろう。また、spanglish(スパングリッシュ)という造語もあるが、アメリカ合衆国在住のヒスパニックたちが作り出した英語とスペイン語のミックス言語のことである。

では、イベリア半島スペインに住んでいる中南米出身の人々は、スペイン人に何と呼ばれているのだろうか? 
hispanos(イスパノス)だろうか、hispanohablantes(イスパノアブランテス)だろうか? たぶんどちらも正しい単語だろうけれど、それではスペイン人自身も含まれてしまう。実際スペインでは、アメリカ大陸(島々も含む)から来たスペイン語圏の人たちを latinos(ラティーノス)と呼んでいるそうだ。今日の勉強会でスペイン人のパコさんに確認でき、長い間の謎がとけてスッキリした~。

日本でも、ラティーノスとか、ラテン人とか、よく言われるが、スペイン語圏の人に限らず、ポルトガル語を話すブラジル人も含めた総称として使われているように思う。面白いのは、スペイン人が言う latinos には通常ブラジル人を含まないということだ。ブラジル人のことは brasileños(ブラシレーニョス) という風に区別されるそうだ。

ちなみにスペイン語で、americanos(アメリカーノス)という言葉は、アメリカ合衆国の人のみならず、アメリカ大陸(島々を含む)全体の人を指すのが普通である。なので日本で言う「アメリカ人=米国人」のつもりで americanos を使うと、誤解を生じることがあるので注意が必要である。
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GALLO PINTO

2009-11-03 | スペイン語圏まめ知識
GALLO PINTO(ガージョ・ピント)という料理がありまして、コスタリカでは、朝食によく食べられます。簡単に言えば豆ご飯で、見た目は日本の赤飯に似ているし、キューバの ARROZ CONGRI にもっと似ているのですが、キューバのそれが「炊き込みご飯」なのに対し、コスタリカのは「炒めご飯」と言えます。

1)玉ねぎやピーマンを炒める
2)あらかじめ煮ておいた豆を加え、炒めて水分を蒸発させる
3)あらかじめ炊いておいたご飯を加えて炒める

まあ、ざっとこんな感じですかね~。炒り卵か目玉焼き、ベーコンやサルチチョン(サラミ風ソーセージ?)が添えられます。このGALLO PINTO、どうやらコスタリカだけではなく、他の中米(ニカラグアやパナマ)でも食されるようなんですね。

日曜日にナベガって(ネットサーフィンして)いたら、You Yube でニカラグアの GAALLO PINTO の作り方を発見しました。

http://www.youtube.com/watch?v=U7zc7tGeBLs&NR=1

これを見ていたら、もうひとつの料理、INDIO VIEJO というのも非常に気になりまして、のちに別の映像も見つけました。こちらは英語が入っています。

http://www.youtube.com/watch?v=vrcN3NlD6g8

これって、どうなんでしょう? 食べたことのある人、教えてくださいね~。

まだまだ探せば、いろんな中米料理が映像で見られそうですね。おいしそう、行きたい、食べたい、でも行けない…。ついついYou Tube にのめりこみ旅行気分にひたってしまいます。

ところで、この記事を「スペイン語圏まめ知識」に載せるべきか悩みましたが、新たな料理カテゴリをつくるのもナンですから、今回は「スペイン語圏料理知識」ということで、あしからず…。
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驚異の空中都市

2005-06-05 | スペイン語圏まめ知識
6月2日 午後8時より NHKテレビ(これって全国的?)

探検ロマン世界遺産 マチュピチュ・驚異の空中都市

TV初公開の新事実発見 …ほんとか?

インカの謎に迫る!!


はいはい、お待たせしました。見られなかった方のために、録画を見てまとめてみました。
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15世紀頃インカ帝国によって築かれたマチュピチュの遺跡は、アンデス山中の2400メートルの標高にある。山道を登りつめると、急に視界が開け、自然と文化が溶け合った絶妙な風景が飛び込んでくるという。この感動の瞬間! NHKの藤井アナウンサーも、うるうる、ぞくぞく。そうだろうねぇ、たどりつくのに50数時間かかったなんて(汗)。それでもはるばる地球の裏側まで行って、その絶景を自分の目で見てみたい、と夢に見る人は多いだろう。私もそのひとりである。

この空中都市マチュピチュは、20世紀まで世界に知られることがなく、発見後すぐに分析・研究が進んだわけでもなく、多くの謎が残されている。いったい誰が、何のためにこんな高いところに? 様々な説が浮かんでは、新たな説に塗り替えられる。アメリカ合衆国・エール大学での研究が再開される一方、地元ペルー文化庁による発掘調査も進み、新たな発見が期待されているという。

神聖な山々が見渡せる “選ばれた土地” マチュピチュには、500人以上の人が、豊かな自然に包まれ、平和に暮らしていたらしい。争いの跡も武器も発見されず、人々の骨には重労働を強いられた形跡もない。
その建設者はインカユパンキ、つまり第9代インカ皇帝パチャクティ。
こんな高いところにどうやって石で!?という謎は、「遺跡の一角にある岩山から切り出されたのでは?」「ペルー南部から石職人(?)が招かれ、高い技術によって建築されたのでは?」…と解明されつつある。

マチュピチュを研究して30年余りのアステテ博士、「ちょっとやってみましょう」と鉄分を多く含む固い石を持って岩をゴンゴン。ほんとだ、削れる、削れる…って、え?いいの?(ペルー文化庁の許可を得ています、という字幕が3秒ほど出るのがミソ)。

斜面にあるアンデネスと呼ばれる段々畑ではトウモロコシが作られ、トウモロコシからは神々に捧げる神聖な酒、チチャが作られていたという。神に一番近いところ、ワイナピチュ(若い峰)の山頂には、チチャを捧げるための祭壇らしきものがある。ふぅ~ん。
「心臓を捧げるための祭壇」みたいな生臭いもんじゃなくて、このへんがユートピア説のあるインカ帝国らしくて良いなぁ。

このワイナピチュに登ってみた藤井アナウンサー、ハーハーしてた。空気が薄い上に、長旅と時差ぼけと、(おそらく)強行スケジュールで、キツそう~。私もあまり先延ばしせずに、体力のあるうちに行っておかないとなー。せっかく行くならワイナピチュも登ってみたいし。

インカトレッキング? あー、そこまでの体力は、すでにないと思う。。。
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物価の安い国

2004-10-05 | スペイン語圏まめ知識
最近、海外移住やロングステイをテーマにしたテレビ番組が多いように思う。興味があるので時々見るのだが、昨夜は「安~~い!!」を連発するレポーターの甲高い声が耳障りで、途中で切ってしまった。

エクアドルの MISERIA (貧困)のことを思い出した。
8年ほど前、首都キトに語学研修目的で行ったのだが、ひと月200~300ドルで生活できたので、「物価が安い!」とついつい長居してしまった。しかし現地では、月100ドルそこそこの給料でなんとか食べている層の人が多かった。その日のパンのために靴を磨いたり、バスの中でガムを売ったりして働く子供は大勢いた。もっと貧しい人々は、それこそ家もなく、裸足で生き延びていた。垢と埃にまみれた空腹な子供が、道端で鼻水をたらして寝ていたり、ハンバーガー・ショップで残り物をねだっていたり、、、そんな光景も幾度となく見かけた。

テレビで話題にしていたのは、もちろんエクアドルではない。アジアの、物価の安い国である。しかし物価の安い国というのどこもきっと、日本人にとって「安くて住みやすい」だろうが、現地の人は貧困にあえいでいるのではないか。その一方では、美味しい汁を吸って肥えていく大金持ちがいて、貧富の差が埋まらないのだ。

「やっす~い! これだけ食べて1,000円ですか~?」
「うわー、こんなに広くて家賃がたったの70,000円? 安~~い!」
そりゃー日本人のための番組だし、見ているのは日本人だけだろうけど、あんまり声高々に「安い!」と叫ばないでほしいなぁ。少なくとも「安い安い!」とウハウハ注文したあげくに料理を残すような、下品なまねだけはしてしてくれるなよ。

「あのホテル、外国人がよく泊まるけど。一泊100ドルだってさ。この国の平均的な月給を知ってるかい? 100ドルだよ。どう思う?」
キトに行ったばかりのとき、エクアドル人にそう聞かれた。どう思う?って、う~ん、私ね、未だに考え続けている。

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マチュピチュ発見?

2004-09-26 | スペイン語圏まめ知識
インカ帝国の幻の街、謎の空中都市、20世紀最大の発見!!・・・なんか聞いたことあります?
ペルーのマチュピチュ遺跡は、1911年に、アメリカ合衆国の探検家ビンガム氏によって発見されました。と、思っていました一昨日までは。本当のことを言うと正確な年までは覚えていませんでしたが、まぁそんな感じだったかな~と。

ところが、それよりず~~っと以前に描かれた2枚の地図の出現によって、ビンガム発見説は覆されていたのですね。
一昨日、通訳学校の短期講座2回目を受けたのですが、課題のタイトルがが"Secreto del descubrimiento de Machu Picchu" (マチュピチュ発見の秘密)。読みながらというか、訳出させられながら、おどろいてしまいました。

ペルーの歴史家、マリアナ・モウル女史によると、手がかりとなる地図は1枚が1870年、もう1枚が1874年作成のものであり、ペルーにマチュピチュが存在することを証明しているというのです。そして、ペルー人が1902年に壁に刻んだ文字を、1911年にビンガム氏が “遺物保存のために” 消し、そのついでに発見者として名乗りをあげたんですって。うそみたい。それってズルくない?

しかしながら、世界中にマチュピチュの存在を知らせたビンガム氏の功績はたたえられるべきものらしい。。。つまり現地の人々には既に知られていたマチュピチュ遺跡まで、ビンガム氏を案内したのも現地のヒト、だけどその “発表” はビンガム氏の力だった、ってことですかね、“発見” じゃなくて。

ここをクリックすると社団法人日本ユネスコ協会連盟のホームページ内の、マチュピチュの写真が見られます。

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