スペイン語で遊ぼう!みんなの広場_since2004

スペイン好き、ラテンアメリカ好き、スペイン語好き、スペイン語をやってみようかなぁと思っているヒト、寄っといで!

ブラジルと日本

2008-12-29 | ひとりごと
12月21日(日)に、大阪国際交流センターの「ワン・ワールド・フェスティバル」という、国際協力のお祭りに行ってきた。14時に※「関西ネットワーク」のメンバーと待ち合わせしていたのだが、11時から13時までの「日本ブラジル交流年」トークイベントというのに興味があり、それに間にあうように一足先にセンターに着いた。

日本人がブラジルに初めて移住してから、2008年でちょうど百周年なのだそうだ。昔は日本から「出稼ぎ」に行ったものだったが、今はその子孫たちが逆に日本に働きに来ている。ブラジルのサンパウロに日系人コミュニティーがあるように、現在日本のそこかしこに「日系ブラジル人コミュニティー」がある。

トーク会場では、3名のスピーカーと、2名のサブ・コーディネーターが、それぞれの人生を語った。
「アイデンティティー」という言葉がでた。
そして「異文化」「多文化共生」「内なる国際化」…。
ブラジルと日本の、今後の関係や日本における多文化社会のありかたについて、フロアーの私たちと語り尽くす、というのがこのトークイベントの方向性だったようだが、そこまで行き着いたのかどうか(っていうか、質疑応答のときに順番も無視して長々語る人がいたりして~)。という感はあるものの、たいへん勉強になった。

そのトークイベントのあと、想像したより大規模なお祭り散策をしてから、関西ネットワークのメンバーと喫茶店で座談会をした。
私も、新入りながら、「まっさきに派遣切りされている日系ブラジル人やペルー人」の話をした。

後日、座談会でもらった、世界子ども通信『プラッサ』という冊子を開いてみた。そこには「十四歳の日系ブラジル人の少年は なぜ、日本で殺されたのか」という、胸の痛くなる記事があった。事件は1997年のことであり、1999年に『エルクラノはなぜ殺されたのか』(西野留美子:著)という本が出ているそうだ。

言葉や文化の違いにより、日本社会で孤立しがちな外国の子どもたち。それにくわえて、日本人同士ですら起きる「いじめ」文化。。。

学校に行かなくなる子どもも多いという。
「契約を切られ、小学生の子どもを退学させようと思う」というブラジル人の話もNHKのニュース・サイトで読んだ。

日本内部の国際問題だけでも、考えることが山積みのように見える。


このワン・ワールド・フェスティバルのパンフレットに書いてある標語(?)
「共に生きる世界をつくるために ひとりひとりができること」
…私たちに、できることってなんだろう?


※「関西ネットワーク」は、「ストリートチルドレンを考える会」から派生したグループで、うちのサークル元会員も2名活動しています。

スペインと移民と日本

2008-12-25 | ひとりごと
先週、スペイン人からの観光客3名と食事をする機会に恵まれ(この機会を作ってくれたYちゃんありがとう!)、いっしょにお鍋を食べながら国際交流をした。

「日本ではあまり外国人を見かけない」
京都も訪ねたはずの彼らがそう言ったとき、京都の観光地などは外国人だらけのような気がするが?と思ったが、どうも「移民」のことを言いたいらしかった。

「スペインでは街を歩けばそこらじゅうに、ラテンアメリカ人やモロッコ人など外国人がいるのに、東京でも大阪でもあまり見かけなかった」
と言う。

そういえば、スペインは移民を積極的に受け入れてきた国のひとつらしい。何年前だったか忘れたが、ドル化により貧困が悪化したエクアドルの地方から、農業分野で多数の移民を受け入れたはずだ。

言語的には不自由のない中南米のスペイン語圏からは、仕事を求めて多くの人がスペインに移住したことだろう。そのほか、モロッコをはじめとするアフリカ大陸から命からがら船で、東ヨーロッパからは陸路で国境を越えて、スペインにたどり着く人も多いだろう。不法滞在も含めると、かなりの割合で外国人がいるのではないだろうか。

島国の日本ではまだまだ、移民の割合は少ないかもしれない。
しかし、生活者としての外国人は、増加傾向にあるという。
このところの不景気で、「派遣切り」にあい苦しんでいる外国人労働者のことを思った。

日本にも、ブラジルやペルーから働きに来た人たちが大勢居ること。
彼らの多くは工場の多い地域に集まって暮らしているので、街を歩いて出会うことは少ないだろうということ。
この世界金融危機のあおりをうけ、生産部門の労働者が契約を切られており、
まっさきに切られるのは、そうした外国人労働者であること。
ブラジル人のホームレスが増えているらしいこと。

…そんなことを彼らに説明した(ちゃんとできたかは疑問)。
日本の美しさ、清潔さ、きちんと整備された道路や建物、日本人の親切さなどに感激していた彼らは、まさかそんな話を聞くとは思わなかったという顔をした。

スペインでも日本でも、多くの移民労働によって経済が支えられてきたことと思う。
スペインの「多文化共生」はどう進んできたのだろう。
日本の「内なる国際化」は今後どういう方向に向かうのだろう。
問題は山積みのように見え、私の知識や思考は乏しい。。。。

注:この記事は、正確な情報を提供するものではなく、調べたり考えたりするための「とっかかり」になればと思って書きました。…っていうか、単なる「ひとりごと」ですっ。