スペイン語で遊ぼう!みんなの広場_since2004

スペイン好き、ラテンアメリカ好き、スペイン語好き、スペイン語をやってみようかなぁと思っているヒト、寄っといで!

北海道では豚肉でも "焼き鳥" という?という伝説

2024-08-18 | ひとりごと

先日、お気に入りの定食屋に1年ぶりくらいで行った時の話である。

店先でメニューを見て、私が食べたいのは「チキン○○煮」であると確認し、席に着くや否や注文したかったのだが、”運ぶ人” が紙のメニューを運んできて注文はタブレットでお願いしますと言って去っていった。タブレット注文になったのは知っていたが、以前は口頭でも受け付けてくれていたと思った。でも去っていったので仕方なくタブレットと向き合った。”しぶしぶ” である。QRコードから注文してくださいと言われたらおそらく店を出ていた。

見ると「鶏肉・豚牛肉・魚」のように分類されていたので「鶏肉」のところから入って探したのだが見つからない。他の材料のところも念のため探したのだが出てこない。しばらく探したあげくに忙しそうな "運ぶ人" を呼んで「チキン○○煮はどこに入っているんですか?」と聞いたところ、彼女も知らないらしくタブレットを操作し始めた。アレコレ探してもないらしい。それから一瞬手をとめて私に、

「チキンは鶏肉ですか?」と聞いた。

私は「私はそう思うんですけど、もしかしてお宅のチキン○○煮は鶏肉で作ってないんですか?」と逆に聞きたかった。でもカスハラと言われたら困るのでじっとこらえて「私は鶏肉のところを探したんですけど。。。」と口ごもった。しばらくチキンの捜索は続き、やがて「鶏肉」ではなく「スペシャルなんとか」のところに○○あん煮とかといっしょに隠れているところを発見された。思いがけなかった。「これです」と言って ”運ぶ人” は去っていき、私は注文の操作を続けた。席についてから注文できるまでに10分以上かかったと思う。「チキン○○煮定食ひとつ」と言えばすむ時代は良かったとつくづく思った。

「鶏肉」のところからも発見できるようにシステムを変更してほしいと思ったが、”運ぶ人” には何を言ってもしかたがないので黙った。あの人は運ぶのが仕事なのだ。おそらく「チキン○○煮はどこに入っているんですか?」という質問もしてはいけなかったのだ。人手不足の飲食業界はロボットを導入できない限り、運んでくれる人材を確保するのに懸命なのだ。

友達にこの話をしたら大いに受けたが、もし私があの場で切れていたらカスハラというより老害だと言われた。


チキン○○煮が鶏肉じゃなかったら、豚肉じゃないトンカツとか、牛肉じゃないビーフシチューとかもあるのだろうか。など色々考えているうちに「北海道の焼き鳥は豚肉なんだって?」と内地の人(本州の人)がおどろいたという話を思い出した。

あの "運ぶ人” は本州出身で、その伝説を聞いた(ネットで読んだ)ことがあるのかもしれない。

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ふたたび出会った 星の王子さま

2024-08-04 | EL PRINCIPITO

初めて『星の王子さま』と出会ったのがいつだったのかは覚えていないけど、大人になってから熱狂的な「星の王子さまファン」になっていた。日本語版は子供のころか中学生のころ読み、『星の王子さま』って難しくてさっぱりわからない話だなぁと思ったことだけ覚えている。このブログでカテゴリー『EL PRINCIPOTO』(星の王子さまのスペイン語版タイトル)を書いたのは19年前らしい。ふたたび、このカテゴリーを開き、書いている。

私がこの偉大なるフランス語の物語にはまったのは、スペイン語翻訳本で読んでからに違いない。確かスペイン語では「スペインのスペイン語」と「ラテンアメリカのスペイン語」の両方の翻訳本を読んだ。そしてラテンアメリカのスペイン語に吹き替えられたアニメも、ビデオに録って何度も見たものだ。

「やさしい英語を聴いて読む IBCオーディオブックス」のシリーズで英語版『星の王子さま』を買ったのは2~3年前。勉強している言語で、大好きな本(漫画でも物語でもなんでも。”大好き”というところが重要)を読み通すというのが、語学の自信につながったり、モチベーションを高めたりするんじゃないかと以前から思っていたのだが、英語に関してはなかなか本気のやる気が足りなくて、読む気になれなかった。実をいうと、この6月にやっと通しで読み終えた。まだまだわからない単語や表現は残るものの、一度読み通すというのは初めの1歩だと思う。

どう考えても「英語への愛」が足りなかったんだと思う。しかし『星の王子さま』を英語で読み通すことで、愛が芽生えてきたような気がする。オーディオのナレーションはちょっと聞き取りにくいけど、お気に入りのチャプターだけスマホに入れて時々聞いている。やはり大好きな物語だと、聞くのも読むのも、音読もシャドーイングも楽しい。

「日本語版がもっと優しく易しく翻訳されていたら、日本語学習者にもお勧めできるのに」と思い検索してみたら、いつのまにか色々な翻訳者によって書かれた数多くの日本語版『星の王子さま』が出版されていたのねん💛

ネットショップでサンプルだけ見ても比較が難しく、本屋で探してみたが数が限られていた。そこで見つけたこの記事を参考にさせてもらい、新しいタイプの『星の王子さま』を2冊選んでネットで購入することにした。
星の王子さまの日本語翻訳比べ (フランス語の先生のブログ)

いや、まだ注文してないけど。とりあえずこの決断を報告したくて、久しぶりにブログを書いたしだいである。ミニマリストになりたくてかなりの本を E-BOOK 化したけど、趣味で読む本はやっぱり紙をめくりたい。。。

 

追記(8月15日):
アマゾンのサイトを見ると、IBCの英語版の口コミには「オーディオCDの朗読者は日本人」だとか「タレントの‘はな’さん」だとか書かれているが、私が2000年(4年も前だった(^^;))に購入した本のCDは日本人とは思えない男性の声だった。

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「何も見えない」ってどういうことか、考えた。

2024-02-22 | ひとりごと

「めがねをかけなければ、何も見えません。」

この文を見て違和感を覚える日本語ネイティブは、あまりいないかもしれない。ほとんどの人が、こういう表現を使うと思う。たとえば、駅構内の標識文字をたどっていても、遠くの文字がぼやけて見えないとき「何も見えない!」。また、遠くにいる知人の顔が認識できず、近づかれて挨拶されても「全然見えなかった!」と言ったりする。

 

しかし「何も見えない」というのは大げさではないだろうか。光がある場所で、ある程度以上の視力がある人なら「何かぼんやりとは見えている」のではないか。標識の文字が読めなくても、標識があることは認識でき、文字があるということも把握できているのは、「見えることは見える」ということではないのか。

このようなことを考えるようになったのは、スクールで日本語を習っている生徒から、ミニテストのときに間違った理由を聞いてからである。

 

問題文は前半「めがねをかけなければ」に続く後半の文を四つの選択肢(ⒶⒷⒸⒹ)から選ぶというものだった。

 

正解はⒷ:

「めがねをかけなければ、Ⓑ何も見えません

彼が選んだのはⒶ:

「めがねをかけなければ、Ⓐ新聞を読みません」✕

 

日本語スクールの立場としては、条件形/否定(~なければ)の後に続く文が意志動詞では相性が悪いという理由で、「“新聞が読めません” なら良いけど、Ⓐ“新聞を読みません” はダメです」というような説明をする。ⒸとⒹは明らかにおかしいので、必然的に「Ⓑ何も見えません」が正解となる。

文法的に正しくないⒶを記入して「✕」にされたのだが、生徒は正解のⒷ文に納得がいかなかった。

 

「眼鏡をかけなければ “何も見えない”(:何ひとつ視界に入らない、あるいは光も感じず真っ暗な)人は、眼鏡をかけたとしても何も見えないのではないか。視力のある人なら、“何も見えない” なんてあり得ない。自分も目が悪く、めがねをかけなければ新聞の字など識別できないが、新聞が置いてある、標識が遠くにある、…のは “見える”。」

…というモヤモヤを説明してくれた。

 

私は、生徒の熱心な(スペイン語・英語・日本語・ジェスチャーを交えた)説明を聞いて、妙に納得するところがあった。

そもそも「見える」とは、どんな定義になっているのか。新明解国語辞典によると:

>>そのものが、何かに妨げられることなく、確かにその存在を目で感じることが出来る。

確かに、あなたの感覚は正しい! と私は生徒に言いたくなった。

 

でも日本語ネイティブは、見えていても見えないって言うことよくあるのよね~。「ぼんやりとしか見えない」とか、「はっきりとは見えない」の太字部分を省略して「見えない」だけ口にするのかもしれない。さらに、「何も」「全然」など付け加えた大げさな表現を好むのかもしれない。たとえば、吹雪と地吹雪で真っ白な道中、前の車のライトしか見えないようなときに「雪で前が全然見えない」と我々は言うのである。まぁ、こういう状況だと「車のライトがなければ、全然前が見えない」という文が成り立つだろう。でもこの文だと、雪国の人にしか実感がわかないかしら。

 

そこで私は考えた。テストの問題文前半が「めがねをかけなければ」じゃなくて「電気をつけなければ」だったら良かったのかも、と。

「電気をつけなければ、何も見えません」

光りのないところ、つまり暗闇の中では、たとえ視力が良い人でも “本当に” 何も見えないだろうから。モヤモヤしない文である。

 

 

※前述の辞典によると「見える」には他に三つの意味があるが、いまは①の視覚的な意味だけとりあげている。

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日本語では「物」も「人」も送るのか⁈ という素朴な疑問

2024-02-05 | ほうげん・ひょうげん

先日、日本語レッスンで面白いことを発見した。そしていままで気付かず、深く考えなかった自分が馬鹿だったと反省した。この例文を見て、気付いたのは生徒の方だった。

1) 母がセーターを送ってくれました。

2) 友達が駅まで(私を)送ってくれました。

英西バイリンガルの生徒は(1)の「送る」は 英語の "send"、スペイン語の "enviar" だと理解していたが(2)の「送る」は違うらしいと気が付いて質問した。私もハッとして(2)の意味を考えた。

 [人を] 送る:llevar a alguien, acompañar a alguien(スペイン語)

スペイン語では、人を派遣するとか他の土地に社員を赴任させるとかには "enviar" で良いのだが、(2)のようなときには違う動詞を使うわけだ。そして(1)のように物を送るときは "enviar" や、ラテンアメリカでは "mandar" もよく使う。

日本語で説明を試みた。「”連れて行く” によく似ています。たとえば、空港に行きたい人を空港まで連れて行って、その人にバイバイして自分は戻ってくる。幼稚園まで子供を連れて行って、バイバイして置いてくる。」え?置いてくるって、物じゃあるまいし。

私が「面白い」と思ったのは、日本語では「~があります(物)」「~がいます(人)」のように、物のときと人のときでは違う動詞を使うため、多くの英語圏・スペイン語圏の生徒を悩ませているから。「(物を)持って行く」「(人を)連れて行く」も然り。それがこんどは同じ「送る」というひとつの動詞で、「物」も「人」も運んでしまおうというのである。

生徒も、日本では物だけじゃなく人まで配達(delivery)するのか⁈ …と言って驚いた。う~ん。


ところで、最近私は英語アプリを使ってフレーズの練習をしているのだが、昨日はこんな例文がでてきた。

Can I give you a ride?:送りましょうか?

この「give 人 a ride」だと幼稚園まで歩いて子供を送るときには使えない。アメリカで子供を送るときに「歩いて」というのは考えられないが、車じゃなきゃいけないのかな。自転車に乗せるときは使えるのだろうか。でも「無料で乗せてあげる」の意味が強いなら、どっちみち子供を送るときに使うのは変じゃないか。…色々考えるところである。

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Marido de dos caras(ロシア映画_スペイン語版)

2024-01-21 | 映画の感想文(旧DVD体験談)

たまにはスペイン語の映画を見たいな~と思うとき、película completa en español と、YouTube 検索するといくつもの映画が現れる。先日それで「Marido de dos caras」というのを見ていたのだが、スペイン映画でもラテン映画でもなく、なんとロシアの映画だった。この映画はロマンチック映画に分類されていたものの、スリラーみたいなおどろおどろしいところもあり、ハラハラしながら見入ってしまった。ラテンアメリカのテレノベラみたいに面白かった。

しかし「Marido de dos caras」は6時間以上ある映画だったので、途中で疲れてしまった。1日で見るのは無理なのでいったん中止した。

ところが次の日、「Esposo con esposas」という別タイトルの、同じ内容の映画がチャプターに分かれてアップされているのを発見した。40分前後だと、1日1チャプター限定とかにして1日の楽しみにできるのが良い。数日かけて、とうとう昨夜最後の16チャプターを見終わった。ハッピーエンドなことを確認しないと眠れない気がしたから、昨日は最後の4チャプターくらい一気に見てしまった。

また、この映画は「Salvarse del marido」という別のタイトルでも、4チャプターくらいに分かれてアップされているようだ。


同じ映画が、3つの違うスペイン語タイトルで現れるなんて、不思議である。映画自体はどれもラテンアメリカのスペイン語に吹き替えされていて、字幕はない。吹き替えの声は3つとも同じだと思う。

【あらすじ】海辺の町に住むビクトリアという若い女性が、白馬に乗った王子様みたいな男性を見つけて結婚し、首都のモスクワで子供ふたりに恵まれた幸せな生活を送っていたのだが、完璧な男に見えた夫(キリル)は自分の事業の成功と金のことしか考えない別の顔を持っていた。少しずつ暴露される本性。何度もひどい目に合いながらも、やさしい顔の夫にまた騙されてしまうビクトリア。しかし、罪を着せられ刑務所に入れられて、ようやくビクトリアは目覚める。ビクトリアは強くなっていくが、キリルの残虐さも加速していく。。。

これ以上はネタバレになるので書かないが、ハッピーエンドだってことはバラシておくので安心して見てほしい。

この映画の英語吹き替え版があるのかは不明。みんな知ってるのに私だけ知らないのかな。Netflixは一年以上使ってないのでわからないが、もしNetflixにあるなら多言語の字幕がつけられるのに。

最後まで見終わってから、この3つのスペイン語タイトルについて考えたのだが、日本語に訳すとこんな感じかな~。あまりカッコいいタイトルにはならないので、英語版があるならそのタイトルをカタカナにしたほうがいいかも。

「Marido de dos caras」:ふたつの顔を持つ夫

「Esposo con esposas」:手錠の夫

「Salvarse del marido」:夫からの救出

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